私どものネットワークです

 

私の家族は7人でした。私とかみさん。子供が3人。そして、私の両親でした。。
もっと以前は双方の祖父母がいました。現在は子供達には伴侶が出来ています。
そして、次の世代も誕生してきました。
次男のところに初孫が出来ました。男の子です。
次に長男のところに男の子が生まれました。
そして長女のところに女の子が誕生しました。
そして次男のところに2番目の男の子が生まれました。
現在は総勢11人になっています。

両親は藤沢よりも主に四国の松山市三津 で生活していました。
暖かくて、とても便利で生活しやすいところです。夏は花火も見えました。
彼らの学生時代、大学に入る前の時代を過ごしたところで、とても懐かしんでいました。
私も松山には暫く住んでいました。石手4丁目のグランドハイツにいました。
松山に居たり、山に帰ったり、藤沢に帰ったりしていました。
平成20年2月、父が心筋梗塞をやりました。
心カテもしないで無事に回復・退院しました。松山の日赤病院循環器科でお世話になりました。
その後も元気でいたのですが、平成22年9月末に山から松山に帰ってのち倒れました。
道後の奥島病院に救急入院。10月の連休に私と次男が道後で落ち合って
寝台タクシーをチャーターして酸素吸入・点滴をしながら藤沢市の山内病院まで搬送しました。
山内病院では内堀先生にお世話になりました。
ほぼ回復して退院し、山内病院にバックアップして戴きながら私の家で過ごしました。
そして2年後、平成23年8月28日朝8時55分、私に「死ぬるよ」と言い残して静かに逝きました。
翌平成24年にお墓を建てて納骨しました。
平成25年7月の連休に母と一緒に祖父の33回忌、父の3回忌をしてきました。
その母も平成27年12月27日眠ったまま息を引き取りました。
恥ずかしながら医師である私がまったく予期できない逝き方でした。
いよいよ次は、順番から言えば私の番です。
悔いのない生き方をと心懸けております。

長女は白百合女子大学を卒業して駒沢大学付属高校の英語の先生を4年間やりました。
平成15年8月に同じ高校の先生と結婚しました。
私は生まれて初めてバージンロードを歩かせてもらいました。これは大感激でした。

 

   

お婿さん今後ともよろしくお願いいたします。長女は大学時代ダンス部でしたので結婚式にはダンスをしなければならないかと思い、密かにカミサンと習いに行っていましたがその出番はありませんでした。ホッとしました。
高校に勤務していたときは松陰神社に住んでいましたのでその頃には何かあると世田谷区医師会の神津先生に大変お世話になりました。その後暫く藤が岡に住んでいました。また私立高校で英語教師の仕事を始めました。その後公立学校の先生になりました。御主人は駒沢大学付属高校の国語の先生でした。お二人とも忙しくて滅多にお会いできませんでした。子供はなかなか作らなかったのですが、平成24年5月に女の子を出産しました。
とても喜んでいたのですが、御主人が平成25年4月1日にお腹が痛いということで、翌4月2日に私が拝見しました。腹部痛とその時に持参された直近の職場検診のデーターが問題でした。CEAが55となっていました。
すぐに針金先生に受診して頂きました。ここの超音波の先生はとても優秀です。膵頭部癌が見つかり、すぐに保健医療センターにてCTを撮り、栄共済病院へ。この時既に総胆管閉塞が始まっており、間髪を入れずにステントを設置しました。これが大変上手く行き、御陰で一旦は改善したのですが、その後の抗癌剤治療に反応が良くありませんでした。横浜市大、栄共済病院を経て徐々に末期状態となり、クローバーホスピタルの鈴木先生にお願いしてターミナルケアとしました。とても残念なことでしたが平成25年8月31日午後10時50分、51歳の若さで鬼籍に入られました。1歳3ヶ月の娘を残してのなんとも切ない旅立ちでした。謹んで御冥福をお祈り致します。
残された長女と孫の行く末を見守って行く大仕事を託されました。
これは大変なことですが、なんとか頑張るしかありません。

