古楽100-(1)(グレゴリオ〜ルネサンス)

1 グレゴリオ聖歌、ソールズベリー聖歌
グレゴリオなど聖歌は癒しの音楽といわれるが、何度も聞きたくなる歌というのは必ずしも多くない。繰り返し聞いたり謳いたくなる聖歌を挙げてみる。
 (グレゴリオ聖歌) 
◆サルヴェ・レジーナSalve,Regina
◆来たれ,造り主なる聖霊よ Veni Cretator Spiritus
◆過越のいけにえを Victimae paschali laudes
◆シオンよ汝の救い主を讃えよLauda Sion、
◆われは御身を敬虔にあがめAdoro te devote
◆偉大なる秘蹟Tantum Ergo
◆おお聖なる晩餐O Sacrum Convivium
◆アヴェマリアAve Maria
 (以下は、ソールズベリー聖歌)
◆すべての者の救い主なるキリストよChriste Redemptor omnium
◆世の救い主なる主よSalvator mundi,Domine
◆日の出より日が地に沈むまでA solus ortus cardine

*ソールズベリー聖歌:イギリスではカトリック時代から典礼でローマ式のグレゴリオ聖歌をそのまま歌わず、イギリス独自の性格を加えた典礼が行われていた。

2 スラヴ典礼音楽 「十字架挙栄祭」「四旬節と復活祭の聖歌」
スラヴ典礼はビザンツ典礼の流れをくむギリシャ正教の典礼である(スラヴ諸国において独自の民族的色彩のもとに発展したビザンツ=スラヴ典礼)。
楽器を使用しない、独特の旋律をつなぎ合わせた旋法という特徴がある。
大地の香りというか、海岸に打ち寄せる静かな波の音を聞くような、豊かでいつまでも聞き入っていたくなるような不思議な典礼音楽である。歌詞は、典礼だから祈りそのものであるが、祈りがこのような素晴らしい音楽のなかで行われることを大変羨ましく思う。
3 中世イギリスの歌  「夏は来たりぬ」「天使がひそかに」ほか
まだ多声音楽の中心がフランスにあった13世紀ころに、作者不詳の「夏は来たりぬ」など6声で輪唱による世俗歌がイギリスに存在していた。
音楽史上奇跡に近いといわれている。
民謡風の素朴なリズムが多声で躍動する。
この頃の数々のマリア賛歌の曲なども素朴で温かい。古楽の魅力は、この頃の民衆的な素朴な歌に原泉がある。「天使がひそかに Angelus ad virginem」はラテン語であるが、その英語版の「ガブリエルは天父から」や、「祝福あれ(Edi be thu)」などの小曲を聞くと至福の喜びを覚える
4 モンセラートの朱い本
スペイン・バルセロナ郊外のモンセラート山の黒い聖母像で知られるモンセラート修道院に伝承される14世紀の朱い写本(1399製作)には、巡礼者たちによって歌い踊られた10曲の歌が残されている。
民謡や賛歌などで、単旋律、2声、4声のポリフォニー歌曲もある。素朴で力強い旋律は大変魅力的である。
「声をそろえていざ歌わん」や「7つの喜び」などの掛け声のようなマリア賛美には、人々の素朴な一体感と喜びが伝わってくる。
「あまねき天の女王」は、時間が止まってしまったような、ゆったりした世界の中で満たされた響きを享受することが出来る不思議な曲だ。
5 ギヨーム・ド・マショー  「ダヴィデのホケトゥス 」
ギヨーム・ド・マショー(仏1300-1377)は、ポリフォニーの本格的なミサ曲を最初に作曲した人である。
一人の作曲家がミサの通常文をすべて作曲する「通作ミサ」の最古のものがマショーの「ノートルダム・ミサ」である。古楽の黎明期であるゴシック期は、ノートルダム学派(1160-1250)、アルス・アンティクワ81250-1320)、アルス・ノヴァ1320-1380)の3期間に分けられるが、マショーは、アルス・ノヴァの時代の中心的な作曲である。
マショーは、モテトゥスや世俗曲も作っていて、「ああこの苦しみ!どうして忘れられよう」などの面白い浮気女の歌などもあるが、音楽的に面白いのは、「ダヴィデのホケトゥス 」という器楽曲。ホケトゥス とは「しゃっくり」の意味。旋律が短い音譜に区切られ、それを複数で急速に交互演奏する技法で「しゃっくり」をしているみたいな感じになる。不思議な音の展開でなかなか楽しい。
(「ゴシック期の音楽」(A))
6 ダンスタブル  モテトゥス「聖霊よ、来たりたまえVeni Sancte Spiritus/創り主なる聖霊よ、来たりたまえVeni creator Spritus」
ジョン・ダンスタブル(英1390-1453)は、中世末期イギリスの最大の作曲家といわれ、大陸とイギリスの和声を融合しルネッサンス音楽誕生をもたらした人と言われている。
この曲は、中世音楽の手法である複雑なイソリズム(旋律を反復する一定の繰り返されるリズムに埋め込む手法)を用いている驚異的なモテトウスである。
二つのグレゴリオ聖歌のVeni Sancte SpiritusとVeni creator Spritusと前者の改編した曲に基づく4声を、反復するリズムにまさに埋め込みながら展開させる。Veni Sancte Spiritusが旋律の中心になっているものの、同時に違う複数の旋律、歌詞が展開し、不思議な曲である。
ダンスタブルは、天文学者、数学者でもあったというから、複雑な技巧もさもありなんというところか。
このほか  モテトゥス「サルヴェ・レジーナSalve,Regina」も美しい。
グレゴリオ聖歌の旋律にこだわらず自由に作った3声の曲。優しく淡々と歌われてゆ
く。
7 ギョーム・デュファイ   シャンソン「ああ,わが悲しみ」 
