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●ミカエルさんのHPより

最近あなたの声が聞えにくい事があります。そして聞えるのではなく、体の中から湧き起こってくる強い思いがあります。確実に声として聞こえてきた方が安心なのですが。

「それを安心と言うのだろうか?
ただあなたが責任ということから逃げているのではないのではないか?
あなたは私との関係に矛盾を提供しているのに気がつかないのか?」

責任と矛盾ですか?

「良く考えてみなさい。あなたは私と一体になることを望んでいる。」

確かにあなたと一体になれたらいいなと思っています。

「だから、私はあなたと一体になることを実行に移し、あなたの体験としようとしているのに気がつかないのだろうか?私の声が聞こえているうちはあなたと私の距離が離れているという事になる。あなたが親しい友人と話しているのと同じなのだから。あなたと友人がいくら近くても、肩を寄り添うように近づいてもそれは別の人間であって一体になっている状態、つまり一つにはなっていないことに気がついて欲しい。そしてあなたは私の声を聞いている間はあなたは私と対等ではない。あなたは私を友人としてではなく、あなたに忠告を与える教師として私と接しているのに過ぎない。あなたは私の声をあなたの声では無いと思いつづける限りは、自分の発言に責任を持たなくて良いことになる。高次の声がそう言ったと言えば良いのだから。あなたはあなたの発した声に責任を持たなくてよいことになる。あなたの社会では自分の発言に責任を負う必要はないのだろうか。あなたの社会はそんな仕組みになっているのか。」

いいえ決してそんな事はありませんが…。

「話を戻そう。あなたは私と一体になることを望んだ。そして経験したいと言いながら、真の一体感が実際に訪れてみると不安だという。これは責任逃れと矛盾ではないのか。あなたは私とともに生きることを選んだ。その上に私との一体になることを願った。私はあなたの願いをかなえようとしている。」

確かにそうです。

「私とともに生きることを選んで、あなたと私との一体を望んだのはあなただということを忘れないで欲しい。そして私はあなたの願いをかなえようとしている。あなたを驚かせないようにあなたの望む方法であなたに接して、あなたとのコミュニケーションを保ってきた。そして望むとおりにあなたと重なり合おうとしているのだ。あなたは私に私の手となり足となり、そして私の言葉を語り私の意識を伝えて生きると誓ったではないのか。やっとそのときが来ているのを思い出しなさい。約束の時が来ているのを思い出して欲しい。あなたはそのために何回もの人生を私に向かう形ですごしてきたはずだ。信心深い教徒として過ごしたこともある。あるときにはあまりのも熱心過ぎるあまりに厳しい人生を送ってきたこともあったようだが、今のあなたになるのには必要なことだった。今のあなたがここにいるのはそれら経験の上に成り立っているのだから。私はあなたの望む形であなたと重なり合う。そしてだんだん私の声があなたの耳に届かなくなるだろう。」

どうしてですか?

「あなたと私の距離はあなた自身が決めている。私はあなたが気がつかなくても常にあなたとともにいた。今までもそしてこれからもずっとだ。あなたがかつて一人であったことは一度もない。そしてあなたは私と一体になることを望んでいる。私はそれに応える。あなたと私の距離が少しずつ近づくということだ。あなたがあなたと私との関係を良くしようとして、私達の時間を十分にとってあなたは自分をクリアにしようと努力している。それを繰り返し、あなたと私とのパイプが強くなればなるほどあなたの状態は私を受け入れやすくなるだろう。どんどんすすみなさい。あなたが私との一体を望むのならどんどんあなたの中いらないものを探し出しあなたの中から排除しなさい。あなたの状態がクリアになればなるほど私との距離が縮まる。あなたと私が近づく、限り無く近づく。あなたと私が少しずつ触れ合い、やがて重なり始める。私とあなたが重なり始めたときに、あなたに私の声は届かなくなる。あなたの声が私の声となるからだ。」

でもどうやったらそれがあなたの声だとわかりますか?普通の人にしてみればそれは私の声に過ぎないのではないのですか。

「普通の人にとってはそう聞こえるかもしれない。だが、わかる人にはわかる。目覚め始めている人達にはわかるはずだ。あなたの声を必要としている人のことだ。言葉の音の上ではあなたの言葉だ。発音も言葉遣いもあなたのものだからだ。しかし、言葉の中には心の奥底に響くものが含まれている。あなたの声を必要としている人の心の奥には届くはずだ。その人の魂はゆさぶられるはずだ。今あなたはこれを書き記していてわくわくしないか。鼓動が速くなり、体が生き生きしてこないか。それが魂に届くということだ。そしてそれが私の声だというしるしだ。魂は本物がわかるのだ。あなたの声を必要としている人もおなじように魂が震えるだろう。心の奥底で探していたものに出会ったことに気がつくだろう。何も心配することは無い。ただ語れば良い。あなたの想いを語れば良いのだ。気をつけなくてはいけないのは、あなたが常に私を受け入れている状態でいるということだ。相手を気遣うのではなく、あなたの憶測を捨てて言葉の流れるままに語りなさい。しかしエゴがあってはならない。自然に流しなさい。きれいな水が高いところから低いところに流れるように。流せば流すほどあなたの言葉は私の言葉となる。小さな流れがやがて大きな流れになるように。そしてあなたの魂の動きにも注意を払いなさい。わくわくしているか。どきどきしているか。ちゃんと喜びを感じているのか。それらがすこしでも薄れてきたら、語るのをやめなさい。あなたと私が距離が離れ始めているというしるしだからだ。立ち止まり私のことを思い浮かべなさい。感じなさい。あなたのまわりに私がいることを。そして私があなたの中にもいるということを思い出しなさい。またあなたの魂が震えてくるのがあなたにもわかるはずだ。十分にあなたの魂に喜びが満たされるのが感じられたら、また語り始めなさい。あなたの言葉を私の言葉として。」

何を語れば良いのでしょう?

