ハセガワが再生産した旧中村精密の客車を作る。
中村精密(現ナカセイ)が20年程前に生産し、その後沙汰止みになっていたプラ製
客車ですが、ハセガワが金型等を買い取って再生産してくれることになり、その第
一段としてスハ44系客車(スハフ43)から発売になりましたのでさっそく購入し、
工作を始めました。
- 現在発売中
- スハフ43('96年9月発売)
- スハニ35('96年10月発売)
- スロ53、マシ35('96年11月発売)
- スハ44、スハフ42('96年12月発売)
- オユ12('97年4月発売)
キットを開けてみてのインプレッション
スハニ35を作る
スハフ43を改造する
スハ44系客車を主に、組み込まれた列車の編成一覧
スハ44系客車の歴史
◆バリエーションを増やすには
さて、これら車両の市場におけるメリットと言えば、プラ製でKATOやTOMIXが市場に
出していない車種を増やすことができるということがあります。時代等に制限を受
けますが、(10月末にまたしても延期された)特ロ(グリーン車)スロ53や食堂車
のマシ35、編成に彩りを添える郵便車(護送便車ですが)のオユ12などが予定され
ています。そこでバリエーションを増やすために
近代化改造工事施工車にする。
スハ44系客車は「つばめ」「はと」「はつかり」の昼行特急から降りた昭和35〜36
年にかけて近代化改造と称するアコモ改良工事を受けています。内容は
- 窓枠のアルミサッシ化
- 座席の回転式化(一方向固定式だと方転する為の三角線が必要になる為)
- 室内灯の蛍光灯化
- 室内内張の樹脂化
が行われました。昭和35年度改造については全て施工されましたが、翌36年度改造
のスハ441〜8、スハフ43 1〜3については回転式化と蛍光灯化工事のみ行われ、室内
は塗り潰しとなりました。スハ44からスハフ43(11〜)改造車は昭和35年度改造車
と同内容、スハニ35については4〜6の3両にのみ施工されたにとどまりました。
模型としては窓枠をアルミサッシの銀にすることで近代化改造車とすることができ
ます。銀色のサインペンで色入れするか、マスキングして銀を吹くか、どちらでも
よいですが結構な手間にはなるでしょう。
末期には四国に残ったスハフ43の原番代の2両(2,3)もトイレ窓の長方形(小型)
化と共にアルミサッシ化されており、末期の姿にするにはトイレ窓の加工と共にア
ルミサッシ化する必要があります。
スハ44をスハフ43(11〜)に改造する。
スハ44系を団体列車等で使用する場合に、スハフ43が3両しかなくて不足する為、
スハ44から14両(9〜22)をスハフ43(11〜24)に改造した。改造に伴う外観上の変
化は、
- 妻面に埋め込み式のテールランプが取り付けられた。
- ドア側の端から2つ目の窓が埋められて1つ目は車掌室となった。
模型についてもスハ44に同様の改造を施してスハフ43に改造すればよいでしょう。
t0.5のプラ板で(梨地を表にして)窓を埋め、瞬間でパテ代わりにして継ぎ目をペー
パーで消すのが一番手っ取り早い方法だと思います。また、上述の通り近代化改造
も同時に施工され、アルミサッシ化されているので、これも忘れずに。
スロ53の近代化改造とスロフ53への改造
スロ53はスハ44と同時期に作られながらも、特急用にはスロ60が使われていたので
急行の並ロを特ロに置き換える為に回されました。昭和32年度から近代化工事が行
われ、ハと同じく窓枠のアルミサッシ化と蛍光灯化、読書灯の取付が行われました。
スロ53については不評だった荷物棚のパイプ棚化も行われた。外観的にはハと同じ
くアルミ窓枠化を行えば近代化工事を施工したことになるでしょう。スロ53はKATO
のスハ43やオハ35と同じ1000mm幅の窓枠なので、どっちの手間が大変か検討して窓
枠だけ流用する(アルミサッシに改造するにはこちらの方が楽)手もあります。窓
枠を落とす手間と見栄えのトレードオフでもあります。
さらに実物は30両全車がスロフ53へ昭和37〜39年に改造されてしまっているので、
模型の方も設定によってはスロフに改造することになります。両妻面に埋め込み式
