Maegaki

 日本語は難しい!日本の文字はむつかしい!と聞くことがあります.これが,日本の「国語・国字問題」の起こりです.

 わたしがいた大学に外国人留学生が毎年きます.その試験官は,「日本人より日本語がうまい」といいますが,半年か一年の勉強で,そんなに日本語の会話はできるのです.でも,「漢字」の読み書きはできません.ここにも,国語・国字問題のおおもとがあります.

 これらについて,現代の立場から考えてみるために,思いつくままに書いていきます.

(これは,財団法人日本のローマ字社の機関誌 “Rômazi no Nippon” に書いたものです.)

 

ローマ字国字論の本質

                                                 Simizu-Masayuki

 

 先日開かれた“日本語シンポジウム”の席でも,「財団法人日本のローマ字社の目的は何ですか?」「田丸博士が,ローマ字を使っておられる理由はなぜですか?」という質問が参加者からでました.

「日本語をローマ字で書こう」という考えが「ローマ字国字論」ですが,「その理由は?」と聞かれると,人によっていろいろに言われることがあり,一言や二言では,言い尽くせません.これを考えてゆこうと思いますが,第一回目の今回は,私が考える「ひとことで言って,ローマ字国字論の根拠は何か?」を述べることとします.

このローマ字国字論のおおもと,生みの親が,

南部義籌:修国語論(1869-05)

西周:洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論

(1874-03)

であることに,異論をはさむ人はないことでしょう.

 ただ単に,日本語をローマ字で書くことは,1549(天文18)にきたフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)からのことで,キリスト教関係の本や平家物語,イソップ物語などもでています.しかし,これらは,外国人宣教師などが日本語を勉強するためにできたもののようです.

 南部義籌や西周の論文がでてからは,「日本人が日常使う文字としてのローマ字」という立ち場からのローマ字が世間で用いられるようになりました.1885年には,外山正一らの働きもあって「羅馬字會」ができました.この間やその後も,いろいろと議論はあったもののようですが,南部,西に続くローマ字国字論は

田中舘愛橘:本會雑誌ヲ羅馬字ニテ発兌スルノ発議及ヒ羅馬字用法意見

(理学協会雑誌,1885)

であるとみています.

 ローマ字国字論にもいろいろ種類があります.

 「字数が少ないので,覚えるのが楽だ.」

という種類の合理主義のものや

 「文明の進んだ,西洋の文字を使えばよい.」

という「西洋崇拝」からきた考えもあります.これは,これで,意味のあることですからまたおいおい考えてみることとして,ここでわたしが

南部,西,田中舘の系譜

を特に感じるのは,ここに一貫した「ローマ字国字論の本質」を見るからであります.わたくしに,この50年間,ローマ字国字論の信念を持ち続けさせた根拠があるからです.

 南部の論文はとても短いものですが,

「日本語の<独立>と<発達>」のために,ローマ字を使おうと言っています.西,田中舘の論文には,具体的な,個別の例が挙げられているので,ここの本質を見落とすおそれがありますが,この理論の根っこにあるものは,「日本語の独立と発達」にあるものと読んでいます.「日本語の独立と発達」とは,どんなことでしょうか.

 南部義籌は「漢字からの独立」,また「漢語からの独立」というふうに読みとれます.その頃は,まだ「正式の日本の文章は漢文」と思われていた時代でしょうから,「日本人の言語生活での問題点は漢文にある」と考え,「漢文(漢字と漢語)からの独立」を唱えたものと思います.

西周の論文が発表された時代は,明治新政府も落ち着いて,「漢字制限」「かなもじろん」「ローマ字論」も盛んに議論された時代です.「漢字制限」や「かなもじろん」「ローマ字論」を比較してローマ字の長所を10条に述べています.(詳しくは,岩波文庫:明六雑誌) その最初に

「此法行ハルレハ本邦の語学立ツ」

と述べています.つまりは,「ローマ字にすれば,日本語が発達する」ということです.日本語の発達のためにローマ字を使おう,というのです.

 田中舘愛橘の論文は,@日本語をローマ字で書くこと(ローマ字国字論),A日本語に適したローマ字つづり(日本式ローマ字),Bローマ字文での付け離し(分かち書き),の内容に及んでいますし,また個別の例や説明も多いのでその本質を見落としがちです.注意して読むと,つぎのような箇所が目につきます.

「兵馬の威改むべからざるものは文章なり,天子の命止む可らざるものは言語なり. (武力でも文字を変えることはできない,政治権力でもことばを変えることはできない)

「言語の発育を助け文事の進歩を補ふ所ならんのみ.(ことばの発達を助け,文明の進歩に役立ちたいだけである)

この前のことばが,「日本語の独立」で,あとのことばが「日本語の発達と文明の発達」のためにローマ字を(日本式ローマ字つづりをも含めて)使おうという精神を述べたものといえましょう.

 1885年にできた「羅馬字會」でも,漢字・漢語が日本語の発達の妨げになることが認められて,これから独立することを進める態度がみえます.この会の「羅馬字にて日本語の書き方(ヘボン式)」の緒言には,

 第二假名の用ひ方に據らずして発音に従ふ事

 第三教育を受けたる東京人の間に行はるヽ発音を以て成るべきたけ標準とする事

とあります.これは,漢字・漢語はもちろん,かなからも独立して,標準日本語(東京語)に文字を従わせるということで,すばらしい原則です.ところが,この前に

 第一羅馬字を用ふるには其子字は英吉利語に於て通常なる音を取り其母字は伊太利亜語の音即ち独逸語又は拉丁語の音を採用する事

と書かれています.これでは,「漢語からの独立のために,英語とイタリア語(ドイツ語,ラテン語)の支配を受けよう」ということではありませんか.(ロシアの支配から逃れるためにアメリカの下に参じ,現在,世界の混乱の原因になっていることと似ています.)

