古楽100-(2)(バロック)

44 モンテヴェルディ [マニフィカト]他
モンテヴェルディ(伊1567-1643)は、バロック期初期の巨人である。
聖務日課用の大作「聖母マリアの夕べの祈り」が有名であるが、この中でも、その終曲であるマニフィカトが美しい。マニフィカトは2種類作曲されていて、ひとつは7声の合唱と器楽によるもの,もうひとつは6声の合唱と通奏低音だけのものである。この後半の通奏低音だけのものが、とりわけ美しい。
マニフィカトというのは、「賛美する」という意味であるが、受胎告知を受けたマリアが神を賛美する歌である。
「主は、この賤しい主の卑女(はしため)にも目を留めてくださった」とマリアが歌う可憐な声が、そのまま聞こえてくるような素敵な一曲である。
通奏低音のオルガンが、歌をやさしく支える。
また、宗教的マドリガーレに「悲しみの聖母マリア」「マリアよなぜ泣くのか」といった美しい曲がある。
モンテヴェルディは、マドリガーレをポリフォニーから通奏低音つきの独唱歌曲に変化させ、この分野でのバロック音楽を確立したといわれている。
これらの曲も、歌詞重視のホモフォニックな流れに、不協和音、長調から短調への移行など変化にとみ、大変美しい。歌詞も、「十字架のイエスを嘆くマリア、そしてイエスの復活を告げるもの」で、人々の心は、敵を愛するという極限の愛に生きたイエスを再び蘇らせないではいられないのであろう。
45 モンテヴェルディ マドリガーレ集:「アリアンナの嘆き」ほか
モンテヴェルディ(伊1567-1643)は多くの優れたマドリガーレを残している。ヴェネチアのサンマルコ大聖堂の楽長を努め宗教曲を作曲する傍ら、いわばオフタイムにマドリガーレを作曲。ジェズアルドとともに代表的なマドリガーレ作者である。
モンテヴェルディは、マドリガーレ集を1~8巻まで作曲し、後半の5巻あたりから、マドリガーレを通奏低音つきの独唱歌曲に変化させ、この分野でのバロック音楽を確立したといわれている。「こうして死にたいもの」(4巻)「私の魂は」(5巻)→「あなたを愛しています、私の生命よ」(5巻)、「アリアンナの嘆き」(6巻)、「私はリラを奏で」(7巻)へと楽器の比重が増えてくる。そして「恋する者はみな戦士だ」(8巻)に至って、独唱,多声、楽器を駆使した変化に富んだ構成により集大成される。
なかでも6巻にあるマドリガーレ「アリアンナの嘆き」は有名で、オペラ「アリアンナの嘆き」の中のアリア(オペラの他の部分は、散失してしまったといわれる)で、ポリフォニックな要素は少なく、通奏低音つきの重唱歌曲という形になっている。ギリシャ神話の「アリアドネ(アリアンネ)とテセウス(テセオ)」を素材とした曲で劇的な表現が強くなってきている
46 M.プレトリウス 教会音楽「シオンのミューズたち」
ミヒャエル プレトリウス(独1571-1621)は、ドイツプロテスタントのコラールや賛美歌を編曲をした人として重要な作曲家である。
主要な作品は、教会音楽「シオンのミューズたち」と理論書「音楽大全」などである。ドイツでは、10年年上のハスラー、10年年下のシュッツ、シャイトなどと、また、イタリアのガブリエルなどとも交流があり、ドイツプロテスタントのコラールの展開とともに、教会コンチェルトの様式をドイツにもたらしている。
