セトラの民、星より生まれ
星と語り、星を開く
乱暴に運転される列車の揺れが体に響く。全てを語るには、彼女にはもう時間がなさすぎた。深く傷ついた体を癒すだけの余力を、この地はとうに失っている。
だからまずは、もっとも大切なことから教えようと思った。今このときだけ、彼女だけが、伝えてあげられること。
わずか七歳になったばかりの娘が、どれだけ覚えていてくれるかはわからないけれど。
「せとら、ってなあに?
お母さんのこと?」
多分まだ娘には、この言葉の持つ意味を実感することは難しいだろう。それでも幼いなりに、古い言葉に秘められた漂泊の匂いを感じたのだろうか。澄み切った瞳が、さらに輝く。そんな娘の様子を、彼女は頼もしげに見つめ頷いた。古き民の血が、この小さい体の中で確かに息づいている。
「そうです。
そして、あなたもです。エアリス」
答える彼女の声は、可能な限り低く抑えられていた。喋る事が傷に触るばかりでなく、大切なことほど密やかに囁かれるものだということを、娘に示すためでもあった。
「じゃあ、いっしょに帰れるね。うれしい。
『やくそくのち』って、どんなところ?」
無邪気に問う娘に向かい、彼女は首を横に振った。額から汗が流れて目に入る。霞がかった視界が一段とぼやける──世界の中に溶けていく。
「なんで?
わたし、お母さんといっしょがいい!」
口を尖らせる娘に、彼女は微笑して見せた。わたしもできれば一緒にいたい、と。けして、あなたを疎んじている訳ではないのだと。
ようやく会えた我が子との、誰が別れを望むだろう。けれど彼女が留まれないならば、それも仕方がない。こんなにも幼い娘を、連れ去ることは出来ない。断じて。
「それは出来ないの。連れて行くことも、連れて行ってもらうことも出来ないの。道は自分で探すしかない……
でもだいじょうぶ。たどりつく先は、みんな同じ」
まだ娘は充分に生きていない。たったの7年、それも極端に制限された、篭の中の時間しか知らない。精一杯守ってきたけれど、彼女一人が与えられるものには、どうしても限りがある。
この子の旅は──まだ始まってもいない。
「心配しないで。もう少ししたら、あなたにもわかる……星が、セトラに教えてくれる。
この街はもうダメだけど、外にはまだ、間に合う場所が残っているから。
いつかここから逃げなさい。旅をして……エアリスの約束の地、見つけなさい。
母さんは……そこであなたを見ているから」
別れの時が近づいている。世界がどんどん融けていく。もうじき彼女の魂は肉体を離れ、先んじて人生を閉じた無数の同胞たちのそれと、混じりあいひとつになるのだろう。川底の石が丸くなり、やがて砕けて砂と降り積もるように。
その前に。彼女が彼女であるうちに、他の誰にも代えられない特別な娘に、伝えるべきことを選ぶなら──それはごくありふれた、世の母親の大半が一度は考える程度のことで。
「どんなときでも……何があっても……
いままでと同じように、これからもずっと、あなたのことを見ているから……」
枯れた野を横切る 風が熱を奪い
重い足元から 弱さ忍び込む
そっとくちびる噛み 言葉飲み込んでた
君の瞳がまだ 背中残っている
旧七番ゲートに面した公園で、ティファ、バレット、そしてクラウドの3人は、剥き出しになったアスファルトの上にへたり込んでいた。以前は砂が表面を覆っていたが、衝撃であらかた吹き飛んでしまったようだ。巻き上がった埃がまだおさまらず、視界は褐色にくすんでいる。
あまりの轟音に聴覚が麻痺している。目の前にあるプレートの残骸、今見えるのはそれだけだ。
平均50mの距離を落下してきた塊は、百年前からそこにあったかのような威圧感で、傲然とそびえている。地面との隙間から、濃い色の液体が染み出している訳では無い。わざとらしく、千切れた腕の先だけが転がっているということも無い。ほんの五分前までそこにあった、ごみごみと埃っぽく不快な熱気で充満していたスラム街は、ぺちゃんこに押し潰されて、綺麗さっぱり見えなくなった。
劣勢を口先で誤魔化すようになったらもう勝ち目はない、というものの──目の前の惨状を一体どう表せば、敗北を直視してると言えるのか、クラウドには見当もつかなかい。
完全にしてやられた。脱出こそ果たしたものの、成功したのはそれだけだった。元ソルジャーともあろうものが、妨害らしい妨害も出来ず、命からがら逃げ出したのだ。
(……失敗した。
俺は、何の役にも立たなかった……)
その事実は、自分でも意外なほどにクラウドを打ちのめした。弾丸の尽きた右腕を鳴らして、バレットが残骸に向けて、死者の名を叫んでいる。それを、煩わしいとも思わない。
許せない。自分の無力が。
(まただ。また何も出来なかった。
あの時と同じだ──)
それなりに平穏な暮らしが、一瞬で破壊されていく。気がつくと何もかも取り返しがつかなくなっていて、眺めているしか出来ない無力感。
そして、破局の直前になって再び耳にした、あの言葉も。
何故いままで気付かなかったのだろう? クラウドは既に、その言葉と出会っていたのだ。
”我こそ古代種の血を引きし者”
伍番街の教会で、エアリスを連れて逃げる際に、レノが言っていた──『古代種が逃げる』と。
”この星の正統なる後継者!”
(そうなのか……セフィロス……?)
エアリスも『そう』だというのなら、彼女もいずれは……だがまさか、あんなお人よしが?
「ねぇ、バレット……」
それ以上先を考えることを、何かに止めてほしかったのか。おずおずとしたティファの声が耳に飛び込み、クラウドは顔を上げた。座り込んで右腕を地に叩きつけていたバレットも、同時に彼女の瞳を見る。魂が抜けたような顔だ。だがそれだけに、すこしは落ち着いたと見えないこともない。
「落ち着いて聞いてね?
マリンは──マリンは大丈夫だと思うの」
「……え?」
すぐに告げなかったのは、バレットの激昂が静まるのを待っていたのだろう。さっきのバレットの声は、ティファに対して聞き返したものではなかった。ただ腹の中から音が漏れて、勝手に口から出て行った、それぐらい気の抜けた声だった。 さらに慎重に、言葉を選んでティファは続ける。
「エアリスが言ってたわ。『あの子、大丈夫』って。
きっとマリンのことよ、多分」
「ほ、本当か!」
「きゃっ!
