「人間像のなかに父性をみる」

人間像のなかに、父性をみるならわしが、いつからか心のうちにあって息子や友人、また日々見聞きするさまざまな事柄のなかにも、父性のありかたを見、また考えさせられていたように思う。それは、とても永い間、私の思考習慣としてあったもので、・・・つい最近長男との会話のなかで、その父性の大切なことを改めて思い起こさせる事例があった。

 さて、父性と一口に言っても、父性にはいろいろな形があって、正確には父性の数だけあって、どのような父性も父性と言えるのかも知れない、今様どんな父性でもカラスの勝手でしょと言われてしまいそうだが、本来父性とはそんな軽さのなかにないことだけは確かだ。日本の父性の原型は、藩の制度の中で培われてきたのではないか。士農工商という身分制度や家長制度、明治維新の国をつくるという時代の流れのなかで、際立っていたように思う。単に封建制度の所産というのではなく、人間力、特に家長たるものの、責任は重くその自覚のうえに権威がなりたっていたからである。
家長が家族という小社会の秩序を保ち、それらが集合された形で社会が保たれていた。その良い例が、世間、または世間様というものがあって、社会規範、社会通念というか、有形無形の形で公序良俗に反する行為の抑止力になっていた。
   また、一方、公序良俗に反する行為を恥とする文化もこの世間様から生まれたのではないかと思うのである。言い換えれば、父性が地域社会にまで及んでいたと言っていいのではないか。

ところで、今の日本には父性がないと言われているけれど、本当のところはどうなのだろうか、原因は高度経済成長時代にあるという。たしかに高度経済成長時代には、敢えて企業戦士を自認し、むしろそれこそが時代の花形で、そこにいることが最高の価値観だつたと言っていいのではないだろうか。ほとんどの父親はそうだったと思う。
猛烈な仕事人間が普通で、父性の役割は母性任せ、その対応の上で父性だけでなく、母性の中にも、経済的に豊かになることが父性のかわりになると信じていた部分があったといっていい。
   しかし、右肩上がりの時代が終わって、豊かさで埋め合わされていたと錯覚していたものが、跡形もなく消え去ってみて、大切な事柄に今更ながら関わってこなかったことに気付かされたと言っていいのではないだろうか。
父性とは本来母性と一組もので、時代の背景にかかわりなく、それぞれの役割がどのように果たされたかによって、その成果は子供たちのその後の人生で表現されていくものではないだろうか。
父性がないということは、また、母性が問われるところだと思う、父母性は互いに補完しあう関係にあるにも関わらず、家庭内に父性を排除しても、なりたつかのような錯覚が一時期あったことは否めない事実だ。
特に給料が銀行振込になり、日々の生活の糧がどのようにして得られているかについては言及する機会など、とても希薄になっていたと言っていいだろう。
そのような環境から父性に対する感謝など生まれてこようはずもない。
感謝の心のないところに、なにが生まれてくるのだろう。すべてのものごとのはじまりには感謝する心があってはじめてなりたつのではないだろうか、父母性の関係においてもまたしかり、できないことを互いに要求し合うのではなく、互いにできることで誠を尽くしあうことだと思う。その姿を子供たちは倣ってゆく。
また父母性の関係にはもともと乖離があることが自然、むしろ父母性は本来他人同士だ、そのことを忘れないこと、そこから尊敬する心や礼節が生まれてくるのではないだろうか。
父性は長期大局、いきざま、背中で教える部分が多いと思う。父性にとっては孤立をおそれない姿勢がとても大切なことだと思う。
母性は父性を補完して、ときには父性の代弁者になることも大切なことだと思う。
その上で母性の母性にしかできないことを教えることではないだろうか。
特に母性の人生の規範は子にとっての人格形成に大きな影響となるからである。
なにかを成した人がいう言葉に母性の影響をあげることが圧倒的に多いところからみて母性の役割の大きさにははかり知れないものがある。

 もう、30年も前の話になるが、有名な日本の指揮者の夫人「ドイツの方」が子育てとは芸術品を創るようなものだ。こんな大切なことをたとえ夫といえども任せられません、こんな楽しいことを人任せにできるでしょうか。このような意味の文章を目にした時、なんでも比較の域を出ない論法がはびこるなかで、とてもすがすがしさを感じ、これぞ大人の母性と共感させられたことを今でも忘れられられない。

 このような大人の感覚を醸成していくことが、本来父性にも母性にも課せられているのではないだろうか。手抜きしたり、代替とするものなど、はじめからなかったのである。だから父性がないことは、単に父性に照準をおくだけでは答えはみちびき出せないと思う。景気が悪くなって久しい、若いひとたちの仕事が少ないことは問題だが、若い人たちのあいだに心の内側を見る習慣が生まれ、そこから強く羽ばたこうとしている。
 歴史はくりかえす、こうして新しい時代がつくられていくのかも知れない。