国政モニター報告書 No.5




平成9年度の厚生白書と医療白書を購入して主だった箇所を読んでみた。実のところ良くここまでまとめあげたものと感嘆した。特に厚生白書にある指針は良く理解できたし、その後の「健康日本21」計画へのつながりが良く分かる。

年々、確実に1兆円以上も増え続けている医療費の現状を変えていくためには、制度の改変も必要だが、国民の意識がまず予防に向けられるようにすることの方が重要だと思う。なぜなら、病気になってから治す考え方を、病気にならないよう予防する考え方に変えることが国民にとっても幸せなことであり、予防することで、治療開始年齢を遅らせることができれば医療費の低減にもつながる。国民の間に予防を通して健康が維持できることが分かれば、自発的に予防に努める人が増えていくだろう。

本来、治療の前に予防、介護の前にも予防があることが自然だ。これまで予防が省略されているかのような事態は、とても不思議としか言いようがない。

さて国民一人ひとりが予防についての認識を高めていく必要に迫られているときに、予防という言葉自体が医療用語になっていて自由に使えない。また薬なら飲む、食品なら食べるという表現にも制約がある。薬事法にはそのような条項はないにしても、業に携わる者はそのような認識を持っていることが通常といえよう。

食べる、飲むという、とても身近な用語を規制するとはいかないまでも、原則として指導する論拠は果たしてどこにあるのか、お尋ねしたい。

また、医療用語とし、一次予防、二次予防、三次予防とあることは承知しているが、なぜ予防という一般的な言葉がそれほどに制約を受けなければならないのか併せてお尋ねしたい。なぜならば、未来に向けての方針となるせっかくの白書があっても、予防という言葉が医療用語になっているという理由で規制されたり、飲むとか食べるという日常用語に注意を払いながら使わなければならないのは、21世紀に向けて妨げになっても、益にはならないと思う。

他の先進国はどうなのか、どうしても「無理が通れば道理が引っ込む」的な感じを消すことはできない。21世紀は生産者、消費者の前にまず生活者であること、政治家も企業家もサラリーマンも、全ての人が何業の人である前にまずは生活者であることを改めて考えてみる必要があるのではないか。全てはそこから始まると思う。