2番目の長男は慈恵医大を卒業して第三病院のリハビリ科に入りました。暫く狛江に住んでいました。こちらも忙しいようで滅多に会えませんでした。研修医も終わり、リハビリ専門医も取得しました。関東逓信病院に勤務したあとまた狛江の第三病院に戻って代々木上原に住んでいました。その後多摩に住んで、天本病院と湘南台病院に勤務しました。良いお相手に巡り会えて、平成21年8月に結婚しました。お相手は奈穂さんです。とても素敵な人です。新潟の御出身で、私たちも新潟に御挨拶に行ってきました。御両親、お祖父ちゃん、お兄さんとそのお嫁さんにお会いしてきました。とても暖かい御家族で素晴らしいと思いました。菜穂さん、今後ともよろしくお願い致します。その後暫くはるひ野に住んでいました。当時は第三病院に勤めていました。その後は私どものすぐ近くに住んで湘南病院の精神科に勤めていました。いよいよ後継準備です。彼には彼の計画があるようです。楽しみにしています。菜穂さんは男の子を育てながら私どものクリニックで仕事を始めました。これも後継準備の一環です。
長男も平成26年4月から鶴井医院の外来診療を一緒に始めてくれました。
その後3年の準備期間を経て、精神科の専門医も取り、平成29年1月6日、「鵠沼メンタルクリニック」を開設してあとを継いでくれました。有り難いことで、ホッと致しています。これで私も大仕事を終え、肩の荷を下ろしました。

これは二人でバリに行って来た時の写真です。ほとんど結婚写真のようですので、
お二人の了解を得た上でアップします。なかなか綺麗に撮れています。



    

上記の通り、私どもの長男は慈恵医大を卒業後リハビリを学び、
湘南病院で精神科も学んで、とうとうここを継いでくれる。と嬉しいことになりました。
菜穂さんは男の子を出産しました。東日本の大震災直後のことでした。
平成29年1月から二人で「鵠沼メンタルクリニック」をオープンさせました。
張り切って仕事に取り組んでいます。

私も今暫くはお手伝いを致します。同時に日本赤十字社の仕事を少しやらせて戴いています。
これは医師会からの斡旋で始めたのですが、とても真面目な、必要欠くべからざる仕事です。
私ももう少し事業継承完結のために頑張りたいと思っています。

3番目の次男も慈恵医大に入学して代々木上原に住んでいました。剣道部に入っていました。こちらも忙しいようで滅多に家には帰ってきませんでした。しきりに馬に乗りたがっていました。とうとう剣道部をやめて馬に乗りはじめましたが学業が忙しくて思うように行かなかったようです。
学生時代の後半は救急医療に情熱を燃やしていました。学生時代の自由さを武器に主にアメリカですが、
最大限に飛び回っていました。どうやらその頃から結婚も視野に入っていたようです。
見ている方はハラハラしていましたが、若さを謳歌している姿は素晴らしいものでした。
平成19年の春、とうとう結婚しました。お相手は素晴らしい女医さんです。卒業と同時に入籍しました。

   


ハワイで二人だけの結婚式を挙げてきました。おめでとう御座います。
お嫁さんも一緒に卒業ですので、二人ともこれからですね。お二人とも京都で研修医生活に入りました。息子は音羽病院に、奥さんは宇治徳州会病院に勤務して前期研修をしました。その後は九州の病院に二人で勤務することになりました。とても仲の良いお二人なのでこちらもホッとしています。
お嫁さん今後ともよろしくお願いいたします。
京都の病院で研修をし、一時は福岡まで行っていましたが、今は再び京都に落ち着いています。
彼は総合内科を、奥さんは外科を学んでいます。こちらの方が一足早く御懐妊されました。
平成22年の10月初孫に会えることになりました。
今は二人とも京都に住んで、京都岡本記念病院宇治徳州会病院に勤務しています。
こちらは2人目の男の子が平成25年9月に産声を上げました。
桂川の大洪水の二日前のことでした。
彼は最近本を出しています。とてもよく勉強しているようで頼もしい限りです。
京都でも暫くは馬にも乗っていたようですが、最近はボルタリングに嵌っているようです。
お二人とも人生を楽しんで、充実させているようです。


