クイーンの定員 #124


ルールのないゲーム
Game without Rules

マイクル・ギルバート
Michael Gilbert

ハーパー&ロウ 1967年
New York; Harper & Row


Harper & Row 1st edition

「『クイーンの定員』の次の一冊は、これまでに書かれた二番めに素晴らしいスパイ小説集、と正当にも呼ばれている。」

エラリイ・クイーン著『クイーンの定員』からの引用(名和立行訳)


 上記でいう一番のスパイ小説とはサマセット・モームの『アシェンデン』を指しますが、同じスパイ小説でも二つの作品にはいくつかの違いがあります。まず『アシェンデン』はイギリスのためのスパイ活動そのものを描いており、外国が主要な舞台となります。一方、本書は対スパイ活動を描いているので、敵が侵入してきているイギリス国内が主要な舞台となります。作風で見ると、『アシェンデン』がスパイ活動に携わる人々の生活を淡々と描いているのに対して、本書では派手なアクション・シーンや追跡劇が出てきます。さらに本書の方が本格ミステリの要素が多く含まれています。
 さて、本書で主役を務めるのはサミュエル・ベーレンズとダニエル・ジョゼフ・キャルダーという二人の熟年男性です。二人とも20代でイギリス諜報部であるMI6入りし、戦争経験を経て、現在はJSSICと呼ばれる情報機関の一員として活躍しています。普段、二人はケント州にあるランパーダウンという街でひっそりと暮らしています。ベーレンズ氏は伯母と一緒に旧牧師館に住みミツバチを飼っており、キャルダー氏は丘の頂上にある山荘でラセラスという名の猟犬とともに住んでいます。このラセラスもいくつかの作品で大活躍します。二人に指令を出すのはロンドン・アンド・ホーム・カウンティーズ銀行ウエストミンスター支店の支配人であり、情報機関JSSICの長でもあるフォーテスキュー氏です。ひたむきに任務を遂行するベーレンズ氏とキャルダー氏は、ジェームズ・ボンドとはひと味違った格好良さを持っています。