デュファイ(フランドル1400-1474)のシャンソンのなかでは、「もしも私の顔が青いなら」が、同名の彼の代表作のミサにその旋律が使われていることで有名であるが、数あるシャンソンのなかで一際印象的な旋律が、「ああ,わが悲しみ(Helas mon dueil)」である。現代のフォークソングにも通ずる叙情的な旋律は、一人だけのものではく、皆と悲しみを共有する旋律である。
ほかに、「「よい日,よい月、よい年」「新年の日」「もしも私の顔の青いなら」など。
8  オケゲム 「レクイエム」「けがれなき神の母Intemerata Dei Mater」
オケゲム(Johannes Ockeghemフランドル1410頃-1497)のレクイエムは、史上最古のポリフォニー・レクイエムといわれるものである。
中世のあいだは死者のためのミサは、グレゴリオ聖歌によって演奏されてきたが、デュファイやオケゲムによって初めて多声化された(残念ながらデュファイの曲は、残されていない)。
オケゲムの「レクイエム」章のひとつ(トラクトゥス)に詩篇42「鹿が谷川を慕うごとく」が取り入れられている。
「魂は神を慕いあえぐ」「お前の神はどこにいる」など神に見放されてしまう絶望の時期の詩である。
死という絶望を前に神の恵みを信ずる祈りを、嘆くことも叫ぶこともなく音楽は黙々と続く。
また、モテトゥス「けがれなき神の母Intemerata Dei Mater」は
聖母に関するモテットのひとつであるが、曲が大変美しい。
5声で歌われる。楽園を追われた人間の、「過渡的な存在」から天国という「永遠への国」への復帰という切なる願いは、やがて死に至る人間の深い祈り。カトリックの特有の文化であるが、罪深きエヴァの子である人間は、イエスへのとりなしをけがれない聖母マリアに哀願する。
9 ジョスカン・デ・プレ 「オケゲムの死を悼む晩歌」 「アヴェ・マリア」
ジョスカン・デ・プレ(フランドル、1440-1521)は、ルネッサンス音楽の最盛期の大作曲家の一人。
彼の作品のなかで、とくに美しいといわれる作品。
オケゲムの死を悼む曲が、オケゲムを引き継ぐデ・プレによって作られ、このように美しい5声によって歌われ、次世代へと音楽の調和の輪が広がってゆくことに感動する。
歌詞のなかに、次の世代の作曲家、ジョスカン、ブリュメル、ラ・リュー、コンベールの4名が出てくる。
またアヴェ・マリアは、グノーやアルカデルトなど旋律の美しいものが有名だしたくさんあるが、デ・プレのは多声音楽だから、ひとつの旋律ではなく、波のように、複数の旋律が調和して聞こえてくる。
マリアに託す多くの人々の祈りの声がそこにあるといった感じだ。穏やかで平和な時間に満たされる。)
10 ジョスカン・デ・プレ  シャンソン「千々の悲しみ」
ジョスカン・デ・プレ(フランドル、1440-1521)のシャンソン「千々の悲しみmille regrets」は、「天正の少年使節」が秀吉の前で演奏トしたとされる曲。
当時スペインなどで流行、神聖ローマ帝国の皇帝カール5世が大変好きだったことから「皇帝の歌」とも言われている。(この曲はモラレス、ゴンベール,ナルバエスなどが編曲している。)
この曲とは別にジョスカンには、「わが愛しき人Que vous ma dame」などのシャンソンがある。
グレゴリオ聖歌の一部が定旋律になっているモテトゥス・シャンソンなれど、繰り返し現れる切ない響きが印象的。
11 イザーク 「私は安楽に暮らせない」「インスブルックよ、さらば」(シャンソン)
イザーク((フランドル、1450-1517)は、デ・プレと並び立つ大家である。
「インスブルックよ、さらば」は、インスブルック冬季五輪の閉会式で歌われるなど、今も歌われていて有名であるが、「私は安楽に暮らせない」というシャンソンも、深いバスの音が心に染みてくる。何度聞いても飽きない一曲である。
12 イザーク モテトゥス「至高なる羊飼いよ」他
イザーク((フランドル、1450-1517)は、ジョスカン・デ・プレと並び立つ実力派でである。
シャンソンなどのほかに宗教音楽でも「使徒のミサ」や重厚なモテトゥスで聞くものを圧倒する。
モテトゥス「至高なる羊飼いよ」などは、重厚な中にも自然な伸びやかさがある。
また「あなたはまったく美しい」は、ハーモニックな調べの後半、何度もあらわれる沈黙があり、終息に向かい引き潮を聞いているような美しさがある。ほかに、「いとも賢きかの処女が」など。
13 オブレヒト  モテトゥス「祝されたまえり、マリア」「めでたし、十字架よ
ヤコブ・オブレヒト(フランドル1450-1505)は、ジョスカン・デ・プレの同時代者で、イザーク、ラ・リューなどとともに活躍。
オランダのユトレヒトでオブレヒトが楽長をしていたとき、高名なユマニストのエラスムスが少年聖歌隊員として歌っていたといわれる。
オブレヒトは平明な作風といわれ、モテトゥス「祝されたまえり、マリア」「めでたし、十字架よ」の2曲は、グレゴリオ聖歌などのプレーンチャントの複数の旋律と歌詞が4声、5声でそれぞれポリフォニックに模倣し合いながら歌われ大変楽しく聞くことが出来る。
14 ラ・リュ- 「レクイエム」
ピエール・ド・ラ・リュ-(フランドル1460-1518)は、オブレヒトなどとともにジョスカン・デ・プレの同時代者。
彼の「レクイエム」は、オケゲムのレクイエムに続く古いポリフォニーのレクイエムである。
この曲は、まるで死者を柔らかく包んで雲に乗せて送るような雰囲気がある。
音域が低いので、肉声と器楽の組合わせで演奏されることが多いがそこがまた魅力である。彼の作品中もっとも傑出したものとされているが、聞く人引き込んでゆくような不思議な優しさがある。このほか、モテトゥス「めでたし女王、哀れみ深きみ母Salve regina」は美しい小品。