だ、だから『多分』って」
突然、スイッチが切り替わったように正気に戻ったバレットに抱きつかれ、ティファが悲鳴をあげる。バレットはお構いなしに、そのまま彼女を持ち上げて振り回した。
「そうか、そうなのか!!
ひゃっははははははっ、ティファ、お前最高だぜ!!」
「ちょ、ちょっとバレット、離してったら!」
「ぃゃーーーーーーっほう!!」
まだ詳しい事情も聞いてないのに、ずいぶんなはしゃぎっぷりだ。たっぷり一分半ほど喜びに浸って、ようやく気の済んだバレットは、まだ他にないかと問いかけた。
「それじゃもしかして、あいつらも……」
「…………」
ティファも多分、答えのないことから、察してくれるものと思っていたのだろう。だがバレットは過剰な期待を隠しもせずに、沈黙する彼女を見つめている。さすがに不憫に思い、クラウドが嫌な役回りを引き受けた。せめてもの情けで、表現をぼかす。
「……あの3人は、柱の中にいた」
「わかってる……
でもよ、でもよ!
一緒に戦ってきた仲間だ!
死んじまったなんて……思いたくねぇ!」
「だからなんだ?
現実を見るんだな」
「うるせえ!
てめえなんかに分かってたまるか!」
唸りを上げた銃身が、一歩右にずれたクラウドの頬を掠める。もう一度、左腕にも空を切らせて、バレットはしゃがみこんだ。神経が昂ぶっているのか、普段に輪をかけて、感情の起伏が激しい。
「ちくしょう……。ちくしょう……
なんでこんなことになるんだよ……」
「クラウド!
何もそこまで──」
「事実だ。”おやおや、偉そうに”
泣き喚いたところで、何も変わりゃしない」”お前に、ひとのことが言えるのか?”
彼女もまた、3人の最期を見届けたというのに……バレットの肩を持つ気らしい。下唇を噛んで、恨みがましげにクラウドを見る。慰める気にもなれないクラウドの視線を、やりすごすようにうつむいて──振り向き、プレートに目を向けて、すぐにまた顔を背けた。
「……私たちのせい?」
アバランチがいたから?
関係ない人たちまで……」
「ちがう! ちがうぜ! ティファ!
なにもかも神羅のやつらが、やったことじゃねえか!」
別にそのためではなかったと思うが、ティファが口にした疑念によって、見事にバレットは立ち直った。錆びた遊具に片足をかけ、演説を始める。
「自分たちの金や権力のために、星の命を吸い取る悪党ども!
これだってなあ、結局は『俺達に逆らうとこうなる』って見せしめのために、これだけのことをしでかしたに違いねえ!
スラムの連中をダシにして、脅しをかけてやがるんだ。そんな汚ねぇ手に乗ってたまるか!!」
実はその内容は、先代のアバランチリーダーが何者かに暗殺された、その翌日の会合でバレットが叫んだものを、繰り返しなぞったに過ぎなかった。クラウドがアバランチと関わりになるよりも前の話だ。その決意表明によってバレットは、ビッグス他、規定路線の継続を主張する先輩格を差し置いて、後継者として認められたのである。彼のリーダー就任を機に組織を離れた者もいたが、そういう『フヌケの脱落者』に対する、新たな指導者の関心は低かった。
「……わからない」
「神羅を潰さない限り、この星は死んじまう。
神羅を倒すまで、オレ達の戦いはおわらねえ!!」
「わからない!!」
熱の入った煽動は、ただ1人の聴衆のブーイングで中断された。以前は共感を示していたティファからの拒絶に、バレットは戸惑いを隠せない。
「オレが言ってること、分からないのか!?」
「ちがう……
わからないのは、自分の……気持ち」
当人にも理解できないものが、他者に伝わるはずもない。はっきりしないティファの態度に業を煮やし、やりとりに背を向けて聞き流していたクラウドにバレットは声をかけた。
「おい、お前はどうなんだ」
クラウドは答えなかった。そもそも彼に、仲間となった覚えはない。成り行きでこちらから手を貸した格好になったが、一緒にされるのは迷惑だし、アバランチの今後など、興味があるはずもない。
「おい!」
「クラウド、待って!」
呼び止める声を無視して、クラウドは六番街スラム側の出口に足を向けた。それは四半日前、エアリスが案内してくれた道だということを、彼だけが知っている。
「あいつ、どこへ?」
「……あっ!、エアリスのこと!」
バレットに聞かれて、ティファはその可能性に思い当たった。彼女はエアリスについて、ほとんど何も知らないに等しい。行動をともにしたのは極短い時間で、状況が切迫していた為、互いの情報を交換する機会もなかった。だから、マリンを保護してもらったという推測は出来ても、肝心の行き先がわからない。だが、クラウドなら何か知っているはずだと、容易に推測できた。
「あの姉ちゃんか。
……そういや、何者なんだ?」
「私もよく知らない!
でも、マリンのことを頼んだの!」
バレットをついて来させるのに最も効果的なひとことを残して、ティファはクラウドの後を追った。
愛娘の安否を持ち出されて、バレットがじっとしていられるはずもない──しかし彼は同時に、アバランチのリーダーでもあった。振りかざした旗の下で、生き残ったただ1人の同志が、迷いを抱え始めていても。
「……ティファ。
もう、後戻りはできねぇんだ」
自分自身にしか届かない声で呟き、父親の顔つきに変わって、バレットも公園を出て行った。
Never cry for me
来客の気配を察し、エルミナ=ゲインズブールはテーブルに伏せていた顔を上げた。いつのまにか、すっかり暗くなっている。壁のスイッチを押そうと腰をあげ、空いた椅子の背にかかった赤いシルクが目に入った。思わず手にとり、温もりが残っていないことを確かめる。
見覚えのないこのドレスを着て、エアリスは家に戻ってきたのだ。まっすぐ自分の部屋に行き、いつもの服に着替えて出て行った。友達に頼まれたという、小さな女の子の世話をエルミナに頼んで。
──いつか、こういう日が来るとは思っていた。
かなり強めのノックの音で我に返る。ドアの向こうにいる何者かに、入ってくるよう告げ、思い出して明かりをつける。まばたきする電灯に目を細め、神妙な顔で戻ってきた男に、彼女のほうから用件を切り出した。
「クラウド……だったね。
エアリスのこと、だろ?」
「……すまない。
神羅にさらわれた」
半日前、彼女が追い払った男は、そのことを心底悔やんでいるようだった。背後に立つ見知らぬ男女も、程度の差はあれ同じ表情を浮かべている。
間違ったのかもしれない、とエルミナは思った。このソルジャーを信頼して、エアリスから目を離さないよう頼んでいれば、こんなことは起きなかったかもしれない。
それとも、目の前で娘を裏切らせる羽目になったのだろうか?
