クイーンの定員 #074


罪人はひそかに歩く
Sinners Go Secretly

アンソニー・ウィン
Anthony Wynne

ハッチンスン 1927年
London: Hutchinson


Lippincott 1st Edition
(Facsimile Dust Jacket)

「同書中の最も傑出せる物語「サイプラス島の蜂」によって、ヘイリー博士は名探偵たちの間に永遠の座を占めた」

エラリイ・クイーン著『クイーンの定員』からの引用(名和立行訳)


 Allen J. HubinのCrime FictionVによると、考え事をする時は必ず嗅ぎタバコを吸う精神病医師ユースタス・ヘイリー博士はThe Mystery of the Evil Eye (1925)で初登場し、その後、30編以上の長短編に現れます。本短編集Sinners Go Secretlyに収められている短編は、The Mystery of the Evilが出版された直後から雑誌に掲載されてきたもので、アンソニー・ウィンの初期作品に当たります。
 依頼人がMind Doctorと呼ばれるユースタス・ヘイリー博士のもとを訪れ、家族や知人の不審な言動や行動を説明し、ヘイリー博士が実際にその人物を訪れるというのが典型的な様式です。ヘイリー博士は独自の話術で患者とも言うべきその人物から事情を聞きだし、不審な言動や行動に至った原因を探ります。
 ヘイリー博士は執事のジェンキンスと共にハーリー街に住み、片眼鏡を付け、嗅ぎタバコを愛用しています。最後は必ず正義の立場に立つというよりも、当事者達が最も落ち着く場所を探します。残念ながら、ヘイリー博士自身が推理をして解決に導くような事件は「キプロスの蜂」しか無く、ただの傍観者でしかないケースがほとんどです。つまり、ヘイリー博士が見守るうちに事件は解決してしまい、ヘイリー博士は事件に立ち会った記録者でしか無いのです。これではとても名探偵とは言えません。この傾向は長編にも見られるようで、これがアンソニー・ウィンの世界なのでしょう。
 「キプロスの蜂」が大傑作とは思えませんが、この一作でこの短編集がクイーンの定員に選ばれたのは事実です。


収録短編
−The House in the Woods−

ノーマン・マルトマン氏は、共同経営者のジョン・オールドショウ卿が異常な投機で会社の損失を膨らませ、自分を破産に追い込もうとしていると考えます。マルトマン氏は気を落ち着かせるため妻のアドバイスでコーンウォールの兄弟のもとへ身を置くことにするのですが、その間、妻はオールドショウ卿に普通以上に近づくのでした。必要以上に夫婦関係に立ち入らず、一歩引いたところで問題を解こうとするヘイリー博士の態度に好感が持てます。

