「中国から日本、そして再び中国へ」



  月日の経つのは早いもので、中国に移り住んで早くも5ヶ月になる。移住を決意してからの日々のスケジュールの密度はそれ以前とは比較にならない。3月に上海から青島、ウェーハイの旅から帰ったところで、中国のどこに住むか心のうちではもう決まっていた。

  そのとき一番大切に感じていたことはなんといっても住んでいる人たちとの交流のことだった。そもそも上海と蘇州のほぼ中間に位置する「ルージー」からさらに10分ほど行ったところの別荘地に、我が家と考えるきっかけは中国の親しい友人が別荘地内にアトリエを持ちたいということが事のはじまりだった。友人の奥さんの陳さんが一緒の別荘地内に住むことができたらいいねと言ったことから将来移り住む選択肢もあるなとそれとなく考えるようになった。初めて別荘地を見に行ったときは、まだ外国人が中国の不動産を手に入れることはできなかったが、程なくして外国人も買えるようになった。いかに貨幣価値が違うとはいえ、建坪約100坪敷地約300坪というととても今では手がだせない。

  4年前だから手に入れることができたのだと思う。外国人のなかで日本人は私ひとりだ。別荘地内の総戸数129戸のうち(あまり詳しくはわからないが)現在住んでいる人の中で一番多いのが米国籍を持つ中国人。次に台湾籍、台湾籍と米国籍の両方の順だ。まだ内装していない建物が圧倒的に多い。投資目的の購入がほとんどと云っていいのだろう。中国は日本と違って購入者が購入後に自分で内装を行うのだ。その内装費用のかけかたも実に様々だ。見るからに最低限にとどめている家。逆に購入代金に匹敵するほどの金額をかけている家もある。日本ではこんなとき、松竹梅とくれば大方が竹を選んで周囲にあわせるところだろうが、中国では間違ってもそういうことはない。中国ではみな自分が一番なのだ。そのことが良くわかる場所が混雑した道路だ。歩いている人も、自転車に乗っている人も、パタパタ三輪車も、トラックも、乗用車も、皆がおしなべて自分が一番なのだ。もう少し前後左右に注意を払ったら全体の流れが良くなるように思えるのだが、それでも結構するり、するりと、たくみにかわしながらながれるものだと感心させられる。このようにそれぞれが自分が一番で好き勝手が出来るのも、もともと道路がとびぬけて広くとられているからなのだろう。

  それから中国ではクラクションを良く鳴らす。危険の予告をできるだけ早目にということなのだろうが、滅多矢鱈クラクションを鳴らす。大きい車が小さい車を威嚇してということではない。パタパタ三輪車だってトラックに向けてクラクションで警告している。とにかくみんなが自分が一番なのである。しかし大都市では車の増加で上海などでも3年前は1時間でいけたところが今では2時間半もかかるという。そんな車社会では自分が一番だと言ってもそうそう頑張れるものではない。ニュースが伝える大事故も今では珍しくない。どこから見ても、日々刻々新しいルールが生まれてなかなか中国人らしさも通せなくなるのではないだろうか。

  さて、まだ内装されていない家のほうが圧倒的に多いが投資が目的の購入が多いためだ。それでも別荘地内の環境が整備されてきているので、購入を目的に訪れる人はとても多いように感じられる。(もう何年も前に完売)特に緑の陰影が美しい。時に芝生の手入れの手を休めて家々の垣根越しに目に入る街路樹の濃淡と家々のかもし出す景観はパステル画のようで実にみごとだ。しばし自分の居場所を忘れるほどだ。

  また今年は街路樹として植えられている樹木の中に、高さ3メートルほどになった、銀木犀、金木犀がかえでなどに混ざってことのほか多いことがわかって、まだ暑いころから花の咲くのを楽しみにしていた。少し早く銀木犀が咲き金木犀がそれにつづいた。花の命が短いだけに秋の夕景に微かに香り渡ってゆくさまは値千金そこには刻一刻を惜しむ思いが素直に生まれてくる。

  蛇足だが、我が家の庭にも樹木が10本ある。各戸に造成会社が植えたものだが、その中に銀木犀か金木犀のどちらかはわからないが、人間の背丈よりやや低い木が2本あることはだいぶ前から分かっていた。芝生に栄養分を横取りされて、なんとも貧相だなと思いながら、いずれは芝生を少し削り取って、やらねばと思い乍らそのままになっていた。ところがその貧相な2本のうち一本に白い花がついたのである。健気にも微かな香りをはなっている。そうなると人間とはなんと現金なのだろう。なんて貧相なというところから、健気にもよく頑張って来たというところに、ころっと変わってしまう。即、芝を削り取ってやった。「いまではとてもいい樹勢をしている」

