『考え方を変えるのは難しい1』


        
 現代医学というとおのずから西洋医学をさしていることは論を待たない。西洋医学と東洋医学の違いを言えば、東洋医学が心身を一体とする考えかたに比べ、心身を別々に考えるのが西洋医学だいうことを学んで久しい。それでも、先進と思われる医療機関での針や漢方を中心とした東洋医学を併設した病院が20年程まえから増えていることもメディアや日常生活を通して実感している。

 身体を切り刻んで部品化したうえでの医学はとても進歩しているように見えるが、一人の人間が人間として生きていくための総体的な面ではあまり進んでいないように思う。それはどうしてなのだろうか。とても不思議に思える。

 腸内細菌普及の現場でさまざまな貴重な経験をしてきた。なかでもいつも驚かされるのは、人体内部のありかただ。この人体内部のありかたから心身はまさに一体であることの事実を認めないわけにはいかない。


以下引用NHK驚異の小宇宙人体消化吸収の妙より
 1822年新生アメリカ軍の軍医ウィリアム・バーモントがアメリカ・ミシガン州、カナダ国境にほど近い小さな島、ノース・マキナック島の砦で軍医として砦の医療を一手に引き受けていた。ある日この島の毛皮屋の地下室で突然猟銃が暴発し1メートルほど離れた場所にいたアレクシス・セント・マーチンの左腹部に銃弾が命中してしまった。マーチンはこの毛皮屋に雇われていたフランス系カナダ人の猟師で当時19歳だった。

 事故を知らされた軍医バーモントは事故現場に駆けつけ倒れているマーチンを見るなり傷の大きさから命を救うことは無理だと思った。

 以下抜粋

 「銃弾は腹壁の一部を剥ぎ取り、肋骨二本を折り、左肺や横隔膜をむきだしにし、胃の壁を貫通していた。
 「このジレンマのなかで、私はどんなに彼の命を救おうと試みても全く無駄であると考えた。私は彼の命は20分ともたないだろうと思いながら、傷口の洗浄、処置を続けた」(バーモント著「胃液並びに消化の生理に関する研究」より)
 ところが、奇跡が起きた。何週間もつづいた死の淵を乗りこえ、マーチンは栄養失調すら起こさずに。なんと回復のきざしをみせはじめたのだ。バーモントは彼を宿舎に連れて帰り、治療をつづけた。それ以来医師バーモントと患者マーチンの類まれな共同生活がはじまった。マーチンの回復には、すばらしいものがあった。10カ月後には傷はほとんど治癒した。しかし、一つだけ完治しない部分が残された。傷ついた胃の端と肋間筋の間が癒着し、胃瘻(いろう)ができてしまったのだ。胃は穴の開いたままになり、指を押しつけるとポケットのなかをのぞくように胃の内部がよく見える。この胃にあいた一つの穴が医学界に大きな波紋を投げかけることになる。事故から3年後、バーモントはマーチンの承諾を得て、胃にあいた窓から見える胃の内部のできごとの克明な観察をはじめた。中略 肉さえ溶かしていく液体、目を見張る消化作用。この窓を通して、バーモントは世界ではじめて消化活動の神秘を探索する人体内部の旅に出たのだ。

 そうしたある日、マーチンが怒りだすと胃はみるみる青ざめ食べた肉は機嫌がいいときの約二倍も胃のなかにとどまった。心理的な影響が胃の消化に大きく作用することを最初に発見したのはバーモントである。

以上抜粋


 今から200年近くも前に、心身は一体である事実を、確認している。にもかかわらず現代医学は、なぜそこを起点としないのだろうか。ストレスが病気の発症に大きく関わっていることは衆目の認めるところだ。私にはことの是非を問う意思など全くない。ただすべての事柄は心身を一体とするところから始まると思っている。なぜ心身一体を起点とするか、心身一体を起点とするところには心の発揚も安定も忍耐も自律した形で生まれると思っているからである。この考え方は三つ子の魂百までと言われているように、人生の出発点にこそなくてはならないものと思っている。豊かな発想も、豊かな感性も、自分らしさのなかからしか生まれてこない。人生は自分らしさを見つける旅と言ってもいい。自分らしさを見出すには、心身一体というしっかりした出発点に立たなければ見出すことも覚束ない。心身一体の出発点に立ちさえすれば人生の途上で必要とする大切な事柄や答えはあらかじめ備えられているものなのだ。答えは現場にあり。要はどれだけそれらに呼応する力を育み持ち合わせているか否かということではないだろうか。

 この度の文章を書くにあたってNHK驚異の小宇宙人体消化吸収の妙から引用また抜粋させていただきました。36巻に亘るビデオ8冊の書籍にはまだまだ多くのことがらが眠ったままです。できればその感動をまた文章にしたいと思っています。


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