「息子たちの預金口座」



再独立して間もない頃、長男が現役で目指していた大学は全て不合格だった。国立のY大、私立のW大の教育と数学だった。不合格がはっきりして、私が息子に言ったことは、今でもはっきり覚えている。

私は、「あの程度の勉強の仕方では受からないと思っていたよ、むしろ受からなかったことがお前のためにはよかったのだ。もし現役で受かっていたら、おそらくお前は鼻持ちのならない傲慢な人間になっただろう、挫折を味わったことで、人の痛みがわかる人間になることができるだろう、かえって良かったんだよ・・・・・」。  

幾日かして長男はどうしてもやりたいことがあるから、もう一度だけ挑戦する機会与えてくれと言って来た。会社を再開させて大変な時期だったが、予備校の費用と交通費については認めることにした。  

ちょうど、この頃、話題になったアメリカ映画があって、たまたまテレビ放映された。  ストーリーと言えば、離婚をした女性とその娘の日常生活を描いたもので、圧巻はボストンマラソンに参加した母親のゴール寸前、完走を目指す姿が感動的だった。この映画が話題になった中心もそこにあったのだが、私がうなってしまったのは母娘の会話のひとこまだった。

娘は5・6歳お隣の女の子と仲良しで、互いにそれぞれの家を行き来していた。そして何時しか娘は仲良しの女の子の家と自分の家に違いのあることに気付く。 「ママ、〇〇ちゃんの家では毎日のように、ケーキを食べているのに家ではどうして買わないの」 ママ「・・・・・」。母親はその理由を話すには娘が幼すぎると思ったのか答えなかった。  

それから幾日かたって母親は娘に一日分の食費として何ドルかを娘に手渡して、「これでケーキを買ってもいいのよ」と言い、たぶん3ドルぐらいだったと思うが、ケーキを一回食べるか三回の食事をするか、娘に選択させるのである。私はこの場面からヒントを得てあることを考えていた。  

常日頃息子たちが、母親から今日は二千円、今日は三千円と無造作にもっていく光景を見ていて、こんなことでいいのかと考えていた。

そこで早速長男を呼んで、予備校の費用と交通費の年額を出させた。次男も高校一年だったが同じように一年分を出させ、それぞれの必要額を一括した現金を息子たちの目の前に置いた。すぐにめいめい口座を作らせ、以降自己管理をさせた。

あれから二十年、息子たちは工夫と責任、その他にも多くのことを学んだと言う。後日談長男いわく「親父はずるい」私は内心、してやったり・・・・・・。 

それよりもなによりも、ピンチはチヤンスであることをともに学ぶ機会となったことを喜んでいる。