収録短編
ダマスカスへの道
−The Road to Damascus−
キャルダー氏が隣人のアーサーから「あるものを見つけたので来て欲しい」と言われ一緒に山中に行くと、山腹に切株で開閉される仕掛けになっている穴があり、その奥に白骨化した男性の死体が横たわっていました。男の額には弾丸の孔があり、何者かに殺されたようでした。一方、ベーレンズ氏はロシアのスパイと目される男マーク・ベッセンダイン大佐のパーティーに紛れ込んで、彼がスパイ活動を行っている手がかりをつかもうとしていました。キャルダー氏とベーレンズ氏の息が合っているところを見せつけられる作品で、情け容赦無い冷徹な最後に少し驚きを感じます。
狙った女
(一石二鳥)
−On Slay Down−
(The Future of the Service)
キャルダー氏はマリア・リッパーという女スパイを殺すよう命じられます。マリア・リッパーは「プロメテウス計画」を知ってしまい、早急に始末する必要があったのです。そこでキャルダー氏は騙されたふりをして彼女を山中に呼び出します。そして自分は待ち合わせ場所から離れた地点に腰を落ち着け、静かにライフルを構えたのです。単なる暗殺物語で終わらず、後日談をしっかり描いて全体を引き締めています。
−The Spoilers−
首相の側近である閣僚級の人間が理由も告げずに次々と辞意を表明していきます。首相はバックス大佐に調査を命じますが、数日後、そのバックス大佐が銃を持ったまま死んでいるのが発見されます。首相からこのことを聞かされたフォーテスキュー氏はベーレンズ氏とキャルダー氏を呼び寄せ、辞めた閣僚を調べさせます。すると閣僚は手紙や電話を使って何者かによって脅迫されていたことを明かしたのです。犯人側と警察側が罠の仕掛け合いを行う派手な作品です。
触媒間諜
−The Cat Cracker−
(The Catalytic Agent)
ベーレンズ氏が居酒屋〈ラム亭〉でダーツをしていると、アラン・テイバーという青年が声をかけてきます。アラン・テイバーは近くの精油所に勤める優秀な科学者で、師と仰ぐパラウス・マン教授の誘いでドイツへ向かおうとしていました。アラン・テイバーを失うことは国家的損失と考えたフォーテスキュー氏は、アラン・テイバーを何とかしてイギリスに留めるようベーレンズ氏に命じていたのです。人間を道具として扱うスパイ物のなかにあって、人の愛情で人を救うという心温まる作品です。
−Trembling's Tours−
(Fear and Trembling's)
旅行会社に勤めるキャバーシャムは、美人社長秘書のルッシーラから社長が何らかの密輸に関係している疑いがあるので一緒に調査して欲しいと頼まれます。キャバーシャムは社長の弟が経営する本屋に密輸品が持ち込まれていると考え、彼がそこを見張ることとし、ルッシーラは社長の金庫を調べることにします。しかしキャバーシャムが次にルッシーラを見たのは絞殺されて車のシートに座った姿でした。キャルダー氏の登場の仕方が格好良く、読者を驚かせてくれます。
−The Headmaster−
(Melodrama inThree Acts)
王室顧問弁護士でありフォーテスキュー氏らの仲間であるジョン・クレイヴァンが突然失踪します。ジョン・クレイヴァンはヘッドマスターと呼ばれるスパイを追跡しており、ジョン・クレイヴァンの身が心配になったフォーテスキュー氏はキャルダー氏に彼の行方を調査させます。しかし残念ながら、後日ジョン・クレイヴァンは死体となって発見されてしまうのです。キャルダー氏がヘッドマスターと対立するラストには引き込まれます。
聖夜
−Heilige Nacht−
(A Gathering of the Eagles)
東ドイツのP・D社で働くジョーゼフ・バルツは、社員達がクリスマス・パーティーに浮かれている隙を狙って通信部長のオフィスに入り込み、暗号解読機を盗み出します。その足でイギリス大使館に着いたバルツはマッシー大尉に面会を求めますが、そこでマッシー大尉が事故に会って死亡したことを告げられます。バルツはイギリスから暗号解読機を盗み出す仕事を引き受け、その後は大使館で身柄の安全を確保される予定だったのですが、その指揮官だったマッシー大尉が死亡したため、何も聞かされていない大使館員から外に追い出される羽目になったのです。国家機密を持ったまま行方不明となったバルツをイギリスと東ドイツのどちらが先に探し出すことができるのかを描いたハラハラ・ドキドキのスパイ・アクションです。
クロコディール事件
−"Upon the King..."−
(The Krokodil Affair)
父親である国王の死の報を受け、少年ヌリは急遽自国へ戻ることになります。ベーレンズ氏が同行し、二人はロンドン空港へ向かいますが、空港で出向かえた大使館関係者が明朝までフライトが無いため今晩はホテルで宿泊することになると伝えてきます。時間を持て余した一行はナイトクラブへ出掛けるのですが、店の雰囲気がいつもと違うことにベーレンズ氏は気付き、電話で報告しようとします。すると突然、部屋の天井が落ちてきて、ベーレンズ氏はその場で気を失ってしまうのです。新国王となる少年ヌリの、良く言えば冷静、悪く言えば鈍感なところが笑えます。
−Cross-Over−
(The M Route)
フォーテスキュー氏らは無線を使って居場所を特定できる発信装置を開発します。そしてその装置を使ってルートMと呼ばれる敵の秘密ルートの解明に乗り出したのです。おとりになるのはデヴィッド・ニコルという若い優秀な人物で、ベーレンズ氏とキャルダー氏がニコルを追跡する役を担います。ニコルは見事に敵に潜り込み、シュラという名の女性とともに、フランス・ドイツと車を走らせたのでした。大追跡劇の結末は非情な最後でした。
プロメシュース計画
−Prometheus Unbound−
ベーレンズ氏はフォーテスキュー氏からキャルダー氏の行動が最近おかしいと相談を受けます。キャルダー氏はアルバニアの解放と開発を計画した「プロメテウス計画」の重要メンバーで、フォーテスキュー氏は行動不審なキャルダー氏を任務から外すべきかどうか悩んでいました。そこでベーレンズ氏がキャルダー氏を訪れるのですが、キャルダー氏は自宅で神プロメテウスから自分までの系図を至極真面目に書いていたのでした。スパイ物ならではのどんでん返しが楽しめます。
招かざる客
−A Prince of Abyssinia−
ある朝、新聞の五行広告記事を目にしたキャルダー氏は慌ててロンドン・アンド・ホーム・カウンティ銀行ウェストミンスター支店長のフォーテスキュー氏を訪れます。その記事は、バクテリアの権威ヨーゼフ・ワインレーベン大佐が手術の結果死亡したというものでした。しかし二人はこれが偽の記事であると考え、ワインレーベン大佐が病気であるならば必ずキャルダー氏を道連れにしに来ると予想したのです。そして事実、ワインレーベン大佐は名前を変えて、ベーレンズ氏の自宅に向かっていたのです。Allen J. HubinやWilliam G. Contentoの書誌によると、この作品が1962年3月に発表された最初のベーレンズ−キャルダー物のようです。ところがこの作品は本短編集の棹尾を飾るにふさわしい作品になっているのです。それが何かは読んでのお楽しみで、本を閉じる時に心を震わせてくれます。


『ハヤカワ・ミステリマガジン1967年8月号』(1967)吉田誠一訳(早川書房)収録作品
「ダマスカスへの道」

『ハヤカワ・ミステリマガジン1968年11月号』(1968)(早川書房)収録作品
「狙った女」

『ハヤカワ・ミステリマガジン1963年9月号』(1963)(早川書房)収録作品
「一石二鳥」

『エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン1965年12月号』(1965)八木敏雄訳(早川書房)収録作品
「触媒間諜」

『クイーンの定員W』(1992)大村美根子訳・各務三郎編(光文社文庫)収録作品
「聖夜」

『エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン1965年11月号』(1965)森崎潤一郎訳(早川書房)収録作品
「プロメシューズ計画」

『世界スパイ小説傑作選3』(1979)友枝康子訳(講談社文庫)収録作品
「招かざる客」

『ミステリマガジン2006年5月号』(2006)(早川書房)収録作品
「クロコディール事件」