「二つの風呂敷包」
 
 
会社の事務所のあるビルの同じフロアーにH画廊がある。H画廊の開店以来、絵を見ながら自家焙煎のコーヒーを一杯いただくのが、いつからか私の楽しみの定番になった。

 掲げられる絵が変わるのも楽しみのひとつだが、絵を描かれる方々と会話ができることがまたおおきな楽しみのひとつになっている。絵のよしあしを峻別する力など、全くないけれど、ただ、直感で心に訴えかけるもののある絵を、私はいい絵だと思ってみせてもらっている。ときどき同人展がひらかれる、あるとき、そのなかに力強い青年の肖像画があった、その絵はけっして明るくない。そうかと言って暗い絵ではない。なにか、重たい力強さの中に、確かなものをみいだしたかのように、毅然としてそのほうこうをみつめている青年の顔。安易な批評などよせつけないといっているような隙がないそして余分なものを削ぎ落とした絵だ。

   あるとき画廊の主人に、その絵の作家について尋ねたところ、独自の作風をもつ方で、名のある絵画展で評価されているかたであることを知った。日がたってその絵の作家Oさんを紹介され、その後幾度となくお話しをする機会を得て、含蓄のある話しにはいろいろ教えられることが多い。特別養護の老人病院でのお仕事柄、重たい話題が多いが、その一つ一つが、人が生きる上で、深く考えさせられることばかりだ。

 Oさんは一遍上人を、こよなく敬愛されておられる。仏教もキリスト教も一時期深く探求されたという。それだけにと言っていいのかどうか、話される言葉はわかりやすい。
 
   Oさんのおられる病院はなかなか費用がかかるらしい。そのためか普段ではお目にかかれないようなかたがたがすくなくないという。現役時代にはさぞ人生を最高のかたちで謳歌されただろうと想像できる品位を備えておられるかたでも、病院に入ってこられるときは、身のまわりのものをいれた風呂敷包みが二個、一メートル平方たらずのテーブルに置かれることになるという。それまでどのような華々しい人生を送っていたとしても、人生の終末には 二つの風呂敷包みに集約されていく。二つの風呂敷包が教えるものは多い。

   人生に大切なものはそうたくさんはないのだよと言っているようだし、また どんなに愛する人があったとしても死は自分ひとりでむかえなければならない現実を、それとなく語っているようにもみえる。入院した後に、家族や友人知人の見舞いのなかにも人生模様があるという。見舞う人が多い人、少ない人、まったくない人、目をみはるような衣服に身をつつんで、係員の詰め所で記帳し菓子折りを置いて病人を見舞わないでそのまま帰ってしまうこともあるという。

 そのような人を批評する気はさらさらないけれど、ひとつ不思議に思うことがある。その人自身には、悪意などまったくないだろう。まだ生老病死を考えさせられる事もおそらくないのだろう。あっても直視したくないのかもしれない。まだまだ、自分のちからで、あかるい陽光の中をあゆみつづけられると、無意識のうちにも、それがあたりまえと考えているのかもしれない。私は生老病死に目を向ける機会は、できれば若いときほどいいと思う。私も14歳の時に母に死別している、母の死の辛さに骨壷をだいて泣いたこともあった。今思うと
母の心はいかばかりであったろうかと思うのである。この世にあるすべてのことがらは生死をはずしてはなりたたない。死に目を向けることは、おどろおどろしいことではなく、生の意味をも教えてくれるのではないだろうか。

 Oさんは、また、こんな話もなさった。幽霊はどうして手を前にぶらぶらさせているかご存知ですか?・・・・いいえと答えると、人間は死ぬと鈎縮という作用がおこる、その鈎縮した状態を絵師は絵に描いているのだ。私はその話をきいて昔はもっと死が人々の生活の身近にあったのだと思った。

 戦後の経済発展とともに、核家族化がはじまり、子供が産声をあげるのも病院、人が死を迎えるのも病院、大家族のときは、それぞれ在宅があたりまえだった。子供が生まれる場面、人が死を迎える瞬間を目にしたことがない大人がいたりするのかもしれない、などと思ったりもする。核家族化は社会構造の中で必然性をもっていた。選択の余地のない避けられない道であったかもしれないけれど、一時期結婚の条件に、家付きカー付きババアぬきという婿選びの三箇条があった。そのように不都合なものを排除する機運があったことも否めない。
 ながい歴史に培われた文化というか、智慧も価値のないもののように顧みられないこともあった。そんな時代の中で、都合のいいことだけを選択し、快いものだけを目指してきた、あーそれなのに、それなのに、人生とは、なんとおもいとはうらはらなのだろうか。
 水入らずで始まった、いい家庭も、いずれは、新しい姻戚関係を生み出していく、そうすると、始めにあった、そのおもいも、元の木阿弥。そして、うちに限ってなどという特別で、例外なことなどないことを痛いほど思い知らされるのである。

 「なぜ生きる」という題名の本の中にこんな言葉があった。無益な生涯だったと気づいたり、罪の山積に驚くのは、人生でもっとも悲惨な瞬間だ。
 年輪を重ねていくことは光の部分が少しずつ光彩を失っていくことと言ってもいいだろう、また反面乗り越えた試練の数ほどに、闇の中に光を見出す感覚「あいみてののちのこころにくらぶれば、むかしはものをおもはざりけり」が備えられ、まわりが生き生きとして、なにひとつ意味のないものなどないことに気づかされ、なおも新しい日々を歩む力が与えられていると思うのである。人生の最終盤でかりに上記のようであったとしても、観かたを変えさえすれば、光の道に変えられるのではないかと思う。なぜならこの宇宙の真理、原則は刻刻変化してゆくことなのだから、ひとときとして、とどまることなく、人も変わってゆくことに座標軸をおいたら、きっと、人生をくやむひまなどない。とても、もったいなくてそんなことは考えてはいられないということになるだろう。比較、善悪、自分製の物指、という思考習慣から抜け出したら、平安という神の代理人は、人間の心と言う棲家に飛んでくるのではないだろうか。いや神様はあれ荒んだ人間の心の中にこそ棲まれることを願っているのだ。

 神は愛である。私の心の同居人はいつも力を抜けと言う。前もってなにを言うか。なにをどうしょうなどと、それさえも考えないでいいという。必要な時、必要なかたちで、お前にしかできない最高のことをさせるというのである。必ずそうすると言っているのだから、生来横着な私は同居人にお任せするに越したことはないと思っているのです。これからも、ますます おまかせしようと思っている。同居人に主人の座を明け渡せるくらいになったら私の人生も最高の人生といえるのかもしれない。