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聖フランシスコと一遍上人 |
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1. | なぜ両者が結びつくのか アッシジの聖フランシスコといえば、ジオットの壁画で「小鳥に説教する聖人」が大変有名です。映画好き音楽好きの方ならば、「ブラザー サン、シスター ムーン」の映画や主題歌を思い出すでしょう。 一方「一遍上人」といえば、「捨て聖」、踊り念仏などの遊行上人として有名ですが、とくに「一遍聖絵」が日本の絵巻物のなかでも、鎌倉時代の当時の実際の様子を忠実に記録している歴史資料として大変注目されています。 この二人が、なぜ結びついてくるのか。 |
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5. |
中世都市は、身分制原理と、金銭、財力の原理が確執しあう世界であったわけですが、そのいずれの原理からもはみだしてしまう多くの下層民がいました。身分制原理が徐々に衰退してゆくなかで、人々は解放されてゆきますが、金銭、財力の原理で虐げられてゆきます。 一方、11世紀末のグレゴリウス七世以降、ローマ教会は教皇を頂点とする支配機構を確立し、その力を末端まで及ぼすようになってきますが、皇帝との権力争奪にあけくれ、こうした下層民を救う力を持ちえませんでした。フランシスコが、目指したのは、そうした下層民の救済でした。とりわけ、もっとも蔑視されていた賤民層と呼ばれる人たちでした。 ジオット画「貧民にマントを与える聖フランシスコ」 |
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一方、一遍についても、網野善彦氏の「一遍聖絵」によれば、やはり「一遍の生きた13世紀後半という時期は、日本列島の社会の歴史の中で重大な転換期のはじまるころ」であったといいます。 一遍は、これら行き場を失った非人や女性など弱者の救済を目指して、我執を捨て阿弥陀仏への絶対帰依を説きます。「無所有という原始そのものに徹底して帰ることによって、新しい社会の動きの中に身を投げだそうとしていた」(網野氏)といえるのかもしれません。 |
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7. |
宗教運動は、「この世」を相対化し、死者(あの世)を含む人間の関係において、死と再生の循環に「命」の運動を見いだしてゆきます。「この世」はいつも「所有の原理」が支配する世界です。身分制原理の後には金銭、財力の原理が支配して来ます。 フランシスコと一遍の一種の宗教改革運動は、封建支配に反発するものまでとはなりませんでしたが、聖フランシスコは、ヨーロッパの歴史において、イエスの原始教団の生き方を再現した人として、その精神は現代にも受け継がれています。 |