のテールランプを取り付けることになりますが、天賞堂またはエコーモデルからパー
ツが出ているのでそれを利用しましょう。
実物は冷房改造の対象にならなかったこともあり、昭和43〜47年にかけて荷物車や
通勤型(オハ41)に改造もしくは廃車となりました。ただ1両電暖改造も受けた2025
番(旧スロ53 4)だけはぶどう色2号に赤帯をまいた外観にお座敷の内装で「おく
のと」に連結され、C56やC11の牽引するSL列車として運転されました。この車に限
らず末期にはトイレ窓の上部が分割されて一部開閉式とされたり、ドアの窓が大型
で鋼鉄製のものに交換されているので、帯金を追加または窓の部分を大きめにくり
ぬいてKSモデルから発売されているKATO客車のドア交換パーツを使用すれば対応で
きるでしょう。
スロ53をスロ54(マロ55)へ改造する。
スロ53は特ロの中でもマイナーな存在で、43(44)系系列の特ロとしてはスロ54の方
が有名で、ナロ10に置き換えられるまで特急に使用されたり、国鉄末期までスロ62
と共に最後まで残った系列でした。スロ53とスロ54の違いは、
- 照明が蛍光灯式となった。(この違いにより別形式となった)
- 便所側車端部の貫通扉が開き戸から引き戸になった。
- 不評だった鋼板式の荷物棚をパイプ式のものに改め、33番以降は読書灯がついた。
と、接客設備の改良が主で外観上の差異はないに等しいのでそのままスロ54に仕立て
ることも可能です。(蛍光灯化により電池箱が大型のものに変更されている程度)
さらに昭和39年に2両が車体の外観はそのままに、床下に20系(オロネ10)と同じ冷
房装置とディーゼル発電機を積んで冷房化(室内は座席の床下を100mmかさ上げしてダ
クトを通した)され、マロ55となり、翌年台車をTR23に交換してスロ54の原番号に復
帰、他の45両は屋根を鋼板で低屋根に作り直してAU12Sを5台搭載する大工事を昭和41〜
42年度に行いました。模型で低屋根に改造してAU12Sを載せるのは木製屋根板を使い妻
板を大きく切り刻むという手法(ナロ10をオロ11に改造する場合も同じ手法で可能です)
を取るしかありませんが、マロ55を経由してスロ54に復帰した試作改造の2両(26,29)
については床下回りにエコーモデルのパーツを利用して冷房と発電機を載せればスロ54
(マロ55)として昭和50年頭まで使えます。(ドアは前述の通り大型窓のタイプに張り
替え)台車を日光モデル製のTR23に交換する場合は、 片側のセンターピンのバネを半
分位にCutして台車の追従性を上げておくと脱線しにくくなります。一般的にこれらプ
ラ製客車は車重が軽いので脱線しがちですが、まずはセンターピンのバネを片側だけ
半分にCut、もしくは台車を日光製などに交換してしまうとよいでしょう。
スハニ35をオハニ40に改造する。
スハニ35は4〜6の3両が近代化改造を受け、一時高崎区に移りながらも再び品川区に
戻って夜行急行などに使用され、「さぬき」を最後に荷物車に改造されたが、運命の
いたずらか、いきなり仙台区に配置された10〜12は臨時列車に使われる機会もあった
ものの、福島区や会津若松区、さらに酒田から新津区を転々とし、ローカル列車に細々
と使用されて近代化されることもなく荷物車に改造された不憫な車も存在しました。
これらは計画当初に予定された列車に投入される機会を失い、他の予定車は予備車や
急行の指定席車として使用されたものの、合造車が災いしたのでした。他の車両は高
崎区から鹿児島区に移ったものもありましたが、そのまま荷物車等に改造されました。
その内2,3の2両はオシ16に台車を提供する為にTR23に履き換え、オハニ40という新
形式となりましたが、同時に室内もオハ35等と同じ木製背擦りの直角座席に格下げさ
れ、宮原区にあって福知山ローカルに使用されましたが早々にマニ35に改造されてし
まいました。
模型ではTR23に履き換えて(ぶどう色に塗れば)おしまいというお手軽改造で対処で
きるでしょう。
マシ35の近代化改造
マシ35はオシ17が特急に優先的に投入された為に、他車より早く夜行急行などに回さ
