忘れえぬ出来事(体験談)

私は二十代の大半を闘病生活で終止しました。現在の不動産業の仕事についたのも二十八才のときでした。二十代の大半を闘病生活を余儀なく過ごした私も仕事には恵まれ、政財界、資産家に既知を得ました。そして大変可愛がられました。仕事を通しまた仕事から離れて、人生で何が大切なのかを教えられました。今でも私の心にのこっている言葉は「死んで持って行くわけじゃない」ということでした。お金についての考え方ですが、現実には頭では解っていても実践となるとなかなか出来ないものです。私は若い時闘病生活が永かったものですから、感謝する心の大切さを身をもって学びました。ですから努めて人のお役に立つことを実践するようにして来ました。

そんな私にも晴天の霹靂の事態が起こりました。平成元年12月12日、私の妻がとてもだるくてしょうがないというので、病院で生体検査をしたところ、医師から「あと三ヶ月の生命」です。最後のお正月になることから自宅で過ごして下さいと云われました。
妻は、発熱、咳に悩まされ、病名は進行性末期の乳ガンで、すでに肺にも転移していると宣告され、私の頭の中は真っ白になりました。日に日に黒ずんで大きくなっていく妻の乳房を何とか喰い止める方法はないものかと、夜も寝ることも出来ず考えた末、訪ねたのはS大学の漢方でした。そこで出会ったのが「乳酸球菌カワイ株」でした。

永い闘病生活で培った不屈の精神で、全ての財を投げ売っても、妻の延命十年を願った。妻はまもなくして抗がん剤治療をうけた。白血球は2,000〜3,000に急減して、食欲不振、吐き気、脱毛と日に日に身体全体が黒くなっていった。
血液検査は一日おきにやっていたが、「カワイ株」を大量に摂取するようになって、白血球数が一段と増加して来ているのを見て、医師は手術をしましょうと言われましたが、私は今が一番大切なときと考え、全ては私が責任を持つからと医師に礼をつくして話し、手術と共に抗がん剤投与もやらないことを認めさせました。

二月より自宅療養をすることにしました。すると身体のだるさもなくなり、太ってきました。素人の考えでしたが「乳酸球菌カワイ株」が免疫細胞を強めてガン細胞に立ち向かう力が身体に備わりつつあるのを直感して、自宅療養に切り替える決断をしたのは正しかったのでした。
妻の体調が良いのを見て、桜の花咲く四月、私は先生にお願いして手術していただきました。手術は成功。8月には妻と二人で京都旅行をしました。
そして、私の願い通り十年延命して平成11年8月31日に天寿を全うした。

妻が亡くなったあくる年の六月、今度は私が「解離性冠動脈瘤」で生命を危ぶまれ集中治療室に横たわっていた時、医師が私の傍らに来て、神があなたの生命を救いましたね、といわれた。それ程に重篤な病気であったようです。

そして、またまた二ヶ月後、脳出血でふたたび重体の身、親族が集まりひそひそ話……。しかし翌日には個室に移ることが出来たので、家族に「乳酸球菌カワイ株」を持って来るようにたのみ、妻の時と同じように大量摂取した結果、血管も丈夫になり、再発もなく感謝しています。妻の延命につづいてこの私も重篤な病から助けられました。
今は元気で車も運転し、街に買物、また身体トレーニングに通う毎日です。


                                                                                神奈川県平塚市
                                                                                   大木 (67才)男性