タコノアシのタイトル 折々の記


・ 同級生

 2月26、27日、中学の同級生たちと仙台の秋保温泉に一泊、楽しく旧交を温めた。
 今回集まったのは、北は北海道から、南は岡山まで37名、奥さんや友人を同伴したひともいて 総勢42名の大宴会となった。
われわれ同級生はA,B,Cの3クラスで合計102名、卒業してほぼ半世紀に近く(48年目)亡くなっ たり音信不通になってしまったひともいるが、厄年や還暦祝いなど人生節目の集いはもちろん、 近年は毎年1回は集まっている。
 常連もいれば、アッと驚く何年ぶりかの珍客も必ずいるので話題は尽きることが無い。
 当時から一風変わった団結力があり、みんなのその気持ちが延々と衰えることなく維持され ているように思われる。
 昨年、市の広報紙「ふじさわ」に「修学旅行」というテーマ投稿募集があり、応募した拙文 が選ばれて掲載されたので、以下にそのユニークな団結力の一端を紹介する。
 (掲載されたイラストも自作)

「修学旅行」
 宮沢賢治が「海だべがどおらおもったれば、やっぱり光る山だったじゃい・・・」と詠った 北上山脈の雄大な山並みに囲まれた寒村の中学3年生たちは、1956年春、開校以来の画期的な修 学旅行に嬉々として出発したのであった。
 画期的な訳は三つあった。
1.旅行費用はすべて自分たちで稼ぎ出した。
2.それまで慣例であった目的地「仙台・松島」を、渋る校長先生とかけあい自分たちが望む 「日光・東京・鎌倉・江の島」に変えた。
3.学年3クラス合計102名はひとりも欠けることなく全員参加した。
 当時のこの中学生たちの育った経済的環境といえば、殆どの家庭はゆとりのない農家で、 日々の生活を支えるのに精一杯であり修学旅行は家計にとって一大出費、なかには参加できな い子もあった。
 どうすれば全員参加で楽しい旅行ができるかを2年生の始めからクラスで相談した結果、費用 を自分たちで稼ぐことにし、先ず、毎週末に「納豆」を仕入れてみんなで売り歩くことを約1 年間実行したのである。
薪搬出イラスト
 次の儲け話は、業者に依頼していた冬の教室暖房ストーブ用薪を自分たちで備蓄することで あった。
 納豆売りの合間、秋の日曜日、男子も女子も遠足気分で遠い山に行き、険しい坂を1mほどに 伐採された丸太を、二宮金次郎気分で背負ってトラックが入る道まで何度も運び出し、後日学 校に到着した丸太の山を、放課後ノコギリで30cmほどの長さに切り揃えて教室の外の窓際に積 み重ね、全校ひと冬分の薪を備蓄した。
 これは納豆の売上より儲かったことは言うまでもない。

 苦労して念願かなった修学旅行は、陽明門、上野動物園、浅草、国会議事堂、三越百貨店、 大仏、江の島、(江の島は土砂降りの雨で海岸から眺めただけであったが・・・)素朴な102人 の脳裏には、思い思いの強烈な印象を鮮明に残して無事に終わったのであった。
 奇しくも現在藤沢に住み、江の島を眺めるとき102名のなかのひとりであったことを、懐かし く誇りに思うのである。


・ 豆腐づくりと蕎麦打ち

 師走のある日仲間5人で公民館の実習室を借りて、豆腐づくりと蕎麦打ちを楽しんだ。
 年末の何かとあわただしい中で、こんなスローなひとときは貴重である。
 豆腐作りを紹介しよう。

 豆腐のおおまかな製造工程:(分量、温度、時間などは省略)
呉しぼりの写真
1. 大豆をひと晩水に漬ける
2. ミキサーですりつぶす
 (白いドロドロ液を「呉」という)
  昔、近所のおばさんが石臼でスリ潰していた
  なぁ・・・。
3. 「呉」を煮る
  焦がしては一大事だ。
4. アツアツの「呉」を布袋に入れて絞る
  これがまた熱くて大変な作業。
5. できた白い液体が豆乳(袋の絞り粕がオカラ)
  ミルクみたいでいい香り。
6. 豆乳に「ニガリ」を添加
  分量を間違えると大変なことになる。
木箱に流し込む写真
7. フキンを敷いた木箱に流し込む
  布袋も、木箱も幹事役Nさん苦心の手作り
  特製品である
8. 蓋をして上に重石をのせて水きり
9. 水中で取りだし豆腐完成
  それがしのは重石が効いたせいか、
  チーズみたいに歯ごたえのある豆腐!
  (角にアタマをぶつけたら死ぬほどでは
  ない?)