良い想像も、悪い予測も、いくらでも出来てしまう。
「知ってるよ。ここから連れて行かれたからね」
その証のドレスを、エルミナは背後に放った。ふわりと広がった、あちこちに泥跳ねのついた赤い色を、ソルジャーの視線が追う。空気を孕んだすべらかな布地は、テーブルの端に引っかかったあと、自らの重みに引きずられて床に落下した。
もごもごと口の中で呟きながら、腰をかがめてそれを拾う。元のように椅子の背にかけて──声をかけあぐねているクラウドに、彼女は言ってやった。
「エアリスが望んだことだよ……」
「どうしてエアリスは、神羅に狙われるんだ?」
その言葉で、エアリスから多くの事を聞いていないことをエルミナは理解した。単にその機会がなかっただけなのか、それとも話すべきではないから黙っていたのか、エアリスの意志を確認する手段は今のところない。
ならば彼女自身が、今一度見極めるだけの話だ。
首筋を伸ばし、燐光を放つクラウドの瞳を真正面から見据える。
「あんたたち……腹は括ってあるんだろうね?」
褐色肌をした男が真っ先に、半呼吸送れてクラウドと、ロングヘアの娘が頷く。その決意を、エルミナは認めた。何のことかと問いでもしたなら、叩き出すつもりでいたが。
後は彼女が踏み出せば、賭けは成立する。
「エアリスは古代種。
古代種の生き残りなんだとさ」
「……なんだとさ、だって?
あんた、母親なんだろ?」
クラウドは無反応だ。彼の背後にいた巨漢が、一歩前に出て問い返す。
「……産みの親、ってやつじゃないんだよ。
あれは……そう、15年前……
戦争中でね、わたしの夫は、戦地に行っていた。
ウータイという、遠い国さ──」
大きく息を吐き、彼女が知る限りのことを、エルミナは語りだした。
『ある日。休暇で帰ってくるって手紙をもらったから、 わたしは駅まで出迎えに行ったのさ』
事実上神羅の支配下にあるミッドガル市が、東海の彼方の島国ウータイと争うようになった事情ははっきりしない。魔晄炉からは採取できない、強力なマテリアの数々を狙ったのだとも、独自の武術が盛んなウータイの軍事力を恐れたとも、ただ単に自社の主力商品──兵器の市場を拡大したかったのだとも、推測は無数に存在したが、表立って議論されることはない。神羅カンパニーの権力が存続する限り、その経緯が明らかなされることはないのだろう。だがその圧力をもってしても、当時の劣勢を完全に覆い隠すことは出来なかった。圧倒的な物量でどうにか戦線を維持したのものの、2ヶ月で終結する、という当初の見通しは8ヵ月後になって撤回され、戦争開始から17ヵ月後に出された停戦条約は、ミッドガル側の利益に偏っているとの理由でウータイ側から破棄を宣告された。神羅主導の色彩を薄めるため、ミッドガル市の正規軍を主力部隊として投入したことが仇となり、現在ほど強固でなかった神羅の支持にも翳りが見え始めていた。ミッドガルの兵は実勢経験に乏しく、そのことも泥沼化に拍車をかけたと言われている。プレジデント最大の失策、とまで囁かれるようになった混乱は、神羅秘蔵の精鋭部隊を新規投入したことにより、23ヶ月目にしてようやく好転の兆しを見せていた。
エルミナの夫、エリック=ゲインズブールもそうしたミッドガル市民軍の1人であり、何度も先延ばしにされていた休暇を利用して、今度こそ帰ると妻に向けて手紙を書き送った。
しかし到着予定日の朝早く、最寄の駅まで出迎えに行ったエルミナは結局、最愛の伴侶の無事な姿を見つけることが出来なかった。
『夫の身になにかあったんだろうか?
いや、休暇が取り消しになっただけかもしれない』
それ以来、ゲインズブール夫人は毎日駅へと通い詰めた。あまり本数の多くない列車はほとんどががら空きで、稀に引き上げてきた兵が部隊ごとにまとまって乗っていた。同じように家族や恋人を迎えに来た女たちが、その度に数を減らしていく。せめてエリックの息災を知る者が居ないかと手当たり次第に尋ねてみたが、返答は曖昧なものばかりだった。
その日も、再会に沸く恋人らしき男女を横目に、エルミナ夫の帰りを待っていた。待ち人を寄越しもせず、やけに長く開いたままのドアを忌々しげに睨みつけていた彼女の前に、駅員が何か大きなものを担いで出てきた。
頼まれて駅員室から持って来た毛布に横たえられたのは血塗れの女性で、仰向けに寝かされた彼女は、傍らで涙を堪えている幼い少女を──エアリスを安全な場所に連れて行ってほしい、と言い残して息を引き取った。
老齢の駅員は、困惑したようにエルミナの顔を見ている。彼女がここ数日ホームに現れては、日暮れとともに肩を落として帰っていく姿を、彼は覚えていた。
歯を食いしばって鼻をすすり上げるエアリスの頭に手を置き、柔らかい茶色の髪をエルミナは無言で撫でた。
少女はエルミナのスカートにしがみついて、勢いよく泣き出した。
戦争中はよくある風景だったね。
わたしの夫は帰らず、子供もいない。
わたしもさびしかったんだろうね。
亡骸を弔った後、エアリスの手を引いてエルミナは伍番街スラム郊外の家に戻った。年の比べれしっかりしてはいるのだが、いまひとつ要領を得ないエアリスの話を総合すると、彼女とその母親は戦場ではなく、研究所を思わせるどこかの施設から逃げてきたらしい。最初考えていたように、ただ単に生活の面倒を見れば済むというものではないとエルミナも察したが、一度引き取ると決めた以上、放り出すつもりはなかった。魔晄都市の建設が始まる前からこの土地に住んでいたエリックには、そこそこの蓄えがあり、子供用の服や家具や雑貨を買い揃えても、どうにか生活を成り立たせることはできた。近所には親戚の子を引き取ったということにして、2人は親子として暮らし始めた。
駅には、もう行かなかった。
エアリスはすぐに
わたしになついてくれた。
よくしゃべる子でねえ。
いろいろ話してくれたよ
エアリスを引き取ってから数日。四六時中つきまとい、ひっしきなりに話し掛ける少女に、子供と暮らしたことのなかったエルミナは、実のところうんざりし始めていた。それが苦にならなくなったのは、前にいた所では母親と自由に会わせてもらえなかったと、何かの折りにエアリスが打ち明けてからのことだ。
”でもわたし、お母さんの声、ずっと聞いてたよ”
淋しかったろうに、と思わず口にした彼女に、エアリスは反論した。
”おかあさん、星に帰っただけ。
だからわたし、さみしくなんかないよ。
今だって、会えないけど、ちゃんとそばにいてくれるもん”
小さな体をエプロンで押しつつむと、少し鼻の詰まった声でエアリスはさらに続けた。
”わたし、さみしくない、けど……
エルミナお母さんは、まだここにいてくれるよね?”
