忘れえぬ出来事  NO.1



    1982年6月21日、休眠中だった清和物産を再開する。180度の方向転換にも等しい健康関連用品の卸商社をスタートさせる。ほとんど無資金に近い状態の上に、マンションのローンの支払い、長男の大学受験、次男の高校進学、今振り返ってみると、まあ、よくやったものだと思う。馬鹿だったのである。また、馬鹿だったから出来たのだと思う。スタートして三年間はまさに、どん底の世界におかれた。33歳最初の独立の時も半年位は苦労をしたが、その比ではなかった。一時は、真剣に、この身に変えても家族を守らねばと考えたりもしたが、このままでは死んでも死にきれないという想いが心を支配していた。

 会社の業績は遅遅として好転しなかったが、不思議なことに、仕事で大切なこと、人生で大切なことは何かということを、どん底の日々の中でも、最もふさわしい形でヒントが与えられた。私はこのことを、大いなる者の愛としてうけとめるようになっていた。

    「おまえはこれまで、日の当たる道を歩いてきた しかし世の中には日陰の道もあるんだよ その道がどういうものか、学びなさい そうしたらきっとお前を再び必要とする お前でなければ出来ない仕事が与えられるはずだ」

   このような鮮烈な言葉でうけとめさせられことを今でも忘れることができない。それまで、刻苦勉励で生きてきた自分が何か解き放たれたように、自分で生きているのではなく、生かされていることを実感したのである。 自分ながらどうしてこのような感覚になったのか分からない。少年期にもカトリック教会に玄灯会のあとに出るお菓子がたのしみで真っ暗な夜道を30分以上かけて友達と行ったこともある、青年期にはお前には仏縁があるのだよと、言われたこともある。

    世界でも有数な磁器を造ることで有名な大倉陶園「オオクラ・アート・チャイナ」の焼成課にいた頃、絵付課に田中義清先生がおられて、絵を通して、とても多くのことを学んだ。先生からは時々洗礼を受 けるようにすすめられた。でも、それらが理由とは考えられなかった。

    直接の理由はといえば、ペプシコーラのスーパーバイザーだった頃に書店で見つけたディール・カーネギーの本から始まったように思う。当時ビジネス学の神様のような存在だったディール・カーネギーの三冊の著書を手にして、私の求めていたものはこれだと感激したことがあった。そのことをどん底の日々の中でなんとかしなければという想いばかりが強すぎてすっかり忘れていた。そのころ、たまたまポール・J・マイヤーの成功哲学に出会う。なけなしの金をはたいてカセット・テープ一式を買う。毎日30分位を費やしてプラス思考の訓練を続けていくうちに、ディール・カーネギーもポール・J・マイヤーもその底流にあるものは同じということに、気付かされた。それはキリストだった。
 
 私は19歳のとき自分が目指す世界は営業にしかないと考えていた。勿論紆余曲折があって、思うようにならない時期もあったが、幸いにもその願いはこれまでは叶えられてきた。そして会社の再開、どん底、セールスにはいささか自信があったし、実績もあげてきた。またその自負もあった。なんとかセールスの神様の再指導を受けて起死回生を図らねば、ふとそのとき世界一のセールスマンは誰かなと考えたとき、ああ、キリストじゃないかと思った。

   聖書だけでも年間数億冊、関連を含めると数十億。セールスマンがセールスマンの親分のことを知らないとは、これは、けしからん、大問題だ。と思った。50歳を目の前にして、私のキリスト探求が始まった。

   トルストイの小冊子「光あるうちに光の中を歩め」の題名がいつも心のうちにうちにあって気になっていた。しかし、不思議なことに今もって読んでいない。
   
    ある時、書店で三浦綾子さんの本が目にとまり読んでみた。今では最初に読んだ本が何だったかは思い出せないが毎日のように彼女の作品を読み続ける。丁度、その頃は、私のライフワークとなる腸内細菌に出会った頃で仕事も忙しかったが、時間を見つけては読み続ける。何時も気付くと事務所代わりにしていた部屋の窓が白らんでいた。今思うと、本当によく読んだものだと思う。三ヶ月でほとんどの作品を読んでしまった。読み終わって感じたことは三つの事柄だった。

   1 どの本にも感動がる
   2 人間は不完全な存在であること
   3 信仰は心を自由にするらしい
         なぜなら、自分の弱さ、醜さをさらりと言えるようになる。

 それでもまだ心のどこかに受洗を逡巡させるものがあったが、それはさておき、受洗することを心に決め牧師に手紙を書いた。 1987年4月25日だったと思う、当時、座間にあったカルーバリチャペルで大川従道牧師によって洗礼を受けた。洗礼をうける短い時間の中で、これまでの人生は全て、この瞬間のためにあったのだと、その道筋が映像となって心に焼きついたことを今でもはっきりと覚えている。

   あれから16年、人生最高のできごとは神に出会った事。そして腸内細菌をライフワークとしてできること。どん底も過ぎてみると懐かしい。楽しかったことは記憶に残らない。苦しみあってこそ、そして全ては、益に変えられると心から思う。