「シオンのミューズたち」では「マニフィカト」、「コラール」、モテット「来たりて主を喜び歌わん」「マグダラのマリア」「われ主を愛せり」など力作がある。
詩篇130による4声のコラール「われ深き苦しみの淵より汝に叫べり」はルターの賛美歌「貴きみかみよ悩みの淵より」をもとにしている。
モテット「来たりて主を喜び歌わん」は、分割合唱様式でガブリエリなどの影響がある。
また「マグダラのマリア」は、リコーダが絡んだ重唱で、中田喜直の「小さい秋」を連想させるフレーズがありなかなか楽しい曲である。
詩篇116にる「われ主を愛せり」は、ルター訳によるものであるが、死を取り扱った詩篇で、死後の世界には冷淡な旧約世界においては例外的に死者と神のつながりを歌っている。プレトリウスが自己の死を予感して作曲したと言われている。
47 ジョン・ウイルビー  イングリッシュ・マドリガル「甘き蜜吸うハチたち
ジョン ウイルビー(Jhon Wilbye 英1575-1638)は、 ルネッサンス音楽末期のイングリッシュ・マドリガルの作曲家。
イングリッシュ・マドリガルは、トーマス・モーリ(Thomas英1557-16029) をはじめジョン・ウイルビー、トーマス・ウィールクス(Thomas Weelkes英1576-1623)などエリザベス朝時代の宮廷作曲家達によって、イタリアの形式を真似て作られたが、イタリア程複雑で無く、英語にあったイギリス独自のものに発達させていて、多声だが和声を主体にした曲が多い。
中でもウイルビーの作品「甘き蜜吸うハチたちよ」「さらば愛しのアマリリス」「おいでやさしい夜」などは、卓越した美しさに加え、深い情感を感じさせる。聞くだけでなく、出来ることならば多声のコーラスに中で歌う喜びを分かち合いたい衝動に駆られる。また、ウィールクスの「太鼓を打ち鳴らせ」など印象に残る作品。
48 フレスコバルディ 「フィオーリ・ムジカーリ(音楽の花束)」
ジローラモ・フレスコバルディ(伊1583-1643)は、声楽界におけるモンテヴェルディと並んで、初期バロックの鍵盤楽器の最大の作曲家である。ローマのサン・ピエトロ寺院のオルガニストであり、聖歌に代わる典礼用のオルガン曲などを作曲し、弟子のフローベルガー(独1616-1667)を通して、ブクステフーデやバッハなどドイツのオルガン音楽に至る道を敷いたといわれる。後のバッハなどにも影響を与えている。
その「オルガン・ミサ」の代表作が「フィオーリ・ムジカーリ(音楽の花束)」である。トッカータ、キリエ、カンツォーナなど種々な作品からなる音楽の花束という意味。優しい響きのキリエやカンツォーナ、厳粛さをもったトッカータなど魅力的な作品が多い。『主日のミサ 』『使徒のミサ』『聖母のミサ』の3部分からなる。聞き応えのある作品群。
他にも彼のリチェルカーレ集、ファンタジア集、カンツォーニ集といったオルガン曲を聴いていると、リチェルカーレ2番、ファンタジア5番など、遠くから語りかけて来るような不思議な響きを感じて感銘する。
また、逆に、カンツォーナ5番などは、鳥の囀りなどが入った楽しい曲。
49 シュッツ 「音楽による葬送」