 田中舘論文の独立は,「何語にも縛られない,完全な日本語としての独立」の気概に満ちたものです.日本語としての完全な独立によって,日本語の,のびのびとした自然な発達が見込まれる,ということです.漢字やかなに日本語が支配されるのではなく,逆に「日本の文字は日本のことばに従うべきである」ということです.こうして「日本語の独立と発達」の意味が完成した,これが「ローマ字国字論の本質」であると,わたしは考えています.

 「国語・国字問題」の日本人の生活の面での,個々の,具体的な点についてはこれからひとつづつ取り上げて,一緒に考えていきましょう.今回は,おおまかに,私の考える全体像を述べておきます.

 「日本語の独立と発達」は,たとえていえば,「自然の環境で,人間にあった自然の食べ物で,のびのびと健康に成長する」ようなものだ,と考えています.人類文化の発達が,環境や食べ物にも影響があるように,日本のことばや文字に影響するのは当然ですが,注意は払うべきです.

 「漢字制限」は,明治以後,進んだり,逆行したりしています.慢性病の患者が,発作が起きたときに「トンプク」を飲んでは苦しみを忘れ,また発作にであうのに似ています.「現代仮名遣い」は歴史仮名遣いより,はるかに,はるかに優れたものです.しかし,「ぜんぶんひらがながき」が実用にならないことは過去に実証済みで,「漢字とかなの混用」を前提にしたものです.したがって,「かな文字」は,本質的に「漢字問題」を含んでいます.

 日本では,ことばや文字について大きな課題を抱えていますが,これが「国語・国字問題」と呼ばれてきました.日本語に適しない文字や外国語から独立して,日本語に適した文字を使うこと,これが「ローマ字国字論」の本質だと考えています.

 

 

漢字制限の意味

 

1.漢字の字数

そもそも,漢字はいくつあるのでしょうか?学習用の大型漢和辞典の「大字典」が14,921字,かの康煕字典には42,000字あるといわれていますし,もっとも大きな諸橋大漢和辞典では50,292字あります.ところが,JISで“出典の明らかな,現代日本語を書き表すに必要な文字”を5000字選んだところ,350字はこの大きな辞典にも載っていなかったということです.

漢字はもともと外国の文字で,中国大陸びいきの人は簡体字を使い,台湾びいきの人は繁体字を使ったりもします.漢字を使っているのは,現在,中国,台湾,韓国,北朝鮮,香港,ベトナム,シンガポールと日本で,ここで使われる漢字は交流があります.特に,インターネットなどコンピュータの上では,これを一本にする必要がありますから,国際標準化機構(ISO)でも統一した漢字コードを作っています.ここでコード化された漢字は7万字です.

もちろん,漢字の数はこれで全部というわけではありません.漢字がかなやローマ字と違う点のもっとも大きなところは,“自己増殖型”の文字であることです.漢字の体系の中でつぎつぎと新しい文字を作ることができ,あるいは作る必要が起こります.本質的に数限りないということです.

 

2.           一般に使われている漢字の数

 数限りない漢字を一般の日本人がすべて使っているわけではありません.

 一般社会で使われている漢字の数についての調査は,いくつか行われています.古くは,1935(昭和10)のカナモジカイの調査があります.5種の大新聞の政治面,社会面から60日間の記事の中に含まれる漢字457,575字の中の漢字の種類は3,542字ということです.(漢字無制限でも3542字!) 「一,日,十,二,會,大,三,國,政,時」の順で多く使われており,この10字で漢字の9.5%を占めます.詳しくあげると,

   100字で,   38.70

500            77.30

1000            91.70

1500            96.85

1800            98.15

1900            98.45

2000            98.72

2500            99.54

3542            100.00

ということです.

 ほかにも,調査がありますがほぼ似た傾向があります.特別に,ばらつきのひどいものとしては,大西雅雄「日本基本漢字」(1941)があります.小学校の国語教科書・児童読み物,中学校の各科目の教科書・入試問題,新聞・雑誌・議事録など,文学書,通俗科学・家庭読み物,農業・工業・商業など,宗教・哲学・芸術,商業通信・社交書簡の8種類の資料から調べたものです.いわば,あらゆる分野で使われている文字(漢字)の調査です.

これは,つぎのようです.(かっこ内は「カナモジカイの調査」)

  漢字の字種  大西    

  500       71%    (77.3%)

  1000         79       (91.7 

   1500         84        (96.9  )

   2000         87        (98.7  )

となっています.

 

3.           漢字制限のあゆみ

 漢字の数は限りがなく,また少しずつではありますが,現在も新しく作られています.また,「どこまでが漢字で,どこから漢字でない」という境もはっきりしません.(慶應義塾のうちそとでは,“@A”という字が使われていますが,これなど漢字でしょうか?)こんな文字のすべてを,使うことが不可能であることは,あまりにも明らかなことです.

 それでも,漢字制限に反対する議論があります.「漢字制限反対論」で,一応筋の通った理屈は,一種類だけだと感じています.たとえば,1942年(昭和17)に,文部大臣に提出された建白書にみることができます.

