感覚


私は前回、患者さんの訴えよりも体の訴えを聞くと言ったが、その訴えをどう聞くかと言うと、それは”手の感覚”なのである。手で触って悪い所が見つけられなければ、治療は出来ない。手の感覚は、経験を積めばそれなりに研ぎ澄まされてくるが、やはり天性のものがかなり左右する。

筋肉のコリなどは比較的見つけやすいが、骨のリスティング(変位の状態を記号で表したもの) やクレニオリズム(頭蓋骨の動き)、内臓の可動性、脈診などは難しい。私は幸いそんなに苦労する事なく、最初に教わった時から比較的出来は良かった。同じに習った仲間で、全然出来ない人もいた。治療が出来るようになると、上の人と意見が合わなくなる事も多くなり、それで独立を決意した。まだ25歳の時だった。

正直言って、不安の方が強かった。でも、自分の手の感覚には自信があった。その時にすでに5年はこの世界にいたので、延べ人数では何万人かの体は触っていたと思う。赤ん坊から90歳以上の方、太った人、痩せた人など様々だった。友人に頼まれて、脚の悪い犬を治療した事もある。

治療している時は、この患者さんは自分しか治せない、そう言い聞かせて取り組むようにしている。もちろん、頼りになるのは手の感覚だ。大袈裟かもしれないが、僕は毎回の治療ごとに、始まる前には自分がこの治療の舞台に立つんだと自覚する。治療家というアクターを演じ、そのヒーローなんだと。最初の頃は、それは本当の自分とはかけ離れたものだったかもしれない。しかし、10年もやっていると、根っからそのヒーローそのものになりきってしまうものだ。金太郎アメではないが、今の僕は治療家アメそのもので、どこを切っても治療家の顔が出てきてしまうほどになった、と自負している。

今日も”手の感覚”を頼りに治療している。これからもその感覚をより一層研ぎ澄ますように、がんばっていきたいと思っている。



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