・3104A0480・「スロッテドフラップ」・試作艦偵研究機 
 海軍は海防義会献金にで全金属製飛行機研究材料として革新的実験機試作を川崎に依頼、極秘に試作され完成した艦偵研究機は 世界初のスロッテドフラップや単葉片持ち式パラソル翼の深い後退角主翼を持った非常に斬新、独創的な機体であった。 しかし試験飛行ではフラップ操作困難と判定され開発中止されてしまった。

・3104A0479・「新型機作練」・一一試機作練 
 海軍はその拡大から機上作業員の大量養成を必要とし、昭和11年三菱に九〇式機作練後継機の開発を命じた。 昭和13年に双発高翼胴体金属構造の試作機2機を完成させたが量産を行う余力がなかった為、制式採用されなかった。 1号機はアルグス空冷倒立V、2号機は天風星型空冷発動機を装備していた。

・3104A0478・「水陸両用」・一三試小型輸送機 
 海軍では中国大陸での実情から小型の水陸両用多目的の輸送機の必要性を感じ、日本飛行機にその試作を命じていたが 計画が遅れ昭和17年にやっと試作機が完成した。パラソル翼形式で乗員3名、乗客8名であった。 しかし開発に時間がかかりすぎたのと重量増加やストール性があることから不採用となった。日本海軍唯一の水陸両用飛行艇であった。

・3104A0477・「八試複艦戦」・八試複艦戦(カ8)
 昭和8年海軍は六試に引き続き八試の複座艦上戦闘機の試作を三菱、中島に命じた。完成した三菱機は複座戦の後方射撃機能 を生かす為、垂直尾翼を2枚にし、主翼両側に爆装も考慮した複葉機であったが、中島機とともに軍の複戦思想が不明確なまま 不採用となった。

・3104A0476・「あかつきに」・中島LB−2「暁」号旅客機 
広廠の九五式大攻と同時期に中島は海軍の大型陸攻の自社開発を行ったがこれはDC−2を参考に大型化したもので LB−2長距離爆撃機と呼ばれた。しかし大型攻撃機は九六式陸攻の有望により不要となったので採用されなかった。 これを旅客機に改装し「暁」号として満航で日満間の貨客輸送に使用した。

・3104A0475・「重爆競作」・キ19試作重爆 
 九三式に変わる近代的重爆の競作が中島、三菱の両社で行われた。昭和12年に完成した両試作機は甲乙付け難い出来栄え であったが結局三菱の機体に中島製発動機を装備したものが採用され九七式重爆となった。 中島試作のキ19は長距離通信機N−19として民間機に改装され同盟通信社で使用された。

・3104A0474・「グラスゴー実験機」・試作実験用飛行機1号 
 飛行機の基礎的な研究実験が行える組織として昭和14年に空技廠指導、渡部鉄工所製作で試作実験用飛行機1号がつくられた。 パラソル翼形式で主翼を取り替えて空力実験を行う方式であった。しかし試飛行で振動が多くて使い物にならぬと判断され お蔵入りとなってしまった。これが我国最初で最後の本格的実験用機であった。

・3104A0473・「X交差翼」・九試艦攻(中島)
 九二式艦攻の後をうけて九試艦攻の試作命令が中島、三菱に出された。中島機は昭和9年8月に完成したが、上翼、下翼が 細い中央胴体で交差する特異な形状のものであった。燃料タンクは前部胴体両側に露出、取外し式であった。 しかし九試艦攻はいずれも複葉であったが時代はすでに単葉高速化に進んでおり、そのまま不採用となってしまった。

・3104A0472・「中攻原型」・八試特殊偵 
 海軍は七試大攻が大型鈍重に過ぎた為、中型長距離性能に目的を絞り込んだ八試特殊偵察機の試作を三菱に命じた。 その1号機が昭和9年4月に完成した。その胴体は洗練された全金属製応力外皮構造で主脚引込み式であった。 試験では好成績を納めさらに発動機を空冷の震天に換装し、性能向上させた。これをもとに陸攻化がなされ九六式陸攻が誕生した。

・3104A0471・「民間開発艇」・伊藤式28号飛行艇
大正11年井上長一が日本航空輸送研究所開設用に伊藤飛行機研究所に注文、稲垣氏の設計で民間開発としては初の旅客用飛行艇を製作した。 これが伊藤式28号で乗員数は客もふくめ4名で同所の定期航空に活躍した。さらにこれに改良を施した31号も製作された。