(漢字を制限して)畏き邊の御事をも限定し奉らんとする...」

「日常奉體すべき教育勅語,皇室典範,帝国憲法,歴代天皇御追號,...(をどうするか!)」

というものです.「おそれおおくも,神である天皇陛下を束縛するのはけしからん!」という,この論理は,現在では,「国民の基本的権利,表現の自由を制限するとはけしからん!」というふうに,変形されています.

 しかし,「不可能なものを,主張する」人は,今ではほとんどありません.「漢字制限」というかたちが,行ったり来たりしてきました.

1887(明治20):郵便報知新聞が「漢字3000字制限」を実施.

1893(明治23)三宅雪領が反対論.

1899(明治32)重野安繹:常用漢字文(5610字)

1900(明治33)文部省:小学校で1200字

1904(明治37)小学校義務教育(4年)で500字

1910(明治43)義務教育(6年)で1360字

1923(大正12)臨時国語調査会:常用漢字1960字

1925(大正14)大新聞7社:漢字制限実施

  常用漢字に179字増やし,31字削る

1931(昭和3)臨時国語調査会:1858字に修正

1933(昭和8)国定教科書(6年)で1362字

1941(昭和16年)国定教科書(6年)で1301字

    大西雅雄「日本基本漢字」3000字

1942(昭和17)国語審議会:標準漢字表2528 常用1132字,準常用1320字,特別74字

1946(昭和21)国語審議会:当用漢字1850字

1947      当用漢字別表881字(義務教育用漢字)

1951(昭26)国語審議会:人名用漢字別表92

【1961-03-22    国語審議会委員5名退席.

 1962に,委員を任命制にするなど,

審議会がまったく別組織になる.】

1979(昭和54)国語審議会:

 常用漢字1926字

 「漢字制限」ではなくて,「目安」に.

 こうして,現在は「国民から推薦されたものではなく,為政者の任命」による国語審議会が,「漢字制限から目安」に変えています.大変な変更です.

 

4.漢字制限ということ

 「漢字制限」といっても,3000字を越えるものさえあります.漢字無制限の昭和10年の新聞でも3500字ですから,3000字を越えた制限は「漢字制限という名の無制限論」です.

 一般に,漢字制限というのは1500〜2000字のように考えられています.カナモジカイの調査を見ると,2000字の制限で,99%の漢字が含まれていることになります.仮に,1/3が漢字の文章だとすると,300字に1字漢字が書けなくなるだけです.今では,文語文か漢文かと感じるほどの,軍国主義はなやかな時代の文章でも,400字詰め原稿用紙に1字か2字,漢字が書けないだけです.つまり,1500〜2000字の制限は「制限というより現状維持」ということです.

 一般の人が,1000字以上の漢字を使いこなしたことはないでしょう.それでも,2000字程度の漢字制限には別の意味があります.

お医者さんは患者のカルテをドイツ語など“患者に読めないように”書く習慣がありました.医学書でも,哲学書でも,ほかにはほとんど使わない漢字を使います.大工さんでも,左官屋さんでも,植木屋さんでも,八百屋さんでも,魚屋さんでも,すし屋さんでも,ほかではほとんど使わない字を使ってきました.大西雅雄さんの調査はこれを示しています.一人一人が1000字の漢字を使っていても,人によって別々の漢字を使っていたのでは“社会に通用しない漢字”になります.

「社会で共通の漢字を使う」こと,「1500字以下の漢字に制限」の2条件が満たさなければ,漢字制限ではありません.

2000字程度の漢字を目安にして,漢字を知らないといって差別する態度」,これが今の「常用漢字」の立場です.

 

 

正直でありたい“国語・国字運動”

 

1.悲しい事実

 前にも,紹介したことがありますが,国字問題の保守派を代表する人のひとり,大野晋さんが朝日新聞2001/08/08朝刊)の[私の視点]欄に,つぎのような文章を発表しています.

 

《 .....ここで一つのことを思い出す.戦後の国字政策である.やはり多くの批判があった.しかし,国語審議会・文部省には,そよ風だった.それが65年(昭和40年),突如「漢字制限」から「おおよその目安」へと方向転換した.ただし,それは批判派との討議の結果ではなかった.

 当時,小汀利得という国家公安委員がいた.日本経済新聞の元社長で,佐藤栄作首相の経済顧問格だった.親しい佐藤首相に小汀氏は言った。「佐藤さん,あなたの名前は当用漢字表によると書けないのですよ.『藤』は植物だから,カナで書くことになっていますから」.それを聞いて佐藤氏はすぐ「中村(梅吉・文相)を呼べ」と言った.結局,戦後の国字政策を主導した国語課の課長は更迭され,行政の方向転換がそこから生じた.(小汀氏の直接の話). .....》

 

小汀利得さんは,当時,福田恒存,大野晋といった人たちと「国語問題協議会」のなまえで,当用漢字,現代かなづかい,送りがななどに反対する活動をされた人ですから,このお話は真実のことと思われます.ここには,大きな問題がいくつも含まれています.

 まず,国語政策の逆行化は,きちんとした議論の結果ではなくて,“国字問題に知識のない権力者(総理大臣,文部大臣)”を,一般の目に触れないところで動かした,ということです.国民の推薦によってできた国語審議会の審議の結果にもとづいて行動してきた国語課長が,闇のうちに“更迭”された,という事実です.ひとりの国語課長が総理や,文相に(正論であっても)異論をとなえると“更迭”です.また,この事実を目の当たりにみた関係部署のお役人には“おどし”としてきき,正直な意見は出せない情況が生まれたのではないでしょうか.

