The Harlequin Tea Set
(While the Light Lasts)


「マン島の黄金」

アガサ・クリスティ

1997

★★★

Putnam 1st edition in USA Harper Collins 1st edition in UK


『崖っぷち』
あらすじ
 教会で働く32歳のクレアは母の死後犬のローバーと暮らしている。彼女は幼なじみのジェラルドといつか結ばれると信じていたが、ある日ジェラルドは別の美しい女性ヴィヴィアンと結婚する。ヴィヴィアンの性格はクレアにとって馴染めず、二人はいつも仲たがいしていた。ある日クレアの犬ローバーがケガをする。となり町の医者まで診せに行ったクレアは立ち寄ったホテルの台帳にヴィヴィアンの筆跡を見つける。そこには別名で男女の名が書かれていた。ジェラルドによるとヴィヴィアンはその頃母の看病に行っているはずだった。ヴィヴィアンの浮気を見つけたクレアは、この事実をジェラルドに話すかどうか悩む。葛藤するクレアはヴィヴィアンを脅すことで満足するようになった。しかしある日、ジェラルドからヴィヴィアンと共に引っ越すことをクレアは知らされる。このままでは逃げられると思ったクレアはヴィヴィアンを"The Edge"と呼ばれる死者も出した事もある崖へと連れ出した。

感想
 女性の露骨な陰険さをクリスティは描ききっています。この話で夫ジェラルドはほとんど登場せず、クレアとヴィヴィアンの二人の女性の心理合戦ばかり繰り広げられます。男の私としてはちょっと嫌気がさします。この本は1926年のあの有名な失踪事件の直前に書かれたものです。クリスティの心理状態も反映されていたのでしょうか?

『名演技』
あらすじ
 ジェーク・レヴィットは「The Avenging Angel」を観に行った際、コーラ役で有名になった女優オルガ・ストーマーを見て「ナンシー・テーラー」だと気づく。そしてジェークはオルガに「お前の過去を知っている」と脅迫状を出す。オルガは現在サー・リチャード・エヴァラードと婚約しており、このままでは二人の将来をめちゃくちゃされることは目にみえていた。オルガは自分のマネージャーであるダナハンに全てをばらし、この脅迫状の対処を相談する。そこでオルガの代役として最近メキメキ上達している女優に協力してもらい、脅迫状に書かれていた通り自宅にジェークを招く。そして二人の女優がうった大芝居とは?

感想
 ある意味でわかりきった結末ではあったが、物語の最後の〆方が気に入りました。英語で「Understudy」と呼ばれる俳優の卵達は、メインの舞台俳優達が休みの時などその代役を努め、いつか自分が主役になる日を夢見てがんばっています。そうした人達にスポットを当てたクリスティの配慮にとても感激します。ちなみにこの作品と似通ったネタを用いたものに、「火曜クラブ(ミス・マープルと13の謎)」に含まれる短編「バンガロー事件」とポアロの長編「白昼の悪魔」があります。

『光が消えぬかぎり』
あらすじ
 ディアドリ・クロージャーは金持ちの夫ジョージと共にアフリカのタバコ農場を訪れていた。実はディアドリにとってジョージは二人目の夫だった。一人目の夫ティムが戦死してしまったため、寂しがりやのディアドリは何でも買ってくれるジョージと再婚したのだった。農場を案内されている最中に気分が悪くなったディアドリは、ある男の人に支えられながら部屋にもどろうとする。しかし、その男はなんと死んだはずの前の夫ティムだった。突然の再会にとまどう二人。しかしお互いの愛情が変わらないことを確認した二人は現夫ジョージにこのことを告白しようとする。

感想
 死人は出ますがミステリーというより恋愛小説に近い作品です。実際後のメアリー・ウェストマコット名義で最初に書かれた「愛の旋律」にもこの作品のプロットが使われています。戦争によってもたらされる夫婦の不幸は、かくのごとき惨い結果をもみるのでしょう。非常に謎めいたエンディングが印象的でした。