私共も次の時代に入って行きそうです。
なんとか無事平穏に行くよう祈っています。

皆が元気で居てくれることが我々の望みであり、楽しみです。
私も時々学生時代や研修時代のことを思い出しますが、大変でした。いまだに試験の夢を見ます。
馬術は私もまた再開したいと狙っています。が、こちらも何かと忙しく、未だ暫くは難しいようです。
従って、暫くは、私とかみさんと2人暮らしになっています。
最早卒婚で、二人とも勝手なことをしています。




在りし日の父と母です。

旅行と車が好きで、世界中を飛び回っていました。こちらにもよく滞在しました。二人とも医者ですが、
スッキリとリタイアして、その後は愛媛県の 柳谷村(郷里です) 遊んでいました。
その後暫くは二人とも年を取りましたので、主に藤沢で、我々と同居していました。
今は父も母も逝ってしまいましたので、仏壇だけが私どもと同居しています。
この写真は横谷山 です。家の前面に見えます。





両親は以前はこちらも手伝ってくれていました。
  主に森田療法の作業指導をしてくれていました。
特に、剣道と一刀流の形稽古の指導をしてくれていました。ダンスもやりました。
流石にベテランです。巧いもんでした。
その後剣道と一刀流の稽古、ダンスは出来なくなりました。毎日夫婦で囲碁と写経をやっていました。
一時は両親、我々夫婦で時々ゴルフに行ったり、麻雀をしていました。
主に本厚木、時に大相模や茅ヶ崎カントリークラブなどです。
みんな下手ですが、結構楽しんでいました。
この年になってやっと生活を楽しめるようになってきたみたいです。


平成22年9月まで、両親はもっぱら松山を拠点にして生活していました。
平成20年2月父が心筋梗塞をおこしました。すぐに河野内科医院を経て松山日赤病院に入院しました。主治医の先生にとてもお世話になりました。心カテもやらずに退院して、そのまま三津のマンションで暮らしていました。どうやら一山乗り越えたようで、その後は元気にしていました。でも、齢87歳になり、糖尿病もあり、腎機能もだんだん低下して貧血も出てきていました。矢張り心配でしたので、ちょくちょく松山に帰っていました。
平成22年9月体調を崩して道後の奥島病院に緊急入院しました。一時は生死の境を彷徨いましたが、この時に九州から次男の勝繁君が駆けつけてくれて、その場で藤沢に担送することを決断しました。
素晴らしい。吃驚しました。もう彼らの時代です。
10月の連休を利用して勝繁先生と私とで松山から介護タクシーをチャーターして藤沢まで、点滴と酸素吸入をしながら15時間かけて連れてきました。事前に近くの山内病院にお願いしておいて、内堀先生にお世話になることにしていました。朝の4時に山内病院について、無事入院となりました。その後はなんとか回復して、無事に88歳の誕生日を迎え、退院して、一時は長男の敏晄先生の勤務先でした天本病院でリハビリもして、退院。
藤沢の自宅に帰りました。
なんとか平成21年も終え、年も越して、冬も越え、暑い夏を迎えました。この時倒れて一年目でした。
なんとこの年には3回ほどプールにも入り、そのうち1回はちゃんと泳ぎました。
そして2回目の冬も越え、夏を迎え、平成23年8月28日朝8時55分、自宅で静かに息を引き取りました。90歳を目前にしての旅立ちでした。
そして平成27年12月のことです。88歳を過ぎた母が旅立ちました。

この間いろいろな方々にお世話になりました。本当に感謝しています。



このように、常にみんながバラバラに生活していましたが、時代は動いています。なにかと大変です。

これからもまだ暫くは精神的にも、経済的にも、とてもエライことだと思います。
仕方がないのでもう少しがんばりたいと思っています。

目指しているのは長男に後を引き継いでもらってのハッピーリタイアメントですが、
まだ少しかかりそうです。・・・・・これはなんとか成就したようです。
あと数年で借金が無くなるのではないかと思っております。・・・これも出来ました。
平成19年4月にとうとう還暦を迎えました。なんとか68歳くらいまでには無借金で、
医院も長男に託して、多少のゆとりがあるような生活を手に入れたいですね。
・・・・・
現在70歳になろうとしています。少し遅れましたがまあまあ予定通りになっています。