15 ブリュメル 「エレミア哀歌」
アントワーヌ・ブリュメリ(仏1460-1520)は、ジョスカンなどと同世代の作曲家で、北フランス、ジュネーブ、イタリアなどで活躍した人であるが、余り記録もなく良く知られていない。
エレミア哀歌は、なにげない音の流れに、秘めた悲しみが漂うような感動を覚える曲である。
16 W.コーニッシュ「悲しみにくれて」「ああロビン」(世俗歌:キャロル)
W.コーニッシュ(英1465-1523)ルネッサンス初期のヘンリー8世時代の傑出した作曲家。
このような美しい曲が、この時代になぜ作られたのかと思われるほど印象深い。
特に「ああロビン」は有名で不思議な音がする曲であるが、それに劣らず、「悲しみにくれて」も、十字架に釘付けにされたイエスの受動の極限ともいうべき姿の悲しみを歌っている。
一方、コーニッシュは宗教曲であるモテトゥスも聞き応えのある作品を作っている。
「サルヴェ・レジーナ」「キリストの母なる処女よ、喜べ」など美しい曲があるが、「スタバト・マーテル」が傑作である。装飾的なパッセージと簡単なパッセージの繰り返す対比と幅広い音域が、多くの連なる山脈を俯瞰するような壮大で美しい流れを作り出している。
17  レリティエル   モテトゥス「ニグラ・スム」 
ジャン・レリティエル(仏、伊1480-1552)はジョスカン・デプレの弟子である。
彼のモテトゥス「ニグラ・スム」は、パレストリーナが、それをもとにパロディミサ「ニグラ・スム」として作曲していることから、注目されいるのであるが、レリティエルの素朴な美しさは胸に染み入ってくる。
「ニグラ・スム」は旧約のソロモン雅歌にテキストがあるが、「私は、色が黒いが美しい。だから王に愛されて、ご自分の寝室に導き入れられた。」という元来エロティックな歌詞が、主とマリアの詩に変えられていったもの。聖と俗が融合するおおらかさもある。
18 ニコラ・ゴンベール   モテット「命半ばにわれら死ぬ」世俗歌「兎狩り 
ゴンベール(フランドル1495-1560)は、ジョスカン・デ・プレの弟子であり、ジョスカンより不協和音などを積極的に取り入れた複雑なポリフォニを作っている。
モテット「ムーサたちよ嘆け」は、ジョスカンの追悼曲で不協和音などの効果がよく現れている代表例である。
ゴンベールは、自作のモテット「命半ばにわれら死ぬ」をもとに、パロディミサを作っている。
和声の、低音に深みと複雑な音の推移に魅了される。
「命半ば」というのは、「永遠の命」に対する言葉なのであろう。
「罪深いわれらに苦い死を与えないでくれ」という祈り歌。聖職者だったゴンベールは、預けられた少年を陵辱した罪に問われて、ガレー船での服役を宣告されたという。
最近のカトリック教会も同じような問題を起こしている。
教会は、世俗社会の関係に支配されていて、ペテロ、パウロの時代とは程遠い。
しかし,人間は「命半ばに」死んでも、音楽は、神への祈りの言葉として歌い継がれてゆくだろう。(cd:35)
また、ゴンベールはジャヌカンの「狩の歌」のような世俗の歌も作っている。
「兎狩り」がそれである。日本のデュークエイセスの「筑波山麓合唱団」思い起こさせる。
19 ジャヌカン  シャンソン「狩の歌」「鳥の歌」「女のおしゃべり」
クレマン・ジャヌカン(仏1485-1558)はフランスの世俗歌謡シャンソンの作曲家であるが、言葉に鳥や動物の擬音や擬態語を取り入れるとともに、市民の日常生活を描写した歌を作り出していて、その独特でダイナミックな音の世界に圧倒される。
「鳥の歌」「狩の歌」など鳥、動物と言葉の混成体が、四声の複雑な音の組み合わせで展開するその技は神がかりでさえある。無条件に面白いし、この時代にこのような優れた労作が数多く作り出されていたことにただただ驚くばかりである。  
20 モラレス  モテトゥス「より良き生活のうちに」「羊飼いたちよ、語れ」
クリストバル・デ・モラレス(西1500-1553)は、モテトゥスにおいて素晴らしい曲が多い。
すべてに劇的な表現力と抑制の調和が実現されている。なかでも、「より良き生活のうちに」「羊飼いたちよ、語れ」が一層心に滲み込んでくる。
「より良き生活のうちに」は、歌詞が、「人間は,埃から生まれ死して埃に返るにすぎない存在である。」打ち砕かれた謙虚な心こそが人間にふさわしいと悔い改めを求める。「羊飼いたちよ、語れ」は「キリストのご誕生を」と歌うくだりに、えもいわれぬ喜びが感じられる。
このほかのモテトゥス「キリストのしもべアンドレア」「ヤコブは嘆きぬ」など美しい調べに堪能できる。 
21 トーマス・タリス  「エレミア哀歌」
トーマス・タリス(英1505-1585)の「エレミア哀歌」は、ルネッサンス時代の英国における宗教曲の中でバードのミサ曲(3声、4声、5声)とともに特に美しいものとしてと知られる。
「エレミア哀歌」は旧約聖書に出てくる預言者エレミアが、紀元前6世紀、新バビロニアに滅ぼされたエルサレムの荒廃を嘆いたとされる歌である。原典のヘブル語で、詩の各節が、ABCのアルファベットで始まるように作られている。
「エレミア哀歌」は、タリスのほかにも、アントワーヌ・ブリュメリ(仏1460-1520),ホワイト(英1538-1574)やパレストリーナ(伊1525-1594)なども優れた曲がある。 
22 トーマス・タリス   「4声のミサ」、モテット、アンセム
トーマス・タリス(英1505-1585)は、「エレミア哀歌」で有名であるが 「4声のミサ」や数々の「モテット」、「アンセム」「ミサ」が聞き応えある。
