2005年4月1日  更新

           山影冬彦の反面


 著作はあっても、山影冬彦は漱石研究の専門家ではありません。一介の素人に
すぎません。本ページ作成の2004年5月時点の職業・肩書は、高校社会科教
師でしたが、今や無職で清々しています。

 漱石が好きです。波長が合います。それと、老後のボケ防止のために、漱石異
説連作物に取り組んでいます。連作数は10冊を超えることが目標です。素人だか
ら数で勝負するといったところでしょうか。ただし、出版費用はかさみます。

 既に研究者が多くの漱石論を書いています。今さら素人が口をはさむ余地はな
さそうにみえます。それでも、私は素人ながら、研究者の漱石解釈に納得のいか
ない点をいくつか感じています。素人だから、その感じは素朴なものです。その
素朴な実感を大切にして、それを論理化しつつ、文章をつづってきました。今後
もまたこの姿勢を貫くつもりです。

 研究者には立派な肩書があります。豊富な専門知識や最新の分析方法などにも
通じています。発表の機会にも恵まれています。素人にはそれらがありません。
その格差に目を奪われて、研究者の示す解釈と異なる解釈を抱くとは、自分の方
が間違っているからかと、はなから素人は萎縮しがちです。しかし、私はこの種
の萎縮とは無縁でした。素人だから間違って当然、間違ったところで失うものも
ありはしないと開き直りました。この開き直りのお蔭で、漱石異説連作物を続け
ることができたようです。

 まったく萎縮は無用です。こと文学作品理解にかかわっては、その作品を読ん
でどう感銘を受けたかという自己の実感こそが大切です。実感がわかないのなら
話になりませんが、実感が揺るぎないものであれば、それに自信をもつべきです。
他人の説は、たとえ権威ある研究者のそれであろうとも、参考意見として聞き置
くくらいに扱っておけばよいのです。権威に頼らず、あくまで自己自身の実感に
忠実であること、これが文学作品理解の基本です。

 権威に盲従しないこの基本姿勢を、漱石は「自己本位」と呼んでいます。私が
漱石から学んだ最も重要な姿勢の一つです。私が漱石を好む所以でもあります。

 漱石を読むに際して私の心掛けるところは単純です。それは、素人として素朴
に「自己本位」の姿勢を貫き通すことにあります。そうすることによって、研究
者・専門家とは着眼点や発想を異にする漱石異説物を連作できるとすれば、心地
よいことこの上ありません。

 漱石から離れて、もう少し記します。

 私の生まれは敗戦直後の上州で、いわゆる団塊の世代に属します。郷土の任侠
・国定忠治を親分と慕う空気の中で生育しました。高校時代に恩師・亀島貞夫に
出会ったことで、文学への関心を深めました。1970年前後の騒然たる学生時
代を経験した後、糊口のために神奈川県で高校教師を務め、どうにか暮らしを立
ててきました。

 途中で教師を辞めたいと思ったことが幾度もあります。ようやく定年まで残り
数年とせまったのですが、これまでです。気力体力ともに限界を感じ、唇寒く腹
膨るる心地のする教育の現況からしても、とても定年まで勤まりそうもありませ
ん。子育ても済んだことだし、もうこのへんが潮時かと思い、年度が改まったの
を機会に念願だった執筆活動に専念することにしました。

 執筆の面では、実は漱石異説連作物のような、事実に拘束される堅苦しい評論
よりは、事実に拘束されない自在な虚構作りとしての創作の方を好みます。出版
までこぎ着けた創作作品の数はわずかですが、活字化されない手持ち原稿は沢山
あります。

 実は、中断して放置したままの作品さえあるのです。放置行為は、私自身のみ
ならず、文学上の恩師にすら見受けられます。師弟うちそろっての作品放置は慙
愧の至りです。

 作品放置は二十年以上にも及びます。この無様な放置行為の挽回を図るのは、
そうたやすいことではないでしょう。それでも、諦めてはなりません。そのこと
をも含め、定年前早期退職を好機としてとらえ、堅苦しい評論に埋没しつつあっ
た現況を改め、自由な創作活動の再開を視野に入れたいと願望します。

 私の周辺では放置現象は一種の流行りのようです。人間万事塞翁が馬というべ
きか、さる筋による不可解千万な放置事件に遭遇して資料を蓄積しています。こ
の事件については、いずれ時機をみて、事実としてその詳細を公表する予定です
が、事実としての扱いとはまた別に、虚構としての創作の素材に活用することも
構想しています。晴れて退職の暁には、殊に創作においては加工の仕方や表現に
遠慮はいらなくなります。少しの辛抱も無用です。それを思うと久しぶりに創作
意欲がわいてくるのを実感しつつあるところです。備えとして、気力体力の回復
に努めたいと思います。