 その上,「佐藤さん,あなたの名前は当用漢字表によると書けないのですよ.『藤』は植物だから,カナで書くことになっていますから」という説明にいたっては,もう言うべきことばがありません.まったくのウソです.

 「佐藤首相」は植物なのでしょうか?「藤」という「文字」が植物なのではなくて,「藤」と書こうと,「ふじ」,「フジ」,[huzi]であろうと,「植物のフジを表わすときのことば」が「植物のなまえ」なのです.文字とことばの区別がわからないで,首相や文相(文相も異論が出せない立場?)をだまして,こんなことは百もご存じの国語課のお役人の首のすげ替えをしたことになります.

 小汀さんは,こんなことも知らなかったのかも知れません.しかし,国語問題協議会の方の中には国語の分かる方もあるはずです.国語学者の大野晋さんが,この話を聞かれたら,この誤りを正してあげるべきではないでしょうか.それを,優れた教訓として,

《.....佐藤首相の鶴の一声は行政の方向転換をもたらした.審議会やお役所の改善談義では遅い.10年20年先のグズグズ化現象を避けるため,小泉首相の英断による学習指導要領の改訂と構造改革が今まさに必要である.》

と結んでおられるのを見ると,空恐ろしくなります.

 

2.国字逆行化の時代背景

 裏側で,こんなことが進められている時代に表側ではどんな情況にあったのでしょうか.調べているうちに,わたしが以前に書いた文章が見つかりました.(“国語問題の1年”,Rômazi Sekai 1962-2 ) 当時,できるだけ正確に書き留めておこうとまとめたものですから,今思い出すより正確なはずですから抜き出してみます.

 

《 .....

a)社会の動き

..... 1960年には河上丈太郎,岸信介が傷つけられ,浅沼稲次郎が殺される,...デモのさ中で樺美智子という学生が命を落とし,「風流夢ものがたり」(注:1961,風流夢譚)という皇室に不敬な小説を発表したという理由で,その出版社の社長夫人と,お手伝いさんが殺されたのです......

c)国語審議会のクーデター

 .....

 国語審議会は任期(2年)が3月23日に切れるので,3月17日の総会で,次期委員の候補者リストを作る“推薦協議会”(7名〜15名)を互選投票で決めることになっていました.ところが船橋聖一,成瀬正勝らは土岐善麿会長の個人攻撃などをやって審議引きのばしを行ない,やむを得ずもう1度3月22日に総会を開くことになりました.

 3月22日の総会においては,逆行派のひとびとは急に態度を変え,17日には非常識なまでの個人攻撃を行なった(注:“て”は誤り),会長の指名によって推薦協議会委員を決めよ,と主張し,このとき事務当局の田中調査局長は,さらに人物の名まえをしるしたメモを会長に渡したのです.

 これを会長が受けいれなかったので,船橋聖一,成瀬正勝,塩田良平,山岸徳平,宇野精一の5人は脱退声明書を発表して退場しました.残った委員たちはその後互選によって12人の推薦協議会委員を選び,総会を解散しました.

 .....

g)近頃(注:1961年ころ)の逆行派

 .....「漢字制限・現代かなづかいはローマ字化のインボーである」ととなえていたのですが,最近の福田の文章にまで「漢字制限・現代かなづかいは一応認める」というふうになった.....

 ...ムチャな議論で国内を混乱におとしいれ ... その後に,思想弾圧のような態度で口を封じようとするのです.

 船橋聖一が新潮誌に書いたものはその1例です.船橋によれば「ローマ字論者は中国のローマ字化をほめている」「中国はアカである」「アカをほめるものはアカである」したがって「ローマ字論者はアカである」という非論理の論理を投げかけています.逆行派が戦争中に用いたと同じ方式で弾圧しようとしているようです. ..... 》

(記録的な文章のため,敬称はありません.)

 

 いわゆる“逆行派”のひとびとの,表舞台での活動はこのようなものでした.国語審議会の任期の1日前まで“流会による審議会つぶし”に努め,それができないとなると,“違法な運営”を強要していました.推薦協議会委員の選出が違法であれば,都合の悪いときにいつでも“国語審議会の無効”を主張できるからのように見受けられます.

 そのとき,一部に不満の委員があったものの,次期の国語審議会は正常に運営されていました.新聞などへの投書の数も,1位,2位となるほど社会の関心を呼んでいました.

 それが,ある日,突然“国語審議会の改組”ということになりました.@国民から選ばれた審議会でA国語政策を審議し,建議する,ものから@文部大臣から問われたことについて返事をするA文部大臣が任命した国語審議会に変質しました.

 これが,何の議論もなく,個人が,ウソで,権力者をだました結果であるという事実に,恐ろしさを感じます.

 われわれは,たとえ進歩の速さが遅れることがあっても,“正直に,現在と将来の国民のための国語・国字運動”を進めてゆきたいものです.

 

3.おねがい

 わたくしは,国語・国字問題の議論では,正直に,正確な議論を進めたいと思ってはいますが,知識不足などにより,誤りがあるかも知れません.お気づきのところがありましたら,ぜひおおしえ願います.

 

 

同音意義のことば

 

1.漢字は必要,か?