バード(英1543-1623)とともに、エリザベス1世時代、カトリックから英国国教会のために、ラテン語から英語を用いて音楽を作ることを要請された時代の作曲家である。
アンセムとは、イングランド国教会の礼拝(サービス)のなかの短い合唱曲で、英国国教会版モテットのことである。彼のラテン語によるモテットにすばらしいものがある。
「祭祀たちは食を断ち」(38-4)「神に従わない者は」(38-8)「わが罪を消し去りたまえ」(39-10)など悔悛モテットは、「エレミア哀歌」に通ずる感動がある。他に(NAXOS)「聖なる宴」「世の救い主」[見よ奇跡を」「御身の手に主よ」なども美しい。
また、アンセム「If ye love me]は、たった数分の短い英語による曲であるが、ラテン語でなくても、優れた音楽が可能であることを示した一曲である。ヨハネ福音書でイエスが「聖霊を与える約束をする」件の歌詞であるが、英語による軽みと明るさが、ラテン語にない新しい祈りのトーンを生み出している。
 「4声のミサ」は、4声の比較的シンプルなまとまりの中で快いハーモニーが展開する。ゆったりした流れに美しいささやきが交叉する。特にグローリア、クレドが美しい。
「ミサ曲の心地よい響きは、人間の(和声的)肉体に神が音として受肉する」(ウイルフリッド・メラーズ)ことであり、ポリフォニーはより深い表現を作り出す。
23 アントニオ・デ・カベソン 「ディファレンシアス」「 ティエント」
アントニオ・デ・カベソン(西1510-1566 Antonio de Cabezon)は、モラレスなどとともにイベリア半島の大作曲家の一人。
フェリペ(カール)2世に仕えた盲目の宮廷音楽家でオルガンの作曲家ある。
スペインには古くからオルガンが使われてきたが、カベソンが16世紀,スペイン音楽にオルガン曲を開花させた。
彼は、スペインのバッハとも言われる。
「ディファレンシアス」は、変奏曲という意味である。
「騎士の歌」「イタリア風パヴァーナ」{ミラノ風ガリアリダ」などのディファレンシアス作品、およびべルソ(詩篇の1行につけた旋律をもとに作曲された対位法的楽曲)は、深い音楽の源流からこんこんと沸き出でてくるような素朴で新鮮な響きを感ずる。
また,カベソンには「ティエント」(スペインのオルガンの楽曲形式)の連作がある。
24 パレストリーナ「教皇マルチェルスのミサ」 
この曲は、ルネッサンス後期の大作曲家パレストリーナ(伊1525-1594)の代表作。
ルターの宗教改革でドイツ語による「コラール」が生まれ独自の教会音楽が育ってゆくなか、カトリックのミサの言葉が不明朗といわれた多声音楽を、言葉がよく聞き取れるという典礼の要請と芸術の完成度を両立作品として知られる。端正で明るく、透き通るような美しさがある。
また
「スタ-バト・マーテル」はペルコレージが有名だが、パレストリーナのこの曲も美しい。
調和した響きに、静かに打ち寄せる波のようなリズムがあり、おそらく聖母の極限の悲しみというべきの詩との緊張感が持続しているからであろう。
25 パレストリーナ  モテット「鹿が谷川を慕うごとく」「バビロン川のほとり」
パレストリーナ(伊1525-1594)の代表的なモテット。
詩篇42、詩篇137に基づくものであるが、バビロンの捕囚など、イスラエルが破壊され、神に見放されてしまう絶望の時期の詩である。敵を倒す神はもはやいない、ひたすら苦しみをともにしてくれる受苦の神がいるだけである。
聖書には、羊がよく出てくるが、鹿が出てくるのは珍しい。愚鈍で迷いやすい羊と比べ、繊細でひ弱なイメージがある。喉が渇ききっていてもどこかノーブルな鹿のように、パレストリーナの曲もやさしく美しい。
このほか、モテット「我は日々罪を犯しPeccantem me quotidie」も胸にしみいるような一曲である
26 ラッスス  「音楽は神の贈り物」他
ラッスス(フランドル1532-1594)は、パレストリーナとともにルネッサンス・ポリフォニーの完成者といわれる人である。
「音楽は神の贈り物」は6声部のモテトゥスであるが、ポリフォニーに深みがあり、調和のとれた美しい曲で、題名にふさわしい。
歌詞は「音楽は最高の神の贈り物であり、人を感動させ、神をも感動させる、音楽は激しい心を和らげ、悲しい気持ちを励ます。音楽は樹木さえ、また、恐ろしい野獣をさえ感動させる」というもの。日々古楽を聞く我々にとっても、音楽はまさに神の贈り物である。
また
「シオンよ汝の救い主を讃えよ」Lauda Sionは、グレゴリオ聖歌のセクエンツィア(続唱)の一つ。
この曲をベースにラッスス(フランドル1532-1594)が作曲した6声部のモテトゥス。
もとの聖歌にとらわれず、自由に作曲している。
この曲の言葉は、聖トマス・アクイナスによるものであるが、聖歌は聖体の祝日に歌われる。
ラッススのこの曲は20分以上、4部の言葉を歌いついで行くのだが、全く飽きることがない。
ポリフォリーの快い響きの中で音の流れに心を委ねることが出来る。
27 ラッスス 「レクイエム(5声)」
ラッスス(フランドル1532-1594)のレクイエムも素晴らしい。
ラッススのポリフォニーには、ナチュラルな美しさがある。
湧き出る泉の音をいつまでも聞いているような魅力がある。「レクイエム(5声)」は、グレゴリオ聖歌の「レクイエム」とポリフォニーによる声楽部が交差して歌われ、声楽部は常にグレゴリオ聖歌の定旋律を用いてポリフォニックに展開されていく。ラッススには4声の「レクイエム」もある。 
 
28 ロバート ホワイト 「エレミア哀歌」 
