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ジュエリーの歴史 ―日本では―
日本人の装身具の歴史として最初のものにあげられるのは、縄文時代の耳飾り、腕輪、櫛などです。石あるいは粘土製のものや、食用の貝の一部で作ったもの、動物の骨や漆が塗られた竹でできた櫛などがあり、これらは実用の域を越えた装飾も施されていました。弥生時代になると青銅器が登場し、装身具の世界でも青銅でできた腕輪などが見られます。

そして、3世紀から7世紀にかけての古墳時代は、大陸との交易も盛んになり、日本のジュエリー史において欠かすことのできない、「玉」と呼ばれるものが登場します。「玉」とは、陸からとれる玉石と海からとれる真珠を指しますが、中国では美しいものの総称として使われ、それらには翡翠、ガラス、水晶、瑪瑙(メノウ)、琥珀(コハク)などがあります。形はよく知られている勾玉(まがたま)などで、それに穴をあけて糸を通しただけの首飾りや腕輪から、金や銅などをかぶせた指輪、帯金具までいろいろな装飾品が出土しています。
ところが、飛鳥、奈良時代になると、日本の社会的背景や生活様式のためか、装身具というものがほとんど消えてしまうのです。櫛・かんざし・笄(こうがい)を除き、明治時代になって日本人の生活に欧米の影響が強く現れるまで、装身具は全くと言っていいほどありませんでした。そして明治、大正の時代になると、洋装化とともに、支配階級のためのジュエリーが作られ、それが戦後の民主化に伴い大衆化して、現在に至るのです。
以上は日本の例ですが、どの国でも、極めて素朴な素材からジュエリーが生まれ、素材と技術が洗練されてやがて流行となっていく経緯は変わりないのです。
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