165系山陽路での活躍の記録

153系の山用出力強化バージョンである165系、東海道での153系に対し、 山陽では165系が活躍したのでは?と思っていたが、実は165系の山陽で の活躍は少なく、山線区間であっても東海道を追われた153系の活躍の場 であった。
というわけで、あまり活躍のなかった165系ですが、わずかながらもその 活躍の記録をお送りしたいと思います。

  • 昭和38年10月改正
    この改正において、当時人気の高く、需要が逼迫していた「比叡」などの 増結用として、モハ164に回送運転台をつけてM'Mcで運用できる用にした 500番代車を登場させて宮原電車区に11ユニット22両が配置されて153系 準急編成の下り側に増結し、活躍の開始となる。
    編成は
    ↑岡山
    クモハ165
    モハ164-500
    クハ153
    モハ152
    モハ153
    サロ153
    サハ153-100
    サハ153
    サハ153-200
    モハ152
    モハ153
    クハ153
    ↓沼津

    で、名古屋〜大阪間の「比叡」「伊吹」のほか、名古屋〜沼津間の「するが」、 大阪〜三原間の「びんご」、大阪〜宇野間の「鷲羽」の大阪〜岡山間に使われ ることとなる。
    この運用も新幹線開業により昭和39年10月改正で「伊吹」の廃止、さらに乗客 がシフトした昭和40年10月改正で153系12連の運用に変更されることになり、 下関に転属して今度は山陽区間での活躍に回ることとなった。

  • 昭和40年10月改正
    宮原区から転属してきた165系11ユニットと、クハ153(初期低運転台車)8 両、回転クロスのサロ1536両の36両に、新製のクモハ1ユニットとクハ165 4両の6両を加えた42両の陣容で、80系準急の広島〜下関間「やしろ」の置き 換えと増発(計2往復)、岡山〜広島間「とも」2往復の置き換え、さらに気動 車のままだった「周防」(広島〜小郡)の置き換え、岡山〜下関間の急行「みず しま」の新設に充てられた。

    下り
    411M「やしろ1号」広島9:30〜13:08下関
    315M「とも1号」岡山9:25〜12:06広島
    413M「やしろ2号」広島12:45〜16:47下関
    317M「とも2号」岡山14:22〜17:15広島
    405M「みずしま」岡山16:55〜23:25下関
    415M「周防」  広島20:20〜22:53小郡

    上り
    416M「周防」  小郡7:15〜9:45広島
    406M「みずしま」下関7:20〜13:44岡山
    316M「とも1号」広島13:00〜15:52岡山
    412M「やしろ1号」下関14:15〜18:10広島
    318M「とも2号」広島20:30〜23:10岡山
    414M「やしろ2号」下関19:00〜22:55広島

    編成は
    ↑下関
    クモハ165
    モハ164-500
    クハ153/165
    サロ153
    クモハ165
    モハ164-500
    クハ153/165
    ↓岡山

    となり、編成ごと偶向きに方転しているのが特徴である。
    転属当初はクハの2/3が153で、サロも置き換えにより格下げが進みつつあった サロ153が振り分けられ、165系としての性能は、出力強化としてのみ発揮で、 抑速ノッチなどは宝の持ち腐れとなった。およそ半年後には宮原区に新製配置さ れたサロ165により玉突きされたサロ152によってリクライニング化されたもの の、非冷房のままで、さらに1年半後にはやっと新製配置されたサロ165によっ てサロ152を置き換えたがそれでも非冷房のまま残った半数の3両だけであり、 残りの3両は新幹線博多開業による急行の全廃で役目を終えるまで残ることになっ た。
    クハ153については制御回路を165系と同一にする改造工事が進められ、クハ164 という新形式に改番された。165系でありながら153系初期車の顔を持つ異端車 となる。
    時を同じくして宮原区と岡山区にモハ165による4両編成を1単位にした165系 が32両と16両配置され、操配用として主に団体輸送に使用された。 また、急行 1等車の冷房化の為、サロ165(163)が宮原区に配置され、サロ153/152の置き 換えと格下げがサロ153からサロ152に移行する形で進められた。
    昭和41年3月5日には「やしろ」「とも」「周防」の準急から急行への格上げ、さ らに同年10月1日改正で、下り1本の「とも」「やしろ」が岡山〜下関間直通の 「みずしま」に変更され、各列車とも1.5往復づつと変則的な列車本数となる。

    下り
    411M「みずしま1号」岡山7:00〜13:20下関
    413M「やしろ」  広島12:45〜16:47下関
    415M「とも」   岡山14:22〜17:15広島
    417M「みずしま2号」岡山16:55〜23:25下関
    419M「周防」   広島20:20〜22:53小郡

    上り
    420M「とも1号」広島9:40〜12:38岡山
    418M「周防」  小郡7:15〜9:45広島
    416M「みずしま」下関7:20〜13:44岡山
    414M「やしろ1号」下関14:15〜18:10広島
    412M「とも2号」広島20:30〜23:10岡山
    410M「やしろ2号」下関19:00〜22:55広島

