クイーンの定員 #054


ミステリーの最高傑作集
Masterpieces of Mystery

アンナ・キャサリン・グリーン
Anna Katharine Green

ドッド、ミード 1913年
New York: Dodd, Mead


Dodd Mead 1st edition

「彼女の短編小説集の刊行は一八八三年から一九一五年にまでわたっているが、これは注目に値する寿命である――歴史的にも、創造力から見ても。」

エラリイ・クイーン著『クイーンの定員』からの引用(名和立行訳)


 さて、私はこれまでアンナ・キャサリン・グリーンはおろかHIBK派のどの作品も読んだことがありません。だいたいHIBKが何の略か数年前まで知らなかった人間ですから、およそ興味の対象とはなっていませんでした。たまたまこの入手難な米初版本を手に入れる機会に恵まれ、そのまま本棚に鎮座させていたのを、今回の特集を機に引っ張り出してきて読んでみた次第です。アンナ・キャサリン・グリーンに関しても、かつて「純粋な探偵小説を書いた最初の女性」「探偵小説の母」と呼ばれた作家ぐらいの知識しか持っておらず、おかげで何の先入観も無く読むことができました。 本短編集が米Dodd Mead社から出版されたのが1913年、収録短編のCopyrightで一番古いのが1909年ですから、1846年生まれのA・K・グリーンにとっては、かなり晩年の作品です。その作風は、「気品」と「愛情」にあふれ、つねに女性にフォーカスを当てたセンチメンタルなものです。謎解き物と言うよりも、サスペンス・タッチの大衆小説と言った感じで、エンディングも一件落着風なものが多いです。


