忘れえぬ出来事(体験談)

   1993年3月末のことでした。わたくしが行っている教会のS姉妹から教会のT姉妹のお母様が乳がんであることを知らされ、それもとても悪性で緊急を要する状態にあるというのです。T姉妹は、わたくしの会社で販売している乳酸球菌カワイ株含有食品に最後の望みをかけているから相談にのってやってほしいといわれたのでした。わたくしもT姉妹をよく知っていましたが、人の命にかかわることですから、対応する側によほどの覚悟と信頼関係が前提になければ結果として人間関係をこわしかねないので、わたくしは気が進まないなーとS姉妹に気持ちを伝えたところ、話だけは聞いてあげるべきよということになって1993年4月7日にT姉妹とお母様の待つ戸塚のお宅にS姉妹とうかがいました。T姉妹のお母様と初めてお目にかかりましたがいたってお元気、端正で赫灼としてかわいらしいお母さんという感じでした。
 
  お宅にうかがったときには、お母様にも乳がんであることが伝えられており乳酸球菌カワイ株含有食品で対応することが決められておりましたので1日の目安量を申し上げて、何か変化があったら、何時でもかまいませんからとT姉妹にお電話くださるようにお願いして姉妹宅をあとにしました。
 
  その晩遅くT姉妹から電話があって、医師からの宣告の内容が詳しく語られました。腫瘍は悪性で、余命は3ヶ月、左乳房の下部にゴルフボールほどのしこりがあり、このままにしておくと、まもなく肺を圧迫して呼吸困難がおこるので緊急処置として手術が必要であること、その際患部につながる肋骨を3本程度切除する大手術に、なるとのこと、その上に、その手術はあくまでも応急処置で延命につながらないという。わたくしはその話を聞いて、延命につながらない過酷な手術をなぜしなければいけないのか、どう考えても納得がいかなかった。T姉妹も同じ考えのようでした。でも、どうしたらよいでしょうかと尋ねられたので、わたくしは、それはあくまでもあなたが決めることと前置きして、呼吸困難はまず急にやってくることは考えにくいので、手術を遅らせてみるのはいかがですかと、もうしあげましたところ、そのようにしますということでその日はそこで電話での話を終えました。
 
  それから連日のように電話があって、どんな小さな変化も事細かに伝えてもらいました。体温が上がって以前より寒さを感じなくなったことや食事がおいしいこと、急に腫瘍の周りが痛み出したことなどが逐一T姉妹から伝えられた。
 
  そして 1ヶ月がたち 2ヶ月近く経っても呼吸困難は起こりませんでしたお母様の体調はことのほか良かったのですが、当初ゴルフボールほどの腫瘍がアヒルの卵ほどの大きさになっていました。わたくしはそのことを聞いたとき、以前、がん細胞を免疫細胞が取り囲んでレントゲン写真に大きく写し出されたことがあったことをT姉妹にお話してとりあえずは安心していただきましたが内心ではギロチン台に首を掛けているような心境でした。そんな重苦しい状況の中で幾日か過ぎたころ病院で手術ができるようになったとT姉妹から伝えてきました。乳酸球菌カワイ株含有食品で対応をはじめて55日目病院で手術できる状態になったようです。そこで手術することを決心1993年6月2日県立病院に入院しました。手術する前にはそれこそ多くの医師が入れかわりたちかわりお母様の前で膝を折ってその患部を見せて下さいと云って丁重に挨拶をして見て行ったということでした。後日談ですが、まれに見る教材だったようです。

  その日の午後手術ははじめられ、手術時間はおよそ、5時間ぐらいかかるだろうと事前に予告されていましたが、手術は2時間たらずで終わりました。手術に備えてT姉妹をはじめ待機していた者たちはみな手術が医師の手に負えなかったのだろうと思ったそうです。

  ところが手術室から出て来た医師は晴々とした顔で手術は大成功でしたと云って、摘出した患部を見せてくれたそうです。焼けただれた肉片ではなく全くアヒルのゆで玉子をむいたようで表面がつるつるしていたといいます。その上に肋骨は一本も切除しないで済みました。

  手術の4日後、私は病院にお見舞いにS姉妹と同行しました。まだ手術後で苦しんでおられるかなと恐る恐る病室に入りました。乳癌患者ばかりの四人部屋でしたがT姉妹のお母様はベッドの上に正座していました。40分程お話をしましたがお疲れの様子もなく神様によって生まれ変わらされました。感謝なことです。とおっしゃられたことを今でも忘れることはできません。

  そして驚いたことは、手術後20cmも切っていた傷口が3日目には塞がっていたそうです。検査の結果は良性蛸腫になっていたそうです。わたくしはつくづく思いました。病気をなおそうとする働きはその人の身体の中に備わっているのだから、その力を高めてやりさえすればいいのだと。病室にはお母様より若い4、50代の患者ばかりでしたがみな術後に苦しんでいる様子でした。だれもが苦しまないですむ時代がくればと思いながら病院をあとにしました。T姉妹のお母様は入院したその週の土曜日に退院、その翌週外来で一度検診を受けただけで完治しました。今でも乳酸球菌カワイ株を愛用しています。

                                                                                  神奈川県厚木市
                                                                                             女 性(89才)

                                                                                        代筆 清水石根