舟地蔵 

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大庭城のふもで小糸川のたもとに、供養されています。
地蔵の台座が舟形になっていることから舟地蔵と呼ばれています。  北条早雲が大庭城を攻めたとき、この付近(現在の水田)が沼地であったため、攻め入るために苦戦していました。ところが近くの老婆が「引地川の堰(水門)を切れば沼地が干し上がる」ことを教えました。北条軍はその通りにして大庭城を落城できました。その後この老婆は殺されてしまいました、これを供養するために作られた地蔵です。