どこかの研究所みたいな
ところから母親と逃げ出したこと。
お母さんは星に帰っただけだから
さびしくなんかない……いろいろね
「星に帰った、だって?」
風変わりな言い回しに反応し、エルミナの話を中断させたのは先程と同じ大男だった。どうも、気になることは一刻も放って置けないタイプなのだろうが、気がつくと、もの問いたげな顔をしているのは彼だけではない。すっかり思い出に浸ってしまったことを、エルミナはひそかに反省した。
「私には意味がわからなかったよ。
夜空の星か、って聞いたら、ちがう、この星だって言われて……
まあ、いろんな意味で不思議な子供だったね」
やはりこれだけでは足りないのか、3人とも微妙な表情で説明の続きを待っている。とはいえ本当に、エルミナも未だにその言葉の意味を理解してはいないのだ。エアリスと暮らす上で、彼女の他人とちがう点には、あえて触れないようにしていた。根掘り葉掘り聞きだそうとして、彼女に昔を、研究所で調べられていた頃を思い出させることを恐れていた。だから、それと関係しそうな話は、あとひとつしかエルミナは知らない。
「夫が死んだ時もあの子、同じようなことを言ってたよ。
突然『泣かないでね』とか言い出して、一体なにがあったのかと聞いたら、
『お母さんの大切な人が、死んじゃったよ』って……
『心だけになってお母さんに会いに来たけど、星に帰っちゃったよ』ってさ。
わたしは、どっちも信じなかった。馬鹿な事を言うんじゃない、って怒鳴りつけたさ。
でも……それから何日かして……
夫が戦死したという知らせが……届いたんだ」
ウータイとの時差を計算すると、素気ない定型文に記された日時は、エアリスがそのことを彼女に告げた時刻と同じだった。それがわかったので、以前叱ったことをエアリスに謝った。
その前に──一瞬、気味が悪い、と思ってしまった自分を、エルミナはこの先もずっと振り返りながら過ごすのだろう。エアリスが自分から、星がどうという話をしなくなったのは、それを敏感に察したからなのかもしれない。
「とまあ、そんな具合でね。
いろいろあったけど……私たちは、幸せだった」
ところがある日……
「エアリスを返してほしいのです。
ずいぶん探しました」
ノックひとつで彼女たちの生活に割り込んできた侵入者の、エアリスを物扱いするかのような言い草がまず気に入らなかった。付け加えるなら、ツォンと名乗ったその男は、ひとまわり年上のエルミナをあからさまに侮っていた。
「いやっ!
絶対いやっ!」
「エアリス、君は大切な子供なんだ。特別な血を引いている。
君の本当のお母さんの血。【古代種】の血だ」
明確な主張に、少女の我の強さを知ったのかもしれない。今度は彼女を無視することなく、ツォンはエアリスを諭そうとした。エルミナにとっては始めて聞く話だが、娘の意志が決まっているならば、それに沿うだけの話だ。
「それが、あんたたちに何の関係があるって言うんだい」
「古代種は、至上の幸福が約束された土地に我々を導いてくれる存在です。
エアリスは、この貧しいスラムの人々に、幸福を与えることができるのです」
まるで週末に出没する宗教家のような台詞だが、それを口にする男の表情は醒めきっていて、自分でもその御伽噺を信じていないことは間違いなかった。百歩譲ってその土地とやらが実在するとしても、神羅がそれをスラムの住人に分け与えるなどと、空々しいにもほどがある。
「ですから我々は、ぜひともエアリスの協力を頂きたいと……」
「ちがうもん!
エアリス、古代種なんかじゃないもん!」
「でもエアリス、君は時々、誰もいないのに声が聞こえることがあるだろ?」
「そんなことないもん!」
エアリスの稚拙な嘘に取り合わず、ツォンは説得を試み、少女はそれを撥ねつけ通した。
それは、人違いだと言い張れば相手が引き下がるだろう、という子供の浅知恵なのか、それともエルミナの前で、他人にはない力を認めたくなかったのか。
小一時間ほど粘った末に、ツォンは戻っていった。帰り際に押し付けていった名刺の肩書き、【神羅カンパニー治安維持部門調査課】が、悪名高いタークスの正式名称だと知ったのは、彼の訪問が三度目を数えた時だった。
「でも、私は気付いてた。あの子の不思議な力……
いっしょうけんめい隠そうとしていたから、気付かないふりをしていたけどね」
長い話を締めくくり、いつのまにかまた手にしていたドレスを、エルミナは丁寧に畳んでテーブルの上に置いた。
「15年……そんなに昔から……!?」
「なんてしつけえ連中だ!」
同情を引く為に話したわけではないが、娘と大男の反応は、概ねエルミナの予想どおりだった。そしてかすかに予感していた通り、クラウドはあっさりとその話を受け流した。一定の長さの時間に抱く印象は、齢を重ねるごとに軽くなってゆくものだが、最も高齢であるエルミナにとってさえ、人生の1/3以上に当たる歳月に、全く動じていない。
「別段驚くほどではない。
神羅は30年以上も前から、古代種について調べていたのだからな」
仲間からの奇異の視線をものともせず、冷静に会話を継続するソルジャー。頼もしい、と評価してよいものか、エルミナは判断に迷った。
「それにしても、よく何年も、神羅から逃げ続けることができたな」
「エアリスの『協力』が必要だ、って繰り返してたからね。
そこのところは、口先だけでもなかったらしい。だから神羅も、手荒なマネはできなかったんだろうね」
「……そう……なの?