     反面は教師だったが不首尾なり


 早期退職という言葉から、十年前に出版した『契約結婚』のことを思い出しま
した。この架空の物語がどこか現実のある局面を予見しているかのようです。

出版された創作作品の案内
『契約結婚』 武蔵野書房/1994年刊/ 207頁/1500円/在庫なし
◆「契約結婚」の主人公は、共稼ぎから専業主夫への転身願望をいだく高校教師。
◆主人公夫婦は結婚を契約関係と考える。
◆主人公は、妻との約束だった結婚15年目の契約更新の機会をとらえて、その転身願望を実現すべく、妻子への説得を試みるが、失敗して、髪結の亭主にはなれずに終わる。
◆「契約結婚」は女の言いたい放題誌『わいふ』に連載されたあと、本書の形で出版。
◆作品には「契約結婚」のほかに、「渡良瀬幽閉記」も収録。
◆現在品切れにつき、復刻を検討中。


   [ ウェブページ制作後感          2004年5月15日 ]

 学生時代はガリ版刷りで同人誌を手作りした。しばらくしてガリ版から和文タイプ
へ移行した。経費節約のため、和文タイプの中古品を購入して自ら習った。

 そのうち世にはワープロが普及しだした。そのギザギザ文字とキーボードが嫌いで、
一時和文タイプに固執したが、再利用・再加工の利点から、ワープロに乗り換えるほ
かなかった。親指シフト入力を選んだこともあって、なるほどワープロは文章作成に
便利だった。下書きなしにワープロでいきなり原稿を作成することにも慣れた。原稿
を本にするにしても、印刷会社や出版社にフロッピーを渡せばすむようになった。

 ワープロに勝るものは当分出て来ないだろうと思って安心していたところ、世には
今度はパソコンが流行りだした。文章作成に限ればパソコンよりはワープロ専用機の
方がはるかに便利、もう時流に乗るまいと思ったが、時流には勝てなかった。そもそ
もワープロ専用機自体がパソコンにおされて市場から駆逐されてしまい、入手しにく
くなった。そこにはインターネットという伏兵が潜んでもいた。

 自分自身にしても、ワープロ時代を通して情報発信していい事柄を手許に相当ため
こんでもいた。せっかくたくわえたものがほとんど死蔵状態なので、もったいないと
いう思いもあった。しかし、だからといって、それらを流行りのインターネットにサ
イトを設けて載せるという気にはなれなかった。そもそもパソコン嫌いの私にはその
技術がなかった。

 ひ弱な私によくあることで、昨年夏、体調をくずした。それでかえって生活時間に
余裕が生じた。今年に入ると退職後の生活を真剣に考え始めた。時間に余裕のあるう
ちに、その準備をしておこうという気になった。私にしてはずいぶん前向きな考えだ
った。退職後の生活は執筆活動に専念とはかねてより決めていた。そのための準備と
して今何が一番有効か。

 そこで思い立ったのが、ウェブページの手作りだった。手作りならば、費用は安く
すむだろうし、それで自身のサイトをもてれば、文章の発表も自在になって、執筆の
励みにもなる。死蔵物の解消にもつながろう。そう考えて、鬱々たる気分の転換をも
兼ねて、体調とも相談しながら、恐る恐る始めてみた。

 パソコンとはいたって不仲だったし、それまでHTML言語などは見たこともなか
った。まったくのゼロからの出発だった。まず入門書を購入した。それには「完成ま
でたったの3日間」といううたい文句があった。このうたい文句をあまり疑わなかっ
たのが、間違いのもとだった。通読することだけに1週間以上を費やした。

 デジカメ操作やパソコン上での画像作成も初めてのことだった。作業は遅々として
進まなかった。しかも、ようやく完成かという間際になって、ファイルサイズ等の問
題から作成専用ソフトの購入を決断するほかない事態に直面した。そこで、一からや
り直しということになった。

 こうした不慣れとそこからくる不手際が重なったため、加えて、無理のきかない体
調だったため、完成に要した期間は、「たったの3日間」どころか、3週間でも足り
なかった。実に3カ月に及んだ。ずいぶん時間を浪費したが、途中で投げ出さなかっ
たのが、せめてもの救いだった。

 とにかくウェブページ作りのため、パソコンとの格闘は3カ月に及んだ。これだけ
長くつきあうと、パソコンもまんざら悪くないと思うようになっていた。

 文章作りにワープロ専用機を手離す気はないが、毛嫌いしていたパソコンとも仲よ
くなり、時流に取り残される心配もなくなった。見栄えはともかく、文章を自在に発
表できる場も確保できた。あとは体調の回復をはかって執筆に専念できる環境を整え
ればよい。鬱々たる気分の解消にこそつながらなかったが、ウェブページ手作りの試
みは、私にまずまずの成果をもたらしてくれたといえる。

 現金なもので、格闘3カ月の成果として手作りのウェブページをもってみると、世
の中の様が以前とはやや違って見えてくる。長年付き合いのある出版社がウェブペー
ジを開設していないことを、以前は何とも思っていなかったが、今となっては不満に
思えてくるから、われながらずいぶん勝手なものだとあきれている。

  山影冬彦宛メール