ハインリッヒ・シュッツ(独1585-1672)は、17世紀のドイツ音楽を確立した人でドイツ音楽の父と言われている。
大バッハ誕生100年前に生まれている。
受難曲やモテットを多く作曲している。「音楽による葬送」は、シュッツの領主であった伯爵に依頼されて作曲した埋葬儀式のための教会音楽で、ドイツレクイエムの最初の作品である。
この曲は、「裸で私は母の胎からでた。裸でまた、そこへ帰ってゆこう」という歌詞で始まり一貫して「主よ私はあなたを離しません。私を祝福して下さるまで」と死に打ち勝つ恵みを求め続ける。やや虫のよいストーリで聖句を寄せ集めた感があるが、歌詞を一つ一つ確認してゆくように曲が進んでゆき、死に臨む人に安らぎを与えるような音楽の世界が展開してゆく。

50 フローベルガー 標題音楽「哀歌」 ほか
ヨハン・ヤーコブ・フローベルガー(独1616-1667)は、初期バロック時代の鍵盤楽器奏者、作曲家でフレスコバルディの弟子で、イタリアの音楽をドイツに橋渡しをした。ブクステフーデやバッハに先行するドイツの重要な作曲家である。バロック時代の組曲の構成舞曲(アルマンド、ジーク、クーラント、サラバンド)を確立したとされる。彼には下記のような、いくつかの標題音楽があり組曲に組み込まれている。いずれも題名が面白く情感豊かな曲が多い。
●「皇帝フェルディナント3世陛下の痛切の極みなる死に捧げる哀歌」「ローマ王フェルディナンド4世の悲しき死に捧げる哀歌」
●「私の来るべき死についての瞑想」
ふわふわと未知の場所に登ってゆくような不思議な音楽である。
●「ブランクロシェ氏に捧げる、パリにて書いたトンボー」
トンボー(tombeau)とは、フランス語で墓石や墓碑のことを指すが、音楽用語においては、故人を追悼する器楽曲のこと。この曲は、階段から落ちてフローベルガーの腕の中で息を引き取ったリュート奏者の友人のために書かれたものであるが、曲の最後に下行音階があり、死因を象徴させているのではないかといわれている。標題音楽で、比喩的な作曲法を楽しんだのであろうか。
●「ロンドンで憂鬱を吹き払うために書いた不平」など
●組曲18番→標題がないが、甘い素敵なアルマンドに聞きほれる。
フローベルガーは、ヘルマン・ヘッセの小説「ガラス玉遊戯」の中で、主人公クネヒトが初めて出会う音楽名人のイメージとして取り上げられている。
51 フローベルガー 「トッカータ第11番(聖体奉挙のために)」他
フローベルガー(独1616-1667)については、組曲など標題音楽について取り上げたが、その中で「フローベルガーは、ヘルマン・ヘッセの小説「ガラス玉遊戯」の中で、主人公クネヒトが初めて出会う音楽名人のイメージとして取り上げられている。」と書いた。
ヘッセのフローベルガーへの思いは、標題音楽ではなく、ブクステフーデやバッハへ連なる荘重な鍵盤音楽のイメージを持っていたのではないかと思う。
彼の重厚さをイメージする音楽は、トッカータ、リチェルカーレ、カンツオーナ、ファンタジア、カプリッチョなどの作品群の方にある。トッカータ第11番(聖体奉挙のために)、カプリッチョ第2番、第6番、リチェルカーレ第2番,カンツオーナ第2番等一連の作品を聞くと、その深い響きに感動するとともに、イタリア、フランスの様式を取り入れてドイツの鍵盤音楽への道を開いた先駆的な働きを確認することができる。
52/53 ブクステフーデ   オルガン曲「パッサカリア ニ短調」「前奏曲 ト短調163」
ブクステフーデ(1637-1707)は,J.S.バッハ以前のドイツにおいて最大の教会音楽の作曲家といわれる人で、バッハに多大な影響を与えている。
ブクステフーデのオルガン曲には、プレリュード、トッカータなど沢山あるが、コラールやパッサカリアなどが、素朴で柔らかく聞く人の心に語りかけてきて印象的である。
特にパッサカリアニ短調は、ヘッセの小説「デミアン」の中で、「古いオルガン音楽のえり抜きの曲」で「この異様な深い沈潜的な、自分自身に聞き入っているような音楽に浸った。
それはいつ聞いても快く、心の声を正しとするような気分を一層強くした」と書かれている。このほか、シャコンヌ ホ短調も聞き逃せない作品の一つ。
また、「前奏曲 ト短調163」「フーガ ハ長調174」の2曲は、特に印象に残る作品である。
前奏曲 ト長調163」は、冒頭、大自然の鼓動を思わせる重厚な低音の旋律で始まり、深い世界へと我々を引き込んでゆく。芸術性の高い名作である。「フーガ ハ長調174」は、ジーグ舞曲のリズムによる可愛らしいブーガ。
断片的な小曲であるが、大変美しい。
54 ブクステフーデ  オルガン・コラール「いかに美しきかな暁の明星は」
ブクステフーデ(独1637-1707)については、パッサカリアのような壮大なオルガン曲の一方で、オルガンコラールの作品群は、素朴で美しい魅力がある。
「いかに美しきかな暁の明星は(BuxWV223)」「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリスト(BuxWV196)」「甘き喜びのうちに(BuxWV197)」「来たれ聖霊、主なる神(BuxWV199)」「今我ら聖霊に願い奉る(BuxWV208)」など。
バッハやパッペルベルなども同様にコラールに基づくオルガン曲を作っているが、ルター派のコラールの旋律には素朴な明るさと清らかさがあり、それをオルガンの多彩な音色が優しく歌う。大きな力に包まれる安らかさがある。「いかに美しきかな暁の明星は」は、クリスマス・コラールで、上述の他のコラールと異なり<コラール・ファンタジー>といわれ、定旋律から即興的な比較的自由な展開を見せる
55 シャルパンティエ     「真夜中のミサ」
マルカントワーヌ・シャルパンティエ(仏1643-1704)は、バッハより少し前のフランスの作曲家で、この「真夜中のミサ」は、クリスマス前夜の真夜中の曲。
当時、フランスで広く歌われていたノエル(クリスマスの歌)が、ミサ曲として仕立てられている。
合唱と器楽合奏で作られ、素朴な笛の音は牧歌的な雰囲気を出している。出だしのキリエを聴いた途端、その美しい安らぎのメロディに魅了されてしまう。
バッハの「マタイ受難曲」のコラールなどの響きとも違って、もっとフランス的な明るい美しさがある。いつまでもこのやさしい響きに浸っていたくなる曲である。
56 ビーバー  「ロザリオソナタ」

