「からだの科学」から学ぶこと


   
 インターネットで検索してみたら、もうすでに1956年7月25日に山本七平氏によって「からだの科学」が出版されていた。著者 A・ノヴィコフ 訳者山本
七平 価格 240円 出版社 発行所 山本書店 とあった。現在は山本書店にもこの著書は一冊もないようだ。譲り受けたしとの表示があった。
 私が山本七平さんに関心をもったのは、イザヤ・ペンダサンの日本人とユダヤ人からだった。もうなん年前になるだろうか20年近くにはなるのかも知れない。あらためて山本七平さんに深い関心を持ち始めたのは氏の著書「日本はなぜ敗れるのか」を読んでからだった。南方戦線の悲惨な状況は戦後永い間暗黙のうちにも緘口することが時の流れとしてあったのだ。戦後を総括しなかったことが、日本が敗れつづける理由と指摘している。すべての事物は創造と破壊が原則だから総括がないということは、プラン・ドゥーがあってチェックがないことになる。チェックのないところには、よりよい指針は生まれない。教育の基に今苦しむのも総括がなかったことが大きな理由とも言える。どれほど重くまた目をそむけたい事柄であっても事実からは、決して目を離してはならないということだろう。これほど人間のさがを深く掘り下げて、究極からさらなる旅立ちをすることの大切なことを主張しつづけることは並みのエネルギーではとてももたない。出発の原点には基があり、その基は総括によるものでなくてはならないと言っている。
 山本七平さんは出発点をとても大切にされていたのではないかと思う。なぜなら冒頭で述べたように、1956年7月に「からだの科学」を訳されている。今は絶版になっていて、内容を知ることはできないが当時の訳者のこの本にたいする思い入れを示す短文が残っているところからその想いの深さをうかがいしることができる。「自分の身体を理解しよう なぜ、この本を訳して、みなさんに薦めるか」 今から約50年も前に「からだの科学」の出版をされたということは、人間がまず自分の身体を知ることはすべての学びに優先する大切なものとして捉えられたからではないのだろうか。人間が自らの身体のしくみを学べば生きた原則はみなそのなかにあると言う声が聞こえるような気がする。何度も書いているが、腸内細菌に出会って20年になる。腸内細菌を学ぶことは身体のしくみそのものを学ぶことだ。私は正直何度も人間が人間としてあるためにはまず自分の身体を理解することはその身体の主権者としても、まず学ばねばならないことではないかと思った。だから就学期のできるだけ早い時期に身体の仕組みを学ぶことは人生の出発点になくてはならないものではないかと考えた。人間は万物の霊長ではなく、宇宙の一員。驚異の小宇宙といわれる人体内部で日々繰り広げられている宇宙戦争。ミクロンの戦士たちによって生命が維持されている事実。むしろ人間は小さな小さな戦士たちの存在によって命を繋いでいると言ってもいい。どんなに科学が進歩しても人体のそのしくみの精密さに人知は及ばない。1956年に『からだの科学』を出版された山本七平さんも人体の素晴らしさに出会いそれを一人でも多くの人に伝えたかったのだと思う。てだてがあれば是非内容を一度読んでみたい。