現代における神経症とその治療 

−2007年11月25日八王子集談会での講話より−

(テープ起し)八王子集談会・NPO法人生活の発見会発行『生活の発見』20年11号に掲載したものです。」



 「似顔絵・タナカサダユキ」

鶴井医院  高岸 泰

 T 私と森田療法−自己紹介をかねて

 

森田療法との縁

今回このような場所でお話をする機会を与えていただき、感謝いたしております。

私は、昭和22年生まれで、今年還暦を迎えました。昭和47年、東京慈恵医科大学の卒業です。

私が生まれた頃、親父の兄貴が、松山で鶴井病院をしていて専門が森田療法でしたので、森田療法には前から興味がありました。

親父の方は慈恵医大の昭和22年の卒業で(伯父の方は21年の卒業です)、もともと専門が外科でした。親父は兄貴の影響もあったのか、次第に外科もいいが違うやり方があるのじゃないかと考えを変えてきました。その時代に、竹山恒寿先生とおっしゃる、高良武久先生と同い年で森田正馬先生に直接師事されていた先生が湘南病院の院長をされていて、慈恵医大の客員教授でもありました。親父は竹山先生の話を聞く機会がありまして、そこで「実は、鶴井の弟である」と、いうことで湘南病院へ行くことになりました。

親父は当時、週に二回、湘南病院へ行っていました。そのうち「ずっと神経症を専門にする」ということで外科を閉めてしまいました。親父は例えば外来でできる、ヒョウソウですとか、簡単なイボの切除ですとか、そういうことはやりましたけど、湘南病院で勉強しながら神経症一本でやるようになりました。湘南病院の患者さんや紹介の患者さんが来られたり、あるいは直接来られたり、というような形で神経症のかたを診ていました。

親父が外科を閉めて精神科に転換した頃、私はまだ高校生です。高校時代に家が大転換をしているということを薄々感じながら、自分は受験勉強をしなきゃならないし、その頃、まだ私は自分が、医者になることも考えてなかった。何をやりたいかということも、あんまり見えてなかったため、とりあえず、大学には行かなきゃならない、私、一人っ子ですから、親の後をつがなきゃならんかな、ということで、一応理科系をやっておりました。

私が高校二年、三年の頃には、うちには神経症のかたが何人かいて、「神経症のかたって、外科の患者さんとは随分ちがうな」、というイメージを持っていました。

それから大学に入ったころから、卒業する前くらい、ずっとつぶさにうちの仕事を見ていましたけれど、「なかなか意義ある仕事だなあ」という印象を持ちました。

卒業する二年くらい前に、自分の進路を決めなきゃならなくなりまして、何をやろうかと散々考えました。外科にも行けたし、婦人科にも行けたし、好きな科目に行けました。眼科も好きだったし。その頃は、精神科ということは、全然頭になかったですね。

ちょうどその頃の夏休みに、松山の伯父のところにしばらくいて、伯父さんともいろいろ話をしました。その時から精神科に非常に興味をもった記憶があります。

伯父は今はもう亡くなりましたけれども、「君、何をやるつもりだい。精神科はいいぞ。これからはいいんじゃないか」というような話をされまして、そこで臨床を診させていただきましてその気になった、というような経緯があります。

 

 伯父との対話から

その時に伯父から「お前さん、精神科に行くのだったら、何が大切か」と聞かれました。伯父は、当時は、統合失調症のことを精神分裂病と言っていましたが、「分裂病と神経症とうつ病。この三つの区別ができれば、精神科医としては、一人前だよ」と。「それができなければ精神科医にはなれない」ということを言われました。

私はその伯父さんの病棟に入ってみましたが、素人でしかない学生だから、「一体、この人何だろう?」というのが率直な感想でした。要するに病気の顔をしていない。何でこの人が病気なのか私にはわからない。患者さんは当たり前のことを言うのです。

その時に、伯父さんにはなぜわかるかというと、「いや、これは十年診たからだ」、と。「十年診なきゃわからないのかと」いうのが、私の疑問でした。

要するに、私はその時には医科大学に入って、だいたい五年間くらい勉強していましたから、医学のノウハウや、その本に書いてあること、論文に書いてあることは、頭に入っている。ところがその知識を持って人を診ても、その区別はできない。じゃ、そのエッセンスは何なの、という時に、「これ十年やらなきゃわからないぞ」と言われて、「じゃあ、それは何なの? 学問じゃないじゃないの? 」っていう素直な疑問が一つ。その時、伯父さんは、「やっぱり経験だよね」、ということを言っていましたね。それと、「これは職人技だよ。要するに、その道のプロになるには、その道で長年修行すれば、自ずとわかってくるものだ」と。「じゃなければ、いくら論文読んだからといって、いくら教科書読んだって、わからないものはわからないよ」、ということを言われました。

「あ、そうかいな」というような印象をいまだに私持っています。

すると次に何が大事になるかというとどこでどういう勉強をして、何を診たら一人前のプロになれるのかということです。職人だったらいい師匠をまず選べと。これはどんな世界でもそうだけど師匠が良くなきゃいけない。それからやっぱりいい修行をしてないと診れるようにはなれない。

ということで当時うちの親父がずっと親しくしていた湘南病院の竹山先生に卒業したと同時弟子入りしたわけです。

 

 竹山恒寿先生のもとでの修行時代

とにかく竹山先生が座っていて、患者さんが来られる。私が横に座っていて、要するに筆記をする。カルテを書く。それをずっとやっていました。大体二年間やっていたかな。そうすると、不思議と見えてくる。ああそうかと。だいたい、患者さんが入って来られて、呼ぶと看護師さんが部屋まで連れて来てくれる。そこから入ってきて座る。その間に、竹山先生はおそらく全貌をつかんでいるわけですよね。

こっちは、問診を取って、それを文書に起こして、それでこっちに座る。こっちがつかんだことを言うのだけれど、それと違うことをポンと、竹山先生は聞いたりする。聞くと、それは俺聞いてないよなと、あるいは僕が聞いた時は言わなかったじゃん、というのがポンと出てくる。すると、診断まで変わってくる。そんなようなことが、最初のうちは非常に多くありまして、そこらあたりがベテランと駆け出しの差なのだなぁというようなことを未だに覚えています。

その聞いたものから、竹山先生なりに、筋道を組み立てて、「こうこうこうだから、こうだよね」というと、患者さんはそのまま頷いちゃう。これは僕から見ると神業みたいに思える。そこまでなかなか到達できなくて、ああそうか、そうかと思いながら過ごしている毎日、いい勉強になって非常に楽しかったです。

そんなことをしていて、そのうちに聖マリアンナ医科大学ができまして、お前やっぱり大学へ行けということでそちらに派遣されました。マリアンナの医局に入って大方十年くらいいました。その後は、当然、ある程度の経験を積むと関連病院に行くわけです。その関連病院にいくつか行って、それから、時期も時期というか、親父がもうそろそろ代われということで、昭和五十八年、親父の後、鶴井医院の方に代わりまして、二十五年近くになります。

二十五年近く何をやってきたかというと、もちろん一般精神科外来ですから、いろんな患者さんが来られます。その方達を診ながら、ライフワークは神経症。神経症とは何だろうとうことを考えています。

今日は私自身ちょうど還暦まできたところで、私なりにどういうふうに考えてきたか、あるいは世界はどういうふうに物を見ているか、今現状の治療はどうなっているか、これからどうしたらよいかというような話をしていきます。

 

U 神経症とは何か

 

 参加者の方達の神経症のイメージは?

