「入院したことでわかったこと」


   
    2004年10月22日に心筋梗塞の発作後しばらくしておこった呼吸の苦しさから病院にいった。そのまま入院することになった。尿は尿瓶でとる。大きい方は車椅子で介助者がトイレまでつれていってくれることになった。自分自身で出来てもやらせてもらえないのだ。

 私の入院したF病院では、疾病の重度に合わせて概して3つの区分があったように思う。担送、護送、独歩とそれそれ病室の入り口にある患者名の下にそれが朱書きされている。

 担送は言葉の通り自分では動けない人をさしている。護送とは、基本的に自分で出来ても、自分でやってはいけない人。つまり介助者なしには動いてはいけない人なのである。どこに行くにも、護られて行くので護送というのだろうか?護送というと犯人の移送以外には思いつかない年代の人間には驚きだ。

 独歩とは読んで字の如く一人で何処へでもいける人、またいっていいと主治医から認められている人を指しているのである。

 さて入院後の私は毎日続けられた点滴のお陰で呼吸も安定し足の浮腫みも見る見るうちに引いていった。毎回のように看護師から胸の痛みがないか聞かれたが幸いというかそのようなことは一度もなかった。26年ぶりの入院はいろいろなことを考えさせるいい機会になった。

 入院中にふとこんなことが思い浮かんだ。人間が重篤な病にかかったとき、第一に知りたいことは何なのだろうか?

 そんな時人間誰もが真っ先に知りたいと思うことは、いま自分が何ほどのところにいるか、できれば瞬時にして知りたいという欲求が一番ではなかろうかと思った。

 仮に血液の循環に関連することであれば何処の血管がどのようになっているかMRIやPETの併用で瞬時にしかも立体的に患部の部位を知ることが出来る。そのうえに対応の方法が明らかにされて初めて安堵するのではないだろうか。この瞬時にして身体の内側を理解したいという人間の欲求はとても単純で分かりやすい。ところがそのスピードを求めるということは、それぞれに経済的対価が求められることになる。これからの日本の医療の進んでいく方向は、受益者負担の原則や需給のバランスに基づく市場原理が働いて医療の値段が決められていく時代に入っていることを入院したお陰で実感できたように思う。これからはレントゲンで満足するスピード。MRIで満足するスピード。PETでなくては満足できないスピード。人間にとってそれぞれにふさわしい選択がなされていくことになっていくだろう。これまでのようにほとんど画一化され同じ色に染め上げられることこそがいいことなのだという時代は終わった。豊かな階層はより恵まれ環境を選択するだろう。これまでのようにさまざまな場面で松竹梅と三段階あったら君主中庸によるなどといって「竹」を選んでおけばよかった時代とは大きく変わっていく。それぞれ医療を受ける立場によって質的な変化の波が早くも起きているように思う。医療制度も介護制度もますます実質的で厳しい方向に変えられていくだろう。そうしないと慢性的な財源不足の状況は解決できない。なぜならば、皆な使う側、「消費」する側で、それをセイブする側の論理が存在しないことだ。介護保険制度は平成12年4月から始まっている。制度が始まる2年程前県のレベルでの介護制度についての会合があった。50名ほどの会合になったがその会合に出て驚いた。出席者のほとんどが介護保険制度をどうしたら有利に取り込むことができるか、そこにしか関心がないことを知ったからだ。そのとき、こんなことでは介護保険も早晩財源不足は免れなくなると思った。介護保険制度も今年の3月末で丸5年になる。すでに40歳以下にも負担を求める声があがっている。日本の労働環境の構造が変わって久しい。 

フリーターや派遣社員の割合が今から何年かのちには正社員数と相半ばしていくという。どんな厳しい時期にあったとしても生き抜かなければならない。私は心筋梗塞の発作の後の呼吸困難で18日間病院に入院した。手術などはしなかったが医療費ほど高いものはないと思った。腸内細菌で予防を永い間心がけてきたが予防で長い時間済んでいることは、とても素晴らしいことと改めて思った。またこれが最高に経済的で幸せなことだとも思った。今年もさまざまの場面で感じたこと、気付いたことを、 ありのままに表現できたらいいなと思っています。
  2005年もどうぞよろしく・・・・・・・。