ロバート ホワイト(英1538-1574)は、トーマス・タリス(英1505-1585)より少し後の作曲家で、ヘンリ8世からエリザベス1世に変わる、丁度、宗教改革によってカトリックからプロテスタントのスタイルへの変更を余儀なくされた時代の人である。
特に、「エレミア哀歌」は、タリスの作品とともに傑作とされている。
20分を超える長い曲なれど、聞くものを少しも飽きさせない。悲しみに満ちた響きがグイグイと迫ってくる。
また、モテトゥスも素晴らしく「主、汝にこたえたまわんことを」、「光にして日なるキリスト」など美しく崇高な曲がある。
29 コヴェントリ・キャロル  「ラリ ルラ、小さき子よ」
コヴェントリ・キャロルとは、16世紀の英国のコヴェントリで歌われてきたクリスマスキャロルで、「ラリ ルラ、小さき子よ(July,july thou little tiny child)」は作者不明、「ララバイ(子守唄)」は、ウィリアム・バード(英1543-1623)の曲である。
いずれも単なる子守唄ではなく、マタイ伝に出てくるがヘロデ王がベツレヘムで行ったという大規模な幼児虐殺事件を描いていて、イエスの降誕に伴う幼児への鎮魂歌である。子守唄のやさしさのなかに、母親の悲しみが広がってくる。特にバードの曲は、5人の歌手によるポリフォニーであり、多くの母親の言葉にならない深い嘆きが聞こえてくるようである。
30 W.バード  コンソートソング(清らかな英国半島) 
W.バード(英1543-1623)は、ミサの名曲があるが、コンソート・ソングの作曲者としても素晴らしい。
コンソート・ソングというのは、ヴィオールの合奏(コンソート)の伴奏を持つ独唱、または2重唱の歌曲であるが、「清らかな英国半島Fair Britain isle」「喪服の天使in angel's weed」などを聞くと、死者を悼む哀歌,悲歌ということもあるが、胸に迫るものがある。「美しいスザンナSusanna fair」も美しい。また、「キリストは蘇りChrist rising again」コンソート・ソングが、小合唱に展開した賛美歌であるが、聞くものの心をとらえて離さない。
31 W.バード 「Sing joyfully unto God 」
「われらの力の神に向いて喜び歌い Sing joyfully unto God」 (詩篇第81編) は、W.バード(英1543-1623)の礼拝用アンセムのひとつ。アンセムとは、イングランド国教会の礼拝(サービス)のなかの短い合唱曲のことで、この曲は、一緒に歌いたくなる楽しい曲である。特に、「Blow the trumpet in the new moon(角笛を吹き鳴らせ、新月に)」という件りがくると、思わず口をついてしまう。この詩篇には、「(神が)雷の隠れたところで答える」というキーワードがあり、ルターの「隠れた神」という発想の典拠になったといわれている。つまり、苦しいときの神頼みというように、人間の都合で神が現れるという発想を強く彼は否定した。
また、「捕われ人を連れ帰ってくださいTurn our captivity 」(詩篇第126 編)も印象に残る作品である。
悲惨なバビロンの幽閉から帰還する喜びが「they shall come with jollity」という効果的な繰り返しの中で、表現されている。「涙とともに種撒く人は、喜びの歌とともに刈り入れる」といったこの詩篇の歌詞が素晴らしくじっくりとこの美しい曲を味わうことが出来る。
「アヴェ ヴェルム コルプス(めでたし まことの おんからだ)」といえば、モーツアルトの曲が合唱などで必ず歌われ有名であるが、バード(英1543-1623)の曲もすばらしい。
アヴェ ヴェルム コルプス(めでたし まことの おんからだ)というのは、カトリック特有の聖餐のパンとぶどう酒がキリストの体に変わるという秘蹟を祝う歌である。
おおもとのグレゴリオ聖歌は、最後に「ああ、愛するイエス、あわれみ深いイエス、マリアの御子イエス」と歌う時、子供のようなかわいらしさがある。
十字架にかけられたイエスの受苦が人間への愛の始まりであることを素朴に歌う。
バードの曲は、この後、さらに、「私をあわれみください」を付加し、何度もくり返えす。
静かに流れる短い曲であるが、聞くだけでその流れに溶け込んでゆくことが出来る
32 W.バード  「5声のミサ」
バード(英1543-1623)の代表作は、「3声のミサ」[4声のミサ」[5声のミサ」である。
いずれも余計な装飾がない端正な曲ばかりである。
あまりにも完璧なハーモニーでただただ聞き従う以外にないような面もあるが、音と音が組み合わさって作られる力強さにいつの間にか呑み込まれてゆく。
中でも「5声のミサ」は、熟達したポリフォニーに感動する。最後のアニュス・デーの美しさは格別である。
33 ヴィクトリア 「死者のためのミサ曲」
ヴィクトリア(西1548-1611)は、ルネッサンス期スペイン最大の音楽家。
教会音楽家でミサ曲のほかにも、「アベマリア」をはじめ印象深いモテトゥスが数多くある。
「死者のためのミサ曲」は、皇帝マクシミリアン2世の皇后マリア(フェリペ二世の妹)の死を悼んで作曲された。
レクイエムの単旋律聖歌を定旋律として他の5声がポリフォニックにからむ形で展開するが、悲しみやさまざまな感情を完全に昇華してしまうようなハーモ二ーが美しい。
34 ヴィクトリア レクツイオ「我が心は生活に疲れたり」 他
ヴィクトリア(西1548-1611)のレクツイオ「我が心は生活に疲れたり」は、ヨブ記10章1-7節から歌詞が採られている。
レクツイオというのは、朗読に曲をつけたものである。