(高岸先生)この辺で対話型に持って行きます。私がずっと一生涯、たぶん死ぬまで追いかけていく大テーマですが、「神経症って何だろう」ということについて、何かご意見をいただけますか?

(参加者A)とらわれっていうか、悩みとか、一般の人は普通のことだと思うのですが、それを自分は特別に異常だと感じてしまう。そういったところに、非常にとらわれてしまう。とらわれの度が進むと、身体的に異常なところが出てくる、という感じです。こだわりが強いのかな。

(先生)発見会でずっと長いキャリアを持っていると、的確に捉えておられますね。

(参加者B)ある自分の弱い点に注意が異常に集中して、そればかりにとらわれてしまう状態。

(先生)皆さん発見会で常に勉強されているので、そこの一番のからくり、ポイントというのは押さえておられる。

(参加者C)馬鹿じゃないけど、うすら馬鹿。ニュアンスわかります? せせら笑うような、馬鹿じゃないんだけど、うすら馬鹿。別に知能がないわけじゃない、学力もないわけじゃない。勘違いしていることに気づかない、うすら馬鹿。

(先生)他に何かご意見は?

(参加者D)うちの子どもは、広汎性発達障害ですけど、遺伝的なものも感じていて、神経症っていうのは、持って生まれたもの、素質もあるのでしょうか。広汎性発達障害って、人の気持ちを理解しづらい障害なのですけど、私は対人恐怖なので、人間関係の躓きがあったりします。昔はあまり、広汎性発達障害って言われなかったのですが、私の家族のように素質で神経症になってしまう人もいるのじゃないかな、と思います。

(参加者E)異常な人間ではないか、あるいはダメな人間でないか、自分のような者はこの世では存在しない人間ではないかという疑問に、頭の中でとらわれて、頭の中でグルグル観念に引き回されているというものだと思う。

(先生)ネガティブな人間というのは、現実の中で生きているようでいて、実際には自分で見ている世界で生きている。だから、現実というのをどこまで正しく認識しているかということに、多少ズレがある。当然イメージが違ってくる。その中でも特に、自己否定的な、あるいはネガティブなイメージを抱いてしまって、それにとらわれてしまう。そこから抜けられなくなってしまう、という解釈ですね。今日、初めてこられた方。

(参加者F) ネガティブの方向に考えてしまうのが、不安神経症なのかな?

(先生)何でネガティブに考えちゃうの?

(参加者F)普通の人は、目が合ったりしても、そこで自分のことを嫌に思っているとか多分考えない。でも不安神経症の人は、自分を睨みつけたのじゃないかと悲観的に考える。

(参加者G)間違った向上心じゃないかなと思う。自分はもっとできるはずだとか、自分はこういうふうにできなきゃおかしいという思いが非常に強いと思う。

(先生)これは自意識の問題ですかね。自分は、かくあらねばならないということで、マイナスのギャップを感じてしまう。

(参加者H)自分ができないことを認めたくない。自分だったらもっとしっかりできるはずだという思い込みが強い。

(先生)ではベテランのかた。

(参加者I)極端な価値観、自分が持っている主観的な価値観に重きを置いて、客観的に見られない。自分の価値観に依存している。すごく大事に思い込む。それと現実とのギャップが生じた時に、非常にネガティブになってしまう。自分の身体的なことに極端に過敏になってしまう。

(参加者J)不安を感じて、現実と自分の考え方がズレてしまう。

(先生)そうなった場合に、自分のズレを感じた場合、どうやって処理していこう?

(参加者J)頭で一生懸命考えるのではなく、体を動かして大切なことをしていこうと。

(先生)要するに、観念にとらわれた場合には、実際に行動する。例えばここでこういう観念にとらわれた場合、実際にこの人に話しかける。話しかけたら相手が何らかのアクションを起こしてくる。要するに現実に現実。それによって、「あ、違っていたじゃん。こいつ、いいヤツじゃん」というような思い直しができればという意味ですかね

だから、考え違い、あるいは錯覚というものは誰にもあるもので、その時に観念だけにとらわれるじゃなくて、現実にフィードバックしてやればまた答えの違うのが入ってくる。入ってきたものをまた自分の頭の中で再合成してそれを修正するわけですね。

さっきおっしゃった、「うすら馬鹿」というのは、実際にはそういう形のシミュレーションの規制だとすればどういう形でフィードバックされて、どういう形になればいいと考えていますか? せせら笑っている状態からどういうふうに?

(参加者C)基本的には、要するに自分が思っている現実と、周りの現実は違うわけですよね。だから周りには、うすら馬鹿に見えるのだけど、あ、じゃ違うんだね、とまず認識することですね。

(先生)そこでせせら笑うのでなく、まず現実は何だろう? とアクションを起こすということによってフィードバックしている。

(参加者C)確かに神経質的傾向は間違いなくあるのですけど、健常者と神経症的な人との接点は明確でないところは、たくさんあるわけですよね? ですからあんまり細かいところに神経質はこうだと触れない方がいいと僕は思っていますね。だから神経質的な人はこうだよとあまり突き詰めない方がいいと思っています。

(先生)今のお話はすごく貴重だと思います。線を引くことや規定しない方がいいということでいいですか?

(参加者C)いや、やはりそれは必要です。極端な、特徴的なことは、ある程度定義するのはいいのですが、それを明確に細かくすることが、ホントにいいかということです。アバウトに、こんなような感じだっていうことでいいと思います。

(先生)私は一応プロで、専門でやってきているのは、正にそこが知りたいということです。要はそこに線ってあるの? そして、今日の私の話は、そこに線なんてないっていう話です。

(参加者C)傾向としてあるけど、線はないって考えています。

(先生)だよね! 線なんかないよね! だから私もずっとやってきて、ここに線はないぞ。誰だって同じじゃないか。ただ、どこが違うのか? というところに話を持っていかないと、まったく話がとんちんかんになりかねない。

 

神経症治療の歴史

○「神経症」の名称・概念の変化

そのあたりを歴史的にどう考えているかというと、「神経症」という名称は、以前は「ノイローゼ」と呼ばれていました。ちょうど僕らが学生の、医者になりたての頃かな、大体どこの電柱にも「赤面恐怖治します」とか、あるいは「どもり治します」とか、電柱広告がベタベタ貼ってありました。「神経症って何だろう?」って、先ほどの一番大事なテーマですけれど、要するに専門性も何もない時代の電柱広告から受けた印象は古い≠ナす。

医学生として見ていた時に教わったのが、「ノイローゼっていうのは何だ?」という問いに対して、「恐怖症」もある。「緊張症」っていうのもある。「神経過敏症」っていうのもある。あるいは「不安神経症」、「強迫性障害」、あの頃は「強迫神経症」ですね、「心気症」もある。教科書からは、こういう概念で教わりました。