ハインリヒ・イグナツ・フランツ・ビーバー(チュコ1644-1704)は、17世紀屈指のヴァイオリンのヴィルトゥオーソ・作曲家」といわれる。
ザルツブルグの宮廷礼拝堂楽長を務めていたこともあり、「教会あるいは宮廷用ソナタ」「ロザリオのソナタ」「レクイエム」など宗教的な色彩の強いヴァイオリンソナタがある一方、「描写的なヴァイオリンソナタ」など、鳥や動物、戦いなどを描写した標題音楽なども作曲している。
マリアを主題とした「ロザリオのソナタ」は、パッサカリアやソナタ6番など高度の技法と深みのあるヴァイオリンの響きによって魂を揺さぶられる。パッサカリアには「守護天使」、ソナタ6番には、イエスが「できることならこの杯を遠ざけください。でも御心のままに」と祈る「ゲッセマネの園」が題材になっている。

57 ゲオルク ムファット  「シャコンヌ ト長調」(「調和の捧げ物」組曲

ドイツのプロテスタントのオルガン音楽において、バッハの先輩たちにブクステフーデやパッヘルベルなどがいるが、その当時の一人、ゲオルク ムファット(Georg Muffat独1653-1704)は南ドイツ オーストリアのカトリック系オルガン音楽を代表する作曲家である。
パリでリュリに、ローマでコレッリに学んでいる。ビーバーとも交流があり、ムッファトは汎ヨーロッパ的な人生を送っている。
この頃のトッカータ、パッサカリア、シャコンヌなどはフランス、イタリアの影響を強く受けている。
シャコンヌは、舞曲というより、和声的に明確な低音旋律の規則的な反復が永遠の調和を感じさせるものがある。オルガンよりも弦楽合奏で聞くとその感を一層強くする。
ムファットのシャコンヌも聞き応えのある長大な楽章である。

58 パッヘルベル  器楽アンサンブル「音楽の楽しみ」
ヨハン・パッヘルベル(独1653-1706)は、「カノンとジーグ」で有名であるが、バッハの父アンブロジウスと交流のあったオルガニストで、ブクステフーデなどともにバッハに影響を残した人である。
彼は、オルガン曲だけでなく、器楽アンサンブルの作品を書いた。
「音楽の楽しみ」もその一つで、宮廷での「食卓音楽」として演奏された「6 曲のパルティータ」からなる小アンサンブル作品である。「カノン」や5声、4声のパルティータなどとともに、題名どおり[音楽の楽しみ]を味わうことが出来る。4番ホ短調など特に素晴らしい。
59 パッヘルベル  オルガン作品集

パッヘルベル(独1653-1706)については、ブクステフーデとともにバッハに影響を与えたといわれるように、オルガン作品集に数々の傑作がある。
アポロの6弦琴、プレリュードニ短調、シャコンヌへ短調、ニ短調、リチュルカーレハ短調、さらにルターのコラールにより変奏曲「God the Father dwells with us」など。
プレリュードニ短調は、バッハを想起させる迫力のある曲想、
シャコンヌへ短調、ニ短調は聞く者の心をとらえて離さない。
リチュルカーレハ短調は、不思議な半音階に引き込まれてゆく。特に、プレリュードニ短調出だしの旋律がサンサーンスのヴァイオリン協奏曲3番を想起させ印象深い。
「アポロの6弦琴」は、ブクステフーデに献呈されたといわれる鍵盤盤楽器のための6つの変奏曲である。その中の一つ「アリア”ゼバルディーナ”と変奏」は、アリアの多彩な変奏が、オルガン音楽の音色の多様性と美しい響きを聞かせる。

