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●まさこさんのメルマガ『がんから教わるワンショットセラピー』(2003/06/02/mon)より引用

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                             第166号
        がんから教わるワンショットセラピー
                          (2003/06/02/mon)
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  メルマガ創刊以来、ずっとメールを下さる平塚市内の中学校教師のS
 さんは妹さん二人が乳がんで、今週のメールは「下の妹が亡くなりまし
 た。校長に報告したら涙がこぼれました。葬式のために郷里の沖縄に向
 いますが、この悲しい知らせを、なぜ最初にあなたにしてしまうのか自
 分でもわからないが、とにかく知らせたくて…」という内容でした。
  
  今、丁度『納棺夫日記(青木新門著・文春文庫)』という詩人だが生
 活のために家族や親戚から蔑まれながらも、納棺の仕事をしているとい
 う人の日記をまとめたという本を読んでいて、下記の文章を読んだ直後
 にこのSさんからメールが届いたのも、意味深いことと思っています。

 『末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい。
  説法も言葉もいらない。
  きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側に
 いるだけでいい。』

  「末期患者」という言葉を「遺族」と言い換えてもいいと思います。
  あるいは「悩んでいる人」と言い換えてもいいでしょう。
  とにかく、青空の瞳の人に私も少しでも近づきたいと思います。



●音工房「宙」ねねさんの「おつきさんの日記」より

2003年05月29日(木) うそも方便

 うそをつくのは本当はいけないことだが、
 時と場合によっては、うそをついた方が
 良い結果になることもあると言う意味。
 「方便」はすべての人を仏の道に導くための、
 さまざまな手法・手段のこと。

今日、私がここに記したいことは
けして「ウソ」ということを指摘して非難したいわけではないことを
先にお断りしておきます。

「霊能者」について考えていました。
優れた霊能者というのはどういう方なのかと。

みなさんは驚くだろうが、私は「霊魂」を信じていない。
ただ、「想念」は信じている。
我々が見る場合の「心霊」は、「霊魂」ではなく
「想念」であると私は思っている。

もっと乱暴に簡単に言えば
「おばけなんかいるわけねーよ、あほか!」と思っている。

かく言う私は小さい頃から学生時代まで
マジで何人もの霊や魑魅魍魎などをビジュアルではっきりと見てきた。
この場合100%私の精神状態が不安定なときである。

そこら辺に存在するネガティブな「想念」と
私がシンクロしていまう場合だ。
これはあくまでも私の心がネガティブで
見ないでいい他人のビデオテープを取り出して見てしまったりする場合だ。
また、なんとなくその霊が言いたいことも分かったりとか
生きている人にその話をしてみたら
故人の過去、実際にあった話だったりとかいう場合もあるにはある。

でもこれは故人から話を聞いたのではなく、
生きているその人から取り出している情報に過ぎない。
取り出す。と言ってもその人が辛い思いをしていて
どうしても自分のせいにするには今はまだ苦しそうな場合、
今はもう存在しない「霊」の所為にしてしまった方が
人間って楽になれるってだけだったりする。
その人〜情報を取り出す。という意味では「ウソ」ではないが、
その人が苦しんでることとは実は無関係なので
そういう意味では「ウソ」だと言えるし、
私達はセッションでそうせざるを得ない場合もある。
それを私は「愛」と呼ぶ。
かといってそのままにする気はない。

その人が真実自分と向き合えるようになるまで
誰かの所為にしてしまってひとまず
「楽チン」になってもらうことからはじめるというだけのことだ。

そう考えると、やれオーラが見えるとか
やれ貴方の後ろに男の人が憑いているわとか
無責任に突きつけるタイプの霊能力者、
および、テレビ番組などで自ら苦しんでしまう霊能力者は、
自分自身なにか問題を抱えているし、なにかに苦しんでいるのだろうと、
まぁ、憶測の範囲だが思えてならない。

バランスの取れている人というのは
どんなネガティブな想いにも左右されない
適応能力と精神力をもっているものだ。
相手の肉体と心のために愛を持って方便を使っていく
そんな人が素晴らしい霊能者と言えると思う。

霊とのコンタクトは何のためにあるかというと、
霊に成仏してもらうためとかではなく
生きている肉体を持った者を楽チンにしたり
幸せにしたりするためにあるのではないかしら。
それは前世療法だったり、天使や神様の存在ととても似ている。
そういうものの存在がいかに我々を温かい想いに運んでくれるか。
「ありがとう!」と感謝できるかとかそういうことであって
そんなものが見えたからって凄いわけじゃない。
そういうものだと私は思う。

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