その中でも、これはたまたま大学が慈恵医大だったので、森田療法というのは、一応学生時代から教わります。そこに「森田神経質」という概念がある。そこに「ヒポコンドリー性基調」って、もう発見会でもお馴染みの言葉が出てきて、今まさに先ほどおっしゃった中核はこれだという、教科書に書いてある言葉というのが、初めて私の頭の中に入ってきた。

そうこうしているうちに大学の中で、アメリカの診断基準でICD―10とかDSM−1とか、いろんなものが出てきた。いわゆる分類学です。こういう症状を診たらここに分類して、一応こういう風に解釈しようと…。

そうしないと、私たちが卒業した頃は、精神医学はだいたいドイツからもって来た学派と、フランスから持ってきた学派があって、…先生と…先生が大論争していて、森田先生もそこに入っていたような時代があったのですが、そこにアメリカから入ってきた新しいものの考え方で、ごちゃごちゃになっていて、大学によっては、「どの学派の精神医学をやっているのですか?」、「うちはフロイト流だよ」、「うちはロジャースだよ」とか、「うちはヤスパースやっていますよ」というように、各教室によってものの考え方が根底から違っていました。

それでは学問の進歩がなかろうということで、やはりアメリカはコンピューターの国だし、グローバルスタンダードを作るのが好きな国だし、みんなでわかる範囲で、とにかくこれはこうだよと、規定しちゃおうということで始まったのが、ICD―10(国際疾病分類第10版)であり、DSM−4(アメリカ精神医学会発行の「精神障害の診断と統計マニュアル」第4版のこと)です。

その中で「神経症って非常にわかりにくいから、その言葉はやめよう」という話になって、ちょっと違う言葉になった。そこらあたりが面倒なことの始まりです。

 

○神経症の定義とは

われわれ神経症専門でずっと診てきている人間としては、世の中の流れと自分の考え方、ものの見方とどうやってすり合わせるか? 何よりも現実に目の前に患者さんがいるわけですね。その患者さんの症状なり訴えなり状況を、自分はどう把握して、それを分類するとしたら、どこに分類しよう。昔は不安神経症で良かった。だけど今はその言葉は死語になった、ということであれば、今の概念でどこにはめればいいか? 一つの論文にまとめるとか、あるいは専門家同士論じ合う時に、いったいどんな言葉を使えばいいのか?

「パニック障害」という言葉もそうですね。この言葉も最近できました。昔は「不安神経症」って言っていたもの中の一つの形だけれども、そういう論文が出てしまうと「パニック障害」と言わざるを得ない。

では、その元の不安神経症との整合性をどこでとるかというところで、専門家としては、そこを悩みながら、一つひとつジグソーパズルの駒合わせをするようなつもりで、自分なりのものの見方を組み立ててきた、というのが私たちの一つの歴史です。

 

○森田原法の治療プロセスの問い直し

その間ずっと悩んできたのは、最初にして最後のテーマ、「神経症とは何か?」その本態がわかれば、治療はいとも簡単にいく可能性があるのではないか?

こっちは医者ですから、できるだけ人の悩みなり、病気なりは、簡単な方法で良くなってくれるに越したことがない。

森田先生が言う森田療法の本態というのは、正にきちっとした治療的なパッケージができていて、まず臥褥から入って作業期を経て、治癒に至る。期間にしたら、だいたい約三か月。昔はこれにはまる人が多かった。だけど時代は変わって、世の中も変わって、皆さんの観念が変わって、要求水準も変わった。それによって、神経症の形態も変わってきます。

そうすると森田療法にそのまま乗っかってくれる神経症の人って、果たしてうちの外来で何人くらいいるのか? めったにいないです。臥褥の本当の意味は何だろう? 臥褥ってすごく意味がある。

それは、間違った観念の中に自分が入り込んで、その中でグルグル回って現実でのフィードバックができなくなっちゃって、生活が困って、もうにっちもさっちもいかんよ、という状況になった人を、ポンと一つの箱の中に入れて一週間、外と遮断するわけですよね。

その間に何するか。徹底的に中で戦うわけです。それで、戦いあぐねて疲れちゃって、ああ、もうこれ以上やっても仕方ない、というところでパンと臥褥が開けて外に出た時に、ああ、なんて綺麗だろう! というあたりが気づきの第一歩になる。これが、臥褥の本当の意味です。

中途半端なフィードバックでますます自分を苦しめるように持っていってしまうその悪いサイクルをいったん遮断してしまう、完全に遮断状態に置くことによって、「グルグル回りを勝手にやれよ。とことんまで回ったら、じゃ次の勉強はこうだよ」という話で、多分成功したのじゃないかな、と思います。

 

○臥褥の意味とは?

その臥褥の意味、これも考えました。

実際に(入院森田療法で)臥褥を省いてみたこともある。臥褥をしなかったらどうなるのだろう? 臥褥をしたらどうなるのだろう?と。

何人かの患者さんを比較すると臥褥の意味がわかってくる。そうすると、うつ病の人の臥褥、神経症いわゆるヒポコンドリーの人の臥褥、それから身体表現性障害と今言っていますけど、ちょっとヒステリックな形の心気症の方の臥褥、対人恐怖の方の臥褥、皆違うんですよね。

そこは、われわれからみたら、鑑別診断が非常に大事なポイントになるし、その人の治り方を類推していくような、一つの大きな示唆を与えてくれる期間です。外界と遮断していますから、本当にその人の本質がこっちにも見えてくるような一週間。

それを経て作業期に入っていく人と、それをまったくしないで作業期に入っていく人とでは根本的に違うという気が、かなり早い時期からしていました。

ただ、臥褥ができる人が少なくなってきているな、というのはありました。今はテレビもない、新聞もない、携帯電話もないという中で、食事だけして、一週間一人ひとり部屋で閉じこもりなさいよ、というのはかなり至難の業で、情報遮断みたいな格好になってしまう。それだけの暇もないし、仕事にも行かないといけないし……ということになると、なかなか、きちんとした臥褥から始めろと言えないのが現状です。

ただ、望まれればやりましょう、ということで、始めます。始めるとだいたい二日目か三日目で音をあげられちゃいます。一週間きちっとやって、本来の本当の意味での臥褥を経て作業期に入れる人は非常に少ない。皆さん我慢ができなくなっている。

今の速度の速い日本の世の中では、一週間ジーッと天井を見て過ごすなんていうことはかなり難しい話でして、大体の人がもう三日くらいで勘弁してくださいよ、という話になってくる。

その中で、しっかり、ゆっくりと寝てくれて、「ああ、よく寝た」と言ってくれる人は、大体が抑うつ状態の患者さんが多い。

そういう人たちはカーッと寝てくれて、一週間寝るとそのことだけでかなり良くなる。会社に行かなくてもいい、勉強しなくてもいい、学校行かなくてもいいという、社会のノルマから外されて、一週間寝てられるっていうことだけで、安心してしまうかたは、葛藤があんまりないですね。そういうかたは、それを見ただけで、この人、うつ状態だなってわかります。

一週間くらい寝てもらって、良くなって、それでそこから作業期に入って、治癒作業をして会社に帰って行く。会社に帰っていく時も、リハビリ出勤ということで診断書を書くと最初はリハビリをやってくれます。大体三か月くらい残業なし。ノルマも軽い。それで、段階を追って職場復帰させる。

今は会社でも、これをやってくれる会社とやってくれない会社があります。良い会社ほどそういうことをきちっとやってくれます。これは、一見森田療法が奏効したというふうにも考えられるますが実は本当にそうか。森田療法があったというよりは、たまたま休めたということ。一週間寝たということ。それから、軽く段階を経て現実社会に戻せたとうことが効果的だったのではないか。

これだけみれば、確かに森田療法を行ったのだけども、軽い抑うつ状態の治療、そのものかもしれない。

 

森田療法は神経症以外にも有効か?