じゃあ、今回はどうして……?」
何か嫌な事でも思い出したのか、問い掛ける娘はかなり険しい顔をしていた。だがよく見れば、かなり整った顔立ちをしている。汗で化粧が流れ、体じゅう埃にまみれているが。
彼女のことを、初めてエルミナは気にかけた。あいにくと年の合う相手がなくて、同性で同年代の知り合い、というものをエアリスは持ったことがない。エアリスが去り際に言っていた『友達』は、この娘らのことだろう。
「あの子は……ああ、クラウドさんと一緒なら、一回外で会ってるのかね?
小さな女の子を連れて、ここに帰って来たんだ。
その途中で、ツォンの奴に見つかってしまったらしくてね」
状況を思い出すことで、似合わない鉢植えなど持って、幼女の手を引くエアリスの背後に立っていたタークスを目にした瞬間の、とてつもない悪寒がエルミナの背筋に蘇った。
怯えた様子の子供を連れて、エアリスが自室で着替える間、呆然とする母親に経緯を説明したのはこの男だ。自分はただ、2人をここまで送り届けただけだと。それでようやく、エアリスが自分を信用してくれたと──娘に何をした、と詰め寄る彼女に向かって、平然と言ってのけたのだ。
「女の子の無事と引き換えに、神羅に行くことになったみたいだ。
……エアリスがそう言ったわけじゃあないけどね」
エルミナが言葉を切ったとき、娘と大男の表情には、自責の色が生まれていた。戸惑いが生んだ沈黙を、容赦なく打ち壊したのもクラウドだった。
「マリン、だな」
「──マリン!!
マリンのために、エアリスはつかまったのか!」
突きつけられた結論に、銃に改造した腕を振り上げて、褐色の男が吼えた。エルミナの前に立ち、大男は申し訳なさそうに体をちぢこめる。
「すまねえ。
マリンはオレの娘だ。
すまねえ……本当に……」
文字どおり、全身で謝っている。それこそ大きな子供のように。
「──どっかの青二才が、いらないことを言ってたよ。
この子の身内は凶暴なテロリストだから、もし押しかけて来ても刺激しないほうがいい、とかなんとかね。
そうかい、あんたが父親かい……」
さしたる意味もない告げ口に、ますます大男は……隣の娘も、いたたまれなさそうに、一段と頭を下げる。
虫の居所が悪い、といえばそれまでのことだが、まるで謝るだけで片が付く子供の立場に逃げてるようで、ひどくエルミナの癇に障った。
「あんたがやってることは、この際置いとくよ。
けどねぇ、親の役目ってもんがあるだろう。
あんた、娘をほったらかして、なにやってるんだい!?
アバランチのバレットさん!?」
「……その話はやめてくれ。
オレだって何度も考えたさ。
オレが死んじまったら、マリンは…ってな」
父親としての資質を問われた男は、うなだれたまま弁明を始めた。少なくとも、娘のことを大事に思ってはいるのだ。
「でもよ、答はでねえんだ。
マリンといつもいっしょにいたい。
でも、それじゃ戦えない。
戦わなきゃ星が死ぬ。
神羅にボロボロにされちまう。そんなことは許せねえ。
おう! オレは戦うぜ!
でも、マリンが心配だ。いつも側にいてやりたい。
……な? グルグル回っちまうんだ」
抱え込んだジレンマを語るうち、口だけでなくジェスチャーも混じえ、その時々の内容に応じて、表情もコロコロ変わる。どこまでも直情的で、頭の中と行動を分離するのが苦手なタイプのようだ。禄に考えを整理せず、生の心情をさらけ出す男は、ずいぶんと無邪気なようにも見えた。
「……わからないでもないけどね」
この男の、娘への愛情と、将来への危機感は偽りではないのだろう。
エアリスを引き取った当初は、エルミナも仕事を持っていた。神羅に見つかった直後に解雇され、かなりの間、戦没遺族への支給で食いつなぐ羽目になったが──子供を置いて家を空けなければならない気分は、そのときに経験している。
そして、自分では真摯なつもりでいた当時の彼女が、仮に同じことを言われたら……やはり、素直に聞き入れはしなかっただろう。
それを思い出して、エルミナはくどくどと説教する気を失くした。マリンという名のあの子供は、おそらく5歳にもなっていないだろう。兄弟がないとしたら、親の側も、同じだけの経験しか積んでいないのだ。
だからだろう──詰めが甘い。出した答えが正しいのか間違ってるかは他人の決めることではないが、肝心の娘がどう思っているのか、成長してからどう思うのか、何を望んでいるのか、それを叶えてやれるのか、親として必要なことを必要なだけ考えていないように、彼女の目には映った。
「けど、これだけは覚えときな。
『娘のために』って言って歩いた以上、いずれあの子は自分ひとりで、あんたのやったことに向き合わなきゃならなくなる。
あんたたちが、どういうつもりでいようとね」
たった1人、それもやけに風変わりで手のかからない娘を、途中から育てただけとはいえ、年季の違いがものを言う。精一杯の忠告に、未熟な父親は神妙に頷いた。仕草はどこか子供っぽいが、少し、顔が引き締まったようにも見える。まだまだ、至らない親であることには変わりはないが、外からの言葉だけで補える欠点はもう見当たらなかった。後は、時間をかけて培うしかない。
「……ま、とにかく今は会っておやり。
2階で眠ってるから」
「そ、そうか」
奥を示すエルミナの指に従って、バレットはそそくさと階段を上った。半分ほどあがったところで、寝た子を気遣って極端に動作が遅くなる。不器用そうに足音を忍ばせる様が、童話の中の熊のようでエルミナの微笑を誘った。
「……ごめんなさい。
マリンのことを頼んだの、私なんです。
私がエアリスを巻き込んだから……」
残った娘が、再び頭を下げた。年からいってだいたい予想はつけていたが、やはり彼女がマリンの母親、という訳ではないらしい。この娘について、ほんのすこしだけマリンから聞いていたことを、エルミナは思い出した。
「あんた、ティファさんだね?