  • 昭和43年10月改正
    この改正で下関区の165系の運用する列車のうち、「みずしま」が「とも」と共に 「山陽」に整理され、下関、広島〜岡山間の「山陽」3往復と1往復残った「やし ろ」を受け持つことになる。「周防」は廃止となった。

    下り
    411M「山陽1号」岡山7:10〜13:12下関
    413M「山陽2号」岡山9:03〜11:35広島
    1415M「やしろ」広島12:35〜16:00下関
    417M「山陽3号」岡山16:00〜22:00下関

    上り
    412M「山陽1号」下関6:40〜12:54岡山
    414M「山陽2号」下関14:15〜20:14岡山
    416M「山陽3号」広島19:35〜22:12岡山
    1418M「やしろ」下関17:55〜21:30広島

    宮原区では大垣区とでクハ153とクハ165の差し替えを行ないつつ、翌44 年10月 での「とも」「鷲羽」の増発の為にモハ165の4ユニットと初めてサハ165が10両 の計18両が増備され、153系と込みで運用された。さらに昭和45年10月改正で呉 線電化による下関区担当での「山陽」1往復(岩国、広島〜岡山間)と呉線経由の 広島〜岡山間「吉備」1往復の電車化(「吉備」2往復分の置き換え)用にサハと クモハ組み込みの4両が増備される。既存の編成も
    ↑下関
    クモハ165
    モハ164-500
    サロ152/165
    クモハ165
    モハ164-500
    クハ164/(サハ)165
    クハ164/165
    ↓岡山

    となり、岡山寄りの4両を共通として、今回の2往復のモノクラス4連のミニ急行 の運用増に対処している。

    下り
    411M「山陽1号」岡山7:10〜13:12下関
    413M「山陽2号」岡山9:03〜11:35広島
    415M「やしろ」広島12:35〜16:00下関
    417M「吉備」 岡山12:04〜15:17広島
    419M「山陽3号」岡山16:00〜22:00下関
    1411M「山陽4号」岡山20:11〜22:45広島

    上り
    412M「山陽1号」岩国7:50〜11:11岡山
    414M「山陽2号」下関6:40〜12:54岡山
    416M「吉備」広島15:50〜19:01岡山
    418M「山陽3号」下関14:15〜20:14岡山
    420M「山陽4号」広島19:35〜22:12岡山
    1412M「やしろ」下関17:55〜21:30広島

    車種的にもクハが2両連続で連結されたり、153系低運のクハ164が入るかと思え ばサハ165もあり、サロも152と165の2種があるなど面白い。また、場合によっ ては(おそらくはほとんどが)全車運転台付というのもすごいことであった。
    この頃には普通車も冷房付で作られ、徐々に既存の車にも冷房改造が進められ始め ることとなる。呉線電化と万博輸送で山陽本線の165系がもっとも華やいだ時期で あった。

  • 昭和47年3月改正
    新幹線岡山開業により、山陽本線の急行電車はほんの1部を除いて岡山以東が廃止 となり、宮原区の153系が余ることとなった。そこで、80系で残る大垣区の運用す る「伊那」「富士川」の165系化を進める為に、主としてモハ165のユニットを転 用する関係で宮原、岡山区の操配用と差し換えで下関区の165系は宮原区の153系 に置き換えられて転出することとなった。その他両区のサハ全車とクモハ2ユニッ トは新潟に転属、「佐渡」の増強に回ることになる。代わりに153系と共にサロ165 の配置が増えたのは皮肉なことであった。
    具体的には改正を前にした2月5日から7連運用は宮原区の153系10連(「ながと」 の間合い運用)に暫定的に置き換えられ、一時的に不足する車両は167系にサロ165 とサハシ153を組み込んだ珍編成が使われた。また、4連運用の方も167系4連で 暫定的に運用され、改正における車両のやりくりを行う時間を捻出することとなった。 こうして下関区の165系は、改正を前にして新天地にむかうことになったのである。
    さらに中央西線電化による「きそ」の電車化の為、宮原と岡山に残った165系電動 車も(一部昭和50年3月改正まで残ったが)神領区に移り、165系としての運用は 終わりを告げることになる。

    下関区に残ったサロ165は新幹線博多開業による電車急行全廃により、松本、幕張、 田町区に転属、宮原区では操配用に167系電車が本来の修学旅行用の務めを終えて 転用され、クハ165が不足する先頭車として組み込まれることとなる。サロ165は 一部が田町に転属した他は「比叡」の大垣区への運用移管と共に天寿を全うするこ ととなった。また、「新快速」として153系と共に活路を見いだしたクハ165の1 部は新快速の117 系化によって大垣区と松本区に転属している。

    短い山陽区間での活躍の後、転属した165系は、やがて急行の特急化の中で153系 の置き換えに回り、最後は伝統の「東海」で有終の美を飾って現役を退いたことは 記憶に新しい。また、今なお1部の165系がローカルで最後の活躍を続けている。 資料も少なく、わずかな内容ではあるが、山陽路における彼らの活躍を記してその 労をねぎらうこととしたい。

    165系山陽地区向け配置車両表

    参考文献:鉄道ピクトリアル「国鉄急行列車変遷史」、JRR「直流急行形電車」他、関係各誌


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