神経症の森田療法が、はたしてうつ病の人や、統合失調症の人に使えるのかというというさっきのご質問ですけど、こういう場合には使えます。

特に今、会社でうつ状態になると、うつ病とか、うつ状態という診断書が出て、ポンと休まされます。今、日本の産業医学会でも、うつについては非常に浸透してますから、うつと書いたら休ませる。これはもう鉄則。

ところが、休まされて最初は楽になりますけど、休んでいるうちに、じゃあどうやって復職すかという、それが結構難しい。一度だめになったところに帰るわけですからハードルは高い。

クリニックに行って、あっちが悪い、こっちが悪いと言うと、当然うつだと指摘する場合が増えている。だけど、「まだ駄目です」と言ったら、「ああそうか、じゃ時間をかけましょう」となる。時間はかけてくれるし、薬はいろいろ変えてくれるし、一生懸命治療はしてくれますけど、「がんばれ」って誰も言わない。「がんばれ」って言っちゃいかんということは、うつ病の治療では鉄則にしているから。

そうなると、その人はどうしようって悩む。悩んだ時に、やっぱりやることないですから、そうなると、まず朝起きた時に今日の自分はどうだろうと考える。考えれば考えるほど、そういえば頭もボーッとしているな、具合もあんまり良くないな、となる。でもそれは動いてないからですよね。

それから、毎日暇にしていますから、なんか良く寝た気もしないな、はっきりしないな、やる気もないな、これは当たり前に出てくる。

だけどそれをクリニックに行って言うと、「あ、じゃあまだですね」ってまた薬が出る。そういった形でずっと時間が経って、もうあと一カ月で自動的に退職になるっていう時になって、「いや、このままじゃやばいぞ」って、うちに来られるかたが最近非常に増えています。

そういうかたに、まさにさっき言った治療をやると非常にきれいに効きます。

 森田療法の形は取っているけど、森田療法じゃないよね。

そういうパッケージに乗せたら、ホントにきれいに良くなる。要するに、これは単にうつ病のリハビリテーションじゃないの、っていう話です。

 

 「葛藤」から「とらわれ」へ−神経症キーワードの変化の背景

それともう一つは、さっき申し上げた「身体表現性障害」という形ですけど、ヒポコンドリーでも、昔のヒポコンドリーのかたは、非常に葛藤が強かった。僕らも体験してそういう方を目の当たりにしていますが、昔の神経症の人というのは、葛藤の極みだった。

昔、「神経症って何でしょう?」って言うと、今日の話では、「とらわれ」、あるいは「間違った観念」というのが、主に出てきていましたけど、たぶん一昔前だったら「葛藤」って言われたかもしれない。「かくあるべし」だけどそうでないから、そこで人間は葛藤する、ということです。

僕らが大学を出て、すぐに教わった神経症というのは、「葛藤」でした。森田理論では、葛藤から現実フィードバックですね。葛藤を一旦断ち切って、臥褥をやって、そこから葛藤は置いておいて、次に現実の中に組み立てていく生活、それが昔の森田理論のバックグラウンドにあったと思います。

ただ今の人は葛藤する暇がない。だからあんまり葛藤しなくなった。これも大切なことなのです。一体この現象は何だろう。

昔、日本は、江戸時代から幕末、明治になってから、欧米に百年遅れているのを一気に取り返さなきゃならない。でないと、置いてきぼりにされていくだけでなく、植民地にされちゃうぞと、ちょうど隣の清国が植民地にされちゃって、かなり悲惨な目にあっているのを目の当たりにして、このままじゃ日本もそうなる。これは日本の国とっては、やばいことだと。

ということで、まず最初に国を開いたら、富国強兵をしないといけなかった。欧米列強に対抗できるような武力、あるいは経済力を持たないと、飲み込まれます。

だから、明治政府としては皆でスタート、がんばれ、がんばれということで、開国して、経済発展と軍隊の整備をやりました。

そのころは地方にいた、今まで埋もれていた人材が、一旗揚げる、要するに出征して、故郷に錦を飾るというのが、あの当時の頑張った人たちのプロパガンダだと思います。

そうすると、田舎にいた人は、都会に出なきゃいけない、世に出なきゃいけない、成功して故郷に錦を飾らないといけない…うちの親父たちの前の時代というのは、おそらくそういうマインドが、日本中に広がっていた。

そして、その人たちが行くのはどこか? 東京ですよね。東京だけが、ダントツでトップ。田舎にいては駄目だ、東京でないと。

ところで、田舎の人から見れば、東京の人はハイカラです。僕らは四国の出ですから、うちのおばあちゃんは言っていました。東京の人は東京の人、やっぱりコーヒーがあって、ハイカラなんだ。ハイカラって、ハイカラーなんですね。カラーが高かった。

昔、夏目漱石が四国・松山について、「みんなお猿さんみたいに赤フンドシで、なんて野蛮なところに来たんだ」といったように、『坊ちゃん』の出だしに書いています。あの頃、漱石さんはハイカラーで帰ってきた。松山にハイカラーな人が来て、旧制の松山中学ですが、教育を持ってきたんだというような流れがあったわけですから。

その頃、こっちから見ると東京は光輝いているわけです。そういう中に入って行くにはものすごい覚悟がいったわけだし、それだけのレベルを要求された、「いや大変だ。学問しなきゃならない。そのレベルまで行かなきゃならない」と、そこと自分とを比べて、自分はいかに劣っているかということに、どうしても気が付かざるを得ないので、このギャップに悩んだ。

「かくあるべし」、だけどそうでない。そこで葛藤が起きて、勉強して、なんとかして、がんばって、がんばって、そのレベルに到達しようと思うのだけど、やはりあまりにも高いものを見せられても、なかなかそこまでいかない。多くの学生さんがその葛藤に悩み苦しみ、森田先生自身も多分そういうところがあったと思う。

森田先生の場合は、身体自体があっちも悪い、こっちも悪いというところありましたから、それをどうやって克服して、世の中に自分の名を知らしめるかというようなところで悩んで、神経症理論をその頃確立したと思います。

