クイーンの定員 #058


ライムハウスの夜
Limehouse Nights

トマス・バーク
Thomas Burke

グラント・リチャーズ 1916年
London: Grant Richards


Grand Richards
1st edition in UK

「本書中の巧妙な殺人と東洋の情熱とを描く諸作品は、同じ著者の短編探偵小説の傑作「オッターモール氏の手」The Hands of Mr. Ottermoleの予兆となった。」

エラリイ・クイーン著『クイーンの定員』からの引用(名和立行訳)


 『黄金の十二』が作家・評論家らによって選ばれた際に、ポー「盗まれた手紙」やドイル「赤毛連盟」をおさえて最高獲得票数を得たのがトマス・バークの「オッターモール氏の手」でした。連続殺人鬼を描いたこのサスペンス短編をエラリイ・クイーンが強力に推したこともあって、同作品は数々のアンソロジーに収録され、この一作でトマス・バークは後世に名を残すことになりました。当然、エラリイ・クイーンは「オッターモール氏の手」が収録された短編集The Pleasantries of Old Quong (1931)を『クイーンの定員』に選びたかったでしょうが、それ以前にこのLimehouse Nightsが出版されていたために、こちらを選ばざるを得なかったのです。その思いが上記のコメントにも表れています。
 本書Limehouse Nightsはライムハウスと呼ばれるロンドンの中国人街で起きる様々な事件を描いた短編集です。暗く陰鬱な社会で起きる事件に探偵などは登場せず、裏社会に住む人々の怒りや憎しみがストレートに描かれています。多くの作品で十代の若者が登場することも特徴で、彼らが社会に対して持つ不満のエネルギーがいろいろな形で爆発します。反抗心や復讐心に溢れていますが、どこか許されるところもあり、結末に悲しみがもたらされます。著者トマス・バークは 1886年生まれのイギリス作家で1945年に没しており、英語はかなり難解です。

収録短編

シナ人と子供
−The Chink and the Child−
  荒くれボクサーの男が自分の娘に対して十二年間にわたり暴力をふるい続けていました。その娘は阿片窟で働かされていましたが、ひとりの若い東洋人男性に一目惚れされ、男性の自宅に匿われます。しかしその翌朝にはボクサーの父親に連れ戻されてしまい、男性は死を覚悟して娘の救出に向かいます。
−The Father of Yoto−
  東洋人男性がある白人女性に恋します。二人は恋人同士になり、女性は男性の子供を身篭ります。父親になることを喜んだ男性が女性の妊娠を周囲に告げると、別の男性が「自分がその子の父親だ」と言い出します。さらに別の男性も「自分こそ父親だ」と名乗りだしたのです。
−Gracie Goodnight−
  食料雑貨店で働いていた娘がドライケーキを盗み食いし、それを店主に見つかり解雇されます。数日後、娘は店主を訪れ再雇用を求めますが受け入れられず、二人は口論になります。そのときランプが倒れ、店舗は一瞬にして火に包まれます。助けを求める店主に娘が消火器を投げようとすると、なぜか店主は「やめろ!」と叫びました。
−The Paw−
  ある女性が夫を捨てて別の中国人男性と暮らし始めます。残された夫は妻を奪った中国人男性を殺害しようと考えますが、自身の気の弱さから実行することができません。そこで夫は自分の娘の精神を狂わせ、娘に中国人男性を殺させようとします。 
−The Cue−
  イギリスと中国のハーフの男性が同じミュージック・ホールで働く女性に恋をします。しかし、男性は中国人であることを理由に軽蔑され、女性にふられます。 その女性はミュージック・ホールで空中ブランコの芸をする別の男性を愛しており、ふられた男性は恋敵の男性が演じる曲を変更して事故を誘発しようとします。
−Beryl, the Croucher and the Rest of England−
  十九歳の少年が酒場で出会った中国人からひとりの少女を買います。少年が少女にキスを迫った瞬間、建物の外で銃声が鳴り響き、ひとりの男が路地を駆けて来ます。少年が男を建物に入れると、男は殺人を犯したので匿って欲しいと懇願します。
−The Sign of the Lamp−
  「白人女性には気をつけろ」という言葉が囁かれるように、ひとりの女性が警察のスパイとして街に入り込んでいました。あるギャングが殺人容疑で手配されており、その女性は恋人となってギャングに近づきます。
−Tai Fu and Pansy Greers−
  ひとりの女性が愛する母親を亡くしますが、女性には母親が希望した葬式を執り行うだけの金銭的余裕がありませんでした。そこで女性は金満家の中国人男性に近づき、必要な金を手に入れます。しかし結果的に女性は仕事を失うことになり、裏で手を引いていた中国人男性を殺害することにします。
暗闇の夜
−The Bird−
  船長のかたわらには白いオウムがいつも寄り添っており、オウムの悪口を言った船員には天罰のような仕返しが待っていました。ある日、船長が中国人の少年を船内に連れ込み、残虐行為に及びます。虐待を受けた少年は下船した船長を追いかけ、復讐の機会を待っていました。
−Gina of the Chinatown−
  十三歳の少女は生けるもの全てを愛し、誰からも愛されていました。ある日、少女の父親が事故で亡くなり、少女はそれをきっかけに舞台に立つ決心をします。少女の歌声と踊りは観客を魅了し、劇場は連日満員でした。しかし少女の幸せは突然終りを告げることになります。
−The Knight-Errant−
  社会主義者の女性が貧困の実態を調べるためにライムハウスの家を訪ねます。女性が訪ねた家に住んでいたのは、兄は警察スパイ、弟は泥棒という奇妙な兄弟でした。弟は女性の言動が気に入らず家から追い出そうとしますが、兄はその女性に一目惚れし、いつしか兄弟は喧嘩を始めます。
−The Gorilla and the Girl−
  若い男女が恋に落ちますが、それぞれの父親が敵対しており、今のままでは二人が結ばれることはありませんでした。男性の父親が警察のスパイで、女性の父親が酒場経営者だったのです。どちらかの父親が消え去れば良いと考えた二人は、酒場の秘密を警察に流し、酒場経営者の父親を逮捕させようとします。しかしその行為が酒場経営者の父親にばれてしまい、娘はゴリラがいる屋上の部屋に閉じ込められます。
−Ding-Dong-Dell−
  ライムハウスに住む女性がある乱暴者の男に惹かれます。女性には夫がいましたが、乱暴者の男を好きになった結果、夫を憎むようになりました。女性は夫が宝石泥棒に関与していることを知っており、夫を警察に突き出せば、自分の前から夫を排除できると考えました。
−Old Joe−
  ひとりの老人が同じ場所に座り、同じ場所で食事し、その場所だけで生活をしていました。老人の娘が家事全般を行い、何もしない青年の面倒も見ていました。ある日老人は青年に向かい、寝室に行ってハサミを取ってきて欲しいと頼みます。

『クイーンの定員U』(1994)各務三郎訳(光文社文庫)収録作品
「シナ人と子供」

『《恐怖の一世紀B》13人の鬼あそび』(1985)(朝日ソノラマ文庫)収録作品
「暗闇の夜」