高額医療費の増加



健康保険組合の全国組織、健康保険組合連合会の発表した1999年度の高額医療費調査で、全国の健保組合加入者が使った医療費のうち1ヶ月で1,000万を超えた事例が、90件となり過去最多を更新したと報じています。最高額は、2,103万5,660円で、健保組合の平均的な月額保険料に換算しますと、1,279人分に相当するといいます。高額医療の増加は国民医療費を押し上げ、医療保険財政の悪化要因となっています。

高額医療が増えているのは、医療技術の高度化があって、1,000万円超の事例の大半は、急性心筋梗塞や狭心症などの心臓・循環器病や、ガン、白血病などで、人口心肺のように高価な医療機を使った手術で医療費がかさむといっています。最高額の患者は血友病で99%が血液製剤など薬剤費だといっています。

上位10人のうち循環器系疾患だった7人中6人数ヶ月以内に死亡しており、末期治療のケースが多いといいます。

さて、このような状況を見て、あなたは、どう感じますか。末期医療に焦点をあて、国民ひとりひとりが自分達のこととして考えるときに来ています。









セーフウェイでのできごと



1981年再びアメリカのペット用品事情を見るためのツアーに参加した。
ロサンゼルスのいくつかのペットショップと、スーパーマーケットのペット用品コーナーの実情を見てまわった。

そして最後に訪ねた「セーフウェイ」の店内を見学させてもらった後、少し時間があったので、何気なく店内を見渡していると、ラテン系の肝っ玉かあさん然とした、ご婦人が5才位の男の子を、買物カートに乗せて、リンゴのうず高く積まれた一本足の大きなトレイの前に立ってリンゴをひとつ手に取ろうとしていた。取ったところが悪かったのか、ひとつのリンゴが床に落ちて傷ついてしまった。

さて、そのリンゴをどうするか見ていると、あたりまえのように買物カートに入れて、他の売り場へ移って行った。

ちょうどその頃、さかんに日本はもはや、欧米に学ぶものはないなどと威丈高に言う向きがあったが、このすがすがしい光景に、もっときちんと見るべきところを見なければならないのではないかと思った。








全ては益に変えられる



青年期の一時期、南房総の舘山で、工業薬品や塗料の販売を主力とする薬局を叔母のつれあいがやっていたので、二年ほど手伝っていた。叔母は将来私を店の支配人にと考えていたようだったが、気性の激しい人でよく衝突をした。その後事情があって、定時制高校の恩師の世話で隣町にある県下でも有数の農薬卸の薬局に移ることになった。

工業薬品や塗料、農薬とそれぞれ二年にわたる経験は現在の健康づくり事業に、色々な面で役立っている。役立っているというより、この仕事をやるための準備を、何かおおいなるものの力によってさせられていたのではないかと思うほど経験が生かされていることをとても不思議に思う。

まず、工業薬品を扱うことによって身についた習慣。引越の会社のコマーシャルではないが、仕事をキッチリとやる基礎ができたように思う。

工業薬品といっても、とても広範囲でその扱いには注意を要するものが多い。
たとえば、メッキに使う青酸ソーダなど、量を間違えたり渡し先を間違えたりして外の用途に使われたりした時には大惨事につながりかねない。青酸ソーダと濃硫酸を化合させて、青酸ガスを発生させて、ミカンにつくヤノネカイガラムシを駆除するための農薬として使われることもあった。

中国料理の高級食材、フカヒレの漂白の過程でも過酸化水素水つまりオキシドールが大量に使用される。夏の終わりの頃、生薑が収穫期に入ると、紅生薑づくりが始るが、赤色2号や101、102号という化学染料が食紅としてよく動いた。今でも印象深く脳裏に刻み込まれている薬品は防腐剤としてよく使われたソルビン酸だ。どのくらいの量が致死量か忘れたが、1kとか2kとか小分けにして売った。この物言わぬ白色透明な顆粒にどれだけの殺生力があるのか扱う度ごとに、無言の挑戦を受けているようで威怖の念をもってていねいに扱った。

工業薬品は塩酸や硝酸、濃硫酸の危険物から、「劇物」、「毒物」と保管場所や扱いが厳しく法で制限されているものからテニスコートを固める塩化カルシウム、白線ようの炭酸カルシウム等、気楽に扱える物もあったが、総じて工業薬品というと誤って衣服に付着したりすると一瞬にして溶けたり、経皮毒であったり、経口毒であったり、その印象が今もって強い。農薬の扱いも注意を要するものがほとんどだ。主に第二次大戦時にドイツで殺人を目的に開発されたものを農薬に技術移転したものが多かったように思う。その毒性は経皮性とガス性で経口毒のものはインド原産の植物の皮を粉にしたデリス粉ぐらいだった。

デリス粉と言えば、夏のある日水田の用水の小川の一寸とよどんだ渕に鰻を取る目的で500g入りのデリス粉を水に溶かして流したことを良く覚えている。流し終えて、水面を撹拌していると何分ほど待ったろうか蒲焼きには小さ過ぎるかなと思われる鰻が水面に浮き上がって来た。やがて時間を経過するに従って型が大きくなっていった。最後に渕の主と思われる大鰻が水中が苦しいのか、水の少ない下流に向けて移動するのが見えた。少し体がふるえた。必死になってつかまえ、バケツに入れた。バケツの中には大小40匹程の鰻でほどんどいっぱいになった。

帰ると店をあげての鰻の大蒲焼きパーティとなった。内蔵もよく洗って肝吸いにしたが、店の主人も奥さんも従業員の先輩も女中さんもみんなが喜んでくれた。もしかすると一寸と叱られるかもと内心思っていたので、とても豊かな心持になったことを覚えている。今思うと、40数年前だから出来たのだと・・・。その頃経口経皮で、デリス粉などとても及ばない毒性をもつ農薬で魚を一網打尽にしたニュースを年に幾度か聞いたことがあった。

内心叱られるかも知れないと思っていた理由は、薬品の力を借りて労せずして獲物を取ったことと、いかに植物性の経口毒とは云え自然にそぐわない行為をしてしまったという想いがおのれの心の中にあったからかも知れない。

このようにして肌身で学んだ、工業薬品の中には食品添加物として使用されているものがとても多い。
1998年現在食品衛生法で認められている食品添加物は1350種類あって、もちろん自然のものを含んでの数だが、化学製品が多く、多種類が複合した時点での危険度に対する研究はようやく始められた状況にあると云われている。

これまではとかく、物を生産する側と消費する側をことごとく分けて考えて来たように思う。私は昔から生産者と消費者に別ける前にまず生活者であると考えていた。本来すべての人間は生活者であることの方が自然に思えてならない。

農家が自家消費する野菜に農薬は使わない。医者は家族に薬をむやみに出さないという。物を生産したり加工したりする上で生産者の都合が優先される結果、そのしわよせはとりもなおさずその家族に及ぶのである。

21世紀は全ては生活者、生活者にとって何が良いのか。多様化の進展の中で寛容と同時に心の目で厳しく選択される世紀に入ってゆくと思う。




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