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●セスの言葉より

*現実の創造

「あなたは自分が見たい、感じたいと思っていることを実際に見たり感じたりする。あなたの知る世界は、あなたの期待が絵となって現れたものだ。人類が経験する世界とは、あなたたち一人一人の期待が集合的に物質化したものにほかならない。」

「経験というものは、心、精神、意識的思考と感情、そして無意識的思考と感情によって創り出されるものである。それらが組み合わさって、あなたたちにとっての現実を形成しているのである。」 

*真理

「真理というものは、一人の教師から別の教師へ、一つの教会から別の教会へ、あるいは一つの教えから別の教えへと渡り歩くことによって得られるのではない。自分自身の内面を見つめることによって見つかるのである。」

*生まれ変わり

「自分がある芝居で役を演じている役者だと考えてみるといいだろう。決して新しい喩えとは言えないが、的を得たものであることは確かだ。舞台は20世紀だ。あなた自身がその芝居の小道具や舞台装置、テーマを決めるとしよう。実際、脚本、演出から演技まで、芝居の制作に関わるすべてをあなたや、あなたと一緒に役を演じる人たちが全員で行なうのだ。ところがあなたは自分の役に熱中するあまり、自分が創りだした芝居のリアルさに目を奪われて、自分の役が演じる問題や挑戦、希望や悲しみに夢中になってしまい、自らがそれを創りだしたことを忘れてしまうのである。

無数の喜劇や悲劇に彩られた、非常に感動的なこの芝居こそ、個人的にも、集団的にも、あなたの今の人生や環境に喩えることができる。しかし、他にも同時に進行している芝居がいくつも存在し、あなたはそれらの芝居の中でも役を与えられているのだ。それらの芝居にもそれぞれ背景となる場面や小道具があり、異なった時代設定の中で演じられている。その中には『12世紀の生涯』とか『18世紀の生涯』、あるいは『紀元前500年』、『西暦3000年』という題がつけられているものもあるかもしれない。あなたはそれらの芝居も自分で制作し、その中で役を演じるのである。これらの芝居で設定されている場面は、あなたの環境、あなたの人格全体を取り巻く環境を表している。

だが私が話をしているのは、今この時代の芝居に出演しているあなたのことだ。全体的な人格の一部であるそのあなたは、この芝居にあまりにも深くのめり込んでいるので、自分がやはり役を演じている芝居が他にもあることに気がついていないのだ。あなたは自分自身が多次元的な存在であることを理解していない。したがって同時に多数の人生を生きているのだ、と私が言っても、異様でとても信じられないと感じられるだろう。自分が2つの場所に同時にいることさえ想像するのが難しいのに、まして同時にいくつもの時代に生きているなどということはとても受け入れ難いだろう。」

*意識

「意識とは花びらのたくさんついた花のようなものである」(セッション4より)

「あらゆるエネルギーの中には意識がある...この単純な事実を受け入れるだけで、きみたちの世界は確実に変わっていくだろう。」

*過去・現在・未来、可能性の自己

「人生のある段階で、何らかの決断を下さなければならないのだが、どちらへ向かって進めばいいのか分からないとする。自分の目標から急にそれてしまう危険を感じているのに、何らかの理由で、心は一方に強く傾いている。すると突然、夢や空想の中で自分の最初の意志に従うようにと、はっきり告げる心の声を聞くことがあるだろう。あるいは衝動やヴィジョンで、またはただ単にするべきことが急にわかるという形で、同じ情報を受けとるかもしれない。こうしたことはあなたにとっての現在で起こるのだが、言い換えれば、あなたが未来へと向かって投影した自己が、今のあなたからすればまだ創造することができる、可能性として存在するリアリティーからあなたに励ましを送っているということなのだ。