日本っていうのは、そこからずっとホントにがんばってがんばって武力でも、欧米列強という名前の中に入っていった。

ところが、石油の問題、資源の問題で行き詰って、満州あたりに手を出して、皆から叩かれて、それがどんどん迷走しちゃって、太平洋戦争で終戦を迎える。そこで叩き潰されちゃったわけですよ。

叩き潰されたのは、今になって復興しているところを見れば、あの時に軍閥が解体されて、経済がご破算にされて、「さー、みんなでがんばろう」で来れたから良かったようなものですが、占領されたわけですから、いったんあそこで日本は終わっちゃっているようなものです。

その後の経済復興はすごいですけど、一つの転換点は終戦だったと思います。

これはうちの親父さんにしろ、親父さんの兄貴にしろ、ぼくが子どもの頃、よく聞かされました。

それまでは、前の日まで、皆竹やり持ってがんばれって言っていた人たちが、終戦の一夜明けたら、それは悪だと言って、いわゆる価値観が、一八〇度変わっちゃった。

国の裏切りというか、それで人を信頼できなくなっちゃったという人が大勢いたと思う。そういう経験をうちの親父や親父の兄貴たちは、学生時代の、ちょうど海軍の委託学生でしたから、多感なころに、世の中のドラマチックな変化を目の当たりにした。これは、日本の学問に対するすごく大きな不信感として残っていると思います。

それともう一つは、そこから経済成長に入って、その時には追いつけ追い越せでずっとやってきて、みんなハッスルハッスルで働いて働いて、GNPが世界第二位までなった。しかしその後でバブルが崩壊しました。

この時に子どもは、うちの子どもなんかはその代ですけど、生まれてこの方必要以上に豊かだった。必要以上に豊かだと劣等感を持たないで済むわけです。

僕らの年代って、昭和22年ですから敗戦後二年。どんな世の中だったかというと、電車、バスが通って、アメリカ軍がジープで走り回っていたのですよね。とにかくアメリカっていうとすごく上でした。明治時代に東京がすごく上だったように、僕らの時代はアメリカが上でした。西部劇を見て、アメリカのテレビドラマを見て育ってきたわけですから、アメリカのものっていったら、すごく上でした。

その頃、僕らはアメリカ至上主義だったけれど、うちの親父たちの年代っていうのは、まだ鬼畜米兵って時代の記憶が染み付いていたから、僕らとはまた根が違う。

そうこうしているうちに、日本が最初の欧米列強に肩を並べた時と違って、今度は経済でまた肩を並べた。

その頃、中学、高校時代だったうちの子どもたちは、外国に対するコンプレックスってない。要するに、日本人の若い人には、国境の壁ってほとんどない。言葉の壁もない。これはすごくいいことだと思いますが、じゃあ、コンプレックスって何なの? 彼らにコンプレックスはあんまりない。

具体的なものに対して自分が劣っているっていう観念はある。その代わりに何が必要となってくるか?

アイデンティティーが必要になってくる。自分は何なのか? 何によって自分は生きているのか? どこによって立っているのか?

今までは、ドンとした権威があって、それに向かって生きていれば良かったけれど、それがなくなった。そうすると、個々の人間が自分の存在を自分で確認しなければならなくなる。

だから神経症のかたたちは、それに応じてずっとやっていくことが必要になってきた――ということが、今日の一番の大きなテーマだったのですよね。

 

では、今、ここにいる私たちの課題は何か

今日は、先ほど皆さんの意見を聞かせていただいて、すごく参考になったのですけれど、じゃあ、私自身は何なの? という問いに対して、私なりにつかんできたところをお話して、それから質問、あるいはディスカッションという形で、セッションを終わりにしようと思います。

 

 ○不安とは

僕らが不安神経症を診てきて、昔の不安神経症、これは今で言うとパニック発作ですね。この不安発作は何かというと、驚愕反応。びっくりした時に出る反応です。

不安っていうのは、人間にどうしても必要です。なぜならば、人間が生きるために、不安というのは非常に必要な安全弁ですから。

もし皆さんが、誰もが、私もそうだけど、不安がないとすれば、高い所には平気で登るだろうし、スピード違反は平気でやるだろうし、高速道路の逆走だって怖くない。人の前で話すのも怖くなければ、人に非難されるのも怖くない。

そんな状態で人が生きたら、これはどうなるか。社会生活が成り立たない。非常に危険である。おそらく人類はここまでやって来られなかった。

となれば不安というのは、不安があるからこそ、社会生活を乱さないで人間はうまく生きてこられた。不安のない人ほど怖いものはないですね。

私の師匠の竹山先生は、常に「不安心あるところに失敗なしの安心あり」という言葉を使っていました。不安があるから、人は真っ当に生きられる。不安、これは絶対必要です。

不安になると人間どういう反応を起こすのか? 不安があると何が起きるか?

昔、動物だった頃、いわゆる動物生活をしていた頃、自分の身を守り、自分の一族を守るためには不安があって、恐怖に対しては逃げるのが第一手段。「三十六計逃げるのにしかず」と言うけど、まず逃げる。

今でもそうですね。やばいことが起きたら逃げる。みんな、逃げられない時、戦うのです。だからまず逃げることを考える。

じゃあ、逃げる時にどういう風に体が反応するか? これは、交感神経がドーンと上がる。ドキドキして、汗を握って、息はカラカラ、ハーハー。もうどっちにでも走れるように、体も揺らぐ。何かその反対側に逃げる。こういう状態を作った時が、交感神経の緊張状態です。

不安があれば交感神経は緊張する。これは逃げなきゃならない。動物は、そういうふうにもうプログラムされています。それが不安を感じなくていいはず場所、例えばデパートの中、電車の中で、なぜか突然不安がポンと出てくる。そうすると、これと同じような状態になる。 そうすると、人間必要もないのに逃げなきゃと下準備されます。それにびっくりするわけです。なんでぼくの心臓はこんなにドキドキするの? なんで手に汗握るの? なんでこんなにグラグラするの? それがびっくりすることによってより増幅していったのが、パニック発作であり、不安発作です。

そこで止まれば「ああ、あんなことがあったよ」で済みますが、それだけで止まらなくて、今度はそれ自体を恐怖してしまう。「今度起こったらどうしよう」とか、「あのまま倒れてしますのではないか」「死ぬじゃも知れない」とかよけいなものが、またグワーってここで回ってきちゃって、よりそれを増幅してしまう。しかも、そういう場面に行こうとすると「また起きるのじゃないか」という予期不安まで引っ張り出してきます。自分の中に壁を作って、その壁にできるだけ触れないような生活をするのが不安神経症の本態である。そういう風に僕は考えています。

 

 ○「不安」に対する薬物療法

その時に、抗不安薬を飲むとこの不安が楽になることがある。。

だから確かに不安があって交感神経が緊張状態になるのですから、この不安を抑えてやれば、次の反応がかなり抑制できる。

だから、パニック障害あるいは不安神経症に薬を使うのは、僕は一向に構わないと思います。

  