・3104A0470・「旅客輸送艇」・愛知AB−4軽旅客輸送艇
 昭和7年から海軍の要請で愛知で試作研究が続けられていた六試小型夜偵は昭和10年に制式採用を見合わせることとなり、 試作機の3機は堺の日本航空輸送研究所に払い下げられた。それぞれ民間用に改修され、大阪、高松、松山、別府間 あるいは大阪、白浜間の定期航空に使用された。

・3104A0469・「長距離用大型旅客機」・フォッカーF−7b/3m旅客機
 日本航空機輸送株式会社はスーパーユニヴァーサルに続き、より大型の3発旅客機フォッカーF−7bを、 オランダから昭和4年、5年に計10機を購入、東京、福岡、大連の路線に就航させた。乗客数は8名で本格的旅客機となったがまだ便数は少なく、 欠航や時間変更も多いものであった。絵は中央プロペラが3翅となり、ハミルトン金属製プロペラに換装後の姿。

・3104A0468・「夜間飛行」・中島P−1夜間郵便機 
中島は日本航空輸送株式会社の夜間専用郵便物運搬機として8機のP−1夜間郵便機を製作した。 九〇式二号水偵三型を原型とし1人乗用に全長を短くし、発動機に改修を施した。初期のものは開放座席だが改造型は密閉風防となっている。 東京、大阪、福岡間の郵便飛行に2年間使用された。

・3104A0467・「91式戦原型」・中島NC型試作戦
 甲式4型戦後継機競作に対し中島はブリストル・ブルドッグの国産化と佛人技師指導の自社開発機の2本立で対応した。 結局自社開発のNC型試作機が制式採用されて91式戦となった。その原型機は制式機とはかなり形状が異なりスマートなものであった。 NC型は7号機まで作られ、その間徹底した改良が施された。

・3104A0466・「パラソル艦偵」・試作艦偵研究機
 昭和2年海軍は全金属製飛行機研究材料の名目で川崎にパラソル翼艦偵の試作を行わせた。 昭和3年に完成した艦偵研究機は主翼後縁に下げ翼(スロッテドフラップ)、全金属構造、三角断面胴体の当時としては先進的な機ではあったが、 技術経験不足のため実用機となることは出来なかった。

・3104A0465・「H式艦戦」・ハインケルHD−23
 一〇式艦戦後継機競作において愛知はハインケルに設計試作を依頼、出来上がったのが仮称H式艦戦のハインケルHD−23である。 この機は軍の要求に従いV型断面の不時着用水密胴体、水密主翼のほか、主翼スポイラー、投下式車輪などを備えていたが、 過重、着陸安定性不良により不採用となった。

・3104A0464・「自主開発」・川西K−11型艦戦
 一〇式艦戦後継機競作は三菱、中島、愛知に対し命ぜられたが川西はこれに自主開発で参加した。 主翼にゲッチンゲン翼型を採用、上翼のみにフラップ兼補助翼、胴体側面に引込み式の冷却器を装備など意欲的な設計で、 軍の審査も受けたが採用とはならなかった。

・3104A0463・「滑走練習機」・モラン・ソルニエM.S.12R2 滑走練
 フランス航空教育団は教材としてまったくの初心者用の滑走練習機を持ってきた。この機は通常の飛行機の主翼幅を切り詰めたもので 飛行することはできない。ただし滑走速度をあげるとかろうじて離陸が可能な程の揚力をそなえていた。教官が同乗するため、前後の複座であった。

・3104A0462・「R型飛行艇」・試作R−3型飛行艇
 全金属飛行艇に着目した海軍はドイツからロールバッハ飛行艇を導入、横廠で組立てを行ったがこれがR−1飛行艇である。 さらに発動機換装など改良を加え三菱で試作したのがR−2である。また同様に広廠でも試作が行われR−3となった。 いずれも制式採用とはならなかったが技術的に後の飛行艇開発に大きく貢献した。

・3104A0461・ 「天龍昇る」・ 福長式「天龍」10号複葉機
 福長飛行機は大正11年に上海航空路開拓を目標に長距離用機を試作したがこれが中止となってしまったため主翼 中央部の燃料タンク空間を客室に変更、4座席の旅客機とした。これが「天龍」10号であるが、大正12年の 第4回懸賞民間飛行競技大会で距離競技で3時間48分、531kmで4等となった。

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1枚につき 写真用紙 A3 3000円 A3ノビ 4000円
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