『夢の家』
あらすじ
 特にこれといった取り柄の無い男ジョン・セグレーヴはある日白く美しい家の夢を見る。外観はすばらしいのだが、家の中まで見る事はできなかった。会社の上司に夕食へ呼ばれたおり、彼は上司の娘の友人であるアレグラ・カーにひとめぼれする。その後アレグラに再会した際、その夢のことを彼女に話し自分の愛情も伝えるが、彼女は結婚する意志が無いと断った。彼女は悪夢を見ると言うのだ。ジョンは夢に出て来る家を探しに旅にでることにした。

感想
 第一次世界大戦以前にクリスティ自身によって書かれた「The House of Beautiy」がこの作品の元を成しています。登場人物の役割をすこし変えて作られた本編は人間の死を問うた傑作と言えるでしょう。ミステリーではありません。無意識のうちに起こす行動の恐怖を巧みな筆さばきで描いています。クリスティが初期の段階においてこれほど精神的な作品を書いていたことがとても驚きです。

『孤独な神さま』
あらすじ
 親しい友人も無く孤独に生きている男が美術館の隅にひっそりと置かれていたある神像にとても惹かれる。その像もまた周りの展示物に比べて非常に孤独感があり、その男以外には見向きもされない物だった。しかしある日その男と同じようにその像に見せられた一人の女性が現われた。男は「彼女もきっと孤独に違いない」と確信し、声をかける。いつしか二人は緊密な関係になるが、お互いの個人的なことに関しては決して話そうとはしなかった。それでも男は愛を告白した。

感想
 とても読後感の良いラヴ・ロマンスです。美術館の一つの像をきっかけとした男女の恋物語を、孤独な男の目を通して、ある時は物悲しく、ある時は高揚して生き生きと描かれています。近寄りたい男性と距離を置きたい女性の対比がとても現実味あふれ、同情したくなる部分が多々あり、二人の結末を常に案じさせられます。終り方も素敵です。

『マン島の黄金』
あらすじ
 いとこ同志のジュアンとフェネラは叔父マイルズが遺言として4つの宝をマン島に隠した事を知る。そしてその宝をマイルズの甥といとこの医師を含めた4人の中で先に見つけた物に譲るというのだ。叔父から内緒で24時間の優先権を得た二人は早速叔父の住んでいた家へと急いだ。そこで元家政婦から手がかりをもらいついに宝探しが始まった。

感想
 実はこの物語はイギリスのマン島が観光客集めのために島を使った宝探しのイベントを行うことを決め、その宝探しを行なう時の手がかりとしてクリスティが依頼され書いたものです。当時の値段でたったの60ポンドでクリスティが引き受けたこの物語は新聞に5回に分けて連載され、マン島のホテルなどにもコピーが置かれました。実際4つの宝が島のどこかに隠されており、見つけた人には当時の値段で100ポンド(現在の3000ポンド相当)が払われたそうです。実際は地図なども配られ、大いに盛り上がったそうですが、結局宝は最初の2つしか見つけられなかったみたいです。ちなみに3つめはある人が偶然に、4つめは市長が時間切れで取り上げました。物語の後に解答が載っていますが、非常に綿密に計算されているだけあってとても難解で、発見されなくても当然かとも思われました。しかしもし自分がその場にいることができたなら、俄然がんばったことは間違いないでしょう。手がかりの物語を読んでいるだけで、これだけ楽しいのですから実際自分の足で歩いて探すことは喜びの極みだったに違いありません。手がかりの物語だと言うのに死者やピストルが登場するのですから、フ ァンにはたまらないでしょう。解答の後にこのイベントの総括のような物も書いてあり、ある種新聞記事を読んでいるような気もしました。