気にするんじゃないよ。
エアリスだって、そんなふうに思っちゃいないよ」
「……でも」
「いいから。あんたたちも早く会っておやり」
「いや、俺はもう行かせてもらう」
「ちょ、ちょっと待ってクラウド!」
言い足りなさそうなティファを無視して、クラウドは早くも玄関に足を向けていた。昨夜もそうだったが、この青年はあまり他人と関わりを持ちたがらない節がある。
「お待ちよ、どうするつもりだい?」
「……あんたに言う必要はない」
「そうかい。
けどあいにく、こっちはあんたに渡すものがあるんだけどねぇ。
エアリスからの預かり物さ」
疑わしげに顔をしかめながらも、踵を返したクラウドの行動がエルミナの予測を裏付けた。これからどうするつもりか素直に言えば良いものを、黙っていたほうが格好がつくと思うのが、この年頃の男というものだったか。
「けど、今は渡せないね。ものごとには順序ってものがあるんだ。
とにかく、マリンに顔を見せてっておやり」
せっかちなソルジャーは当然抗議してきたが、エルミナは頑として取り合わなかった。早くも、地に響くような号泣とマリンの声が聞こえて来ている。しぶしぶと、クラウドも二階に向かった。もう一度エルミナに頭を下げて、ティファが後を追う。小刻みに揺れる背中で、先を束ねた髪が踊った。
これでいい。あんな小さな子供なのに、無事を祝ってくれるのが、父親だけというのは悲しい。ひとりでも多く、喜びを分かち合ってやらなければ。
彼女はそこに加われないから、代わりに行ってもらわなければならない。
「…………
はぁ……」
ようやく客を3人とも追いやって、1人になったエルミナは、深々と溜息をついた。ティファたちが加わって、上から聞こえるマリンの声も、いっそう明るくなったようだ。ずっと泣き通しで、とうとう疲れて眠ってしまった子供が、元気になるのはいいことだ。
エアリスは、どうなのだろう。どうしているのだろう。娘の無事を願いながら、子供特有の高い声に耳を傾けていると──
彼らを、恨んでしまいそうになる。
それを咎める事は誰にも許さないけれど、あれだけ偉そうにしておいて、人の幸運を妬む姿を見せられない。それにきっと、エアリスが知ったら悲しむ。
だから今夜、二階に顔を出すことはしない。
「……さて。
いつまでもこうしちゃいられないね」
体と手を動かせば、少しは気分も紛れるだろう。せっかく家族が無事に再会したのだ、ゆっくりさせてやりたいと思うのが正しい。
こんなときだからこそ。彼女がしっかりしなければ、エアリスに申し訳ない。
いきなりの大所帯で、支度は何もしてないが、そんなときこそ主婦の腕の見せ所。両手で頬を叩いて気合を入れ、腕まくりをして、エルミナは台所に向かった。
Never turn around
人目をはばかる、という観念がそもそも存在しないのだろうか。主のいないエアリスの部屋にクラウドが足を踏み入れたとき、髭が痛いというマリンの訴えも聞き入れず、バレットは娘を抱え込んでオイオイと泣き叫んでいた。
「ティファ! クラウド!」
鋼のような束縛から、器用に抜け出したマリンが2人のもとに駆け寄る。置いていかれた父親が情けない顔をするが、どういうわけかすぐにまた、だらしなく表情を緩めた。クラウドには理解不能だ。
「みぞがぞ!
クラウド、みずがぞやっつけて!
おねえちゃん助けて!」
「……ミゾ……?」
そして父親の情緒以上に、娘の依頼はわけがわからなかった。舌がうまく回らないらしいが、元の単語を推測できない。
「……ティファ、通訳してくれ」
「ごめん、私もわからない」
「へび! へびのみぞがぞ!
はやくやっつけないと、おねえちゃん食べられちゃう!」
通じてないとわかったのか、顔を見合わせる二人の間に分け入って、腕を振り回し声を張り上げるマリン。彼女の補足が効を成して、不可解な謎を解明する糸口を、ティファがつかんだようだ。
「蛇……
ひょっとして、ミドガルズオルムのこと?」
「それ! みぞがぞ〜〜〜!!」
どうやらティファの正解らしい。ミドガルズオルムと言えば、南西の湿原に生息する巨大な蛇の俗称だ。ものによっては10メートルを越えることもあるという。──実はこの場合、マリンお気に入りの絵本に出てくるキャラクターで、主人公である擬人化されたチョコボをひと呑みにしようと企む悪役のことを指しているのだが、そこまでクラウドの知識は及ばない。
だが、その『蛇』とやらが誰のことかは彼にも理解できた。ヘリからこちらを見下ろしたあのタークスの不快な面は、いわれてみれば確かに、冷血動物めいている。
クラウドとしても、このままで済ませるつもりはなかった。しかし。
「……気が進まないな」
「やだやだやだやだ!
おねえちゃん、助けてくれなきゃやだ!」
「おう、クラウド!
お前、まさか本気でいってるんじゃないだろうな?」
「クラウド……」
だだをこねる幼児と、同レベルで凄むバレット。すがるような目で、じっとこちらを見ているティファ。
この程度のこともわからないのでは、先が思いやられる。敵の正体も把握せずに、勢いだけでどうにかできる相手ではない。古代種がらみの話となれば、本来、治安維持部門の所属であるタークスの出る幕ではない。
「勘違いするな。
あんたたちが何を期待してるかは知らないが……”──自分から近づくのか?”
所詮、奴は下っ端だ。拘ってもしょうがない」”そっとしておけばいいものを──”
おそらく最終的には、プレジデント自身が関わってくるだろう。だがまず、相手をしなければならないのは──科学部門統括、宝条。
「エアリスを助けにいくのね」
「そうなるな」
「よっしゃ! それでこそ男ってもんだ!」
クラウドが意志を明らかにした途端、うってかわって2人とも上機嫌になった。バレットなど、馴れ馴れしく背中を叩いてくる始末だ。
「やだやだ、クラウドのいじわる!」
さすがに、四歳児は話について来なかったが。
そしてふたりとも、予想どおりのことを言い出した。
「私も行くから。
……今は、思いきり体を動かしたい気分なの」
「もちろんオレもついてくぜ。すっかり世話をかけちまったからな。
それに、相手が神羅となれば、黙っちゃいられねえ!」
表現はそれぞれだが、意欲だけは申し分ない。この分では、クラウドが黙っていても2人で乗り込んでいただろう。心強いというには遠い微々たるものだが、別個に動くぐらいなら、お互いの能力をうまく利用したほうがいい。今回ばかりは、クラウドにも助けが必要だ。
「……神羅の本社に乗り込む。
覚悟が必要だぞ」
「へっ、願ったりだぜ!」
「わかってるわ」
全て言い終る前に答があった。空気を感じ取ったマリンが、頼もしげに父親を見つめる。クラウドが嫉妬を覚えるほど、二人の決意に揺れはない。
神羅と古代種、その両者を結びつける忌まわしい秘密を、バレットも、ティファさえ何も知らない──
(いや、あれは……もう終わったことだ。”……だったら、いいんだけどな”
今は忘れよう)”そうだ、忘れてしまえ”
「そうと決まったら行動だ!