生湯葉の写真 工程5. から枝分かれして別の味を楽しむ

5-1. 豆乳を湯せんして表面にできる薄い膜を箸
  でつまんで生湯葉を味わう
  これが絶品でオサケに合うんですよ。
5-2. 残った豆乳を飲む(予定だったが・・・)
  今回は生湯葉2枚まではとれたが、その途
  中みんなで蕎麦を食べながら、I さん持参の
  オサケで談笑して目を離している隙に湯が
  沸騰して、浮かせていた豆乳入り湯せんバッ
  トが湯の中に沈没してしまい、せっかくの豆
  乳も湯と混じってパー!。
  一同 白濁して薄まり、煮えくりかえった鍋を
  見つめて アーァ・・・・・。
5-3. オカラは持ちかえって料理に使う
  残った蕎麦と豆腐、オカラはお土産でした。


・ しめ飾り作りに挑戦

しめ飾りの写真
 例年玄関の表に飾るしめ飾りは市販品を購入していたが、地区の「市民の家」で手作り講習会があることを 知り、会費(\200)を払って参加した。

 講師は隣の地区の古老数人、受講生はほとんどが主婦、講師をふくめて30人ほどが、数人グ ループとなって制作にとりかかった。
 講師から手取り足取りの指導で悪戦苦闘、それぞれ思いのほか立派なしめ飾りを完成させた。

 しめ飾り用に青刈りされた特別な藁は、とても良い香りがした。
 2時間余りのワイワイ楽しいひとときであった。
 このような風習、伝統技法は是非とも後世に残してやりたいものだ。

 昔、暮れになると父が自家用に作っていた姿を思い出した。 雪の中、山へ松の枝を切りに行くのが、子供の役目だったなぁ・・・。

 写真は完成した全長80cmの堂々たるしめ飾り。
 玄関に飾るときはダイダイを取り付けるともっと見栄えが良くなるそうだ。


・ 「第九」雑感

 「第九」演奏会が師走の風物誌になって久しいが、先日アマチュア合唱団が共演する演奏会に 初めて聴きに行った。ソロの4人はプロの歌い手であるが、ソプラノのパートを歌う知人の姿は とても輝いていた。
 おおきく口を開いて腹から声を出して歌うことは、健康にもいいのだろうな。

 オーケストラの楽器の中では、調律して多様な音程をだせるティンパニーがとりわけ好きであ るが、ベートーヴェンはこの楽器を巧みに使い、「第九」でも第2楽章スケルツォはその音が効 果的であると思う。
 第4楽章から登場するバスドラムの響きも好きで、低い周波数の空気振動は体全体を心地よく マッサージしてくれる。
 「第九」の終わりかたも好きである。大合唱とオーケストラの演奏が、おおきなウネリとなっ て最高潮に達したところでスパッと終わるのが何ともいいのである・・・・・。

 終わり方についてもう一言、静かに余韻に浸りたい気分のときに、何度も何度も拍手を強要 される、コンサートのあのもったいぶった独特の風習?はナンなのだろう?
 いつもそのたびに気になってしまうが、それがしにはどうも理解できない。

 「わだばゴッホになる」と言った板画の大家、棟方志功は、左目は失明、右目も極度の近眼だ ったので、ねじり鉢巻で版木に顔をくっつけ舐めるようにして「第九」を口ずさみながら、一心 不乱に彫る影像をみたことがあるが、印象的なシーンで忘れられない。


・ 「小鳥も捕えるオオカマキリの強さ」後日談

 先に掲載した、カマキリが野鳥の「キクイタダキ」を捕食する驚異のシーンを撮影された、 ご本人からそのときの詳細など情報をいただいたので、ご了解を得て以下にご紹介いたします。
 「Phyllonさん」ありがとうございました。

*    *    *

 キクイタダキを捕らえたオオカマキリについては、この秋にも私同様、石川県で観察された 方がいらっしゃったとの情報を最近得ていますが、詳細はまだ確認していません。
 また昔、翼をはばたいて暴れているマヒワを手にとったらカマキリが落ちたので、おそらく そのマヒワはカマキリに捕まって逃げようとして暴れていたのだろう、という話を聞いたこと があります。

 その場所は渡り鳥の渡りの中継点、すなわち渡り途中に野鳥が降り立つケースが多いので、 ここで観察される野鳥たちは海をはるばる越えてきてかなり疲労していることが多いものと考 えられます。 元気であれば、早くカマキリに気づくか、あるいはカマキリが動いた瞬間に逃げるか、あるいは 捕まっても完全に挟み込まれる前に脱出できそうですが、餌をとるのに夢中で、しかも疲労して いるので、カマキリにつかまって逃げることもできずにいたのだと思います。

 ちなみにこの写真を撮影したときは、数枚撮影してからキクイタダキを救出しようと思って いたら、バードウォッチャーが集まって皆が撮影をはじめたので (ここは渡り鳥が多いのでバー ドウォッチャーが多数訪れます)、救出の機会を逸してしまい、気づいたときには死んでいま した。
 かなりあっけなく死んでしまうものだと思い、反省しましたが、しかしこの個体は元々相当に 疲労していたはずなので、ここで救出しても、このあとの長距離の海を越える渡りには到底耐え られなかったのではないかとも思いました。
 いずれにしても、自然の厳しさを実感した シーン でした。