おまけ
 その1)マン島
 毎年6月に行われるTT(ツーリスト・トロフィー)オートバイ・レースが有名な島。イングランドとアイルランドの真ん中に浮かぶ島で長さ50km、幅20kmの楕円形をしています。人口は約7万人。名前の由来は、この島に生きていたとされる海の神様Manannanで、3本足のこの神様はマン島の紋章にも描かれているそうです。ちなみに題名にも使われている「Manx」とはマン島人という意味で、島の人々は自らそう称しています。

『壁の中』
あらすじ
 若い画家アランと社交界にデビューするほどの裕福な家庭に育ったイザベルの結婚には誰しもが驚いた。アランの実力は徐々に高まり、ある日妻イザベルをモデルにして描いた絵のお披露目パーティーを催す。多くの人がその絵を絶賛する中、ある女性評論家は疑問を投げかける。そして彼女は壁に立てかけてあった別の女性を描いたラフスケッチを見つける。その女性はアランの友人ジェインを描いたものだった。ジェインはアランとイザベルの子供ウィリーの名付け親でもあった。ジェインはウィリーのために、まとまった金を送り続けていたが、彼女の生活はそれほど裕福では無かった。アラン、イザベル、ジェイン三人の不思議な関係の結末には....。

感想
 前半は物語の内容が良くわからないまま過ぎていきますが、後半になって三人の関係が複雑化(ある意味では表面化)してくると、謎を解くかのように様々な出来事が融合されだし、最後は不思議な終り方をします。題名の「Within a Wall」は文中になぞなぞの問題として「卵の殻」の意で使われますが、直訳通り「壁の中」と訳してもウソにはならないでしょう。何の「壁の中」かは省略しますが、ある閉じ込められた状態に置かれることを意味します。女性心理が解からない男が、二人の女性の間を行き来することにより彼女達の心の中を知り始める様子を描いているのですが、その描写はまさに女流作家クリスティの本領発揮といったところでしょうか。

『スペイン櫃の秘密』
あらすじ
 ある朝ポアロは新聞に載っていたある殺人事件に興味を引かれる。友人達とのパーティーで欠席することになっていた官吏が、次の日の朝、そのパーティーの部屋に置いてあったスペイン櫃の中から死体となって発見されたのである。いないはずの男が何故ここに?被害者の夫人の依頼を受けポアロは聞き込みを開始した。

感想
 スペイン櫃がどんなものか判らないとおもしろさ半減でしょう。クリスティお得意のシィイクスピアからの事件解決が読みどころ。ポアロがとても能動的に動くのが爽快です。ミラー警部がポアロにいやみったらしく当たり、それをポアロがうまくかわすのがいいです。

おまけ
 その1)Spanish VS Bagdad
 もともとこの作品はイギリスでは1960年に短編集"The Adventure of the Christmas Pudding"の中の一作品として発表されていました。またほぼ内容が同じである"Mystery of the Bagdad Chest"は短編集"The Regatta Mystery and Other Stories"に含まれアメリカ、Dodd Mead社から1939年に出版されています。この二つの作品の決定的な違いは、最初のポアロとの事件に関する雑談相手がSpanishがミス・レモンであるのに対してBagdadはヘイスティングズであることです。

 その2)ポアロの女性観(p85)
 ポアロのお気に入りは、「みずみずしく、粧(よそお)いをこらし、エキゾチックな女性」で、かつてロシアのさる伯爵夫人と若気のいたりがあったと書かれています。それに比べて機械的な48歳のミス・レモンを女として考えていないとは....。