収録短編

深夜、ビーチャム通りにて
−Midnight in Beauchamp Row−
1911年の大雪の降るクリスマス・イヴの夜、新婚のレティ・チヴァースは夫ネッドと過ごすことを楽しみにしていました。しかしネッドはどうしても断れない大事な商談があるため、その夜は外出せねばなりませんでした。さらに運悪く、その日はネッドが仕事で使う予定の大金が家に保管されており、ネッドは妻と大金を残して家を離れなければならなかったのです。そしてネッドの外出後、全てのドアと窓に鍵をかけてくつろいでいたレティの前に、突然見知らぬ男が立ちはだかります。男が一体どうやって侵入してきたかは不明でしたが、寒さから逃れるための暖と簡単な食事を要求してきます。恐怖で凍りついたレティは男の目が離れた隙に大金を窓から外に投げ出し、その所在に気づかれないようにします。しかし驚くべきことに、そこへさらに別の男が現れ、今度は金を要求してきたのです。
ひとりぼっちの女性に謎の侵入者というところまではよくあるサスペンス物ですが、侵入者を二人にした設定が珍しいし、これが意外な結末を生んでいます。
−Room No.3−
彼女はその部屋の壁の色はくすんだピンクだったと言い張りましたが、検死官達が調べた結果、その宿屋にある部屋の壁紙は全て青色だったのです。彼女とはミス・ディマレストで、訳あって実母と共にその宿屋へ来ていました。二人が別々の部屋をとって就寝した翌日、実母が近くの森で死体となって発見されます。検死官達に実母が泊まった部屋の様子を聞かれたミス・ディマレストは、壁の色がピンクだったと証言しますが、そのような部屋はひとつも無かったのです。さらに宿の主人は、ミス・ディマレストは一人でチェック・インしており、実母など伴っていなかったと証言したのです。ミス・ディマレストの証言を信じる保安官代理のハンマースミス氏は、一晩その宿に宿泊してさらなる調査を行おうとしましたが、その夜宿屋は大火事に見舞われてしまいます。
なんと言っても火事のシーンが最大の見どころです。ハンマースミス氏が気付くとあたりは火が一面、そして女性の助けを求める声、さらに何者かに拳銃で狙われるなど、息もつかせぬ展開が待ち受けています。このへんの描写は素晴らしいのですが、推理の過程を省いて事件の真相が明かされるので結末は物足りません。
−The Ruby and the Caldron−
上院議員夫人のミセス・バートンがフットボールのゲームを観戦中に高価なルビーの宝石を紛失してしまいます。500ドルもの報奨金がかけられた紛失騒ぎは、ジョン・ディーンという若い青年が見事発見し、一旦は落着します。ディーン青年はその夜開かれたエバーグリーン家の舞踏会でミセス・バートンにそのルビーを返却するつもりでしたが、エバーグリーン家に到着し馬車を降りた直後に再び紛失してしまいます。外は雪が降り積もっており、数名が辺りを探しましたがルビーは見つかりません。そこへディーン青年達が馬車から降りる瞬間を見ていたという目撃者が現れ、彼と同行していたひとりの女性が地面にかがみ込んでいたと証言したのです。
20世紀初頭の作品によく見られる事件に恋愛を絡めたストーリーです。オチ的には今ひとつですが、華やかな舞踏会の雰囲気は楽しめます。
−The Little Steel Coils−
ルーシー・ホームズの夫は仕事で単身フィラデルフィアに行っており、明日帰るという手紙を10日程前に送ってきていました。その手紙を受け取った翌朝、妻ルーシーは部屋にあったクッションに夫の死亡記事が書かれた新聞紙がピンで刺されているのを発見します。そして後刻、彼女はその切れが帰宅途中に一人の男性から手渡されたことを思い出します。さらに彼女はその男性の咳き込む様子が、昔婚約していた男性に似ていたとも証言しました。
この短編は探偵役の人物による一人称で終始書かれているのですが、不思議にもその探偵の名前も正確な職業も最後まで判りません。ただひたすら"I ..."で書かれているのです。趣向としてはおもしろく、内容もサスペンスにあふれているのですが、ダラダラとした追跡劇に無駄なページを割きすぎています。
ハートデライト館の階段
−The Staircase at Heart's Delight−
18xx年の春、ニューヨークで次々と溺死体があがるという事件が発生します。被害者には何の関連も無く、事件は迷宮入りの様相を見せていました。そこへひとりの男性が現れ、手がかりになりそうな不思議な話をし始めます。その男は金欲しさにある質屋へ行きました。受け付けでサインをし、通された部屋には主人らしき男が座っており、グランド・ストリートにあるグロルという場所に行けば、思い通りの金額が手に入るだろうと彼に告げます。ただし、彼の父親からの相続権を放棄するという条件付きで。さらに先程彼がサインをした紙は、実は彼の父親が死んだ際、父親の財産のうち1万ドルをルーベ・グッドマンとう人物に譲るという念書だったのです。
警察官であろう人物の一人称でこれまた書かれており、その警察官が父親の振りをして捜査を始めるのですが、そこから先は会話文がほとんど無く、一体何が書かれているのか判らないくらい冗長な描写が延々と続きます。サスペンス・タッチであるけれどもおもしろさは全くありません。
−The Amethyst Box−
結婚を明日に控えたシンクレア氏は毒の入ったアメジストの箱が盗まれたとウォルター氏に告白します。そして、その箱の存在を知っているのは彼の婚約者ギルバーティンとそのいとこドロシーの女性二人きりだと言うのです。結婚パーティに呼ばれた大勢の客がいるさなか、シンクレア氏とウォルター氏は二人の女性の行動を見張りますが、特に変わった素振りは見られません。そしてその夜、屋敷に女性の悲鳴がひびきわたり、ギルバーティン達の叔母が死んでいるのが発見されます。
これもミステリと言うよりラブ・ロマンスと言ったほうがよい作品です。男性の想像をはるかに越える事実が女性の口から発せられるなど、女性の強さが前面に押し出されており、弱い男性の存在がなんとも悲しいです。結末にはハッとするようなことも明かされ、読後感もよいです。
灰色婦人の影
−The Grey Lady−
ウィルバーとリディアの夫婦はアパートの自室で不思議な体験をします。妻のリディアが病に伏せていたある朝、ウィルバーが居間に入ろうとすると、突然灰色の服に身を包んだひとりの女性が背後から現れ、彼の横を通り過ぎ、そのまま消え去っていったのです。その3日後、アパートの前でひとりの女性が車にはねられ、彼らの部屋に連れられますが、介護もむなしくそのまま亡くなってしまいます。その女性こそ、3日前に見た灰色の女性そのひとだったのです。ウィルバーは以前その部屋に住んでいた女性がその灰色の女性ではないかと思い、同じアパートに古くから住む人物を訪ね、その女性に関することを聞き出そうとします。
ミステリらしいのは幽霊が登場するあたりだけで、結局はひとりの悲しい女性の物語に仕上がっています。
古代金貨
(別題:メダルの紛失)
−The Thief−
セッジウィック氏が所有していた、世界に二つと無く、いくらお金をかけても複製を造ることができない貴重なコインが、客人の間で回覧されている間に紛失してしまいます。部屋中を捜索するもコインは見つかりません。そこで全員の持ち物検査をしようとしますが、当然そこには抵抗感が生まれ、場の雰囲気は悪くなる一方でした。
コインの盗難事件だけで話が決着せずに、後半意外な方向へ展開するのがなんとも不思議で滑稽でもあります。
霧の中の館
−The House in the Mist−
深い霧のなか、私はひとつの長く低いビルに辿り着きました。なかに入ると男が現れたので、ベッドと夕食を提供してくれないかと懇願すると、その男は「夕食は9時に出来上がるし、ベッドはすでに用意されている。あなたは最初に着いた人物で、他の人も間もなく到着するだろう」と返答してきたのです。そしてその通りに、次から次に人が現れるのですが、彼らは皆親族のようでした。
本短編集のなかで最も怪しい雰囲気に包まれたホラー色の強い作品です。

『霧の中の館』(2014)波多野健編収録作品
「深夜、ビーチャム通りにて」「ハートデライト館の階段」「霧の中の館」
『新青年1939年夏増刊』(1939)西田政治訳収録作品
「灰色婦人の影」
『新青年1933年夏増刊』(1933)延原謙訳収録作品
「古代金貨」
『新趣味1922年8月号』(1922)龍野星男訳収録作品
「メダルの紛失」