「考え方を変えるのは難しいA」

 
 新しい論理、新しい作風、独創的なものは、しばしば異端視される宿命を負っていることを歴史が数多くの事例で証明している。歴史上最大の事例はキリストが十字架にかけられたことだろう。これも元はと言えば旧約聖書の律法の固守を主張していた古代ユダヤ教の排他的指導層バリサイ派がキリストイエスの出現に脅威を感じて論敵になったばかりでなく異端視することで群衆の心理を煽った結果の十字架刑だったように思う。取り調べにあたったローマから派遣されていた提督のピラトもキリストイエスには一つの非もないことを語っている。群集心理というものは時として暴走してあらぬ方向へと事態を変えていく力を持っているものなのか。同調するもが多いということが必ずしもただしいとは限らないよい例だと思う。

 また、そんな経緯を経て多くの人々の信仰を集めたキリスト教も歴史を重ねて大きな力を持つようになる。そしてその集団が持つ論理ができあがる。信仰は寛容こそが命であるにもかかわらず頑迷さがいつしか生じてくるようになるものらしい。それはどうしてなのだろう。人間が司るところには必ず誤りがあるのだ。

 そのいい例がコペルニクスや2・3の学者によって地動説が唱えられていたが公にするにははばかるところもあったようだ。そんななかガリレオ・ガリレイが初めて本にしたことから、ガリレオ・ガリレイが有名になったという。

 コペルニクスは【1473〜1543】ガリレオ・ガリレイは【1564〜1642】。ガリレオ・ガリレイが本を出した年を私なりに生誕から推測して1600年前後として、今日までの日数をかぞえてみるとおおむね400年になる。このバチカンによる異端視が解けたのもつい最近のことだ。1920年生まれの現ローマ法王ヨハネパウロ二世が1978年10月16日17時15分のコンクラーベによって法王に選出されたから、異端視がとけたといってもいいのだはないだろうか。今では小学生でも理解している地動説も異端視が名実ともによしとされるまでに400年以上もの年限を要している。

 人間は誰も自らの誤りを認めたがらない。戦後59年も経った今日でも靖国神社参拝で中国や韓国の反発を醸し出している。私は終戦時9歳で旧満州の引揚者だった。まだ幼かったのでさほどの苦労の実感はないにしても、戦争についてはたとえどんな理由をもってしても、正当性のある戦争などはないと考えている。

 戦禍の影響は常に幼い子供たちや年老いたものたちに及ぶ。1970年代ごろだったと思う、もはや戦後ではないと一部で公言する向きもあったが、旗を振る側の、恵まれた立場にあるゆえの感想ではないかと思った。戦後59年も経って、相変わらず歴史認識の隔たりが理由で関係がギクシャクしている。これらの対応のまずさは、山本七平のいう戦争の総括をしないいままにしてきたことが、日本が負けつづける理由だといっていた意味がよく分かる。毅然とした姿勢を貫く内面には、誤りを勇気をもって認める強さも同時に持っていないとならないのではないだろうか。ヨハネパウロ二世が地動説の異端視を解いたのも誤りは誤りで正すと言う自らの姿勢を貫いたのだと思う。 

 「考え方を変えることは難しい@」で現代医学つまり「西洋医学」は心と身体を別々に考えるのか不思議に思うと書いた。

  その後NHKの「驚異の小宇宙人体」壮大な化学工場「肝臓」に心の座をめぐってという一文が載っていた。心が身体のどの部分あるかは古代から最大の関心事だったようだ。古代中国の人々は五つの内臓に心を求めたと言う。心臓に心があるあるという説、これまでの研究ではほぼ脳にあるとされているようだ。脳にあるより心臓にあるほうが心情的に望ましいと考えている人間が多いようである。西洋医学は、そのメカニズムが解明されないかぎり公的には認めないというこれまでの考え方があるように理解が出来た。心身の一体は紛れもない事実であっても心の所在が立証されない限り、心と身体は別々に見ていくのだろう。簡単明快な理由でなにか拍子抜けしてしまった。身体についてはまだまだ未解明の部分が多いのかもしれない。それほどに人体は精密な仕組みを持っているといえる。 


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