いずれは南の島で暫く生活してみたいと考えています。
私はロタ島が気に入っていますが、まだ場所探しをしています。
カミサンが何もない所で嫌だと言っています。タイのパタヤかセブも良いかと思っています。
私は寒いのが苦手ですので、年中暖かい所が良いです。
そして便利で安全で、生活費の安い所。というとなかなか無いものです。
3回ほどロタに行ってみました。念願のロタホールにも潜ってきました。
やはりロタの海は素晴らしいです。とても綺麗です。
透明な、底がはっきりと透けて見える海にボートが浮いています。
それをセスナから見るのが素敵です。グアムからセスナで約一時間で着きます。
ロタカントリークラブでゴルフもしてみましたが、広くて、空いていて、とても快適でした。
蛇はいないのですが、蛙がとても沢山います。
私はロタがとても気に入っています。ロタ・カントリーホテルはとても良かった。
ココナッツ・ヴィレッジもとても良いところでした。
・・・
これは単なる夢に終わりそうです。

この頃から馬に乗ることも視野に入れました。
ドバイのアル・マハの乗馬は良かった。ニュージーランドもとても良かった。
その後行ったフィリッピンのセブも素晴らしい所でした。
そしてタイです。はじめはプーケットに行きました。ここも素晴らしかった。
でも次に行ったパタヤのホースシュー ポイント(Horseshoe Point)は圧巻でした。
大きな覆い馬場が3箇所あり、外馬場のとても広い所が一箇所、障害馬場です。
覆い馬場の1つはホテルの中庭です。馬場を取り囲むようにホテルの部屋があります。





素晴らしい施設でした。馬も良く、トレーナーも素晴らしかった。調教も良くできています。
特にアンナ(ANNA)さんとスリ(SRI)さんが最高でした。私のことを理解してくれました。
ここの所、長いお休みの度に通っていました。
ここは今の所とても点数の高い移住場所になりそうです。
でも、此処も殆ど閉鎖状態になったようです。暫くは様子見のようです。
此処はオーナーさんが亡くなられて閉鎖になりました。
・・・・・
またまたこの夢もつぶれてしまいました。

いずれ何かしら見つかると思っています。めげないで行きましょう。

 

次に仕事上のネットワークを御紹介します。
そのうち各ホームページが立ち上がってきましたら、徐々にリンクしてゆきたいと考えています。


かかりつけ医通信

 

嘱託医として、 藤沢市役所、鎌倉市役所に行っていましたが、平成21年3月一杯で退職しました。あとは板金工業株式会社に行っています。 太陽の家「ふじのみ学園」は辞めました。。藤沢市医師会 の仕事も平成25年6月で引退しました。以前は理事会、東洋医学研究会、藤沢市精神科医会などです。神奈川県精神神経科診療所協会の仕事もしていました。また神奈川県内科医学会の仕事もさせていただきました。認知症研究会です。大学は出身校であります 東京慈恵会医科大学で父兄会の仕事をしていました。 あと、以前勤務していました 聖マリアンナ医科大学ですが、現在は殆ど関係していません。

 

疾患別では、神経内科全般では、 横浜市大の黒岩先生、脳神経血管障害では 北里大学 の坂井先生。脊髄がらみの神経外科では御所見病院の吉田先生、平衡障害は千葉市稲毛区山王病院の小松崎先生にお願いしています。東洋医学上の問題では愛媛県立病院東洋医学科の光藤先生、山岡先生に、最近では日本漢方研究所の稲木先生と銀座内科の九鬼先生にお世話になっています。精神科では藤沢病院の石井先生、日向台病院の長谷川先生、湘南病院の大滝先生にお願いしています。藤沢市近辺にはメンタルクリニックがとても多いのですが、よく集まったりして仲良くやれているのは素晴らしいことだと思っています。 神経症、森田療法 に関しては生活の発見会です。時々は厚木や鎌倉集談会八王子集談会にもおじゃましてお話しをさせていただいています。最近友人の谷口さんが 森田療法のユニークなホームページを立ち上げました。