60

マラン・マレ  ヴィオール曲「聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘の音」

マラン・マレ(仏1656-1728)は、ルイ14世に仕えたヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者であり作曲家である。
マラン・マレについて書かれた小説に、パスカル・キニャールという人の「めぐり逢う朝」がある。
マレの師コロンブとの共感、葛藤を描いたものであるが、この中で「音楽とは言葉では語れぬことを語るためにある。」「死者に残しておく一杯の水のため、、、、生まれる前の命のために。息もせず、光もなかった頃のために」といった師弟の会話があり、音楽の根源を考えさせる。
「聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘の音」は、マレの晩年の曲だが、「ファ・ミ・レ」の3音による鐘の音の連打に曲が展開する。奇怪で不思議な物語が始まりそうな音が進んでゆく。聖ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人。
61  パーセル 「組曲6番」「ラウンド0」「グラウンド」
ヘンリー・パーセル(英1659-1695)は、彼にはいくつかの優れたハープシコードの作品がある。
ちょっとしゃれた感じの「組曲6番」、哀愁を感じさせる「グラウンド」そしてブリテンの「青少年管弦楽入門」の主題にになっている「ラウンド0」など。
「ラウンド0」は、音そのものの喜びのようなものを感じさせるパーセル独特の自由奔放な世界がある。
62 パーセル  ファンタジア「第5番、インノミネ」「 ソナタ6番」
パーセル(英1659-1695)は、バロック時代の英国の大作曲家で、彼の「ファンタジア」には不思議な魅力がある。ファンタジアというのは、声楽曲で培われたポリフォニー技法を器楽曲に転用したもので、器楽曲が独自の道を始めた時の音楽である。テキストなしで思うままに旋律を作り出し独自の発想で練り上げてゆく。「声と言葉」から開放された斬新さ、音そのものの喜びのようなものを感じさせる。ファンタジアのどの曲も素晴らしいが、第5番とインノミネの2曲は何度も繰り返して聞きたくなる曲である。「インノミネ」はジョン・タヴァナ-のミサ曲の旋律をもとにいろいろな作曲家が作っていることで有名であるが、特にこのパーセルの曲が際立って印象深い。
ソナタのなかで、優れたシャコンヌを残している。ソナタ6番。
「シャコンヌ」とは、もともとバロック時代の舞曲で、4小節もしくは8小節からなる3拍子の主題を持ち、同一の低音音型に基づいて発展する変奏曲の形を持つ荘厳な曲。心に染み入る大変美しい曲。
パーセルのソナタといえば、何番のことなのか分からぬが、ヘルマン・ヘッセが小説「ガラス球遊戯」の中で、論争者との共通の接点を見出してゆこうとする時のきっかけとなる曲として導入しているが、複数のヴァイオリンが深い通奏低音の上で歌いあうところなど、これらのソナタが、ふさわしく思えてくる。
63 ドメニコ・ガブリエル  「ソナタ ト短調」「ソナタ イ長調」
ドメニコ・ガブリエル(伊1659-1690)は、バロック時代の作曲家でチェリスト。
「チェロのドメニコ」といわれていたようで、チェロの作品が面白い。
なかでも「ソナタ ト短調」「ソナタ イ長調」が印象に残る。ト短調は、のびやかで語りかけるように歌う、何か思い出が詰まった話をするような。
イ長調は、切なく美しい旋律と、軽快なリズムとが交互に展開し、緩急のチェロの魅力を味わうことができる。
64 ジュゼッペ・ヤッキーニ  チェロソナタ 
ジュゼッペ・ヤッキーニ(Giuseppe Maria Jacchini伊1663-1727)は、チェロの黎明期のチェロ奏者で作曲家、ドメニコ・ガブリエル(伊1659-1690)(186参照)に師事したといわれる。いくつかのチェロソナタが素朴で、哀愁を帯びた旋律が親しみやすい。また舞踏的なリズムの楽しさも魅力的だ。「ソナタ・ハ長調」、「ソナタ・イ短調」、「ソナタ・ト長調」などチェロならではの魅力が生かされ、いずれも飽きさせない。 
65 ヨハン・クリストフ・ペーツ  「パストラール協奏曲 ヘ長調」
パストラーレ(キリスト降誕の夜、牧童が笛を吹いたという聖書に基づき田園情緒を描こうとする)については、コレッリなど多くの作曲があるが、ドイツの作曲家ヨハン・クリストフ・ペーツ(独Johann Christoph Pez 1664-1716)のパストラール協奏曲ヘ長調。
ドイツ人であるが、イタリアでコレッリに学び、フランスのリュリなどの影響も受けている。
弦楽に2本のリコーダーが加わり、牧歌的な雰囲気を出している。
66