れて、戦前型3軸ボギーの食堂車の駆逐に回されました。近代化改造は、昭和32〜33
年度に冷房の動力をディーゼル発電機式に変更、昭和35年度に
- 窓枠の固定窓化および一部アルミサッシ化
- ベネシャンブラインドの巻上げカーテン化
- 資材搬入口(ドア)の設置
- 室内灯の蛍光灯化
が行われて、塗色も青15号に変更されました。
製品はなぜか資材搬入口(ドア)がついているにもかかわらず、木枠のままで、食堂
の両端を除く窓5個分を窓枠を削り落とし、真ちゅう線でHゴムを表現して近代化改造
後の正式な姿にしましょう。ただ、近代化改造後はオシ16/17に追われ、「ていね」
(函館、1〜3)、「十和田1/4」(青森、11,12)程度に使用されたくらいで、活躍の
機会は少なかった様であります。
オユ12をスユ15に改造する。
当初発表された10系客車シリーズのうち、オユ12だけがまずラインナップされること
になっています。荷物車や郵便車は夜行急行などに1〜2両連結されて運用されたり、
急行荷物列車で運用されていましたが、特にどの形式がどう運用されていたかはあま
り明らかにされてはいません。オユ12は護送便車で、これに電暖をつければスユ13と
することができます。さらに1両だけ、スユ15 2001だけが昭和48年の製造にも関わら
ずオユ12と変わらぬスタイルで登場しました。実物ではドア横手スリが埋め込み式に
なっているなどの違いはあるが、模型では台車を日光のTR55またはエンドウのTR217に
交換すればスユ15に仕立てることが可能です。
ナロ10をオロ11に改造する。
スロ53の所で書いた様に、木製屋根に妻板カット、AU12S搭載でナロ10をオロ11に改
造することは可能です。実際にやった人を知っていますが、なかなかの大工事になる
ことは必須ですが。。。新幹線博多開業前の山陽九州路の夜行急行を再現するには必
要なことかも。
その他形式間改造をする。
KATO客車と違い、片デッキ式の車体なので、他の(系列の)車両に改造するキットバッ
シュのタネ車としても使えるかもしれません。スロ53をスロネ30に改造することも可能
じゃないかと考えています。本当なら、時代的にも編成を組むにもマロネ41がほしい所で
すが、屋根高さに違いがあってできそうにありません。
その他ディテールアップなど
その他やっておきたい(おくべき)改造(加工)は、
- 台車の交換
- 床下回りのパーツ交換、パイピングなど(台車とまとめてKATOの床下に)
- 連結面貫通扉の取付(エコーモデルなどからパーツがでています)
- 補重
がありますが、やればやるほど当然コストアップになりますのでどこまでやるかは懐
次第ということになります。KATOの床下を使用する場合、ASSYパーツをと考えますが、
実際には完成が1両買えるほどなので、完成を1両捨てられるか、悩む所です。(浮
いた車体はまた別の車のタネ車に)
塗色
登場当時はぶどう色(茶色)1色塗りでしたが、「つばめ」「はと」は昭和31年の東
海道線全線電化に合わせて薄緑5号に塗られました。「はつかり」に使用する客車は
その頃登場した20系ブルートレインと塗装を似せた青15号に窓下と車体裾にクリーム
1号の帯、近代化工事車で団体用に専ら使用されるものは青15号に裾に1本クリーム
1号の帯を入れていましたが、他はぶどう色に戻されました。昭和41年頃から軽量客
車などを皮切りに青15号1色への変更が進められ、荷物車やローカル運用車の1部を
除いて変更されました。
最後に、いろいろ酷評もしてきましたが、KATOの機関車とあわせて16番の車両のバリ
エーションを増やすには今回のハセガワの再生産は有難いものと言えます。あとは各
自の努力次第でこれら車両を活かしていくかでしょう。特急は20系がラインナップさ
れましたし、TOMIXから寝台車が出ているわけですから、急行を仕立てるにはこれらが
必要になるわけです。
16番の鉄道模型のプラモデルについて
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