 「金田一春彦:日本語を反省してみませんか」(角川oneテーマ21)を興味を持って読みました.さすが,国語学の大家の文章だけに,読んで楽しく,また教えられるところの多いものでした.でも,ひとつ気になるところがあります.あまり長くないので,引用させてもらいます.

 

≪漢字はなぜ必要か

日本語は欧米の言語,中国語,朝鮮語などに比べて,発音の種類が少なく,しかも音の組み合わせに制約がある.例えば「ん」や「を」で始まる言葉はない.「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」で始まることもほとんどない.また,音読みでは二番目は「ん,っ,つ,か,く,い,き,長音(長く延ばす音)」に限られている.従って,同音語が多くなり,それらを区別するためにも漢字は必要なのである.≫(p.33

 

 論理きわめて明快です.「日本語は音(音節)の種類が少ないから,同音異義の言葉が多くなる.この区別のためには,漢字が必要になる.」ということです.これをみて,数学の証明問題を検証するような興味を覚えました.

ここの論理には,

@もっと詳しい数量的な検討が必要.

Aある範囲の内側から,一方的な論理を進めても正しい結論がでない場合の一例.

という2点に問題があるように感じます.

 

2.単語の数(語い)

 まず,単語と音節の数量的な検討をしてみましょう.

 人間の思想や感情を表わすのに,いくつの単語が必要でしょうか?コンピュータはどんな考えも取り扱うことができますが,これは2進法で行なわれています.「0」と「1」でも,「・(トン)」と「−(ツー)」でも,「ギャー」と「ギョー」でも,ただ2つの単語でどんな意味を表わすことも可能です.

 ことばとしての構造を持った自然言語では,もちろん,もっと多くの単語が使われています.ふつうに使われている大きな辞書「広辞苑」(岩波書店)の中には,現在ほとんど使われない“死語”ともいえるものがたくさん含まれていますが,全部で約20万語です.“すべての単語の数”を調べるには,「日本語語彙大系」(5巻,岩波書店)のほうが適当かも知れません.これには,30万語あります.あらゆる日本語を集めようとして作られた「日本国語大辞典」(13巻,小学館)には,およそ50万語あります.

 英語の辞書でも,あらゆる分野を含んだ辞書「リーダーズ英和辞典」(研究社)が27万語,かの”Oxford English Dictionary” 50万語です.

 こうみると,あらゆる単語というものは,(死語をふくめて)およそ50万語ということになるようです.

 ところで,日本語の音節の数は,100以上あります.同音異義のことばで問題になるのは“漢語”ですが,漢語の基本となるのは2文字の漢語で,4音節程度です.100種類の音節で,4音節の組み合わせは

 100×100×100×100100,000,000

となりますから,4音節で1億の単語を作ることが可能です.つまり,4音節で可能な組み合わせのうち,200分の1で,すべてのことばを表わすことができることになります.

 「ことばは自然にできるもので,人為的に組み合わせたものが単語になるわけではない」という反論があるかもしれません.そうでしょうか?短い音節の組み合わせを調べてみましょう.

1音節:ア(あ!),イ(胃),ウ(鵜),エ(絵),オ(尾)

2音節:アア(あー!),アイ(愛),...

    アカ(赤),アキ(秋),...

というふうに,どんな組み合わせでも単語になる資格はあります.日本語は,短い音節のことばから,ぎっしりと詰まってだんだん長い単語も作っているようにみえます.

 現在も,長い単語がありますが,5音節の単語となると,さらに100億の単語ができる可能性ができます.

 

3.同音異義のできた原因

 同音異義のことばとしてよく例にだされるものに「感心」,「寒心」,「関心」があります.文の前後の関係からでも分からないことが多く,逆の意味になるので困ります.だから,表音文字では日本語が書けない,という根拠に使われます.

 これは,「感」「寒」「関」という漢字が「同じ音」を表わすが「違う意味」をもつ字だからです.これらの文字は,もともと「まったく別の意味を持つ,別のことばを表わす中国語用の文字」です.現代の中国語でも,「感găn「寒hán「関guān(ローマ字は北京ピンイン)というふうに,「意味も発音も違う文字」です.これを日本語に,カタコトで対応させたため,「同じ音に」なったのです.

 英語でたとえるとどんなことになるでしょうか.this は「ジ」,that は「ザ」, box boy bolt voxも,みんな「ボ」と読むことにして,「ジボ」とは何か,「ザボ」とは何か,というようなものです.本来の自然言語では,「同じ発音で違う意味のことば」はあまりできないものです.上の単語でも,boxボクス boyボイ boltボルト voxボックス というふうに,「違う発音に対応」させれば,まだ救う方法があるかも知れません.同じ音に違うことばや文字を対応させると,救いようのない混乱が生じるのは当然です.

 中国語(と漢字)と日本語の対応がその欠陥を作っているのです.「カン」と読む漢字は常用漢字の中だけでも,「間官館観完・・・」のように45字あります.「シン」という字も「新真身・・・」など29字あります.したがって「カンシン」という漢語は45×291,305の「同音異義の漢語」ができる可能性があります.実際に,歓心,奸臣,甘心,勘新,勘審,勘甲,勘進,...ということばもあります.2音節でも,100×10010,000とおりの音が表せるのですから,もし(2000たらずの常用漢字の)漢字の“音読み”を別々の音に対応させていたら同音異義の漢語も避けられたはずです.

