やはり、「衣食たりて栄辱を知る」だった



   衣食たりて礼節を知る。この諺を耳にしたのは、随分昔のことだ。  
 小学校1,2年生、戦前の頃のことではなかったかと思う。若かった頃はまだ受止め方が浅かったから、そんなものかな〜…?程度だった。

 自分で仕事をするようになって、いろいろと経験を重ねてみると、この諺の本来の意味は、もっと、別の所にあるのではないかと、なんとなくそぐわないものを感じるようになった。
 
   生活に余裕がでてくると自然に品位みたいなものが備わってくるといっているようにも受け取れるが、残念ながら人間をそれほど謙虚で素直な生き物として捉えているとは考えられなかった。
言葉の響きからして、中国渡来の諺ではないかと思い広辞苑で調べてみると、管子、管仲とも言う、斉「せい」の時代、富民、治国、敬神、布教、の術を述べた書、とあって、また「衣食たりて栄辱を知る」ともいうとあった。

   この「衣食たりて栄辱を知る」が本来の書にある意味だとすれば違和感はたちどころになくなる。栄辱は個々によって違う、たとえ我侭や傲慢さがあっても、栄辱とはそれぞれに主観的なものだからだ。
ものが豊になることと、心が豊になることは比例しないという。むしろ乱れていくように思う。

   1995年6月、50年ぶりに中国を訪れた。その時は北京から中国東北部の大都市ハルピンへ、ハルピンから200キロ位離れた地方都市の尚志市、始めいくつかの市を訪ねた。行った先では日本人を初めて見たというところもあった。おもに食品の加工工場を見て回ったが、ほとんど仕事をしている場面を目にすることはなかった。工場があっても、稼働率は30%程度しかないようなことを聞いた。ある工場ではドイツのODAで最新式の機械設備がほどこされていたが1年位運転していないという。当時はすべて国営企業だったから、そんな状態でも、緊迫感は感じられなかった。しかし合弁を希望する声は何処へいっても変わらなかった。独立採算、民営化の考え方が動き始めた頃だった。

   夜になると中国の朋友と大抵カラオケかミラーボールの輝くディスコにいった。耳を劈くような大音響のなかに北辺に住む若者たちのエネルギーを感じた。

   中国ではカラオケにいくと、かならず、数人の若い女の子の中から客に一人選ばせて席に着かせる。コンパニオンといったら言いのだろうか。お世話係だ。帰りにはカラオケ代金とは別に女の子にはチップを払うのだ。このチップの額が中国各地区の経済発展のバロメーターと結びつくことを知ってとても面白いと思った。その頃は中国語を習い始めて3年ぐらいだったが現地ではほとんど使いものにならなかった。それでも若者がどのような考えでいるのか筆談にこれ努めた。

   親や兄弟を大切に思う心、真剣さ、やる気の強さを持っていることに驚かされた。中国には13億人の民がいる、こんなに多くの民を抱える隣国が将来とも関わりを持たない筈はないというのがいうのが当時の私の持論だったが、その後の中国の変わってゆく様はなんとも早い。あれから、間もなく9年になろうとしているが、訪れるたびに、街街の様子も人の考え方も子供たちの目の輝きかたも変わってゆくように思う。
   経済が発展することで人心は変わって行く。豊な時代になるということは一方で心の渇きという代価を生み出すもなのかも知れない。その意味では「衣食たりて礼節を知る」ではなく「衣食たりて栄辱を知る」が自然といえないだろか。