   ところで話が脇道にそれてしまったが元に戻そう。今年(2005年)に入ってからのスケジュールの密度がすっかり変わったことについて記しておきたい。私は神奈川県の藤沢市湘南台駅1分のところに会社の事務所があるので、ただただ便利なことから、これまた湘南台駅から2分ほどのところにある賃貸マンションを20年以上も自宅としていた。1箇所に20年以上も住んでいると、永いあいだに買い揃えた物の中にも不要なものがたくさんある。洗剤などは驚いたことに、引越しを想定して余計なものを整理するところから始めたら4年掛けても使いきれないほどだった。2005年に入っていよいよ中国移住が現実実を帯びてきて、本当にこんな状態でこのマンションを引き払うことができるのか、心もとなくさえ思ったものだ。それはなぜかというと経営者というものはいつも会社のことを第一に考え私的なことはいつもあとまわしにする。という習い性がいつのまにか身に染みついたところがある。発注した商品の置き場所がないとき自宅が自然と倉庫になるのである。だから20年以上に亘って商品が全くゼロのときは一度もなかった。それに自宅にしていたマンションはとても良くできていて背はたたないが、4坪ほどの地下空間があった。最初は気がつかなかったが、後半の4年程は活用させてもらった。そんなことだから商品発送用のダンボールなども地下空間に運びこんであった。また整理の終った不要不急なものはみなとりあえず地下にいれておいた。またできるだけ早目に荷物の海外移送の手続きをとっておこうと思い大手の運送会社に見積もりを出してもらったら、1コンテナ120万円以上掛かるという。それから大小いくつかの会社にも連絡してみたが答えは大同小異だった。私は考え方を根本から変えたほうがいいと思った。

   家具も家電製品も果たしてもっていく必要があるのかよく考えてみた。家電製品は電圧が違う。家具は永年使い込んだものだから愛着はあるが、思い切ればいいことだ。引越しの極意は思い切って捨てることだとも思った。

  そして必要最小限度の3立方混載船便に決めた。それも大連に本社のある中国の海運会社だ。だからダンボールへの荷詰めも自分たちでやった。限られた日数で物を整理していく上で、ゴミの日が事前に決められていることほどありがたいことはないと思った。資源ゴミ、不燃ゴミ、前の晩のなるべく早いうちにださせてもらった。できたら再利用してもらいたかったからである。家具はリサイクルの店に来てもらったが、大きな家具には目もくれないもう捨てようと思っていた物に値がついた。店のスタッフに聞いたら需要は一人世帯が主だというのだ。それでも13,000円置いていった。大型ゴミも再生ゴミも事前に連絡を取って何回か出した。家電は最後にしたところ中国に出発する2日後でないと日程が取れないという。後は会社の後継者になる次男に託す。海外移送の荷物も絞り込みすぎて発送して最終的に確認した量は2立方を若干オーバーしただけだった。心配していた宗教関係の本もすべて中国に送ることが出来た。なぜ心配したかと云うと、運送会社から中国は宗教関係の書物は持ち込み禁止ですからと云われていたので中国はまだそんな状況なのかと思ったりもしたが、現実は荷物にも税は付かなかったし、キリスト関係の書籍も四〇〇冊程送ることができた。

  一方、5月8日に中国の自宅の内装をはじめるために20日間滞在。あとは友人に監督をお願いして日本に帰り7月25日の中国移住までの2ヶ月間目いっぱい頑張るのである。

  こちらに来て5ヶ月近くたって見ると家具や家電製品はみな処分したことは正解だったと思う。家電製品を持ってきても、そのままでは使えないし、家具もなんとなくしっくりしないところがあったかも知れない。とにかく家電製品はパソコンを除いたら断然安い。一番いい方法は少し慣れてから何回かにわたって買い揃えていくことがいいのではないかと思う。荷物も絞り込むだけ絞り込んだので費用も、国内運賃を含めて145,000円で済んでしまった。

  今考えてみると、陶器とか調味料、特に日本の味噌を買い揃えれば良かったかなと思っている。いずれにしても、古希を目前にして新しい出発が出来たことに私自身がびっくりしている。すべては神の赦しの中にあることをただただ感謝する日々です。