 ○薬の効かない「不安」にどう対処するか

では、私らの所にどういう患者さんが来られるかというと、パニック障害だと言わない人が来ます。

「薬が確かに最初は効いたんです。だけど結局はだんだんと動けなくなって、最後にホームページ見てここにたどり着きました」というかたが増えている。確かに、その不安の元と交感神経緊張の元は薬で抑えられるますけど、そこから出てくる回避行動としての、いわゆる「はからい−行かない。電車に乗らない。デパートに行かない−そういう行動制限は薬ではどうしようもない。

ところが、行動制限が起こっちゃうと予期不安が強くなって、ドンドン自分が追い込まれちゃって、最後にどこ行っても薬ばかりくれるけど、それ以上ちっとも良くならない。そういうことで、「たまたまホームページ見て先生のところに来てみました」となる。

僕が「いや、ここは行動制限をやっぱり外さなきゃだめだよね。逃げるのじゃなくて、これは積極的に立ち向かおう。そのための薬としてこれを使うのはいいけども、基本はこっち逃げないことだよ」と言った時に、初めてここで森田療法が出てくる。

それをやると、確かにググッと良くなる。

パニック障害と言って、確かに薬で押さえて良くなる人はいいんだけど、「やっぱり不安だなぁ。やっぱり怖いな。」って、とらわれのある人は自分で自分を押し込んでしまう。

そこをひっくり返す最終ラインは森田的考え方で、これは確かに効果あります。

 

 ○薬物療法の限界とその先の森田

うつだと言われていくらやってもうまくいかない、あるいはパニック障害と言われて薬を使っても良くならない、本当に困った人は、じゃあどこを見るかというと、今はインターネット。インターネットを散々見た挙句に私のホームページ見ると、「あ、ここ行ってみようか」と、やはり必要としている人には見えるというところがあります。そうすると予約取ってわざわざ来てくれる。さんざんいろんなことをやった上で来ているから、来る人も覚悟して来ている。そういう人に森田療法って効果あります。

これは病名が何であるか、症状が何であるかじゃなくて、その人が何を求めるか。それに対して僕らが何を与えられるか、そのやり取りだけです。だけど基本的に治すのはあなただよ、ということを最初から言っている。僕らはそれをサポートする、いろんな道具は持っている。だけど、道具も場所もあるけど、治すのは本人。それができないと、森田療法は成立しない。

森田療法って、生活の発見会でこれだけの活動をしていて、わかっておられる通り、治すのは自分。だから生活の発見会に、全然、医療、医学が絡まらなくたって、発見会だけで治るっていうのが、すごい。あの時代にできた治療法としては、画期的だと思います。

 

○神経症の本態とは何か?

では、神経症の本態とは何かという、最後の話に入って行くけれども、結局、その「とらわれ」は、「思い込み」ですよね? 自分がそうだと言って思い込んでしまって、その中で堂々巡りをしてしまう。

その答えはもう最初に出ているのですけどもね。一般の神経症、それからヒポコンドリー、森田神経症、あるいは普通神経症と言われているものは、やはり「とらわれ」ということ、心のひずみですね。スースー流れていればいいのだけど、ひっかかちゃって、とらわれちゃう。そこでグルグル回りが始まって、それが自分の首を絞めたというのが、神経症の本態だと僕はそう思っています。

 

○若者の食行動異常と森田

それと別に今、増えているのが若い人のリストカットであり、食行動異常ですね。過食、拒食。そういった状態が非常に増えていて、じゃあこれはいったいわれわれの対象外なのか、内なのかという問題。

これは一つの僕の仮説ですけど、その食行動異常とリストカットっていう一つの大きな、社会現象って言っていいのかな、若い人で何人かの手を見ると、かなり多いですね。

昔は「身体髪膚これを父母に受く」という言葉があって、自分の体を自分で傷つけるというのはあんまりやらなかった。自殺が問題になってきて手首を切った、その時にはみんなが、ああこれは自殺企図だ、そんなことはしちゃいけない、命は大事だよ、なんてことを言っていた時代があった。

ところがあまりにも増えたので、これは違うのではないか、ということを何人かの専門医が言い出した。「あんた死のうと思ったの?」と本人に聞いてみても、違うことが多いです。落ち込みがひどくて苦しくてやむにやまれず、あるいはこれをしていることによって自分が生きていることを実感できるとか、あるいはより大きい苦痛を経験するためにこういうことをするんだというようないろんな話が出てきて、単に死のうと思ってやっているのではない。ここで昔の私の経験が、気付きを与えたといいますか、僕は実は四国で病院勤務をやったことがありまして、その時に自分の興味だったんですけど、松山に県立動物園というのがあるのですが、そこで暇な時、ずーっと猿山を見て過ごしたんです。

僕は、お猿さんはやっぱり人間のもとですから、猿山をじーっと観察することによって人の動き、あるいは神経症、あるいは取り組んでいるテーマである精神科っていうものがわかるかどうか、お猿さんを見て、それを記録していた時代がありました。

その頃はリストカットのことなどは考えなかったのだけど、その中に檻に囚われている猿がいる。そのお猿さん何やっているかというと、血が出ているのですよね。そのお猿さんは時々自分のしっぽをこうガリガリ齧る。しっぽが短くなっていて、もう骨が出ている。それでも齧っている。リストカットや食異常行動をみて、あの猿を思い出しました。

これは一種の拘禁反応ではないか? 拘禁反応って精神医学でいうとほんとに拘禁されちゃった状態です。

そのお猿さんは確かに自然界から人間界に連れて来られて、檻に入れられた。今でこそ旭山動物園などで、できるだけ動物を自然のままに生かしてそれを見ようよということになっていますが、当時はもう三十五年前の話ですから、動物は檻に入れてみんなが見ている。

ところが、囚われた動物はそれでは済まなくて、ストレスが溜まって自分のしっぽをかじり始めた。血が出ようが、骨が出ようか、関係なくかじった。それはストレスの発散であって、動物ですから自殺という概念はない。

この現象は今の若い子のやっていることと、良く似ているじゃないか、と思いました。

では、彼らは何にとらわれているのか?

親の観念にとらわれ、学校の観念にとらわれ、自分が自由に生きるということを忘れて、自分が作った檻の中に自分が浸潤して苦しむ。その挙句が、自分で自分の体を傷つけるというような自傷行為です。そういう子たちが来ます。

では、どう治療するのか?

