「身体のS・O・Sに耳を傾けよう」


 自らの経験からすると人間は35歳ぐらいから、かすかな、身体からの変調の信号を受け始める年代ではないかと思っている。そうした信号によって45歳前後には身体のどこにウイークポイントがあるのかを理解して、自分なりの身体のコントロールにも否応なしに目を向けていくようになる。このころになると下りのエスカレーターを昇るように、下降する速度に押し戻されないように、身体に対するプラスの配慮が必要になってくる。

   自分自身のこれまでの健康遍歴を振りかえってみると45歳のときが最悪だった。ちょうど会社を再開した時期で、ストレスの只中にいた。いつも左わき腹に重たい石を抱えているような重苦しい感覚をどうすることもできなかった。会社再開がストレスになって、持病が急激に悪化した。3日間で1000キロを走破するような営業活動のあとには必ずといっていいほど狭心症の発作が起こり七転八倒した。それでも狭心症の発作はそう頻繁におこるものではなかったからよかった。困ったのはメニエール氏病の発作だった。最初の兆候は36歳のときだった。そのときは15分ほどですんだので気にも留めなかつた。それから6年ほどはすっかり忘れていたが、その後は頻度がだんだん増えていった。

  会社再開のストレスで発作は頂点に達した。1ヵ月に三度も発作が起きると2週間は仕事にならなかった。いくつかの大病院詣でもしたが病状は変わらなかった。そんなとき出会ったのがこの腸内細菌だった。初めはいいことずくめで、にわかには信じられなかった。ただ妙に心に訴えるものがあった。それは人間の腸管(若い青年の)から採りだした菌というところだった。

 人間の腸管から採りだした菌ならば、副作用がないいうところだけは、素直に理解することができた。私は元来新しい考え方や物事に先入感を持って望むべきではないと考えていたから、この腸内細菌を自分の身体で試すことに迷いはなかった。むしろ自分の身体で試すことほど確かなことはないと思った。試した日から今日まで発作とは無縁になっている。

 そして腸内細菌を業としたのも、自分が健康にされた結果を、只心から支援者に伝えた。腸内細菌が人々の役に立つものだと心から確信することができたからだ。その考え方は20年経過した今日も変わっていない。
 
 この菌が持つ科学的根拠もさることながら、私が第一に優れた面として捉えているところは、誰でも試しさえすれば身体的実感が得られるというところだ。多少の個体差はあったとしても、一様に最大公約数の上で実感が得られるところだ。

 どんなに能書きが優れていても、いいという実感がなかったら、価値がないといってもいい。この実感は試した一人一人が自分のものとすることこそが肝心なことだ。そして出会うのは早い時期に越したことはない。

 健康の基本はなんといっても血流を最良の形で保つことだ。血流が悪くなれば神経系や内分泌系、免疫系の異常にも繋がっていく。だから予防は早いことに越したことはない。早いということは最小の対応で最大の結果を手にすることができる最良の方法ではないかと思う。
 
 健康を維持することは、身体の仕組みを学ぶことでもある、身体の発する声なき声、ささやかなSOSの信号を少しでも早く聞き入れることではないかと思う。