とにかく場所を変えようぜ。
これ以上、この家に迷惑かけられねえしな」
「そう、ね。
マリンもどこか、預けられることろを探さないと……」
バレットとティファが、相談しながら下りの階段に足をかけた。ちょこちょこと後をついていくマリンは、またどこかにやられると聞いて、ティファの短いスカートの端を引っ張ろうとして失敗する。頼れるほどの人脈を持ってないクラウドは、この手のことでは役に立たないので、代わりに神羅ビルに潜入する手段を検討しつつ、一行の殿につく。
先々にどんな過酷な状況が待っていようと、現在のこの状況で、なおも最大限での警戒を維持しろ、というのは無理な注文だろう。しかし民家の狭い階段で、意図せずして一列に並んだ彼らに、最悪のタイミングで襲い掛かるものがあった。
暖かいコンソメの香り。
不意を突かれて、バレットの腹が盛大に鳴る。妙としか呼べない予感がクラウドを襲った。そして、階段を降りきって目にした光景に、彼の全身から力が抜けた。
そこで彼らを待ち受けていたのは、少人数用のテーブルに置かれた鍋と、四人分の食器。さらに着替えが三人分。
「やっと来たね。ありあわせだけど用意したから、まずは席におつき。
どうせろくに食べてないんだろ?」
リビングの中央に陣取り、お玉とエプロンと鍋つかみで装備を固めたエルミナに、ティファとバレットが抵抗を試みる。しかし、先制攻撃を受けて混乱した状態にある2人が、早くもマリンを抱き込んだゲインズブール家の主に太刀打ちできないことは、火を見るよりも明らかだった。
「まさかあんたたち、たった一晩もこの子と一緒にいてやらないなんて、薄情な真似をする気じゃないんだろうね?」
初手から最大の弱点をつかれてバレットが沈黙し、
「迷惑?
何を言ってるんだい。あんたたちがやろうとしてることぐらい、お見通しだよ。
エアリスのために、今のうちしっかり準備しておくれ」
流れを読みきったカウンターに、ティファが戦意を喪失する。
パーティーが瞬時に壊滅させられる様を、クラウドは横で静観していた。エルミナの指摘は完全に的を射ている。ここで余計な気力を費やした所で益はない。支柱での戦いで3人とも消耗している上に、7番街がああいうことになったせいで、この近辺はひどく混乱している。満足な休息を取れる場所を見つけることは難しいだろう。長期的に見て、ここで抵抗しても損をするだけだ。断じて、勝ち目なしとみて白旗を掲げる訳ではない。
「……世話になる」
「よろしい。
じゃあ食事の前に、これを渡しておこうかね」
重々しく頷いて、エプロンのポケットからエルミナは指先ほどの大きさの何かを取り出した。水仕事でふやけた手で、伸ばしたクラウドの掌の上にそれを乗せる。
「ん? なんだそりゃ?」
「白い……マテリア?」
受け取った結晶を、クラウドはしげしげと眺めた。間違いなく、以前エアリスが見せてくれた、あのマテリアだ。大切な物だと言っていたような気がする。
「これを、俺たちに?」
「いいや、単に置いてっただけさ。神羅の奴らに取り上げられたら大変だ、ってね」
「それじゃ、エアリスから預かった、って言うのは……」
「エアリスはこれをあたしに預けた。
それを今、あたしが勝手にあんたに渡す。
嘘は言ってないと思うけどね」
すっとぼけるエルミナは、クラウドの抗議の視線などものともしなかった。実際どうにも力が入らず、情けない目つきにしかなっていなかった気が、自分でもしている。
「これはあの子の、本当の母親の形見らしいんだ。
エアリスに、返してやっておくれ」
「………引き受けた」
いろんな意味で覚悟を決めて、クラウドは右手を強く握った。小さな白い塊は、少しだけ熱を帯びていた。
誰と戦うのか 濡れた戦士たち
明日はどこで眠る 錆びたよろい下ろし
昨夜借りたのと同じ部屋の片隅で、クラウドは毛布に包まっていた。明日に備えて休まなければいけないのだが、なかなか寝付けない。ベットの上でマリンを抱え、豪快な鼾をかいているバレットのせいだろう。
受け取った白いマテリアを、ポケットの上から確かめる。一度バスタードソードにつけてみたが、エアリスが言っていたとおり何の効果もなかったので、外してしまっておくことにしたのだ。最初に見せられたときは、単に変わったマテリアだと思っていたが、古代種が持っていたというなら、どんな力を秘めていてもおかしくない。エアリス当人さえ使い方がわからない物を、神羅に扱えるとも思えないが、用心に越したことはないだろう。
──それとも、本当はエアリスはこれの使い方を知っていて、彼に教える気がなかっただけなのかもしれない。古代種であることを、隠していたように。
(タークスから逃げる時、追われる理由を聞いた……
ただ単に言い忘れたんじゃない)
”はじめに打ち明けられていたら、護衛を断ったか?”
(……関係ないさ。
エアリスは、最初から自分の正体を知ってたんだ。あの時とは違う)
”それを確かめたのに、まだ助けに行くつもりか?”
(巻き込んだ責任がある)
”──それだけか?”
(いいだろう別に。
なんなんだよ、さっきから)
クラウドは目を開いて、半透明になって突っ立っている自分の顔を睨み返した。そもそも目を閉じた記憶がないのだが、まあ、いつのまにかウトウトしていたのだろう。
”神羅の本拠地に乗り込むんだぞ。
本当に、それだけの理由なのか?”
(無茶なのはわかってるさ)
夢の中で、半透明のクラウドは、ふわりと浮き上がり、軽く体を折り曲げて、後ろ向きに回転を始めた。水中を漂うような、ゆるやかな動き。魂が抜け出るとかいうヨタ話を、逆の立場で見ているような、おかしな気分だ。
”引っ込みがつかないのか?”
(──そんなんじゃない。
放って置けないだろう)
”本気で……”
(うるさい!
いい加減黙れ!!)
怒鳴られた分身は回転を止め、空に浮かんだまま、床のクラウドを見下ろした。曰く言いがたい表情をしているが、何を考えているかは全くわからない。
尖り気味の顎、細くて目立たない鼻筋、こころもち吊りあがった直線的な眉。丸みを残した頬と大きすぎる目が、子供っぽくて気に入らない。
(──俺、こういう顔だったっけ?)