森田療法をそのまま行おうとしてもそうはいかない。彼らにとって必要なのは、まず檻から出ようよ、ということですよね。

あんたが今苦しんでいるのは、自分で作った檻、あるいは必然的に周囲から圧迫されて作られた狭い檻の中で、自由に生きることができないで苦しんでいる。その結果だよ。 と言うと、大抵の子はポロポロと泣き出します。あっ、泣いたな、ということは、こっちは相手の琴線に触れたわけです。

それまでもうほんとにね、憤懣やる方ないような顔をして来られます。大体親に連れてこられる、自分から門を叩いて来ない。親が困ってあるいは見かねて連れてくる。

しかし彼、彼女らは相変わらず檻のなかの動物と同じ状態で、われわれの前に来られたって、いい顔なんかできっこないし、本当のことなんて話せるわけがない。自分がどういう状態にあるのかすら、わかってない。

ところがそこでパッと状態を見て、大体こっちもわかっているし、ここらあたりが十年、もう三十年なりますね。診てわかっちゃう。

こっちが見てわかるということは、向こうも、あ、こいつわかってると思う。

そこでポンとこういう話をするとパンて泣き出す。そこで初めてこいつ檻から出た、なんとなくパッと通じ合えたものが見えてくる。

そうなった時に、後の話は楽です。だって本音で話ができる。それがないと本音で話ができない。そこらあたりが、私自身、いろんな経験を積んで、人の心の中をある程度、垣間見られるようになったのじゃないかな、と思います。

ということで、道が開けて、そういう子たちが、うちの作業療法に今度入ってくる。そうするとそういう子たちが何人か集まる、いろんなことを言いながら楽しくやったり、来たり来なかったりしながら、遊びながら作業をこなして、だんだんと一人前に育っていくのを見ている。

これも一つの方法です。森田療法とはずいぶん違うけど、現代に合わせた森田療法家の仕事の一面かなと思います。

 

時間になりました。何か伝わったらと、ほんとうに雑駁な話を思いつくままに話しました。後で質疑応答します。以上です。ご静聴ありがとうございます。

 

高岸先生とのQ&A

 

○質問1 「薬について」

薬の使い方は、いくつかありますね。

「服用」って言う表現があります。処方箋に従って出されて、このためは薬をこういう風に飲んでくださいという規定に従って飲んでいただくことを「服用」と言います。服用っていうのは治療するためにどうしても必要なので、例えば高血圧の人は血圧の下がる薬を飲まなくてはいけませんが、これは「服用」です。

ところで今の時代、かなり「使用」の方に近づいてきています。「使用」とは、厳密に言えば医学的にはいらなくても、あった方がよりQOLが、生活が楽になる、あるいは良い生活ができる。夜眠る薬もその中に入りますし、病気を治すためではなくて、ただその方が楽だからという使い方が「使用」で、今増えています。サプリメントなんかもそうです。

それを超えて使うと、「多用」。そこから越えていくと「乱用」になって、ここから「依存」になる。

だから薬を使うことは悪いことじゃない。僕は森田療法家だから、森田療法では薬を使わないわけではなく、使っていいものは使う。その方が森田療法がやりやすくなる。そこらあたりまでが「服用」の範囲です。

ただ、どうしてもなきゃ治せないかというと、そうでもない。森田療法だけでも大丈夫。だけど使った方が、より道が早ければ、何も苦労することないじゃん、というのが今の考えです。ここまではいい。

じゃあ「楽になるから、ソラナックスをもっと出してくれ。一日三回を四回にしてくれ。五回にしてくれ。二錠ずつにしてくれ」こう言われたら「これは違う。それをやったら君にとって良いことないよ」って言って、ここでストップをかける。

だから眠剤でも、例えば「マイスリーを一晩に一錠、時々半分にするよ。飲まない日も一日くらいあっていいよ」そのくらいなら「服用」でいい。

ところが「一錠じゃ眠れないから、二錠にしてよ」って言われ出したらダメだよね。それはなぜかというと、「多用」を許していくと「乱用」に入って、最後に「依存」になる。「依存」になると治すのが大変。だから「使用」で止めておこうということです。

 

(質問@)私は躁鬱があり、躁になった時、自分で薬を飲んだり飲まなかったりしているますが、そういうのはいいんですか?

 

(先生)構いません。「服用」と「使用」がある。服用の薬。これは勝手にいじらないでくださいよ。なぜなら必要だから。

「使用」の薬は自由裁量権の中で、相談はしてほしいけど、ある程度裁量してよい。自分で裁量して、全然眠れなくなっちゃったという時は、病気が悪くなっちゃうから考えなきゃいけません。

(質問A)私の場合は統合失調症だと思うんですよ。森田療法を適応する場合、どういうところを重点に置いたほうがいいですか?

(先生)森田療法を適応する場合、これは森田療法だから神経症というわけではない。要は現実適応。森田療法の一番大事なところっていうのは、いろんなことがあるのはわかるけども、とりあえず現実に適応して、プラスに解釈してみんなでハッピーになろうよ、というのが基本概念。そのことだけに徹していけば、うつ病だろうが、統合失調症だろうが、あるいは他のものだろうが、全部その点については、僕は同じだと思います。

要は人を受け入れ、自分を受け入れ、よけいなものはあっちに置いておいて、それでプラスになることをみんなとやっていけば、それが次の時代を作り上げるだろうし、人が人として、あるいは世の中がうまく機能していく方向にはなる。そこをはずさなければいいと思います。

 

質問2「家族がうつ病の場合の対応」

話を聞かなきゃいけないと、強迫的に聞くのは決していいことじゃない。相手がいやいや聞いているなというのは、向こうもわかる。だから逆に言えばまた言いたくなる。要するに「聞いてないじゃん、聞いてないじゃん」って、どこまで言ってもキリがない。

これは認知症のかたに対するのと同じで、認知症のかたは言ったって忘れちゃうからまた新たに言うのだけど、こっちも人間ですから、やっぱり「その話はもう聞いたよ」とか、「そんな暗い話ばかり聞きたくないよ」っていうのは当たり前だよね。

その本音を隠して、聞かなきゃいけないからといって一生懸命聞いてるフリしたって、そんなもの通用しないですよ。それこそ形だけになっちゃうから。

確かにこの話は聞くべきだなと思ったら聞いて、それなりに解決できるものは解決してあげてもいいし、あるいは聞くだけでもいい。聞いて向こうがホッとします。それは通じたっていうこと。

ところが拒絶していて、形だけ聞いていたって、これは通用しないから、向こうだって言った気がしないわけだし、それはあまり意味がないわけです。

これ以上聞いたら自分が持たないという時になったら、「悪いけど」と言って場をはずしちゃうとかね。それで観察だけしていてくれればいい。

うつ病の治療で一番大切なのは、もちろん傾聴するべき時は傾聴してほしいのだけど、やはりきちっと薬を飲んでもらうことと、ゆっくり休んでもらうことと、危険防止をすること、それだけですから。だから離れて見てればいいのですよ。聞きたくなければね。聞きたくないのに聞くっていうのは無茶。それやったらこっちがおかしくなっちゃう。それはかえって相手のためにも重要なことです。

家事も、「じゃあ、一緒にやろう」と言って少しやってもらいながら、ある程度カバーしちゃえばいいわけで、それを「ダメ」って言ってもいけないし、「じゃあ、やんなよ」ってほったらかしてもいけないし。一番いいやり方としては、「じゃあ、一緒にやろうよ」って言ってちょっとでも動かして、向こうもやった気にさせちゃって、「あ、おれも仲間だ」と思ってもらう。

うつ病の人って、皆に迷惑かけているじゃないかという、非常に強い考えを持っているし、また人に苦労をかけさせてしまったとか、自分はちっとも役割を果たしてないという風にも思いがちだから、やっぱり参加してもらう。ちょっとでも一緒にやってもらう。「はいはい、今日はできたね、良かったね」っていうようなことを言ってあげると、ちょっとは楽になる。お互いに楽になる。

