「 シンプル・イズ・ベスト 」


 
 今から、40年以上も前の話になるが、当時私は世界一の磁器を創る目的で創立されていた大倉陶園の焼成課にいた。仕事の内容は窯焚きである。
 営業を希望していたが、望みはかなえられなかった。それならば、せめて絵つけの勉強をして、少しでも自分の好きな道に近づこうと思っていた。
 それには、大きな理由があった。その理由とは絵つけ課に美術や芸術に造詣のふかい田中義清さんがおられたからである。絵付けの作業とは焼き上がった白磁に鉄粉でバラの花を描いてゆくことだ。普通年季のはいった職人でも1日1本半が精一杯であるなかで、田中義清さんは1日8本の花瓶に絵を描く。しかも描かれた絵がみないきいきしている。この秘密はいったい何処にあるのだろうか、私はその秘密をなんとしても知りたいと思った。当時私の年齢は24歳、田中義清さんは40歳代のはじめ位だったと思う。年の離れた兄のような存在だった。
 
   当時、田中義清さんは会社に程近いところに茶室のような庵をたて起居していた。私は時間をみてはその庵をお訪ねした。いつも楽しい時間を過ごし、また、なにかしら新しい発見をして帰った。
 そして、ある日絵の描き方の秘密についてお尋ねしたとき、絵というものは、対象を目で観て手で描くものではない。描き手の内面がそのままに絵に現されるものだから、内面を豊かにすることが大切なことだよと言われた。
 それでもとまどっているような顔をしている私にトマス・ア・ケンピスの書いたキリストに倣いて、とソクラテスの本を読むように言われた。
 ソクラテスの本を一生懸命読んだが深い意味はわからずじまいだった。
その後、絵のてほどきをする様子は全くといっていいほどなかった。きっと絵の才能のないことを見抜いていたのかもしれない。
 それでも、庵をお尋ねするたびに、いろいろと示唆に富んだ話をしてくださった。そのなかの話のひとつが「シンプル・イズ・ベスト」だった。
 このシンプル・イズ・ベストの題名ものちのち私が勝手につけそう呼ぶようにしたものである。話の内容はシュバイッアー博士がアフリカに渡る前に言われた言葉が中心になっている。シュバイッアー博士は33歳までは自分のために、33歳からはひとのためにと心に決めていたという、この33歳がなにを意味するか、私はこの時はじめて知ったのである。33歳とはキリストが十字架にかかられた年齢であったことを・・・・・。

 シュバイッアー博士は、33歳からはアフリカの貧しい人々のための医療に自分の半生を捧げるのですが。そのアフリカゆきをまえにして人生にとって大切なものはそうたくさんは無い。私にとって大切なものは、聖書と、ベートーベンの楽譜と、リプトンの紅茶、この3つがあればいいと言ったそうです。このリプトンの紅茶と言うところに、私はとても親しみと昇華した人生の目標をみたような想いでした。

  あれから40年以上の年月が流れていきました、それにつけても私はなんと恵まれていたのだろかと思う。永い人生の中で苦しむにつけトマス・ア・ケンピスの{キリストに倣いて}によってどれほど慰められたことか、必要なとき必要なことに気付づかされる、大切な下地を若いときに教えられたことをどれほどしあわせだったことかと心から感謝しているのである。