クープラン クラブサン曲「恋する夜うぐいす」「神秘な障壁」他

フランソワ クープラン(仏1668-1733)は、ラモー(仏1683-1764)とともに、フランスクラブサン学派の巨匠の一人。クープランの作品の標題に伴う情景描写が極めて印象的である。
たとえば「恋する夜うぐいす」「神秘な障壁」「修道女モニク」などの小曲をきくと、爽やかなイメージの詩のアニメ動画を見ているような錯覚を覚える。
特に響きを消した音を効果的に使った和声の展開が印象的である
67 ヴィヴァルディ   「スタバトマーテル」
ヴィヴァルディ(伊1678-1741)といえば「四季」があまりにも有名だが、宗教曲においてもすばらしいものがある。
彼は、もともと司祭でもあった。宗教曲といっても、劇音楽に興味を持っていたヴィヴァルディは、宗教的独唱とシンフォニア的なコンチェルトの組み合わせで作られている。
「スタバトマーテル(悲しみの聖母)」は、ペルコレージ、パレストリーナなど多くの作品があるが、ヴィヴァルディの場合も、十字架上のわが子に対し「人として泣かぬものがあろうか」という言い知れぬ悲しみに打ち崩れながらも、苦しみに耐えうる力を絶えざるリズムで支えてゆくような感動的な音楽である
68 ヴィヴァルディ   「調和の霊感
ヴィヴァルディ(伊1678-1741)の「調和の霊感」は12の協奏曲からなり、「四季」と並ぶもっとも有名な曲である。
彼は「赤毛の神父」の愛称を持つ神父で、孤児院付属の女子音楽院の教師として活躍し、この音楽院の演奏のために多くの作品が書かれたいわれている。
子供から大人まで音楽の調和の喜びに導くような明るさがあるのもそんなところから来るのかもしれない。
6番の独奏ヴァイオリンの曲が、ヴァイオリンを学ぶ子供の教則本に載っていて、この曲をより親しみのあるものにしている。このほか、5番、8番、9番、10番など躍動感、情熱、輝きなどヴィヴァルディの個性が遺憾なく発揮されている。
また、バッハが、3,8、9,10,11番などから多くの編曲もしていることも良く知られている。
それだけこの曲には、文字どおり「調和の霊感」が宿っている。
69 テレマン  「リコーダ協奏曲」 
テレマン(独1681-1767)といえば、同時代のバッハやヘンデルより当時は、人気と名声があった人である。
代表作は、「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」。さまざまな楽器を魅力的に鳴らし質の高い作品を大量に作り出しているのだが、ここで取り上げるのは「リコーダ協奏曲」。
バロック時代は、ヴィルトゥオーゾ楽器としてリコーダが人気があったが、テレマンのリコーダ作品を聞くと、リコーダの魅力が最大限に引き出され精気がみなぎっている。ハ長調、ホ短調、ヘ長調、組曲イ短調など傑作が多い。中でもホ短調は、リコーダーとフルートの協奏曲。近くて異なる2つの楽器の組み合わせが微妙な味を醸し出す。
百科全書的で深みに少し物足りなさを感じがちなテレマンの音楽のイメージを払拭する
70 ラモー  「クラブサン集」
ジャン・フィリップ・ラモー(仏1683-1764)は、ジャン・ジャック・ルソー時代のオルガニスト、作曲家、音楽理論家でもある。音楽理論では、近代和声学の基礎を築いた人として知られる。
「クラブサン集」には、「第1」、「第2」、「新」と3集あるが、いずれのどの曲も聴く人を退屈させない。
舞曲がベースになっていることや標題音楽などが楽しさを増す。
すべてが空気のようであり、さわやかな風が耳元を駆け抜けてゆく。
特に第2集の、標題音楽の「小鳥たちの集合ラッパ」「リゴドン」「タンブラン」「恋のくりごと」「ソローニュのお人好し」、新曲集の「ガボットとドウブル」「めんどり」「未開人」「ジプシー」など楽しい。
これらの、聞く人を飽きさせない音楽の秘密はどこにあるのだろうか。
71 D. スカルラッティ  「ソナタ集」
ドメニコ・スカルラッティ(伊1685-1757)は、ヘンデルとチェンバロの腕試しをした逸話がある名手であり、「555のソナタ」を残している。
バッハ、ヘンデルと同じ年の生まれである。
彼のソナタは、フラメンコの踊りやギターの音楽を思わせる音型、両手の激しい対話、憂愁を漂わせる響きなど多彩であり、飽きさせない魅力たっぷりの曲集である。
特にK132ハ長調,K501ハ長調などが印象深い。
72 ヘンデル  詩篇歌「主はいわれたDixit Dominus」
詩篇110番「主はいわれたDixit Dominus」は、ダビデの詩による賛歌であり、マタイ福音書でイエスがこの言葉を語っている。
「主はいわれた。”私の右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足元に屈服させるときまで”と」。イエスが現世におりて人となり、受難して再び昇天するするまでの間の、イエスに対する神の言葉としてとらえられている。この詩篇歌で、ヘンデル(英1685-1759)に勝るものはないであろう。出だしの畳み掛けるようなリズムにすっかり魅了されてしまう
73  ヘンデル  「リコーダソナタ」
ヘンデル(英1685-1759)の作品のなかで、「リコーダソナタ」は、多くの人に愛されている。
リコーダを吹くアマチュアにもプロにも。
曲が明るく、気持ちを平和な調和の世界に整えてゆく。とにかく旋律に無理がなく単純で質素なのであるが、内実が豊かで聞き手の心を満たしてくれる。
ソナタハ長調、イ短調、変ロ長調をはじめ、トリオソナタなどもより豊かな表現力を伴って、リコーダと通奏低音の、他の楽器にはない魅力的な雰囲気に浸ることが出来る。
74 ヘンデル ハープシコード組曲
ヘンデル(英1685-1759)のハープシコードの作品には、魅力的な曲が多い。
ヘンデル自身、ドメニコ・スカルラッティとハープシコードの腕試しをした逸話があるほどの名手である。
「調子のよい鍛冶屋(組曲第5番)」は、もっとも有名でありいつ聞いても楽しくさせてくれる曲である。この原曲は「シャコンヌ ト長調」の主題と変奏にある。
ヘンデルは、ハープシコードにおいて霊感を得た音楽を伝えようとしたといわれるが、彼のリズムや音の展開には湧き出る泉のように心の乾きを潤してくれるものがある。
このほか組曲としては、第4番(ニ短調)、第1番(イ長調)、第7番(ト短調)など印象的である。
特に4番ではコレッリのラ・フォリアを想起させる和音のサラバンド、第1番では、ガルッピを思わせるアルマンド、第7番ではパッサカリアに不思議な魅力がある
75 ルクレール  「ヴァイオリンソナタ」第4巻作品9-10

