車歴簿

発売されている形式の客車(スハ44系)の歴史です。


スハ44系客車

新製:スハ44 1〜 4 S26-8 汽車会社 配置:大ミハ
       5〜10 S26-9 汽車会社 配置:大ミハ
      11〜13 S26-8 汽車会社 配置:大ミハ
      14〜15 S26-8 汽車会社 配置:東シナ
      16〜17 S26-9 汽車会社 配置:東シナ
      18〜22 S26-9 日車(支) 配置:東シナ
      23〜27 S26-10 日車(支) 配置:東シナ
      28〜34 S26-10 汽車会社 配置:東シナ
*計画では大ミハに12両だったが、車両需給の関係か1両多く配置された。

新製:スハフ43 1〜3 S26-10 汽車会社 配置:東シナ

新製:スハニ35 1〜 3 S26-9 帝国車両 配置:大ミハ
        4〜 5 S26-9 帝国車両 配置:東シナ
        6〜 9 S26-10 帝国車両 配置:東シナ
        10〜12 S26-10 帝国車両 配置:仙セン
*計画では大ミハと東シナに6両ずつだったが、車両需給の関係か大ミハ配置予定 のうち3両が仙センに配置され、不遇な運命を送ることになった。

新製:スロ53 1〜 5 S26-8 近畿車両
       6〜10 S26-9 近畿車両
       11〜30 S26-8 日本車両
*スロ53は上記3車種と異なり、急行列車の特ロ組込用の増備車として製造されて いるので、(スロ54も同じ)歩みも異なる。

新製:マシ35 1〜3 S26-3 日本車両 配置:1,2 東シナ、3 大ミハ

新製:マシ36 1〜2 S26-3 日本車両 配置:大ミハ

*マシ35(マシ36)も特急用食堂車の置き換え用として新製されているが、オシ17に 一早く追いやられることとなり、スハ44より早く消えることとなる。

スハ44系(スハフ43、スハニ35)は「つばめ」「はと」の3等車置き換えと「かも め」新設および「さくら」の定期化を目論んで新製された。ところが、「かもめ」 の登場は1年半程遅れ、「さくら」の定期化も棚上げとなり、スハニ35に至っては 3両が仙セン配置に変更され、急行に使用されたものの、福島や会津若松に転属し てローカル線で日の目を見ぬまま1生を送る結果となった。

マシ36は冷房装置の駆動方式変更などによりS27-7.1付でカシ36に形式変更され、 さらに搭載した電気(電子にあらず)レンジや電気冷蔵庫は故障が続出、せっかく の無煙化近代設備も使えないとあっては話にならず、マシ35と同じ石炭レンジと氷 冷蔵庫に変更することとなり、マシ35(10番代)へさらに改造、改番された。

改造 :カシ36 1〜2 -> マシ35 11〜12 S28-3

配置直後、実際に投入される列車の見直しを受け、各車とも配置の移動が行われた。 スハニ35に至っては、仙台配置の3両の他、品川配置のうち3両が準急に転用の為 竜華に転属になるなどの流転を見ることになった。各配置と使用列車の対応は、

スハ44 1〜18 配置:大ミハ 使用列車:つばめ・彗星
   19〜34 配置:東シナ 使用列車:はと・銀河

スハフ43 1〜 2 配置:東シナ 使用列車:銀河
     3   配置:大ミハ 使用列車:彗星

スハニ35 1〜 3 配置:大ミハ 使用列車:つばめ
     4〜 6 配置:東シナ 使用列車:はと
     7〜 9 配置:天リウ 使用列車:205,206
    10〜12 配置:仙セン 使用列車:あおば

S28-3.15からやっと待望の「かもめ」が運転開始となり、計画では大阪(大ミハ) 配置で予定されていたものの、実際には竹下区(門タケ)配置となり、東シナなど から14両が転属となった。(特ロはスロ54、食堂車はマシ47を使用)

転属:スハ44 17〜18 S28-3 大ミハ->門タケ
       29〜34 S28-3 東シナ->門タケ

   スハフ43 1〜2 S28-3 東シナ->門タケ
        3  S28-3 大ミハ->門タケ

   スハニ35 7〜9 S28-3 天リウ->門タケ

S31.11.19の東海道線全線電化開業による改正で、車両需給による転属が行われた。

転属:スハ44 14〜15 S31-11 大ミハ->東シナ
       16   S31-11 大ミハ->門タケ

   スロ54 38〜40 S31-11 東シナ->門タケ

   マシ35 3,12  S31-11 大ミハ->東シナ

余談ではあるが、この時を最後に豪華ではあるが戦後嫌われることになった桃山式 内装のマイテ39 11がマイテ49 1と振り替えられて引退し、予備車となった。と同時 にマシ35もオシ17に置き換えとなり、一部予備となった他は「あさかぜ」に転用さ れることとなるが、それも束の間、再びオシ17に追われ、「かもめ」から転用され た44系客車と共に不定期「さくら」に転用され、さらに「はつかり」に転じた後、 ここでもオシ17に追われ、東北筋の急行に、さらには北海道に転じて「ていね」で 生涯を終えることになる。
またこの改正に合わせて「つばめ」「はと」の車体色をライトグリーンに塗り変え ることとなり、一部12月まで茶色のままで使用されることがあったものの、両区配 置の44系とスロ54、オシ17および予備のマシ35と展望車が装いを新たにすることと なった。
グリーン塗装となった車のうち、スロ54、オシ17、マシ35の車番は、