しかし、その自分は焦点が合っている自らの現在から作用しているのであり、あなたは未来のいつの日にか、自分の過去を郷愁をもって振り返り、あの時自分は優柔不断で、決断力に欠けていたが、結局は正しい道を進んだんだな、と思い起こすことがあるかもしれないのである。『そうしておいてよかった』とか『今となってみれば、あの決断を下したことは何と幸運だったのだろうか』などと思うこともあるだろう。そう考えているときのあなたは、『かつて』過去の自分に励ましの言葉を送った未来の自己なのである」(セッション675より)

*人生と存在の意味

「自分の存在を正当化する必要などどこにもない。存在すること自体がその証明なのだ」「宇宙における自分の正当性を肯定すれば、たやすく、自然に他人と協調していくようになるだろう。それは自分自身の本質から出てくることだ。きみたちは自分自身であることによって、ほかの人たちも自分自身でいられるように手助けするのだ。自分が持っていない才能を羨ましがったりはしないようになる。したがってほかの人たちが持つ才能を心を込めて励ますことができる。自分自身の独自性にはっきりと気づいているので、他人を支配する必要もなくなり、他人に対して卑屈になることもなくなるのである」(セッション677より)

「私の声など聞く必要のない人たちも大勢いる。彼らは樫の木や小鳥達、そして自分自身の根源の声を聞いているからだ。あなたたち自身の心の声に比べれば、私など下手くそな模造品に過ぎない。しかしあなたたちは自分自身の声に耳を傾けようとはしないのだ。生命力や励まし、喜びはあなた自身に本来備わっているもので、自分自身の根源の泉から涌き上がってくるものだ。あなたたちは自分を守ってもらうために私を求める必要はない。何かに対して自分を守る必要などまったく無いのだ。こうしたことにあなたたちが気づけば、私はお役ご免ということにでもなるのだろうが、喜んで受け入れるつもりだ」

*善悪

「悪を憎むことは、単に新たな悪を生み出すだけである」

*戦争と平和

「平和は、戦争を憎む世代によってもたらされることはない。平和を愛する世代によってもたらされるのである」

* 感情、愛、憎しみ、攻撃性、暴力

「憎しみは放っておけば、長くは続かない。多くの場合憎しみは愛と似ている。というのは、憎しみを抱いている人は深い絆によって、その対象物に惹かれているからだ。憎しみはまた、コミュニケーションの手段でもあるのだが、けっして一定不変の状態にあるわけではなく、干渉されなければ自然に変化していくものだ」(セッション673より)

「もしあなたが憎しみは間違ったことであり、悪だと信じているとしよう。そして自分が誰かを憎んでいることに気づいたら、その感情を抑圧しようとしたり、他人ではなく自分に腹を立て、自らに振り向けようとするかもしれない。一方ではそんな感情など存在しないかのように振る舞うこともあるだろう。その場合には憎しみという感情のばく大なエネルギーをせき止め、それをほかの目的のために利用することはできなくなってしまうだろう」(セッション673より)

「きみたちがこれまで教えられてきたことに反するかもしれないが、憎しみがはげしい暴力を引き起こすことはない... 暴力の発生は心の中に深く根ざした無力感の結果であることが多いのだ」(セッション673より)

「思いがけず重大な犯罪を犯したり、衝動的に人を殺したり、あるいは一度に多数の死者が出るような事件を引き起こしたりする人は、ふだんはおとなしく、常識的な態度をとっていることが多い、実際、行儀の手本と見なされることもあるのだ。そういう人たちは、自らの性質の中にある自然な攻撃的要素を否定し、一瞬でも憎しみの徴候が現れると、それは悪であり、間違ったものだと見なしていたのである。その結果ついには、まったくふつうの反対意見を述べたり、社会的な因習にしたがって丁重に振る舞うという、自らが身に付けた行動の基準に反して行動することができなくなるのだ...心理的に彼らを解放することができるのは、大規模な爆発だけになってしまう。自分があまりにも無力だと感じているので、暴力という方法で大きな力を示すことによって自らを解放せざるを得なくなるのだ」(セッション673より)

…「セスは語る」ジェーン・ロバーツ著
ナチュラルスピリット社刊


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