寄せる波、返す波


   親の言うことを聞かないのが子供だ。
親の言うことをそのまま聞き入れることができたらそれはもう子供の領域から離れ、そこまでたどり着くまでには人生も並外れた艱難辛苦を乗り越えてのことだろう。

   本人の口から俺はどれほど苦労したかなどという程度では、たいていの場合そんな境地にはたどり着けない。子供とは親が今何を考えているか、何を思っているかほとんど解らないのが普通と言っていいだろう。子供が艱難辛苦を味わい、また親の歳に近づくことではじめてこんなとき親は何を考えていただろうかと思いがそこに行き着くのだと思う。

   いつの世も子が親を思う心に増して子を思う親の心は一段も二段も強いものだと思う。若いときは夢中で親業をやっているから、わからないが、子育てを終わってそれぞれに巣立っていく頃になってみて、はじめてその頃父は・母はなにを考えていたのだろうかと思いがそこに至るのだ。そしてそれはたいていの場合父も母もこの世にはすでにいなくなっていることが多い。

   いつの世も人生とは波のように寄せては返しているのである。寄せているときには返すときのことは解らない。返すときのことは返すときになってはじめて解るのだ。それでも1950年代には地域に親以外にも保護者の心算でものを言ってくれる人がいた。年長者がその場に居合わせたときはどんな事柄にもかかわりなんらかの助言をすることが当たり前だった。年長者と言っても村落の長老と言うことではない。お兄さん、お姉さん、小父さん、小母さん、おじいさん、おばあさん、それぞれの年代の人が先輩としてなんらかのことを言ってくれるのだ。少年時代そんな折に教えられた言葉がいくつもある。
「親の意見とナスビの花は千に一つの無駄がない」も一つおなじようなものだが「親の意見と粉糠の雨は時が経つほど沁みてくる」。「世の中をなんのヘチマと思えどもぶらりとしては暮らされもせず」「虎穴にいらずんば虎児を得ず」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ」「あしたの紅顔夕べの白骨」この言葉などは少年のころに耳にする言葉としては荷が勝ちすぎると思ったりしたが生老病死はできるだけ若いときに知るほうがいい。

   一般に親とは子供に苦労させたくないと考えるものなのだろうか。どうも戦後の日本の親はどちらかと言えば子に甘い。ある時子供に甘いのは東アジアの民族にとって際立った特徴ではないかと思うようになった。かっての日本では受験戦争に勝つためには子供の成長に大切な経験でさえ母親が効率上かたがわりしていた。当初なんとなくあった違和感もいつの間にか当たり前の流れのようになって行った。それから間もなくしてお隣り韓国でも受験戦争が始まり、韓国の母親のたくましさというかすざまじさは日本の先を行っている。程なくして、今度は中国。1995年ごろから始まった経済発展。とにかく発展の速度には目を見張るものがあった。訪問する度に変わっていくさまを実感させられた。1年のうちに幾度も変貌していく都市の景観。そのスピードにはいつも驚かされたものである。そして間もなく、発展することがあたりまえの時代が続いてみると、発展が猛スピードだっただけに、そのひずみの出方も早いように思う。党幹部による汚職、所得の格差、いずれも根が深く重い問題ばかりである。ここでは中国の国策一人っ子政策と経済発展で人々の間にどのような変化が起きているかについて書いておきたいと思う。

 中国の一人っ子政策は1979年に始まっている。当時の0歳児は26歳。まさに結婚適齢期。一組カップル成立の前にはあたりまえのことだが4人の親がいる。ところが生まれてくる孫は一人だ。そこで父方母方の孫争奪戦が始まる。なんたって愛する対象の絶対数が最低数なのだから仕方ない。並みの手立てでは孫の関心を引くことはできない。したがって男の子は皇帝、女の子は皇女と言うようにまことにピッタリな形容がされるほど溺愛の対象になる。そのように育てられた若者が今結婚するとどうなるか。優秀な成績で大学を出て、優秀な成績で大企業に入る。そして結婚して二人の給料を合わせると10000元にもなると言う。大方の家庭の5か月分の生活費に相当するものをただただ消費することが目的だと言う。祖父母に溺愛される環境が消費慣れをした新階層を確実に作り出している。

 私は1995年はじめていった中国であと25年もすると介護問題が大変になりますねと言ったところ「いや中国は儒教の国ですからその点は問題ないです」と言った才媛がいた。

 その才媛もつい先ごろこんなことを言っていた。それは友人が遠く離れて暮らす自分の娘の生活を目の当たりにしてしみじみと語ったと言う。娘さんは2年ほど前中国で最も有名な大学。上海にある復旦大学に合格したことを聞いていた。その友人は大都市の婦人部長になったばかりだった。そんな中幾日か娘と生活をしてその感慨を友人である才媛さんにつくづくと漏らしたのだろう。それはおもに身の回りの汚れ物に対する身だしなみが一人生活では全くできていないことだったという。自らの娘時代に重ねても見たのだろう。

 そして娘の負の面は負の面としてしっかりとしてとらえているところは、さすが大都市の婦人部長さんだなと思った。才媛さんも10年経って大切に思うものが変わってきたと言う。そして日本、韓国、中国のお母さんは子供に一生懸命なのだ。でも21世紀は学を修めることも大切だけど、同時に業を習うことも同じだけ大切だということを心に留めていてもらいたいと思った。