−The Dancing Girl−
ラッシュメアー卿は亡くなった友人の娘ラレッタを我が子のように育ててきましたが、悪事が起きることと怖れて、自分の屋敷に連れてきたことはありませんでした。しかしある週末、ついにラッシュメアー卿がラレッタを自宅に招くと、ラッシュメアー卿の妻は二人の関係を信じようとせず、嫉妬で泣き出してしまいます。ラッシュメアー卿は妻の心情を察し、しばらく自宅を離れることを決意しますが、その直後に災いが待っていたのです。ある時はヘイリー博士の目で直接的に描き、ある時は新聞記事のような客観性を持って描いているのが、実にうまく融合しています。
−The Tinkle of the Bells−
ウィザードという名の競走馬が厩舎のなかで何かに怯え神経質になっていると連絡を受け、ヘイリー博士は早速現場に向かいます。ウィザードには小さな傷がいくつか残されていたのですが、厩舎の入り口は鍵が閉まっており、天窓は開いていましたが、そこにはクモの巣が張られていて、何かが進入できる隙間はありませんでした。一旦は事件が解決し、ウィザードはダービーに出走するのですが、そのレース中に最後の事件が発生します。
−Hearts Are Trumps−
英内閣の大臣を務めるルパート・ウエストスタンレイ氏がクリストファー卿とヘイリー博士を訪れ、今にも死ぬかもしれないので診て欲しいと頼みますが、二人はウエストスタンレイ氏の体に不調は見出せませんでした。一週間後、ヘイリー博士はウエストスタンレイ氏に呼ばれて彼の自宅を訪れ、ウエストスタンレイ氏の妻と秘書を紹介されます。ヘイリー博士が察するに、ウエストスタンレイ氏の精神的な病は妻と秘書の関係にありそうでした。一国の大臣が妻の不倫に苦悩するという風刺作品です。
−The Black Kitten−
ヘイリー博士はミード少佐から妻パトリシアが自殺を企てているかもしれないので来て欲しいと依頼されます。25歳年下のパトリシアは黒い子猫を大事に飼っているのですが、その子猫が怪我をしてしまいます。すぐに獣医に呼ぼうとするパトリシアに対して、ミード少佐は自分で手当てをしようとするのですが、パトリシアはこれに反対して子猫と一緒に部屋に鍵をかけて閉じこもってしまいます。パトリシアが自殺するかもしれないと心配したミード少佐はヘイリー博士にドアを壊して中に入るよう懇願します。冷え切った夫婦関係は最後に非情な結末を迎えます。
−Prudence and the Marquis−
部屋に閉じこもったまま出てこようとしない姪のプルーデンスを心配した大金持ちのハルキン夫妻はヘイリー博士に助力を求めます。プルーデンスによると、ハルキン氏の秘書をしていたドリューという男性がプルーデンスに恋をしたためハルキン氏によって遠ざけられ、ハルキン氏は代わりにマルキスと呼ばれる金持ちをプルーデンスの夫として迎えようとしていたのでした。そしてその夜、何者かがハルキン家に侵入し、ハルキン夫人の高価な宝石を盗み去っていきます。金持ちを大いに皮肉った作品で、ヘイリー博士が小切手を破り捨てるシーンはスカッとします。
−The Gold of Tso-Fu−
ヘイリー博士がトーマス・エヴァンス卿に呼ばれて彼の銀行に赴くと、重役の一人であるハリアーという男が自分のオフィスで刺殺されていました。ハリアーが部屋に入った後に誰もその部屋に入っておらず、内側からは鍵がかけられていました。事件現場に外出先から帰ってきたエヴァンス卿は、自身のアリバイがあるにもかかわらず、何故か自分が彼を殺したと言い出します。密室殺人を扱った本格味のする作品です。
サイプラス島の蜂
(別題:キプロスの蜂)
−The Cyprian Bees−
ある夜、自動車の運転席で女性が座ったまま死んでいるのが発見され、検死の結果、彼女は死ぬ直前に蜂に刺されて頓死したと推定されました。同じ夜、ひとりの警察官が四匹のキプロス蜂が入った箱を溝のなかから発見します。ヘイリー博士はアナフィラキスと呼ばれる現象により女性が死んだと推測し、キプロス蜂を飼っている開業医を探すよう警察に指示します。本短編集のなかで文句無く一番優れた作品です。
−The Telephone Man−
ダーブレイ大佐からの依頼を受けて娘ジゼルの様子を見に行ったヘイリー博士は、彼女が一通の電報を読んだ直後に気を失ったことを家政婦から知らされます。その1時間半前にも、窓を横切った電話工事の男を見てジゼルは怯えていたようでした。電話工事の男が偽者と推測したヘイリー博士は、屋根の上に不審な鏡が取り付けられているのを発見します。ハードボイルド調の異色作。謎を全て解決しない終わり方も異質です。
−The Light on the Roof−
細菌学者のアダム・グリーニング卿が書いた口蹄疫の原因究明と予防に関する論文を助手のボブ・ヘイスティングスが最終点検したところ、致命的な欠陥を発見します。ボブはアダム卿に論文の提出を見送るよう求めますが、アダム卿はそのまま提出することにし、反対するボブを解雇してしまいます。アダム卿の娘ヒヤシンスの名前が非常に印象に残ります。
−The Jewels of Yvonne−
パリで有名なダンサー、イヴォンヌは高価な宝石を身に着けていることで有名でしたが、その宝石を彼女に渡したとされるデール・テンプルという男性は一文無しだということがフランス警察の調べで判っていました。ヘイリー博士はフランス警察のマルトン氏とともにイヴォンヌとデール・テンプルから話を聞き、デール・テンプルはそれらの宝石を盗んだと供述します。ヘイリー博士がイギリスを離れフランス・パリに乗り込みます。
−Footsteps−
誰もいないのに屋敷に響き渡る足音。その足音は、六年前、突然亡くなった妻の葬儀の前日に、妻を追うようにして崖から身を投げたとされるマックコーリン大佐のものと噂されていました。その屋敷を訪れていたヘイリー博士は、足音の原因となる仕掛けを発見し、さらにその部屋で銃弾が通った穴を見つけます。短編ながらお化け屋敷風の怪しい雰囲気が良く描かれています。


『名探偵登場B』編集部編(ハヤカワ・ポケットミステリ)収録作品
「サイプラス島の蜂」

『世界短編傑作集3』江戸川乱歩編(創元推理文庫)収録作品
「キプロスの蜂」