 

御老人の問題では、聖テレジア病院、 御殿場高原病院の清水先生に、施設では鵠生園、清流苑にお願いしています。医師会立訪問看護センターもできまして機能しています。最近は続々と御老人のグループホームが出来てきています。素晴らしい試みと思っています。そのうちのひとつメールブルーというグループホームには頼まれてたまに往診に行っています。ケアマネの山下さんがとてもよくやっておられます。地域医療のネットワーク形成は徐々に広がり、緊密になっています。そのインフラを一所懸命造っています慶応大学の内山さんにも御世話いただいています。介護認定審査会では後藤先生、歯科の鈴木先生、ケアマネの垣見さん、西さんに御指導いただきました。やっとお役御免になりました。長いこと有り難うございました。

眼科は中山先生、耳鼻科は橋本先生、上野先生、本郷先生に、皮膚科は三上先生、松井先生に、小児科は井関先生、小島先生。産婦人科は塗山先生に。消化器内科と胸部は針金先生に。糖尿病と緊急入院は山内病院の内堀先生、最近は糖尿病は近くに早稲田先生が御開業なさったのでそちらでお願いしています。入院は山内病院に、いつも助けて戴いています。リウマチ科は安達先生に。外科は一番近くの斉藤先生、栄共済病院の佐藤先生、湘南台病院の鈴木先生。乳腺は河野先生に、整形外科は木島先生、後藤先生に、脳外科は数野先生、三壁先生に、泌尿器は道躰先生、朝倉先生、広本先生にお願いしています。放射線科は栄共済の徳田先生、藤沢市民病院の蘆田先生に、循環器の検査は保健医療センターの小堀先生にお願いしています。保健所では神奈川県の河西先生にお世話になっています。歯科では瓜生先生と鈴木先生、川野辺先生、小山先生です。薬局は湘南薬品、ときわ薬局、こじか薬局、入澤薬局、三栄薬局、大島薬局、勉強堂、だるま薬局、鵠沼ファーマシーです。
多くの専門家に支えられています。感謝しています。

 

趣味のネットワークです

 一刀流剣術・剣道では稲村ヶ崎にある修道学院の高野先生、望月先生、牧野先生、川野辺先生、倉本先生、山田先生、袖山先生、池田先生にお稽古を戴きました。毎週日曜日の午前中は形稽古と竹刀稽古を欠かさず続けていました。でもちっとも上達しないのが玉に瑕です。年齢的にも限界が来ていると思っています。なんとか動けるうちは続けたいと思っていましたがとうとう行けなくなりました。もう身体が持ちません。
自宅の方では 藤沢市の精神科の先生でもある原先生をはじめ、遠藤先生、中村先生、小池先生、佐江先生にお世話になっていました。以前は逗子市の柳田先生、金沢八景にある高野道場の松尾先生にも御世話いただきました。今はもう諦めました。下手は下手なりになんとか楽しく続けられれば良いのかと思えるようになってきました。

 乗馬・馬術ではティアラ乗馬クラブの斉藤先生御夫妻にお世話になっていました。また再開したいと念じていますが、なかなか暇がとれません。もう一度馬造りをやりたいとねらっていました。これは本当にやりたいことでした。今は主にタイのパタヤで乗せてもらっています。
出来ればリタイア前から本格的に取り組みたいと考えています。でも、これももう諦めの境地です。
なかなか身体が言うことを聞いてくれません。大問題です。