聖務日課でヨブ記が歌われるというのは、結局は、自分のために神を求めているにすぎない、という応報思想への厳しい戒めである。
またヴィクトリアはグレゴリオ聖歌の交唱「アヴェ・マリア」をベースに4声と二重合唱のための「アヴェ・マリア」を2曲作っている。
前者は、グレゴリオの原曲がそのまま生かされた、デ・プレに劣らぬ美しいポリフォニーである。
後者は、マリアへの祈りを切々と歌う。
35 レヒナー  モテト「もし主の御手から恵みを得るならば」 ハスラー モテト「主よいつまで私を」
レヒナー(独1550-1606) ハスラー(独1562-1612)はルネッサンスからバロック移行期のドイツの重要な作曲家である。ルネッサンス期は、音楽の後進国だったドイツが、ルターの宗教改革とともに新たな歩みを始めた。ルターは<万人司祭>の理念から母国語によるコラールを誕生させた。以来、ルター→ラッスス→レヒナー→ハスラー→シュッツ→バッハへとプロテスタント音楽は台頭してゆく。
レヒナーのモテト「もし主の御手から恵みを得るならば」は、胸にずんと染み入ってくるような美しさがある。
歌詞の中に「主が与えられ、主が奪われる...、裸で生まれ、そこへ裸で戻る」といういだりがあり、神への素朴な気持ちを音楽が紡ぎ出している。
一方、ハスラーのモテト「主よいつまで私を」は詩篇13に基づいているが、ほかにも「おお何とすばらしい贖罪」「主、イスラエルの神よ」などすばらしいモテトがある
。ハスラーの「わが心みだれさわぎ」がマタイ受難曲のコラール「血潮したたる主のみかしら」に転用されている。
36 ジョバンニ・ガブリエリ   カンツォーナとソナタ
ジョバンニ・ガブリエル(伊1553-1612)は、ルネッサンスからバロックへの過渡期に、分割合唱、通奏低音などによる作曲をした人。
聖マルコ寺院における宗教曲集「サクラ・シンフォニア集1,2」が、当時のドイツのハスラー、シュッツ、M.プレトリウスなどへ影響を与え、初期バロックのドイツへの移植を促した。
分割合唱様式は、半世紀前の聖マルコ寺院楽長であったヴィラールトが開拓したヴェネツィア楽派の特徴であるが、ガブリエリにおいては、楽器、声楽を高度に配置した作曲が特徴。
「サクラ・シンフォニア集2」は、すべてがモテット。
「サクラ・シンフォニア集1」は、モテットのほか、器楽曲もあり、
「カンツォーナとソナタ集」は、逆に楽器楽曲のみ。
彼の「カンツォーナとソナタ」は、洗練された優しさあふれる音楽で、心が休まる。
とくに、4番、8番、13番、19番、21番など素晴らしい。
彼は、ラッソに学んでおり、当時のフランドル、イタリア、ドイツなど音楽の交流の密接さを感ずる。
37  G.アッレーグリ    「ミゼレーレ」
アッレーグリ(伊1552-1652)「ミゼレーレ」は、パレストリーナの「教皇マルチェルス」とともにヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に鳴り響いていたといわれ、その典礼でしか聞くことのできない秘曲だったそうである。
その秘曲を、ローマを訪れたモーツアルトが一度聞いただけで全曲書き写してしまったというエピソードがある。
天井の高い教会に、下から駆け上がって行く声が同時に上から降り注いでくるような極度な高音が繰り返される。
ミゼレーレMiserereというのは、部下を戦場に送りその妻を奪うという卑劣な罪を犯したダビデの悔い改めが素材になっている詩篇51篇「私を哀れんでください」が歌詞になっている。
罪を犯してしまう人間の悲痛な叫びを美しい音楽が包み込む。
38 トマス・モーリ  マドリガル「蕾にさえも悲しみは」他
トマス・モーリ(Thomas Morley英1557-16029) は、ジョン ウイルビー(Jhon Wilbye 英1575-1638)、トーマス・ウィールクス(Thomas Weelkes英1576-1623)とともに ルネッサンス音楽末期のイングリッシュ・マドリガルの作曲家として、なかでもモーリは主導的な立場にあった人である。
モーリは、当時のイタリア・マドリガルを範として作曲しているが、「今や五月」「蕾にさえも悲しみは」「4月は愛しい人のおもざし」「やさしいニンフが君の恋人を」など軽快な曲が多い。
「4月は愛しい人のおもざし」の歌詞がユニーク。(4月はやさしいひとのおもざし。その瞳には7月が宿る。胸元には9月。だがその心の奥には凍て付くつく12月。)
もともとイギリスには、13世紀頃からしっかりした固有の世俗歌曲の伝統があった。
その伝統に軸足を置いているのが、バードやギボンズなどである。ギボンズのマドリガル「しろがねの白鳥」は、美しい曲だが、歌詞が「この世に多いのは白鳥よりガチョウ、賢者よりも愚者の方が多い」となかなか辛らつ。
39 マレンツィオ  マドリガーレ「露に濡れた夜明け前に」他
ルーカ・マレンツィオ(伊1553-1599)は、ルネッサンス末期のイタリアの作曲家でマドリガーレの大家として知られる。
マドリガーレは、16世紀初頭からイタリアで現われた形式で、自由詩にあわせたメロディがポリフォニーで作られる。
ヴィラールト、ローレ、ジェズアルド、モンテヴェルディなどとともに代表的作曲家の一人。
イタリアの貴族社会の社交的芸術として栄え、ペトラルカ、タッソー、サンナローザなど、優れた詩人の詩をメロディー化しており、マレンツィオのドリガーレは大変、質のよい優れた曲が多い。
作詞者不詳の「露に濡れた夜明け前に」、サンナローザの詩「小さな天使」、ペトラルカの詩「愛の神がいつも」、タッソ「墓に着いて」など、詩も素晴らしく聞き応えがある。
40 ジェズアルド 「ミゼレーレ」