 その3)セイレーン(p89)
 「ギリシア神話に出て来る半人半鳥の海の精」とありますが、個人名ではなく数人(数匹?)を指したそうです。人を魅する歌い手で、風をおさめる力と、死者を冥府に送る役目を有するとされ、墓石の上にしばしば彼女たちの姿を見いだされるそうです。
 その4)ユークリッド幾何学(p97)
 ポアロが好きそうなユークリッド幾何学とは、紀元前300年頃ユークリッドが古代エジプトから続く幾何学を論理的に整理、体系化し「ストイケア」という本にまとめた、その中に述べられている幾何学を指します。「2点を結ぶ線分がただ一本存在する」という第一公理を始めとし、中学で習うような五つの公理があります。
 その5)スコットランド女王メアリ・スチュアート(p113)
 「彼女は、フィールズ教会であの夜、実行されようとしていたあの陰謀を知っていたのであろうか?」という一節があります。メアリ・スチュアートは父ジェイムズ五世が30歳の若さで死んだことを受け、前代未聞の生後六日でスコットランド女王として即位します。その後15歳でフランス皇太子と結婚しますが、3年後には未亡人となります。そして舞踏会で知り合ったダーンリー卿と思慮を欠いたと言われる再婚をします。しかし、すぐに自分の秘書と浮気をしますが、その男をダーンリー卿に殺害され報復を胸に秘めます。事件は1567年エディンバラのフィールズ教会でおきます。突然爆発が起き、ダーンリー卿が死体となって発見されるのです。実はその場にメアリも3時間前までいたのですが、爆発の瞬間にはアリバイがあり、誰が爆薬を仕掛けたかは不明だったそうです。そこで文中にもあるように、「彼女は、知っていたのであろうか?それともまったくの無実であったのか?」となる訳です。晩年彼女は戦さに敗れイングランドに逃げ込みますが、そこでの亡命者であることを忘れた目に余る行動により死刑になります。

参考文献「スコットランド王国史話」
森護著
大修館書店

 その6)「オセロ」と「シンベリン」(p125,p149)
 どちらもあのシェイクスピアの名作です。「オセロ」でイアーゴーが行なったことがこの事件の解決につながります。「シンベリン」のヒロイン、イマジンは親に反対されながら結婚を押し切り、その後もクロトンの間の抜けた求婚や、真に迫った演技で言い寄るイアキモを退けひたすら夫を慕います。「ペリクリーズ」「冬物語」「あらし」と共にシェイクスピアのロマンス劇と言われています。

『クィン氏のティー・セット』
あらすじ
 サタースウェイトは友人のトム・アディスンを訪れる途中で車の故障に会い、修理されている間「ハーリクィン・カフェ」というティー・セットの販売と喫茶店を合わた店で時間をつぶす。そこで予想した通り久しぶりにクィン氏と再会する。そこで自分が今から訪れる家族のことを話すとクィン氏は「赤緑色盲」と言い残して去っていく。その後一人アディスン家族を訪れたサタースウェイトは全員での「ハーリクィン・カフェ」で売られていたティー・セットでのお茶の時間を過ごそうとする。そして。。。

感想
 遠くから見つめるクィン氏の味がたまりません。全くつかみどころの無い存在感が作品全体に「ふわっ」と行き渡っていて独特の雰囲気をかもし出しています。こんなティー・カップどこかで売ってないでしょうか?

おまけ

 その1)サタースウェイトとクィン氏(p131)
 サタースウェイトがクィン氏に会った瞬間に「ずいぶん久しぶりだなあ」と言いますが、二人はすでに「鈴と道化服亭」(クィン氏の事件簿:創元推理文庫)や「恋愛を探偵する」(クリスチィ短編全集3:創元推理文庫)で一緒に登場しています。

 その2)Harlequin
 この作品でHarlequinという単語が色々な形ででてきます。
  −クィン氏の名前
  −まだら色
  −道化
  −喫茶店の名前
 すべてひっかけられているのがおもしろいですね。

 その3)子供達の歌(p147) 
Harley Barley, stands on guard,
Harley Barley takes things hard.
Guards the ricks
and guards the hay,
Keeps the trespassers away.
ハーリ・バーリー、番をしろ、
ハーリ・バーリーは働きものだ。
乾草山の番もすりゃ、
ひろげた草の番もする。
無断で入るやつぁ追っ払う。


「マン島の黄金」
アガサ・クリスティー
中村妙子・他訳
早川書房


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