 ダイビングでは江ノ島ダイビングの杉山さんと親しくさせてもらっていました。
次男と、かの有名なサイパンのグロットに潜ってきました。素晴らしかったです。水深23メートルから見る太平洋に向かう三つの窓は壮観でした。外海(太平洋、サイパンの北端東側になります)もとても綺麗でした。アオウミガメがゆっくりと泳いでいました。忘れることのできない光景でした。
 機材を背負って階段を上がるのは大変でした。おおかた百段の石の階段です。降りるのも大変ですが、登りはきつかった。でも最高の経験でした。もう一度今度は夏に行きたい。グアムの海も素晴らしかった。有名なロタホールもねらって行ってきました。ここも素晴らしかった。パラオも素晴らしかった。まるで海の中のグランド・キャニオンでしたね。 バラクーダの群れは圧巻でした。
これらはどうしても行かなきゃならないダイビングスポットだと思っています。
 夏は主にグアムでした。有名なダブルリーフに2回、ガンビーチ、などでした。この時はすべてボートダイブでしたのでとっても楽チンでした。ダブルリーフの景色は矢張り素晴らしいの一言ですね。とっても綺麗な海の中の砂浜、まるでよく手入れされたお庭のようでした。
 グアムでは素晴らしい友人ができました。今回は彼のところに入り浸って銃の手入れをしたり、いろいろ遊ばせてもらいました。またの再開が楽しみです。
 大型台風「Chaba」にも遭遇しました。有名な「キティ・ホーク」は海の上からと、空からじっくり見ることができました。キティ・ホークがいなくなってすぐにChabaが来ました。コンディション1で外出禁止です。凄い台風でした。おかげで帰国が二日ほど延びましたが、貴重な体験でした。
 この台風はその後まだ追いかけてきまして、私どもが帰国して一週間後に台風20号として日本に上陸しました。久し振りに関東地方直撃で、鎌倉を通ったようです。藤沢市でも、いつも散歩に行きます片瀬山の山崩れがおきました。片瀬川は氾濫寸前でした。我が家の近辺では水も出ました。我が家も多少の被害を被りました。
 年末はオーストラリアのケアンズに行って来ました。北のポートダグラスから大きな船で、有名なグレイトバリアリーフの最北端、スリーシスターズ(AGINCOURT Reef ・PLAYGROUND)あたりまで行っての3ダイヴでしたが、これも素晴らしいものでした。バラクーダが悠々と泳いでいました。
 今回最も感激したのはタリー川のラフティングでした。一日かけてゴムボートで川を下るのですが、これは素晴らしかった。久し振りに童心に戻って川と、水と戯れました。とても楽しい一日でした。これはお奨めします。向こうに行かれたら是非体験してください。
 ちょうど時を同じくしてインド洋では大津波が発生しました。モルジブやプーケット、ペナンはいつか行ってみたいと思っていたところでした。新潟の震災もあり、昨年は天変地異の年であったかと思っています。赤十字に僅かばかりの寄付をさせていただきました。
 旅行は良いです。子供達が手を放れて初めて夫婦で遊べるようになりました。まだ母親がしっかりしていてくれるので今のうちです。リタイアしたら暫くは世界中を回ってみたいと思っています。そして南の島で生活してみたいですね。これは夢のまた夢です。
 もうかなり前になりますが、ゴールデンウィークは皆様より少し早めにお休みさせていただいて、以前より狙っていましたロタホールに行って来ました。ロタの海は素晴らしかった。港でも底が透けていました。ボートダイブでPINATANG Reef とロタホールでした。ピナタンリーフはまるでお花畑でした。とても綺麗な素晴らしいところでした。ロタホールは一見の価値多いに有りです。真上から射し込む光の柱の中に漂えます。幻想的でした。左に大きな穴が空いていて、右下に小さな穴があり、そこから入りました。暫く行くと眼前に光の柱が見えます。水深22メートルから見る水中の光の柱は素晴らしいものでした。そしてもう一度グアムに渡り、こちらではブルーホール、バラクーダロックでした。