カルロ・ジェズアルド(伊1560-1613)は、モンテヴェルディと並ぶイタルア・マドリガーレの代表的作曲家。
妻と愛人を殺害した痛苦の人生を送った人のようである。
ミゼレーレMiserereというのは、部下を戦場に送りその妻を奪うという卑劣な罪を犯したダビデの悔い改めが素材になっている詩篇51篇によるが、苦渋の生涯を送ったジェズアルドにも特別な思いが込められているのかもしれない。ジェズアルドの「ミゼレーレ」には大変魅力的な深い響きがある。
41 スヴェーリンク オルガン曲「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリスト」他 
ヤン・ピーテルスゾン・スヴェーリンク(蘭1562-1621)は、17世紀初頭のオランダのアムステルダムの旧教会のオルガニストで、即興の名手とし、北ヨーロッパにその名を知られていた作曲家。
バロック鍵盤音楽の書法を開発し、その後展開するドイツオルガン音楽に大きな影響を与えている。
彼の門下生にドイツのシャイトやシャイデマンなどがいて彼らがドイツでオルガン音楽の種まき役をした。
「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリスト」はコラールの4つの変奏曲で、定旋律のコラールが音域の変化、対位法、フーガなどへと展開する。
ブクステフーデやバッハのオルガン小曲に同じ題名の作品(BuxWV196,BWV639)があるが、聞き比べると楽しい。
「わが青春はすでに過ぎ去り」は、多くの変奏曲の中でもっとも有名な作品。
ドイツの弟子を通じてもたらされた世俗曲の旋律をもとにした六つの変奏曲。
「わたしの若い命は終わってゆく.......私の悲しみも、こうして流れ去るのだ。」といった哀調を帯びた旋律。
その歌詞の通り、「流れ去る時間」を思いつつ静かに耳を傾けることが出来る素晴らしい一曲だ
「大公の舞踏会」は、イタリアの舞曲旋律に基づく四つの変奏曲で実に楽しい。
主題は、エミリオ・デ・ガヴァリエリのアリアの基づくものといわれている。
クラヴィオルガンによるCDもあり、屈託のない旋律と明るい変奏は、メルヘン的な魅力を味わうことが出来る。
42 ダウランド  リュート曲「涙のパバーヌ
ジョン・ダウランド(1563-1626)は、バードともに英国におけるルネッサンス音楽の代表的作曲家である。
主にリュート曲が中心。とりわけ有名なのが、「涙のパヴァーヌ(Lacrimae)」で、世俗歌「Flow my tears(流れよ我が涙)」を器楽用に作曲したもの。
ダウランドのリュートの曲には、「ダウランドの涙」「常にダウランド、常に悲しき」など「つねに悲しむ」をモットーとする作曲家である。
人間は、基本的に孤独であり、常に悲しい存在である。ダウランドの曲は、そんな人間の常態を、「爽やかな悲しみ」として表現してくれる。
ダウランドの曲はリュートひとつだけの独特の悲しみ坩堝の世界という感じがあるが、バス笛の効いたリコーダ合奏などで聞くとオルガン曲のような深みと厚みがる。
43 ドゥアルテ・ロボ  「レクイエム」
ドゥアルテ・ロボ(ポルトガル1565-1646)は、ヴィクトリア(西1548-1611)の影響下にあった隣国ポルトガルにおけるポリフォニーの第一人者である。
彼の「レクイエム」はヴィクトリアの「死者のためのミサ曲」に劣らず、まことに美しい。
彼らは、日本にキリスト教が伝えられた頃の作曲家である。当時、日本人の間でキリスト教が、急速に広まったのは、キリスト教の死者に対する丁寧な扱いがあったことが要因のひとつにあげられている。
信長、秀吉の頃、セミナリオ(神学校)を通して宗教音楽などが紹介されていたが、当時、平和裏に異文化交流が行われていたら、もう少し、日本の音楽や宗教も違った展開をしていただろう。
ロボの「レクイエム」のなかで、コンムーニオ(聖体拝領唱)のところで、「主よ、あなたは慈しみ深いかたですから(quia pius es)」のフレーズが、鳥の鳴き声のようにかわいらしい旋律で繰り返されるところがあり、とても心が安らぐ。
522;ア」を2曲作っている。
前者は、グレゴリオの原曲がそのまま生かされた、デ・プレに劣らぬ美しいポリフォニーである。
後者は、マリアへの祈りを切々と歌う。 35 レヒナー  モテト「もし主の御手から恵みを得るならば」 ハスラー モテト「主よいつまで私を」 レヒナー(独1550-1606) ハスラー(独1562-1612)はルネッサンスからバロック移行期のドイツの重要な作曲家である。ルネッサンス期は、音楽の後進国だったドイツが、ルターの宗教改革とともに新たな歩みを始めた。ルターは<万人司祭>の理念から母国語によるコラールを誕生させた。以来、ルター→ラッスス→レヒナー→ハスラー→シュッツ→バッハへとプロテスタント音楽は台頭してゆく。
レヒナーのモテト「もし主の御手から恵みを得るならば」は、胸にずんと染み入ってくるような美しさがある。
歌詞の中に「主が与えられ、主が奪われる...、裸で生まれ、そこへ裸で戻る」といういだりがあり、神への素朴な気持ちを音楽が紡ぎ出している。
一方、ハスラーのモテト「主よいつまで私を」は詩篇13に基づいているが、ほかにも「おお何とすばらしい贖罪」「主、イスラエルの神よ」などすばらしいモテトがある
。ハスラーの「わが心みだれさわぎ」がマタイ受難曲のコラール「血潮したたる主のみかしら」に転用されている。 36 ジョバンニ・ガブリエリ   カンツォーナとソナタ ジョバンニ・ガブリエル(伊1553-1612)は、ルネッサンスからバロックへの過渡期に、分割合唱、通奏低音などによる作曲をした人。