老人介護もそうだし、病人介護もそうだけど、自分だけ痛い目にあって、相手を楽にはできない。自分も楽しく、相手も楽にして初めて本物だよね。そこへ持っていかないと。子育てだって、そう。

「犠牲にはなっているけど、楽しくやっているじゃん」その考えをすべてに持ち込んでいけば、神経症とのつきあいもつらくないし、少なくとももうちょっとハッピーにできるかなと思います。

 

質問3「喘息やアトピーについて」

アトピーと喘息は子どもの自己免疫疾患として代表的なものであります。これが今なぜこんなに増えちゃったかというと、一つは子どもたちの置かれている環境がやはりさっき言ったように大きく変化したからだと思う。

昔は、子どもたちが生き残るためにまずやらなきゃならないことは、母親から母体免疫をもらって、それが薄れた六カ月ぐらいから細菌との戦いだったわけです。

うちのおふくろの兄貴は赤痢で死んでいます。あのころは赤痢、それから結核、ありとあらゆる感染症が子どもを襲って、二十歳まで生き延びるのは容易じゃなかった。そのころに今の免疫機構の元ができている。だから外から入ってきたものはバイ菌だから殺さなきゃいけない、そういうシステムができている。それが免疫機構。それが働いていて、外から来たバイ菌に対して自分を防御していた。

みんなよく手を洗うし、抗菌グッズがあちこちある。子どもたちのまわりから細菌を消し去ってしまっている。だから感染症で死ぬ子は少なくなった。

だけど、じゃあ、その軍隊はどこを攻撃するの? 防御機構はいったいどこ行くの? 

その時に、いわゆる敵が来なくなった軍隊は敵じゃないものを仮想敵としてみなして攻撃するというのが、スギ花粉が来たらこいつは攻撃しなきゃならないと言って出てくるアレルギー性鼻炎であり、皮膚にそれが起きるとアトピー性皮膚炎になるし、気管支が痙攣したら喘息。要は免疫の改造です。

よく似ているものが、不安。

まさに不安は人間が生きるのに必要だった。走って逃げて、外敵から自分を守らなきゃいけなかった時代の人が、今みたいに安全な世の中では、まず普通に生きているだけでは、人に危害を加えられることはない。安心安全で生きていくことができるのに、この不安感が電車の中で突然起こってくるように、不安と免疫って非常によく似たところがあります。

それが体に起こった場合は喘息になりアトピーになる。

だからといって不安があるから喘息やアトピーになったりしないけど、ただアトピーや喘息がある人は、不安があると増強する。ストレスあるいは不安によって喘息発作はひどくなるし、喘息発作はヒッ、ヒッって言いながら、より不安になるとどんどんエスカレートしちゃうのと同じで、アトピーだってかゆい、かゆいと?き出したらますます悪くなっていく。ストレスがなくていい生活ができていれば、その分だけ大きい不安はなくなっていくけれども、やはり過剰なストレスがかかれば、そういうものは必ず悪化しますよね。そういう意味では関連性はあります。

 

 

質問4「子どもの神経症について」

最後に素晴らしい質問が出た。子どもに神経症ってあるのかっていう話。

小児神経症っていうのがあるけど、なんで子どもに森田療法あるいは発見会が向かないのか? これは簡単なことでして、子どもの神経症っていうのは、いわゆる普通の神経症にあらず。子どもの神経症っていうのは、ほとんど九割以上は親のせい。親が作りあげたものです。

子どもが強迫的に手を洗うのも、あるいはチック症状を出すのも、それから反復性嘔吐も、ほとんどは家庭環境に問題有りだと思っている。自分の今まで見た経験から。じゃあ、残りの10%は何なのか?

アスペルガー症候群。高次機能障害。確かに子どもさんの側にまったく適応しようとしない、あるいは適応できない、空気が読めないとか、あるいは人と仲良くできない、人の気持ちがわからない、そのことによって逆に傷つけられてしまって、いじめられちゃって、自分がどうしたらいいのかわからなくなっちゃう子どもたちがいます。

これも周囲との関係で、もし周りから圧迫されなければ、彼らはワーッと出て行って周りが困ってしまう。そうすると子どもの世界っていうのも結構シビアだから、お前が悪いって、やられちゃう。いじめられたっていうことになったりして、適応障害を起こす子どもはいる。

その適応障害を起こす中で、自分の側に問題があって、適応障害を起こすのは約10%。あとの九割は周りの観念の問題。

だから親が四角四面に接しすぎたり、あるいは親が子どもの悩みをわかってくれなかったり、あるいは無理な要求ばかりしたり、褒めないでけなすことばかりしている。いわゆる半分育児放棄みたいな家庭、今増えていますけど、そういうところで子どもが神経症状態を起こすわけです。

その時に、目に見える形で神経症の症状を起こしてくる子と、逆に過剰適応をしてその場を取り繕う子とがいる。子どもっていうのは頭がいいですから、ほんとに大人みたいな対応をしてその場を取り繕ってお父さんにおべっかを使ったり、お母さんにおべっかを使ったりして、上手にそこをやりくりする子どもっているます。その子たちが結局後になって、ACっていわれる障害を出してくる。こういった方もうちにいます。その子たちは逆にいえば、ほとんど虐待されちゃったような子どもですけど、その時にはすごく大人っぽい対応してその場を上手に取り繕う。ただ子どもらしいところを出せなかったがゆえに、後でものすごい苦しみが出る。

要するに子どもって、親の、あるいは大人の世話にならなければ、今日明日を生きていくことさえできない弱い存在だということを彼らが一番良く知っている。親が思う通りの顔をするんです。それを覆すのが反抗期ですからね。

反抗期前の子どもっていうのは、アイデンティティーがあんまりない。逆に言えば、彼らが持っているのは、親のお仕着せのアイデンティティーであり、その中の矛盾であり、その中の不安です。

特に不安感を与える親は、子どもの神経症を作りやすい。過剰に手を洗う、あるいは新しい環境になじめない、嘔吐をしてしまう。やはり親が過剰適応を望んでみたり、過剰にものを排他していったりというような現れで、そういう現象が子どもに起きている。

そういう場合、「治すべきは子どもじゃなく親です。親が発見会に入りなさいよ」って、僕、今までいっぱい発見会に入れています。発見会に入ってもらって、良かったという話も聞こえてきます。

要は子どもの神経症を見た時は、まず子どもより親を見る、というのが一番のテーマかな。

 

(質問@)森田の適応は思春期以降でしょうか?

(先生)自分が本当に悩んで苦しんでなんとかしたい、そこでわれわれの門を叩いてくれれば、「君を自分の道に、要するにプラスの方向に持って行くために、こういうことを一緒にやろうよ」という話はできますね。そこまでいかないと、臥褥も森田もあんまり意味がない。ただ子どもには良い環境を与えて、褒めてアイデンティティーを強化して、自意識・自我を強化してハッピーな子どもライフを送ってもらうのが一番いいんじゃないかと思います。


 以上で終わります。多くのご質問を有り難う御座いました。