鏡でもないのに、自分の姿を見せられるのは妙なものだ。親近感は全く湧いてこない。赤の他人を見ているようだ。
半透明のクラウドはゆっくりと手足を広げ、体を背中側に傾けて、顔を天井に向けた。またなにか、くだらない因縁をつけてくるかと待ち構えたが、その気配はなく、無意味に浮かんでいる。もともと透けている体が、さらに薄くなってきた。空気に溶けながら、壁にもたれるような姿勢で、唇を動かす。
”……心配……しているだけなのか……?”
(しつこ──)
”ずるいな”
最初から最後まで支離滅裂な幽霊は、とりわけ奇妙な言葉を残して、完全に見えなくなった。確証はないが、色の抜け落ちた顔に、苦笑いを浮かべていたような気がする。
(……なんなんだ、一体)
夢うつつの、ぼやけた頭で考える。
尻込みしてるとか怖気づいているとかを通り越して、まるでエアリスを見捨てたがっているようだった。
一度決めたことをグズグスと、情けないにも程がある。まさかあれが、自分の本心だとは思いたくない。
──いいや。今のは、ただの夢だ。
気にかける価値はない。
決め付けて頭から毛布をかぶり、バレットの歯軋りを振り切ってクラウドは、無明無音の眠りの中へ今度こそ閉じこもった。
翌日。
バレットを起こすマリンの声と、カーテンの隙間から差し込む光がクラウドの目覚めを促した。少し背が痛むことを除けば、悪くない朝だ。──昨日、あんなことが起きたのでなければ。
ざっと身支度を済ませ階下に降りると、エルミナがひとり、テーブルに肘をついていた。クラウドには気付いていない。
声をかけあぐねていると、そっと玄関の扉が開き、足音を抑えたティファを室内に送り込んだ。頬が軽く上気している。先に目を覚まして、体を温めていたのだろう。
「あ、クラウド。
……おはよう」
「ああ」
「ああ……なんだ、あんたも起きてたんだね。
ちゃんと眠れたかい?」
小声の会話を聞きつけたのか、エルミナが伏せていた首を持ち上げた。あくまで自然な、柔和な表情だが、目のまわりに隈が浮いている。そんな顔を前に正直に答えるのも気が引けて、曖昧に言葉を濁しクラウドは階段の上に目を向けた。全員が揃ってしまえば、この居づらい空気に耐える必要もなくなる。幸いにして、あまり待たされることもなくバレットは姿を現した。もちろん、マリンも一緒だ。父親の肩に乗り、猪首にしがみついている。
結局の所、一番の難題はこの少女をどうするかだった。一歩間違えば命に関わるような怖い思いをした次の日に、親と離れることを承知する幼児はいない。直前にバレットが釘を刺されていたことも影響して、自分もついていくと言い張る娘を宥めるのに、二人掛かりで一晩かかった。クラウドは口を挟まなかったが、彼女の頑固さには正直呆れた。留守番は拒否するくせに、『助けに行くな』とは一度も言わないところも含めて、マリンの無謀さは完全に父親譲りだ。その上、全く道理が通じないときている。散々てこずったあげく、結局は見かねたエルミナが丸め込んで、ようやく納得させることができた。
この家に負担ばかりかけることをバレットたちは気に病んでいたようだが、連れて行くのは論外として、他にアテがあるわけでもない。拠点もなくした弱小勢力の身の程を、いい加減彼らも分かっている。
だからこの朝、無精ひげの目立つバレットの頬に何度も顔をすりつけて、マリンは父親から離れた。
「おばちゃん、おはよう!」
「ああ、おはようさん」
元気よく挨拶する幼女に目を細め、マリンを膝に抱えると、ふっくらとした掌でエルミナはおかっぱ頭を撫でた。
「すまねえが、もうしばらくマリンのことを頼む」
「ああ、まかせとくれ」
そもそも彼女から言い出したことなので、エルミナは鷹揚に頷いた。もう一度礼を言って、バレットはさらに要求を重ねる。
「それと、考えたんだが、ここはあぶねえ。
どこかへ移ったほうがいい」
「でもねぇ、昨夜もあんたたち、そう言ったけど……」
訴えかけるバレットに、初めてエルミナは難色を示した。危険を感じていないわけではない、けれどもここで、エアリスの帰ってくる場所を守っていたいという彼女の意志を、昨日はついに翻すことができなかった。
エアリスを助け出しても、ミッドガルにいる限り、いつまた連れ去られるかも分からない──そう説得したのだが。
「おばちゃん、どっかおでかけするの?」
迷いを感じ取ったのか、大きな頭を傾けて、マリンがエルミナの顔を見上げた。昨日この話をしたときは、半分寝ていた茶色い瞳に、しっかりと信頼が根づいている。まるで本物の親子のように。
「そうだねぇ。そうしようか……」
幼児の柔らかい頬をつついて、遠くを眺めるエルミナの判断を、クラウドは静かに待った。バレットと同じく、ここに留まるべきではないというのが彼の意見だ。それについて彼が言うべきことは、昨夜全て出し切った。
30秒ほど経っただろうか、彼方を彷徨っていたエルミナの視線が、再びクラウドたちへと注がれる。
「実家に行くことにするよ。場所はエアリスに聞いとくれ。
そこなら、神羅の奴らも知らないはずさ。あたしらのことは心配いらない」
「その、すまねえ……」
「でも、必ず迎えに来るんだよ。
死んじゃいけないよ」
「……………」
その約束は誰にもできない。既に礼の言葉も尽きたのだろう、バレットがただ、頭を垂れる。長くなりそうな気配を見て取り、クラウドはさっさと表に出た。
「クラウド、待ってよ!」
「あ、おい、黙って行くな!」
のんびりしている場合じゃないと、ようやく気付いたティファたちが、あわてて後をついて来る。既に昇りきった朝日の下、マリンの声援が3人の背中に降り注いだ。
「とーちゃん!
ティファ!クラウド!
がんばれ〜〜!!」
娘の声に応えて、鋼の色の右腕が、高々と天にかざされる。
口先だけの子供の応援で、動かせるほど現実は簡単じゃない。父親が何を敵に回したか、理解せずに送り出したことを──たぶんマリンも何年かして、後悔することになるだろう。
それでもバレットにとって、この無責任な明るさは、この上ない援護に思えているようだった。
Never cry for me
引き返せない
Never turn around
もうあの日々には
──NEVER CRY FOR ME/小室哲也 "Digitalian is eating breakfast"