聖マルコ寺院における宗教曲集「サクラ・シンフォニア集1,2」が、当時のドイツのハスラー、シュッツ、M.プレトリウスなどへ影響を与え、初期バロックのドイツへの移植を促した。
分割合唱様式は、半世紀前の聖マルコ寺院楽長であったヴィラールトが開拓したヴェネツィア楽派の特徴であるが、ガブリエリにおいては、楽器、声楽を高度に配置した作曲が特徴。
「サクラ・シンフォニア集2」は、すべてがモテット。
「サクラ・シンフォニア集1」は、モテットのほか、器楽曲もあり、
「カンツォーナとソナタ集」は、逆に楽器楽曲のみ。
彼の「カンツォーナとソナタ」は、洗練された優しさあふれる音楽で、心が休まる。
とくに、4番、8番、13番、19番、21番など素晴らしい。
彼は、ラッソに学んでおり、当時のフランドル、イタリア、ドイツなど音楽の交流の密接さを感ずる。
37  G.アッレーグリ    「ミゼレーレ」 アッレーグリ(伊1552-1652)「ミゼレーレ」は、パレストリーナの「教皇マルチェルス」とともにヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に鳴り響いていたといわれ、その典礼でしか聞くことのできない秘曲だったそうである。
その秘曲を、ローマを訪れたモーツアルトが一度聞いただけで全曲書き写してしまったというエピソードがある。
天井の高い教会に、下から駆け上がって行く声が同時に上から降り注いでくるような極度な高音が繰り返される。
ミゼレーレMiserereというのは、部下を戦場に送りその妻を奪うという卑劣な罪を犯したダビデの悔い改めが素材になっている詩篇51篇「私を哀れんでください」が歌詞になっている。
罪を犯してしまう人間の悲痛な叫びを美しい音楽が包み込む。
38 トマス・モーリ  マドリガル「蕾にさえも悲しみは」他 トマス・モーリ(Thomas Morley英1557-16029) は、ジョン ウイルビー(Jhon Wilbye 英1575-1638)、トーマス・ウィールクス(Thomas Weelkes英1576-1623)とともに ルネッサンス音楽末期のイングリッシュ・マドリガルの作曲家として、なかでもモーリは主導的な立場にあった人である。
モーリは、当時のイタリア・マドリガルを範として作曲しているが、「今や五月」「蕾にさえも悲しみは」「4月は愛しい人のおもざし」「やさしいニンフが君の恋人を」など軽快な曲が多い。
「4月は愛しい人のおもざし」の歌詞がユニーク。(4月はやさしいひとのおもざし。その瞳には7月が宿る。胸元には9月。だがその心の奥には凍て付くつく12月。)
もともとイギリスには、13世紀頃からしっかりした固有の世俗歌曲の伝統があった。
その伝統に軸足を置いているのが、バードやギボンズなどである。ギボンズのマドリガル「しろがねの白鳥」は、美しい曲だが、歌詞が「この世に多いのは白鳥よりガチョウ、賢者よりも愚者の方が多い」となかなか辛らつ。
39 マレンツィオ  マドリガーレ「露に濡れた夜明け前に」他 ルーカ・マレンツィオ(伊1553-1599)は、ルネッサンス末期のイタリアの作曲家でマドリガーレの大家として知られる。
マドリガーレは、16世紀初頭からイタリアで現われた形式で、自由詩にあわせたメロディがポリフォニーで作られる。
ヴィラールト、ローレ、ジェズアルド、モンテヴェルディなどとともに代表的作曲家の一人。
イタリアの貴族社会の社交的芸術として栄え、ペトラルカ、タッソー、サンナローザなど、優れた詩人の詩をメロディー化しており、マレンツィオのドリガーレは大変、質のよい優れた曲が多い。
作詞者不詳の「露に濡れた夜明け前に」、サンナローザの詩「小さな天使」、ペトラルカの詩「愛の神がいつも」、タッソ「墓に着いて」など、詩も素晴らしく聞き応えがある。
40 ジェズアルド 「ミゼレーレ」 カルロ・ジェズアルド(伊1560-1613)は、モンテヴェルディと並ぶイタルア・マドリガーレの代表的作曲家。
妻と愛人を殺害した痛苦の人生を送った人のようである。
ミゼレーレMiserereというのは、部下を戦場に送りその妻を奪うという卑劣な罪を犯したダビデの悔い改めが素材になっている詩篇51篇によるが、苦渋の生涯を送ったジェズアルドにも特別な思いが込められているのかもしれない。ジェズアルドの「ミゼレーレ」には大変魅力的な深い響きがある。
41 スヴェーリンク オルガン曲「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリスト」他  ヤン・ピーテルスゾン・スヴェーリンク(蘭1562-1621)は、17世紀初頭のオランダのアムステルダムの旧教会のオルガニストで、即興の名手とし、北ヨーロッパにその名を知られていた作曲家。
バロック鍵盤音楽の書法を開発し、その後展開するドイツオルガン音楽に大きな影響を与えている。
彼の門下生にドイツのシャイトやシャイデマンなどがいて彼らがドイツでオルガン音楽の種まき役をした。
「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリスト」はコラールの4つの変奏曲で、定旋律のコラールが音域の変化、対位法、フーガなどへと展開する。
ブクステフーデやバッハのオルガン小曲に同じ題名の作品(BuxWV196,BWV639)があるが、聞き比べると楽しい。
「わが青春はすでに過ぎ去り」は、多くの変奏曲の中でもっとも有名な作品。
ドイツの弟子を通じてもたらされた世俗曲の旋律をもとにした六つの変奏曲。
「わたしの若い命は終わってゆく.......私の悲しみも、こうして流れ去るの