 「ん,を,ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」で始まることばがない,とか,二番目の音節は「ん,っ,つ,か,く,い,き,長音」に限る,といったことも,日本語の性質ではなくて,「中国語のカタコト発音の性質」に過ぎないものです.もともと,「んま(馬),んめ()」でしょうし,「パン,ピーカラ,プール,ペン,ポルトガル」ということばも日本語として不自然ではありません.「を」は現代日本語に「音韻がない」だけで,古くは「をぢさん(小父さん)」などもあります.

 日本語とあまりにも性質の異なる中国語のための文字にどっぷり浸かって,その範囲の中で漢字の問題を考えると,とても変なことがおこります.「中国語のカタコト発音」の種類が少ないので,2000ほどの常用漢字でも,同じ音の字が数十もあるのがふつうです.数十の同じ音を持つ漢字をふたつ繋いで漢語を作ると,同音異義の漢語ができるのはあまりにも当然のことです.

 日本語の性質としては,1億の単語をつくる能力があるのです.

 

4.現実の問題

 現実に,同音異義の漢語がたくさんあることは事実です.しかし,そのような単語をなるべく使わないようにして文章を書くことができます.これは,わたしの50年以上の経験からもいえることです.また,去年から,明治以後の作家の短編小説をローマ字で書く試みを行なっています.そのままではどうしても困る単語は1ページに1〜2語程度です.想像以上に少ないものです.

 ここで述べたことは,「論理」だけの議論でした.「漢語」と「カタカナ語」の弊害が生まれています.これらに対する解決を図ることはわれわれの責任です.「ことば」として,この問題を次の号で考えます.

 

 

カタカナ語の問題

 

1.聞いて分からない言葉

 聞いて分からない言葉が日本語に多い.この原因が,同音異義の漢語にあるということで,これについて,4月号で考えてみました.同じ音(オン)の漢字が数十もあり,この漢字を二つ繋いで熟語(漢語)をつくれば,おなじ発音で意味の違う漢語が数十から数百できても当たり前,ということでした.50年ほど前までは問題の中心はほとんどこの漢語の問題にありました.

 現在は,もうひとつ,大きな問題がおこっています.カタカナ語の問題です.これについて,考えてみます.

 

2.“ギョエテ”か“ゲーテ”か

    ギョエテとは

     俺のことかと

      ゲーテ言い

という狂歌(?)があります.ドイツの詩人,ゲーテのことを“ゲーテ,ゲエテ,ゴエテ,ギョイテ,ギョエテ,ゴイテ,・・・”などと,仮名書きでは,10とおり以上もあるということです.ギリシャ文字の読み方でも,θ,η,ζ,・・・を,英語流の人は“シータ,イータ,ジータ,・・・”と読みますし,ドイツ語流の人は“テータ,エータ,ツェータ,・・・”と読みます.フランス語流の人は,ロシア語流の人は,・・・となると,どんどん種類が増えてきます.こんなことで,同じ意味の単語がどんどん増えると,いろいろ弊害が起こります.戦争前には,この種類の問題が多かったようです.

 

3.どんどん増えるカタカナ語

 ふつうの国語辞典の中にも,カタカナ語はたくさん載っています.まちの本屋の本棚をみると,「カタカナ語辞典」が10種類以上も並んでいます.小型のものが多いようですが,中でも小さい,「学研」の「パーソナル・カタカナ語辞典」は,語数が多いようで,28,000語載っています.少し大型の「カタカナ新語辞典」(第4版)では,18,000語です.この「新語辞典」は,1986年の初版が14,200語,1989年の第2版が15,100語ですから,1年に300語の割合で増えていることになります.

 この辞典の名前に「新語」という言葉が入っているように,「新しく,まだ耳なれない,よく知らない」言葉が多いようです.以前は,

「デカダン」とか「ヌーベルバーグ」といった,流行語の新しいものが多かったようですが,最近は情報関係,とくに「コンピュータ用語」が特に多いようです.「コンピュータ用語辞典」も現在,10種類くらい発行されていますし,コンピュータ雑誌には,たびたび付録として付いています.

 

3.カタカナ語の害

 カタカナ語は,「外国語を日本語流になまった言葉」ですから,外国人に通用しない日本語(外来語)のはずです.ところが,日本人にも理解できない言葉が多いのです.さらに,「どこまでが外国語で,どれが日本語(カタカナ語)かの区別も明らかではありません.

 フランス人の数学者タレントのピーター・フランクルさんが「美しくて面白い日本語」(宝島社)という本の中で,するどく突いています.

 (東京都知事の石原慎太郎さんの)発言の中にある「自分の仕事を今までとは少し違ったスタンスで手がけてゆくこと」という説明.この「スタンス」とは一体,何のことなのか.日本人にとっても,もうかなり耳慣れた言葉だから,なんとなく分かったような気になる言葉なのだが,実際にはどういう意味で使っているのか.結局,何をどのようにして「今までとは違った」ように手がけるのか.それは自分の立場なのか,態度なのか,やり方なのか?言葉の意味をはっきりとさせずに,曖昧(アイマイ)な「スタンス」という言葉を使っている.これでは,一般的には雰囲気しか理解されないと思うし,僕にしても,やはり曖昧にしか受け取れない.・・・

このような例をいくつか挙げて「公の場に出る,影響力のある人が,意味を理解し難いカタカナ語を使うと,日本語に悪影響を及ぼすことになる.」と結んでおられます.