・ 「ヒメアカタテハ」を「アカタテハ」と誤認

 「花鳥風月」に載せた2枚の写真「アカタテハ」は、「ヒメアカタテハ」の間違いであること に気が付いた。(まったくの初歩的なミス・・・赤面のいたり。)
 写真をみると後翅全般に明瞭な斑紋があるので、あきらかに「ヒメアカタテハ」、この部分が 周辺以外はぼやけているのが「アカタテハ」である。
 既に閲覧いただいた方には、まことに申し訳なく恥じ入るばかり、お詫びいたします。
 大あわてで訂正版をアップ、今後は慎重に注意して確認するよう改めて肝に銘じた。
  ここを クリックしていただくとく、「アカタテハ」と、「ヒメアカタテハ」の違いは一目瞭然!!。



・ 利き酒余談

福寿即売会の写真
 「灘の生一本」で知られる日本酒の古い蔵元から、日本橋三越で試飲即売会開催の 案内ハガキをいただいたので、出かけていきいろいろ利き酒を楽しみ、お酒を買ってきた。

 神戸に単身赴任していたとき、激務の合間の休日に気晴らしのため愛車のペダルを 踏みながら、酒蔵巡りをすることが楽しみのひとつであった。
 灘五郷といわれる六甲山を背にした海岸沿いには多くの酒蔵が点在し、それぞれ趣向 を凝らしたPRを展開しており、地図片手に利き酒をしながら巡り、大分日数はかかったが すべてを走破した。 (”利き酒”ぐらいでは酒蔵をハシゴしても酔っぱらい運転ではないノダ!!)

 たまたま御影郷のこの酒蔵を訪れたときに、ここで主催する「酒蔵のある風景」と 題する絵画コンテストのパンフレットを見つけ、応募したところ思いがけなく「優秀賞」 3人のひとりに選ばれたことがキッカケで、今でもお付き合いが続いている。
 副賞の「斗瓶採り大吟醸」はこの蔵の最高級品のひとつ、冷えたトロリとした感触は 絶品であった。今回も試飲させていただき感激・・・。

 灘のほとんどの酒蔵は、阪神淡路大震災で壊滅的被害に遭ってから苦難の復興を遂げた 現在、近代的な設備・景観に変わってしまい、昔の面影は残念ながらあまり残っていない。
 創業以来254年目の「福寿」醸造元であるここ「神戸酒心館」は、日本酒とその文化を 創造する本格酒蔵と標榜するだけあって、ギャラリーからホールまで備え、年間を通じて 各種のイベントが企画・開催されているユニークな酒蔵である。
 お酒だけではなく、ここで造る丹波の黒豆を使った薄墨色の大きな「ざる豆腐」はお奨めで、 酒の肴にも逸品であるが、注文したところ、今年は作っておらないとのことでガッカリであった。
 チョッとコマーシャルっぽくなったが、わがひいきの酒蔵をもっと詳しくお知りになりたい 方は、
ここをクリックしてください。

 深まる秋、熱燗の美味くなる季節、手作りのイビツなグイ呑みで静かに味わう「福寿」・・・・・
まさに至福のひとときである。



・ 小鳥も捕えるオオカマキリの強さ!

オオカマキリの写真

カマキリファイティングポーズの写真
 オオカマキリのファイティングポーズは精悍そのもの。
(写真左)
 強烈なパンチを秘めた、ボクサーの構えに通じるモノがある。

 カレらは生れたときから親を知らず、親の庇護を受けることなく、独りで生きていくハングリー 精神の持ち主。
 触るのもチョッと躊躇、身構えるほどのムシのひとつではあるが、頭が器用に動くので上を向い たり、下を向いたり、斜めに首を廻して流し目?でジッと見つめられたりと、他のムシとは一線を画する親近感がある。

 写真を見るまでは信じられなかったが、このムシがナント!!小鳥をも捕えて食べてしまうのだ。常識では 昆虫は小鳥の餌になるのだが、生きた小鳥が昆虫の餌になるのだから驚き!。
 その驚異のシーンをご覧になりたい方は、ここ をクリックしてください。
 ショッキングな一部始終が、興味深く見られます。



キアゲハの誕生写真

・ ホームページ立上げ記

 念願のホームページを、どうやらやっと立ち上げるところまでこぎつけた。
 全くゼロからのスタート。
 HTMLを、イロハから独学で悪戦苦闘すること3ヶ月余りか。
まだ高等技術は使えないが、最小限のコンテンツで先ずはプロバイダーのサーバーにアップして みることにした。
 ホームページ作成用ソフトのお世話にならず、図書館で借りたガイドブックを頼りにパソコン 画面上での試行錯誤を繰り返し、なんとかかろうじてホームページの体裁を整えることが出来 たと自己満足。

 蛹から羽化したキアゲハのように、これから未知の世界へはばたくことは、新たなネットワーク が誕生するかも知れずワクワクするフレッシュな気分である。

 これからもいろいろなテクニックを学びながら、折にふれて更新を重ねていきたいと思っている。


「Studioタコノアシ」Topへ戻る