クイーンの定員 #077


ウィルスン警視の休日
Superintendent Wilson's Holiday

G・D・H&M・コール
George Douglas Howard
and Margaret Isabel Postgate Cole

W・コリンズ 1928年
London: W. Collins


Collins 1st editoion
(Facsimile Dust Jacket)

「生一本で大向こうをうならせるようなところはないが、ビールについては人間らしい愛着を示す、穏健かつ正統的なスコットランド・ヤードの警官が、次の書において血肉を持った存在として登場した。」

エラリイ・クイーン著『クイーンの定員』からの引用(名和立行訳)


 The Brooklyn Murders(1923)で華々しくデビューしたヘンリー・ウィルスン警視は、長編二作目のThe Death of a Millionaire(1925)で早くもその職を辞することになります。次作The Blatchington Tangle(1926)では私立探偵になっていますが、The Man from the River(1928)では警視をしており、Poison in the Garden Suburb(1929)では再び私立探偵になっています。このウィルスンが警視であったり私立探偵であったりするあやふやな状況は本短編集でも続いており、 彼がいったいどういう状況下にあるのかがはっきりしません。ひとつおもしろいのは、本短編集の冒頭作In a Telephone Cabinetにウィルスンが百万長者ラドレット殺害事件(The Death of a Millionaire)の結果、公職を去り私立探偵を開業することになったことが書かれているのですが、ヒュービンの辞典などによると、この短編は1923年に発表されているというのです。1923年はコール氏が一人で書いたThe Brooklyn Murdersが出版された年であり、ウィルスンが公職を去るThe Death of a Millionaireが出版される2年前になります。つまり、いくつかの作品またはそのアイデアは1923年以前に出来ており、その時からウィルスンが警察を去ることが計画されていたようなのです。
 さて本短編集の作品は全て本格物であり、どれも魅力的な謎が提示されています。決してワンアイデアでは無く、事件が起きた背景をきちんと設定しており、トリックも多種多様です。英語も平易でとても楽しめる短編集です。