 この有害さは,漢語にも同じ形でおこっています.小泉純一郎首相は,口を開けば「コーゾーカイカク(構造改革)」といっています.銀行や企業がつぶれても,失業者がどんどん増えても,「コーゾーカイカクが進んだ証拠」と言っています.「構造改革」とか「スタンス」という言葉を知っているといっても,「あいまいな意味」のままで固定観念として使われていることが多いようです.

 もし,「国の仕組みを変える」という日本語で訴えていたのなら,「どのように変えるのか?」,「なぜ?」「どんな手続きで?」,「いつまでに?」という疑問が,すぐ起こるはずです.同音異義の言葉のように,まったく意味の通じない言葉は論外としても,「あいまいなままの固定観念」として使われる漢語やカタカナ語は,論理のごまかしによく使われます.日本語の発達のためには,もっとも避けなければならないことだ,と考えます.

 これは,漢語とカタカナ語に共通した欠点ですが,カタカナ語特有の欠点もあります. カタカナ語は外国人にとってまったく分からない日本語です.漢語は「漢和辞典」を調べることができますが,「カタカナ語辞典」に載っていないカタカナ語を調べる手段はありません.もちろん,ここでいうカタカナ語とは,「ガラス」「レストラン」といった日本語になりきったものではなくて,先の本で石原慎太郎さんの文章として挙げられている,「スタンス」,「リージョナリズム」,「コントラバーシャル」,「リバイブ」,「モノポライ」といったカタカナ語です.ちなみに,「スタンス」をわたしの「カタカナ語辞典」で引くと「《野球・ゴルフ》打者の足の位置」とあります.

 

4.カタカナ語と漢語

 現象的には,よく似た形の性質(わるさ)をもっている漢語とカタカナ語ですが,中身はまったく違います.

 漢語が「話し言葉として通用しない」主な理由は,「発音が同じで,意味が違う」ためですが,同音異義のカタカナ語はほとんどなくて,逆に,「意味が同じで,発音が違う」ものがあるほどです.「よく知らない」言葉であることが多いようで,「書き言葉でも通用しない」ものです.言葉(単語)というものは,ある特定の言語の中で,相当広く使われていて,「意味や使い方がその言語の中で社会的な約束として確立」したときに初めてその国の言葉といえるのではないでしょうか?

 カタカナ語辞典に載っているものでも,もとの言葉は,英語,ドイツ語,フランス語はもちろん,イタリア語,オランダ語,ギリシャ語,スペイン語,ポルトガル語,ラテン語,ロシア語や中国語,朝鮮語そのほかがあります.まだなじみの少ないカタカナ語や日本でほとんど通用しないカタコト外国語をとくいがって使うことは避けるべきことでしょう.論理のごまかしや,知識のひけらかしでなければ,フランクルさんが指摘しているように,「新しく覚えたての言葉は,ついつい使いたくなってしまうもの」だからでしょうか.

 ここでひとつ弁護しておくと,「よく知られている言葉には,漢語しかなくて,同音異義の言葉を避ける」ために,カタカナ語(外国語?)を使っている場合もある,ということです.

 「たくさんの国の外国語を,日本語流のカタコト発音にして日本語の中で使っても,同音異義の言葉にはめったにならない,」ということは注目すべきことです.中国語だけを元にした漢語が数多くの同音異義の言葉を生みだしたことと対照的なことです.

 

 おわりに

漢語とカタカナ語は,古い日本語(やまとことば)に不足している語彙をおぎなう大切な役割をしてきましたが,おおきな欠点をもっていることをとりあげました.

 つぎの号で,これに対するわたしの考えについて述べたいと思います.

 

ことばづくり

 

0.まえおき

 先に,「漢語の同音異義」と「意味の通じないカタカナ語」をとりあげました.この種のことばは聞いて分からないだけでなく,本質的に分からないことばや,ときには,話し手や書き手にも意味が分かっていない場合さえあることを述べました.また,論理的には,表音文字でこれを避けることは十分可能であることを述べました.

 「可能性がある」だけでは問題の解決ではありません.解決方法が大切です.

 

1.            「ことばなおし」の字引

 田中舘先生の「ローマ字用法意見」(1885)では,「漢字かな文の中につかう訳語は漢語でつくるので,すなおな日本語がつかえない・・・」という意味のことが述べられています.ところが,1914年のRômazi Sekai では,毎号「直し言葉」が取り上げられています.明治のはじめに「わるい訳語をつくらないためにローマ字を」と述べておられたのが,明治の末には,「この通じない漢語をどう書き直すか」という問題に変わってしまったのです.

 この「直し言葉」が「ことばなおし」として,ローマ字仲間の大きな仕事として続いてきました.その成果の一つが“Hanasikotoba o hiku Zibiki 1939,福永恭助,岩倉具実)となりました.

これのMaegaki は,いま読んで重要な意味を感じますので,つぎに挙げてみます.

≪ (みじかく纏めています.)

この字引をつくるについて採った方針

(i) 「単語のことばなおし」だけでなく,「文章の言い回し」を考えて,見本文を載せた.

(ii)「光度」と「硬度」,「公爵」と「侯爵」,「科学」と「化学」のような紛らわしい言葉は,口語としてふさわしい言葉を捜すことにしました.捜しても見付からない場合には,ためしに新しく造った.

(iii)「大命を拝受する」と「大命を拝辞する」のようなのは,やはり紛れ易いから(ii)と同じように取扱うことにした.

(iv)むずかしいと思われる漢語−例えば「検する」や「牽強附会」や「拘泥」のようなものは・・・話し言葉を捜した.

