Enterococcus faecalis KAWAI



ここでの僕とは「エンテロコッカス・フェカリス・カワイ株」のことをさしています。
そのほかのいかなるものの別称ではございません。

NO.3     監修  河合 康雄    作詩  清水 石根





D 厳しい愛のかたち


それからの僕は これまで あまりにも身近にいて解らなかった
僕を発見した博士を とても偉いと思うようになりました
博士は予防医学が大切になる時代がくる事を30年も前に予見しているのです
しかも30歳代のなかばにです 僕はこのことを とても偉いなと誇らしく思うのです


博士はまた 良い研究は良い考え方から生まれるといいます
ピッツバーグでの癌ウイルス研究のおり 
乳がん患者のあまりな悲惨さを目の当たりにしたとき 
これをなんとかする なんとかしなければと 考えたそうです
しかし 最良の方法は病気にならないようにする
 予防を 徹底的に考えるところから 始めなければ・・・
 病気になってから治療するのでは遅い・・・
そこから腸内細菌による予防医学の
理念・定義が整えられていったといいます


僕は思うのです 博士の研究は 人間への愛から 始まっていると
僕から見る博士は 妥協をゆるさない とても 厳しい姿勢をもった 愛の人です
だから博士を見ると僕の頭には 次の言葉が 浮かんでくるのです
「大善は非情に似たり」一見大善は非常に冷たい仕打ちのように 見える 
しかし 大善は 世のため 人のためになるのです
「小善は大悪に似たり」単なるやさしさはよさそうに見えて人のためにならない







E 信頼・安心


僕が 全国各地に送り出されるようになってから 
もうそろそろ20年になります
僕は はじめの頃 予防のために 多くの人が僕を待っていてくれるのだと 
軽くうけとめていました
 ところが 現実には病気の人があまりにもおおいのに驚かされました 
これでは 博士がいう予防はどこかにおいやられて
 副作用のない 治療医学食品の世界が
新しく誕生したのではないかと 僕は錯覚したほどでした
なぜかといえば僕がいく先々で博士にはどうしたら会えますか
と尋ねる人の 多さに また驚かされたのです 
会ってお礼がいいたい という人が それこそ全国津々浦々に
おられることを知ったからです 
まだ回復なかばなのに 杖をつき家族に 付き添われて 
講演会場に 博士を訪ねるご婦人の姿に
胸を熱くしたことなど いくつもの場面をみたからです 
劇的 奇跡 不思議としかいいようのない場面に 幾度も 出会いました 
僕はこのときまだ経験が浅かったので このままでも 充分 
人々の お役に立っているのだから いいのではないかと思ったのでした


僕はだんだん経験を深めていくうち その考え方が 誤りであることを知るのです
僕は 病気になってからでも 対応の道筋をまもることができさえすれば
パーフェクト に近い形で答えがだせると 思うのですが 
まず全幅の信頼を寄せて対応できる 態勢をつくることがとても難しい 
それほどに人の命にかかわるということは とても 重いことがらですから 
どう工夫をこらしても軽やかなものにはならないのです
病気になってから治すということは いろいろな意味でおおきな負担がともなう
体力的にも 経済的にも 精神的にも負担の少ないことが望ましいと思ったのです


【正式学名】 エンテロコッカス・フェカリス・カワイ株

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