「あなたの感じるままに。あなたの感じる私をそのまま語れば良いのだ。私はあなたの中にいろいろな形で語りかける。あなたの中に沸き起こる感情として、あなたの中に浮かぶヴィジョンとして、あなたの出会う人の中に、あなたの読む本の中に、あなたの見る映画の中に…。ありとあらゆるものの中に私は働きかける。そして語りかける。あなたの接するものすべての中に私は存在してあなたに働きかける。あなたはあなたの周りのすべての中に私を探し、感じたままをそのまま私の言葉として語れば良い。もちろん、あなたの中に私がいるという事も忘れないで欲しい。」

しかし私には知識がありません。

「どうして知識が必要なのか。何のための知識なのか。私とコミュニケーションを取るのに知識が必要だと思っていたのなら、今までに私と上手くコミュニケートできなくても不思議ではない。まあ、最低限の知識は必要かも知れないが、ほとんどは必要無い。もし知識が必要だというなら私とコミュニケーションを取るのは単に知識の多い偉い学者ばかりということになる。(あなたの周りにいる人と照らしあわせてごらん)それでは不公平ではないのか。一部の人には私が働きかけ、一部の人には働きかけない。そんな事があって良いと思うのだろうか。それでは今までに繁栄衰退をしてきた宗教と同じではないのかな。何か条件付でなければ救われないということに繋がるだろう。知識がないと私とコンタクトができず、天国には行けないと言いかえることも出来る。誰が優れていて、誰が優れていないということは無い。個々はすべて特別な存在であって、それぞれものだけにしか出来ない特別な役割を持っている。そう言った意味ですべての人は個々に特別であり、完璧である。だから個性があるのだ。あなたもあなたの役割がある。だからあなたには個性があり、同じ様にあなたもひとつの個として完璧なのだ。そして完璧なものしかこの宇宙には存在できないようになっている。物事に完璧さを見なさい。それは往々にして美としてあなたは捕らえることが出来る。不完全だとか美しくないものは無い。この宇宙の中には完璧なもの以外は存在しないからだ。ただあなたがそのものの美しさを理解できないだけなのだ。不完全に感じたり、美しく感じられないものに出会ったら、そこにこそあなたは美を見つける努力をしなければならない。その中にこそあなたにとって大切なものが含まれている。あなたにとっての真実か真実につながるものが含まれている。真実とはそんなものだよ。あなたの周りに溢れているものなのだ。それにあなたは勘違いをしているのではないかな。私はあなたに感じるままに語るように促した。あなたの感性を使って私を感じ取りそして表現すれば良いのだよ。知識を必要とするかもう一度考えてごらん。」

しかし、上手く周りに伝えるには知識が必要です。
そして私の言葉で納得させるには知識が必要になると思うのですが。

「あなたは知識にこだわるが、私は知識を伝えるようには言っていない。私はあなたに経験を伝えて欲しいと言っている。あなたを通じての私という経験を伝えて欲しいと言ってるのだよ。私は理論で存在しているわけではない。今のこのコミュニケーションもあなたの知識を通して行われているのかな?ただ感じたことを感じたままを伝えて欲しいのだ。ケーキの甘さを理論的に伝えることが必要だと思うのならそうしても良いのだが。」

私にそんな大それたことが出来るのですか?
私は人間として欠点ばかりあるように思うのですが。

「あなたがあなたの始まりであり、あなたがあなたの終わりであるという言葉の意味がわかるかな?」

良くわかりません。

「あなたはあなたであるということだ。あなたは生まれたときからあなただったし、今もあなた自身で在りつづける。そしてこれからもあなた自身で在るという意味だ。」

もう少し分かりやすくお願い致します。

「あなたは生まれたときには既にあなただったのだ。生まれるときあなたの魂があなたを選んできたという意味も含めて。あなたが赤ん坊の頃にも一人の人格をもっていたということだ。過去のあなたはあなたになりつつあったあなたであったわけではない。そして今のあなたもあなたになりつつあるあなたではない。既にあなたとして存在している。あなたは既に個として完璧なのだよ。」

どうしてもそう思えないのです。欠点ばかりが目に付いて、穴ばかりが目立つのです。

「それは穴でもないし欠点でもない。そして私にはあなたが欠点だと思っている穴を埋めることは出来ない。それはあなたに埋めるべき穴がないからだ。もし仮に穴があったとしよう。私がその穴をふさいだらどうなると思うのかな?」

きっともっとまともな私が出来あがるのでは。

「そんなことはない。あなたがあなたでなくなるということだ。あなたの個性が失われるということになる。それどころか全てのものの個性がなくなるということも意味するのだ。何の為にあなたが存在しているのか考えてみてごらん。あなたという個人が必要だからここに存在するのだよ。隣りの誰かでもなく、向かいの誰かでもなく、今ここにいるあなたが必要だからここに今存在するのだよ。あなたの欠点の穴がふさがれて、へこんだところが無くなって完全な球となったらあなたではないだろう。そして同じように全てのものが球になったらどうやってあなたはあなたで在りつづけるのかな。あなたの愛しい人はどうやってあなたを見つけるのだろう。あなたはあなたの愛しい人をどうやって愛するのかな?ジグソーパズルでもいい。もし全てのピースが正方形になってしまって描かれている図柄も同じになってしまったらパズルの意味があるというのだろうか。」


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