これはグアムのブルーホールの入り口です。一緒に潜った大阪の野見山さんが写真を送って下さいました。一番右の方です。此処も素晴らしかった。潜ってゆくと珊瑚礁の中にぽっかり穴が空いています。そこから覗き込んでいるところです。この下は大きな穴になっており、水深は約50メートルとのことです。途中に海に向かう横穴があり、そこから外の光が入り込んで、綺麗なブルーの光が底から射しています。とても綺麗なスポットでした。
またある年の夏はパラオに行って来ました。有名なブルーコーナーは圧巻でした。ドリフトダイブですが、崖に掴まってみる魚影の濃さ、お魚さんの大きさ、素晴らしいものです。かなり強い流れの中で、多くの大きな魚たちがゆっくりと群をなして、まるで止まっているように泳いでいます。その中で、鮫やウミガメが戯れているように見えます。頭上、手を伸ばせば届くような距離を大きなバラクーダの100尾以上の群が悠々と泳いでゆく。まるで時間の経過を忘れさせてくれます。忘れたら死にますので、充分注意していますが、「凄い」の一言でした。雄大さでは将に圧巻でした。

 

 コンピューター関係ではなんと言っても医師会に勤めておられた高橋 壮太さんです。私の守護神です。彼なくしては何も出来ませんでした。当院のこの素晴らしいコンピュータ環境を実現してくれたのがこの方です。どこかに素敵なお嫁さんがいませんでしょうか? まだ独身です。素晴らしい男です。彼と組んで藤沢市の市民健診用のソフトを造りました。藤沢市医師会会員の先生方には只で御提供させて戴いていました。藤沢市では二十数件の医療機関にお使いいただいていました。楽しみにしていたのですが、高橋さんはこの度藤沢市医師会を御退職なさいました。有能な彼のことですから、これからの社会にもっと大きな貢献の出来る場所を見出したいとの思いが滾っているようです。ですので、藤沢市の市民健診用のソフトに関してはこれでお終いです。残念ですが、致し方ありません。私どももまた手書きに戻りました。
 本当に素晴らしい電子カルテシステム「ダイナミクス(Dynamics)」では開発者である広島の吉原先生、ほか船越先生、天野先生などなどダイナ・メーリングリストの大勢の先生方にお世話になっています。 松岡先生は先日お亡くなりになりましたが、大変感謝しています。私どもの所では平成12年の2月からの導入ですが、今や我が診療所にはなくてはならない大切な診療支援ツールになっています。これはお勧めします。藤沢市医師会でも皮膚科の松井先生、眼科の秦野先生、整形外科の菅原先生、耳鼻科の中村先生はじめとして導入される先生がドンドン増えています。全国の神経科の診療所にも破竹の勢いで拡がり始めています。既に僅か9年間で3000件を遙かに越える医療機関に採用され活躍中です。ダイナミクス叢書も出版されました。この素晴らしいソフトウェアが日本中の開業医の先生方に浸透してゆけば地域医療の連携のためにも大きな一歩になると思っています。 毎日の診療と毎月末のレセプト作成にとても役立ってくれています。おかげで大変な省力化が出来て、職員さん共々ものすごく感謝しています。最後はVer.23bにまでアップしました。毎回の難しい診療報酬改訂もしっかりクリアーしてくれました。凄いことです。電子カルテにして既に17年目になりましたが、これは大成功だったと自負しています。院内ランも完成して各部屋からアクセスできます。ADSLも入って絶好調です。既にレセプトの電送も行っています。ダイナミクスに併せて使用させていただいている広島の山下先生がお造りになっていますファイリングソフトRS_Baseはまだまだ使いこなせていませんが、これも素晴らしいソフトです。ダイナミクスととても相性が良く連動が快適そのものです。仕事が楽しくなります。私どもの診療環境がこんなに素晴らしいものになるなんて、俄には信じられませんが、本当に皆様のおかげです。何時も感謝しています。遠く西の方、広島の方に向かって毎日手を合わせて拝んでおります。今はもう長男の代に入りました。同じ敷地で、医院名だけは変わりましたが、「鵠沼メンタルクリニック」にそのまま引き継いでいます。

 

そのほか書き切れませんが、私どもは様々なネットワークの中に存在しています。
本当に有り難いことです。いつもいつも感謝しています。