スロ54 12,13,31,32,39〜47 東シナ
    14〜21,33〜38   大ミハ

オシ17 1,2 大ミハ
    3,4 東シナ

マシ35 11 大ミハ
    12 東シナ

S32-6には「かもめ」の車両をナハ11系に置き換えて方転の手間を省くことになり、 竹下区から再び宮原に戻り、前述のマシ35と共に「さくら」に使用されることにな る。計画から6年が経っており、かつ他の計画列車からの転用でやっと実現したと いう皮肉な状況であった。

転属:スハ44 16〜18 S32-6 門タケ->大ミハ
       29〜34 S32-6 門タケ->大ミハ

   スハフ43 1〜3 S32-6 門タケ->大ミハ

   スハニ35 7〜9 S32-6 門タケ->大ミハ

さらにS32-10には「はと」の運用を品川から宮原に移す(品川は夜行急行中心を 中心に担当)ことになり、44系客車が他の車両と共に転属し、品川からは一時44 系客車が姿を消すことになる。

転属:スハ44 14〜15 S32-10 東シナ->大ミハ
       19〜28 S32-10 東シナ->大ミハ

   スハニ35 4〜6 S32-10 東シナ->大ミハ

一度は宮原に集中配置となったのも束の間、S33-10改正で「さくら」が「こだま」 登場により廃止になると共に、常磐経由で青森に初めての特急「はつかり」の 新設により、尾久へ転属となる。特別二等車だけはスロ54ではなく、最初から10 系軽量客車のナロ10が投入されることになり、後にマシ35もオシ17に代わることに なる。

S35-6改正でついに「つばめ」「はと」は151系電車に置き換えられ9年の栄光の 歴史にピリオドを打つことになった。また、同年11月改正で「はつかり」もキハ81 系気動車に置き換えられ、こちらも運転を終了することになった。これらの車両の うち、ロザ、シについてはそのまま(塗り換えで)急行に転用できるが、ハザに ついては展望車のついた特急専用の為、そのままでは一方向き座席が方転の必要 を要することになるので更新工事と共に座席を転換可能(回転クロス)化するこ ととなり、S35年度とS36年度に工事が施工されることとなった。

工事の終了した車は青色塗装と、団体用を表わす裾に白帯を巻いた姿とされ、週 末準急「いこい」や、団体観光列車として南紀から和歌山〜奈良線経由で運転され ることもあった。

S39-10.1の新幹線開業による改正で、品川区配置の臨時団体用が宮原区に転属とな り、一部向日町区の車両と差し替えられた。

転属:スハ44 1〜8 S39-10 東シナ->大ミハ

   スハフ43 20 S39-10 東シナ->大ミハ

   スハ44 26,28,29 S39-10 東シナ->大ムコ

   スハ44 23,24 S39-10 大ムコ->大ミハ
       30〜34 S39-10 大ムコ->大ミハ

   スハフ43 11 S39-10 大ムコ->大ミハ

これら車両の宮原区配置により、S40-3からの「銀河」「明星」への2等座席指定車 の連結、およびS40-10からの「銀河」への座席指定車への大量連結につながること になった。
また、「阿蘇」「天草」「さつま」の2等座席指定車にスハフ43を投入する為、名 古屋区に品川と新津から5両が転属した。

転属:スハフ43 15〜17 S39-10 新ニイ->名ナコ

   スハフ43 18,19 S39-10 東シナ->名ナコ

代わりに品川区には一時高崎線のローカル列車に格下げ運用されていたスハニ35の うち、近代化改造を受けた3両が転属、品川に残った他の一党と共に、裾に白帯を 巻いて臨時急行や団体列車に使用され、後に「さぬき」でS43-10まで有終の美を飾 ることになった。

転属:スハニ35 4〜6 S39-10 高タカ->東シナ

スハニ35と言えば、高崎に残った4両のうち2両がマニ35に、会津若松区でC11に 引かれて日中線を走っていた1両が酒田区に転属し、福島区の1両もマニ35に改造 されて残り1両が「シーナリィガイド」で有名な川俣線をC12に引かれて走ること になった。

転属:スハニ35 10 S39-10 仙ワカ->新サカ

改造:スハニ35 8(高タカ)-> マニ35 2203 S40-10 多度津工
   スハニ35 9(高タカ)-> マニ35 2201 S40-9 小倉工
   スハニ35 12(仙フク)-> マニ35 2202 S40-5 幡生工

さらに、オハニ40に改造された2両もわずか3年ほどで荷物車に改造されることに なり、たった2両のこの形式はそのまま形式消滅となった。

改造:オハニ40 2(大ミハ)-> マニ35 2201 S40-11 小倉工
   オハニ40 3(大ミハ)-> マニ35 222 S40-9 多度津工

またS40年に大宮工場内で火災に遭って消失し、残った台枠を使用してオハネ17に スハ44が1両不幸?にも改造されることになった。

改造:スハ44 27(東シナ)-> オハネ17 234 S40-3 大宮工

以下続く


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