ジャン・マリ・ルクレール(仏1694-1764)は、「フランスのコレッリ」と呼ばれている。
ラモー(仏1683-1764)と同世代のルイ15世時代のヴェルサイユ学派で、ヴァイオリンをコレッリの高弟に師事している。彼の華麗で繊細な音楽は、音楽と舞踊の結びつきから来ている。彼はイタリアで若き頃舞踊手でもあった。「ヴァイオリンソナタ」1巻から4巻まで48曲を作っているが、すべての「ヴァイオリンソナタ」に舞曲風のステップが刻まれ、優雅で美しい。第3巻作品5-7などは、タルティーニの「悪魔のトリオ」を思わせる旋律もある。
晩年にオランダの王女に捧げたという第4巻作品9-10は、美しく味わい深い。

76  ガルッピ  チェンバロ「ソナタ5番ハ長調」

バルダッサーレ・ガルッピ(伊1706-1785)は、後期バロック期のオペラの作曲家であるが、大変魅力的なチェンバロのソナタを残している。チェンバロ「ソナタ5番ハ長調」は、ミケランジェリのピアノ演奏で有名になったが、曲の鳴りはじめた瞬間からその旋律に引き込まれてしまう。
この美しいチャーミングな旋律は、ミケランジェリのピアノ演奏で聞くと、もはやバロックではなく、モーツアルトなどに近いが、チェンバロの演奏は、もっと素朴で別な味わいがある。
77 ペルゴレージ    「スタ-バト・マーテル」
ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(伊 1710-1736 後期バロックのオペラ作曲家)は、バッハより25年後の世代だが、26歳の若さで亡くなっているため、彼より早く世を去っている。
「スタ-バト・マーテル(悲しみの聖母)」は、グレゴリオ聖歌のひとつで、十字架のイエスの足元でマリアがわが子を嘆く悲痛な詩である。
グレゴリオ聖歌は、やや単調な歌であるが、ペルコレージのこの歌は、悲しみの中に明るさもあり、まことに美しい。パレストリーナも美しい「スタ-バト・マーテル」を作っているが、ペルゴレージの魅力には及ばない。
絵画や彫刻で言えば、ミケランジェロなどのイエスを抱くマリア像「ピエタ」などに相当するが、人間の極限の悲しみを表現する難しさがあり、音楽でも、絵画でも秀作は多くない。
011;を見ているような錯覚を覚える。
特に響きを消した音を効果的に使った和声の展開が印象的である 67 ヴィヴァルディ   「スタバトマーテル」 ヴィヴァルディ(伊1678-1741)といえば「四季」があまりにも有名だが、宗教曲においてもすばらしいものがある。
彼は、もともと司祭でもあった。宗教曲といっても、劇音楽に興味を持っていたヴィヴァルディは、宗教的独唱とシンフォニア的なコンチェルトの組み合わせで作られている。
「スタバトマーテル(悲しみの聖母)」は、ペルコレージ、パレストリーナなど多くの作品があるが、ヴィヴァルディの場合も、十字架上のわが子に対し「人として泣かぬものがあろうか」という言い知れぬ悲しみに打ち崩れながらも、苦しみに耐えうる力を絶えざるリズムで支えてゆくような感動的な音楽である
68 ヴィヴァルディ   「調和の霊感 ヴィヴァルディ(伊1678-1741)の「調和の霊感」は12の協奏曲からなり、「四季」と並ぶもっとも有名な曲である。
彼は「赤毛の神父」の愛称を持つ神父で、孤児院付属の女子音楽院の教師として活躍し、この音楽院の演奏のために多くの作品が書かれたいわれている。
子供から大人まで音楽の調和の喜びに導くような明るさがあるのもそんなところから来るのかもしれない。