収録短編
電話室にて
(別題:窓のふくろう)
−In a Telephone Cabinet−
(The Owl at the Window)
ウィルスン警視がマイクル・プレンダガスト医師と連れ立ってハムステッドの街を歩いていると、ある家のドアからひとりの男が顔を出し、「人殺しだ」と叫びます。ウィルスン警視らが駆けつけると、その家の主ハロルド・カールークが頭部を銃で撃たれて電話室の床で死んでいました。発見者はエドワード・バートンというカールークと同じ銀行で働いている男で、散歩の約束をしていたのでカールーク宅を訪れていたと話します。床にたまった血の量からして被害者が電話室で殺害されたことは間違いありませんでしたが、どうやって狭い電話室で被害者が撃たれたかが謎でした。機械トリックですが、その見破る過程が楽しいです。なお『世界短編傑作集2』(創元推理文庫)に収録されている「窓のふくろう」は抄訳で、『名探偵登場B』に収録されている「電話室にて」は完全版です。
ウィルスン警視の休日
−Wilson's Holiday−
休養中のウィルスン警視がプレンダガスト医師とノーフォーク海岸を歩いていると、つい先ほどまでキャンプをしていた様子があるのに人の気配が無いテントを発見します。テントのなかには血にぬれたシーツや鋼鉄のナイフが残されており、周囲には二種類の足跡が残されていました。そのうちの一つを辿るとコテージがあり、なかには帽子やステッキとともに一通の遺書がありました。そしてコテージ脇の岸壁の下に男性の死体があったのです。男は喉を切られており、そばには凶器と思われる血に汚れた剃刀が落ちていました。他殺が明らかなのに、遺書が残されているという謎が真相を解く手がかりになります。
−The International Socialist−
モルダビア共和国の大臣ジュリアス・グロヴノがステージ上で演説中、何者かによって射殺されます。直後、ひとりの男が「俺が撃った」と言って殺人を自白します。男は銃を持っており、その銃は弾を発したことによりまだ暖かさが残っていました。ところがグロヴノを死に至らしめた弾はその男が発したものでは無く、別の銃から発せられたものだったのです。現場に居合わせた元警視ウィルスンは地元警察とともにこの捜査にあたります。ウィルスンが警察を辞した後の事件です。長編にでも使えそうな魅力的な謎を惜しげもなく使っています。
−The Disappearance of Philip Mansfield−
ウィルスンの自宅をひとりの若い女性が訪れ、夫のフィリップ・マンスフィールドが行方不明になったと告げます。その女性マンスフィールド夫人によると、フィリップは昨夜9時ごろ、隣に住む劇場マネージャーのトム・ポインターから手紙でブリッジに誘われ出かけたものの、朝になっても戻っていないとのことでした。トム・ポインターはそのような手紙を書いた覚えが無く、フィリップも来ていないと言います。フィリップは自身がプロデュースした芝居で詐欺にあったと思っており、一週間前にそのことでウィルスンに相談しに来ていたばかりでした。劇場関係者が出てくる割にはそれを素材としてうまく活用されていません。この事件の時にはウィルスンは私立探偵を職業としています。
−The Robbery at Bowden−
ウィルスンの数少ない親戚である姪のジーン・グラントの夫フランクリン・グラントが窃盗と傷害の容疑で逮捕されます。ある日、フランクリンの勤める会社に強盗が押し入り金庫が壊されたため、マネージャーのフランクス氏は銀行から送られてきた社員の給料を自宅に持ち帰り、枕の下に置いて寝ていました。その翌朝、フランクス氏はクロロフォルムを嗅がされ、枕の下にあった給料は盗み去られていたのです。フランクス氏が給料を自宅に持ち帰ったことを知っていたのがフランクリンのみで、事件当夜もアリバイが無く、それが逮捕の理由になっていました。夫の逮捕の知らせに泣き崩れるジーンのために、ウィルスンは懸命の捜査をします。他に犯人がいないという状況設定をし、それが覆って行くプロセスを楽しませてくれます。
−The Oxford Mystery−
オックスフォードの学生モーリス・オースチンが、川のそばの茂みで絞殺されて死んでいるのが発見されます。近くにあったボートにはモーリスの服が残されており、その服の下にはオースチンの友人ラジ・ラッセルの金色のチェーンが残されていました。大の親友である二人が言い合う声を聞いた人物や、二人でボートに乗っていたところを目撃した人物がいることから、警察はラッセルを殺人容疑で逮捕します。ところがラッセルは「自分は殺していない」と言ったきり、それ以上は一切語ろうとしませんでした。先生が生徒を思う気持ち、生徒が友人を思う気持ちが良く伝わってくるアカデミック・ミステリです。
−The Camden Tower Fire−
ゴールドスタイン氏の住居で火事が起き、料理人のホリス夫人が焼死体となって発見されます。当夜、ゴールドスタイン氏は外出しており、ホリス夫人は夫とともに休暇を与えられていました。ホリス夫婦は妹が催したパーティーに出かけていましたが、夫人の体調が悪く、ホリス氏は夫人を家に連れて帰りベッドに寝かした後、再び自分だけ妹のパーティーに戻っていたのでした。警察と消防が調べた結果、火事は放火の疑いが強まり、殺人の様相も示してきました。結末の意外性は本短編集No.1。導入から結末までの流れもとてもよいです。
−The Missing Baronet−
若き準男爵ユースタス・ペダーが行方不明になって数日が経っていましたが、警察は依然その足取りをつかめていませんでした。ユースタスの婚約者クリスチアーナ・マリンディンは弁護士のオリファント氏を連れてウィルスンのもとを訪れ、一刻も早くユースタスを見つけ出して欲しいと懇願します。ところがユースタスは別の女性トーマス・ペダー夫人とも仲良くしていることが知られており、ユースタスは婚約者を捨てるために行方不明になったとも考えられました。なんとも恐ろしい衝撃的な真相が最後に待ち受けています。


『名探偵登場B』編集部編(ハヤカワ・ポケットミステリ)収録作品
「電話室にて」

『世界短編傑作集2』(1961)江戸川乱歩編(創元推理文庫)収録作品
「窓のふくろう」

『クイーンの定員U』(1992)深町眞理子訳(光文社文庫)収録作品
「ウィルスン警視の休日」