「吉川英冶も高橋是清もフリーターだった」


   
 2004年1月ごろの事だと思う。NHKでフリーターと正社員の生涯賃金の比較から、ひいては国力の低下につながりかねないことを危惧する内容の番組をやっていたことがあった。視点が負の面にのみ向きすぎている印象を強く受けたのは私だけなのだろうかと思いながら視ていた。また2005年4月7日に「日本のこれから」という新番組で再び所得格差定着傾向についてアンケートを挟んでの討論番組があった。この番組を見ていて再び感じたことは敗者支援の要求をしているような意見が少なくなかったことに驚いた。「真の平等とは差等があってはじめて成り立つ」この言葉は遥か昔の少年時代に耳にしたフランス国憲法の一文として深く脳裏に刻まれている。臥薪嘗胆や捲土重来なる言葉もいまだ志を遂げ得ない者の心の内なる想いをそのままにした言葉だ。こうした言葉はわれわれの青少年時代には日常の生活のなかにごく自然に溶け込んでいたように思う。「フリーター人口417万人」が今、負の象徴のように受け止められているが、「フリーター」はいつの世にもあったのではないか。今の時代に限ったことではないと思うのである。時代時代の歴史の変革はそれぞれ幾つもの大きな節目をも凌いできている。417万人のフリーターも経済構造の変化がもたらしたものだ。時代というものはいつも意味を持って動き流れている。負に見える環境の中にも未来の逸材がその出番を待っている。新ビジネス創出の夢を持った人間が、この負と思われている環境の中でも培かわれていると私は思っている。

どれほどの人間が、若者が、雌伏してその出番を待っているか。どんな時代にあっても、困難の中からしか、成果や成功は生まれない。優れたリーダーもまたそうではないだろうか。環境が整えられたからできる。整えられなければできないと考える風潮からは何も生まれてこない。にもかかわらず補助や支援を頼みとする場合が多い。もう三年位になるだろうか?日本は世界の中でも起業率がいたって低い国になってしまった。これをなんとか回復させたいということで外国人タレント「ボブサップ」まで使って起業率向上を狙ったキャンペーンが華々しく立ち上げられた。だが結果はどうなったのだろうか。一方行政の支援を受けることができた運のいい起業者も少なくない。ところがみな成功にはほど遠い結果に終わっていると言う。なにゆえだろうか。起業とは資金さえあればできると考えている者には出来ないもののようだ。起業とは、簡単に言えば個人または集団のやむにやまれぬ想いが前提にあってはじめて起業へと向かうのだと思う。

 少年のころ父からよく立志人物伝を聞かされた。大方は艱難辛苦、刻苦勉励が内容だ。そのうちの一つの話に作家吉川栄治が少年時代「反物」の行商をしていたということことを聞いた時私は髣髴とその場面を思い描いたものである。行商とはまさに独立フリーターの代表格である。また昭和恐慌の折数度に亘って日本の財政を立て直した高橋是清はなんと転職20回14歳で留学したアメリカで奴隷に売られ日本では相場師から首相までを経験している。

 その高橋是清がこう言っている。

 「金融恐慌は突然にやってきたものではない。元来わが国の金融業には欠陥がある。中略 国民も銀行業者も自己のみの利益のみに急で真に堅実な投資には目覚めていないのである。人間は苦労しなければ気づかない。わが国ではまだ覚醒が十分とは思われぬ」

 またこうも言っている「一足す一は二・二足す二は四だと思い込んでいる秀才には、生きた財政は分からないものだよ」労苦と挫折を糧に、卓越した人生観を金融政策で日本の危機を何度も乗り切った男の言葉である。「帯文から引用」今から15年ほど前を振り返ってみよう。国民の大多数が寄らば大樹の陰で偏差値に一喜一憂しホワイトカラーを目指し国民皆大学卒になるのではないかと錯覚するほどの時代だった。ところが皆なで目指した結果が今日である。

 少し落ち着いて考えれば簡単に解ることも恵まれすぎると解らなくなってしまう。昔よく耳にした言葉に親苦労・子楽・孫乞食と言う言葉があった。終戦前後に結婚適齢期にあった方々から私たちには青春時代がなかったから子供たちに苦労させたくないと言う話をよく耳にしたが、やはり「可愛い子には旅をさせろ」がどう考えても的を得ているように思えるのである。