6番の独奏ヴァイオリンの曲が、ヴァイオリンを学ぶ子供の教則本に載っていて、この曲をより親しみのあるものにしている。このほか、5番、8番、9番、10番など躍動感、情熱、輝きなどヴィヴァルディの個性が遺憾なく発揮されている。
また、バッハが、3,8、9,10,11番などから多くの編曲もしていることも良く知られている。
それだけこの曲には、文字どおり「調和の霊感」が宿っている。
69 テレマン  「リコーダ協奏曲」  テレマン(独1681-1767)といえば、同時代のバッハやヘンデルより当時は、人気と名声があった人である。
代表作は、「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」。さまざまな楽器を魅力的に鳴らし質の高い作品を大量に作り出しているのだが、ここで取り上げるのは「リコーダ協奏曲」。
バロック時代は、ヴィルトゥオーゾ楽器としてリコーダが人気があったが、テレマンのリコーダ作品を聞くと、リコーダの魅力が最大限に引き出され精気がみなぎっている。ハ長調、ホ短調、ヘ長調、組曲イ短調など傑作が多い。中でもホ短調は、リコーダーとフルートの協奏曲。近くて異なる2つの楽器の組み合わせが微妙な味を醸し出す。
百科全書的で深みに少し物足りなさを感じがちなテレマンの音楽のイメージを払拭する
70 ラモー  「クラブサン集」 ジャン・フィリップ・ラモー(仏1683-1764)は、ジャン・ジャック・ルソー時代のオルガニスト、作曲家、音楽理論家でもある。音楽理論では、近代和声学の基礎を築いた人として知られる。
「クラブサン集」には、「第1」、「第2」、「新」と3集あるが、いずれのどの曲も聴く人を退屈させない。
舞曲がベースになっていることや標題音楽などが楽しさを増す。
すべてが空気のようであり、さわやかな風が耳元を駆け抜けてゆく。
特に第2集の、標題音楽の「小鳥たちの集合ラッパ」「リゴドン」「タンブラン」「恋のくりごと」「ソローニュのお人好し」、新曲集の「ガボットとドウブル」「めんどり」「未開人」「ジプシー」など楽しい。
これらの、聞く人を飽きさせない音楽の秘密はどこにあるのだろうか。
71 D. スカルラッティ  「ソナタ集」 ドメニコ・スカルラッティ(伊1685-1757)は、ヘンデルとチェンバロの腕試しをした逸話がある名手であり、「555のソナタ」を残している。
バッハ、ヘンデルと同じ年の生まれである。
彼のソナタは、フラメンコの踊りやギターの音楽を思わせる音型、両手の激しい対話、憂愁を漂わせる響きなど多彩であり、飽きさせない魅力たっぷりの曲集である。
特にK132ハ長調,K501ハ長調などが印象深い。
72 ヘンデル  詩篇歌「主はいわれたDixit Dominus」 詩篇110番「主はいわれたDixit Dominus」は、ダビデの詩による賛歌であり、マタイ福音書でイエスがこの言葉を語っている。
「主はいわれた。”私の右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足元に屈服させるときまで”と」。イエスが現世におりて人となり、受難して再び昇天するするまでの間の、イエスに対する神の言葉としてとらえられている。この詩篇歌で、ヘンデル(英1685-1759)に勝るものはないであろう。出だしの畳み掛けるようなリズムにすっかり魅了されてしまう
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