(v)漢語や外来語でも,世間で不都合なく使われているものは口語になり切ったものと見てそのままとした.

 この場合でも,キッスイの立派な日本語がある場合には国語を尊ぶという意味合いから載せた.

Rei:「流行する」→「はやる」,

「伝染する」→「うつる」

(vi)言いにくかったり,聞きとりにくかったりすることばは,よりよい言葉をみつける.

Rei:遺失物,交響曲,特許局,首相,航空局,教学局,宗教局,旅客課,手術,実質

(vii)専門用語は手をつけない.

(viii)死んでしまった言葉には手をつけない.

(ix)私,僕,余,余輩,吾,吾輩,拙者,..など,いまの日本人の考えで多すぎる言葉は,一つか二つ位に纏めた.

 また,一つの外国語に訳語がいくつもある語はひとつにまとめた.

Rei:イギリス語のprobabilityにあたる「公算」「蓋然性」「蓋然率」「確率」「確度」「諒必度」「たしからしさ」の訳語を,「たしからしさ」にまとめた.

(x)漢語でなくても,口語としてふさわしくないものは,ふつうの口語をつけた.

Rei:「失う」→「なくす」「なくなす」,

「サラリーマン」→「月給取り」

漢語→漢語:「約定済」→「約束済」

漢語→外来語: 「罷業」→「ストライキ」

(xi)新しく造りだ出した言葉も出してあります.世間には,「口語を使うのは賛成だが,言葉の発明は困る」という人がいますけど,いま世の中で使われている言葉というものは,その源を探って見ると,やはり誰か初めてその言葉を使い出した人というものがある筈なのですから,私たちがそうした使い出し手(発明者)になっていけないという道理はありません.ただし,勝手に漢字を組合わせて新しい漢語を造る行き方と違って私たちのやり方は字を見ないでも連想その他の心の働きによって,その意味が判るような方法をとりました.こうした場合問題となるのは,それが世間の口に合わない独りよがりのものであってはならないということだけです.

 上のことを実際の例について言えば,私たちは汽車をOkazyōki(陸蒸気)やYugeguruma(湯気車)と言い換えるほど大和言葉に捕らわれてはいませんけれども,田丸卓郎博士の発明であるYosebumi(寄稿文のこと)やSōyoriai(総会のこと)やgarandōno Tama (hollow sphereのこと)ぐらいの行き過ぎ方には賛成です.捲き癖のついた紙を平にするためには一度それを逆に捲き直さなければならないのと同じように,私たちの考えをハッキリさせるためには,いくらかの行き過ぎが要るのです.(この項,原文のまま)

(xii)ホンの少し,方言から捜したものがある.

Rei:「重複する」「ダブる」→yaeru(八重る)

(xiii)短すぎる言葉はわざと長くした.

(xiv)「大阪」の「阪」と「神戸」の「神」から「阪神」と並べて「ハンシン」と読ませるのはよくない.言葉の上からは,ハンもシンもオーサカやコーベと何の関係もない.

 イギリスを英国,アメリカを米国というのも,家来である文字(漢字)のために,主人である言葉が歪められている.

(xv)外国語の翻訳語で,「ピンポン」ヲ「卓球」に,「バスケット・ボール」を「籠球」に,「テニス」を「庭球」にするなどは感心しない.「特許」は「パテント」にした.

 しかし,なるべく日本語の方がいい.英語のshoesヲ「クツ」に,bootsを「ナガグツ」に,socksstockingsを「クツシタ」に訳したように.

 まったく申し分のない方針です.

 

2.表音文字で日本語が書ける

 1000ページに近いこの字引には,17,453項目あります. 「広辞苑」が20万語あまりですが,書き換えなくてよいことばがほとんどですから,1万7-8千語というのは,ことばなおしの必要なことばの大部分が入っていることになります.(当時)でも,いつも手元に置いて,これを引きながらこれを使っているわけではありません.

 その理由を考えると,

a)     引いてみて,出ていないことばにあうのは大変いやなものです.

b)     専門用語がないので,「不足」と感じる.

c)      もっとも大きな理由は,「ローマ字で書くのに,字引が必要」ではおかしい.

などのようです.

 福永・岩倉の字引ができたことは,「表音文字で日本語が書ける証明」になっておりますが,「字引を引きながら文章を書く」ことは正しい方法ではないでしょう.

 

3.            ことばづくりえ

 あまり多くない基本語と,それらを有機的に組み立てた,構造をもったことばが分かりやすい,と考えています.有限の基本語によって,限りない組み立て語ができていくわけで,これで論理的で分かりやすい日本語ができるのではないか,と考えています.

 田丸卓郎先生はたくさんこのようなことばをつくっておられます.福永・岩倉の字引も有機的なことばづくりの見本をたくさん見せてくれます.最近発行された「窪園晴夫:新語はこうして作られる」(岩波書店)はことばづくりのルールを教えています.

 人に分かりにくいことばを使いたがる人もありますが,多くの人はみんなに分かることばを望んでいます.

 これまでのことばなおしは,すでにある「やまとことば」,「方言」,「現在使われなくなったことば」などからの「ことば拾い」の傾向が強かったように思います.

 現在,通用しないことばが多いのは,「よくないことばづくり」でできたからで,「よいことば作りのルール」をつくって積極的によいことばづくりを広めて行くことで,通用する日本語ができるものと考えています.

 

        (Tuzuku!)