64年間人間をやって来た。これまで生きて来るあいだには、牛を何頭殺したろう。豚を何頭、ニワトリを何羽、家畜だけでなく、また多くの魚や植物の命をいただいて来た。

また、それらを生産し、流通し、販売などにたずさわる人々を数えると、1人が生きるということは実に何万人いや何千万人に関わって生きていると云っても良いのではないだろうか。それほどに多くの思恵に日々あずかって生きているのであるから、そういう意味では「自分のことは自分でできる」ことはないといえる。

ここでいう「自分のことは、自分でできる」は、一人の人間が命を継いでゆくために必要なこと、朝起きて夜寝るまで、自分の生活には自分で対応出来ることを指している。

人間にとって健康でありさえすれば、皆幸福とは限らない。しかし、健康がそこなわれて自分のことが自分でできなくなると、全ての事柄は意味を持たなくなってしまうことも事実である。

かりに、脳梗塞で半身不随になって寝たきりになったとする。当の本人も大変かも知れないが単に1人が倒れただけではすまない。特にその人が中小企業の創業者だったりすると、それがきっかけとなって倒産してしまう例も少なくない。それまで必死で守って来た会社も、従業員もその家族も、守りたくとも守ってやることができなくなってしまう。

たとえば、それが家族の間に起こったとしても一人の人間を介護することは、子供はもとより孫、ひ孫まで及ぶこともめずらしくないのである。

その介護が長期にわたったりすると、これまで平和裡に保たれて来た家族関係もちょっとしたきっかけで、もろくも崩れてしまう。

介護をきっかけに家族の絆が回復したということは、ほとんど聞いたことがない。

「人生の幸せの土台は何か」と問われたら「自分のことは自分でできる」これ以上大切なことはない。男にとっても、女にとっても自分の身体は自分で管理する。そのためには予防が欠かせないと思う。予防をするということは、身体のしくみを学ぶことだといっていいかも知れない。