山影冬彦のホームページ                   漱石異説連作本限定紹介
山影冬彦の漱石異説な世界、『坊つちやん』・『こゝろ』・『道草』        

本篇目次
 1、異説な入口

  
サワリ・カラクリ口上  
 その1 多田の満仲は只の饅頭なり
 その2 百姓も元は清和の流れなり
 その3 猫があきれた清和源氏
 2、漱石異説連作本の紹介 

    一覧紹介
漱石異説二題・『坊つちやん』抱腹『道草』徘徊 漱石異説 『坊つちやん』連想・多田薬師炙り出し
漱石異説 『こゝろ』反証 漱石異説 『坊つちやん』練想・指導力不足教員
漱石異説 『坊つちやん』見落・漱石研究落選集 漱石異説  四角四面論・私の個人主義/文学論/他
震撼武田事件/湘南の中心でP3遺伝子組換実験計画浮上/武田薬品 そりゃあんまりだ
経過と今後の予定/目白情報・会合予定・公聴会報告・任意説明会情報

     危ない武田新情報 5  /  三戸意見書集 / 武田意見書集
新刊案内 『漱石の俳諧落穂拾い 知られざる江の島鎌倉湯河原句 漱石異説』
『タケタのタタリ 湘南蛇物語』

資料篇目次  1、テーマ紹介 (漱石異説連作本6冊の内容をテーマ別に紹介)
 2、タダノマンジュウ=多田の満仲+只の饅頭・洒落一覧
 3、「漱石 山歩き 『文学論』を片手に(『江古田文学48』掲載文より)
 4、写生文としての『坊つちやん』 
 5、新刊情報 / 2006年1月刊行
   
   夫婦で語る『こゝろ』の謎・漱石異説  

山影冬彦の反面    指導力不足教員放置情報    指導力不足教員不当判定リンク集


  製造年月日=2004年5月15日                            更新=2006年1月1日
           

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                山影冬彦の漱石異説な世界・本篇

        1、異説な入口

 ちょっと風変わりな漱石論。例えば坊つちやんの
 先祖が只の饅頭で、それで団子を食って失敗。ま
 るで落語の世界で妙に納得。それでも真面目な議
 論も。何しろ『文学論』で漱石作品を読解しよう
 という。異説も両端。まずは入場して一服あれ。
 その実
   夏目家
入口 カラクリ
  屋敷

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漱石亭異説処  サワリ・カラクリ口上


 漱石異説の出し物にはいくつか用意がありますが、入口では極め付きとして
満仲の舞を披露します。

    これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で多田の満仲の後裔だ。
  こんな土百姓とは生れからして違うんだ。
                         (『坊つちやん』「四」、「バッタ事件・吶喊事件」)

 これは坊つちやんの独白です。彼は教師になって初めての宿直で寄宿生の悪
戯に振り回されてさんざんな目にあいました。「バッタ事件・吶喊事件」と呼ばれ
ていますが、その時の強がり・負け惜しみの発言です。状況からして彼の本心が
語られていると考えられます。内容は、身分優越意識むき出しの農民蔑視発言
ですから、問題発言というべきです。この独白の後では、生徒のことを「豚」呼ば
わりしてさえいるのです。

 ところで、作者の夏目漱石は明治の知識人としてはとびきり平等意識の強い
人です。その作者が主人公の坊つちやんにこのような差別発言をさせてそのま
ま放置したとはとうてい考えられません。もし放置したのなら、作者の差別意識
が坊つちやんのこの独白の形で現われているとみなされ、非難の的にされたと
しても、仕方がないことでしょう。実際、その種の指摘や非難がないわけではあ
りません。しかし、この坊つちやんの独白には、その発言の差別性が自然にひ
っくり返ってしまうような何らかの仕掛けが、作者漱石によって施されていたと
見るべきでしょう。

 一般には見逃されていますが、事実、そうした仕掛けは明確に確認できます。
しかも、丁寧にも三つもあるのです。


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カラクリ・その1  多田の満仲とは只の饅頭なり

 坊つちやんの差別発言を自然にひっくり返してしまう仕掛けの第一は、坊つちや
んが先祖だと誇る多田の満仲という武将に関わっています。源満仲(みなもとのみ
つなか)こと多田の満仲は、高校日本史の教科書にも登場する平安中期の武将で、
清和源氏の基礎を築いたことからその元祖と祀られている人物ですが、他面、江
戸期に入ると菓子の饅頭が庶民の間に広まったことで、タダノマンジュウという同
音故に只の饅頭と洒落て語られるようにもなった人物でもあるのです。

 多田の満仲を只の饅頭と洒落て語る用例は、江戸期の小咄・狂歌・川柳などに
見受けられます。この点については、資料篇の2、タダノマンジュウ=多田の満
仲+只の饅頭・洒落一覧」
を参照して下さい。講談や落語などの江戸庶民芸能に
親しんで成長した漱石は、江戸っ子としてこの多田の満仲=只の饅頭という洒落
が行きかう生活空間に生息していたのです。作者漱石がこの洒落の存在を知って
いて、それを前提にして坊つちやんにそう発言させたと考えるのが、至当でしょう。

 したがって、坊つちやんの「多田の満仲の後裔だ」という独白は、額面通りには
受け取れないものなのです。本人は誇ってそう息巻いたつもりでいますが、この
独白は、多田の満仲=只の饅頭という洒落の作用によって、実は只の饅頭の子
孫に成り下がってしまうという大変滑稽な話に転化する外ないものだったのです。

 しかし、発言した当の坊つちやんはこの洒落に気づいていません。気づいてい
ないからこそ、自分の先祖は偉いんだと胸をはる形で「多田の満仲の後裔だ」と
誇ることができるわけでもあるのです。

 そこで、発言者・坊つちやんの姿勢はこうなります。坊つちやんは、洒落を言い、
滑稽を演じているのに、そのことに一向に気づいていないのです。この姿勢がま
た滑稽を倍加させます。ここが作者漱石のねらいとするところであり、ここにまた
作者の仕掛けたカラクリの神髄があるといえます。

 実をいえば、本人が気づかずに語る洒落こそは、「無意識的洒落」として特段
に滑稽味が増すものであることは、漱石が『文学論』で力説していたところなの
です。文学理論としての『文学論』と創作実践としての『坊つちやん』とは、ほぼ
同時期に作成されています。坊つちやんの「多田の満仲の後裔だ」独白は、作
者が学者として『文学論』で考察した「無意識的洒落」理論を実際の創作の場に
おいて活用してみせた見事な作例だったと考えるべきでしょう。

 その他、多田の満仲には、安和の変で密告に出ることで政敵を蹴落として摂
関家に取り入り、立身出世の糸口をつかんだという知謀家・策略家の側面があ
ります。ところが、坊つちやんはたかが中学生の悪戯に振り回されてどうする
こともできず、自ら「知恵のない」ことを嘆かざるをえない状況なのですから、こ
の点でも全く対照的です。先祖と子孫のこうした極端な違いも滑稽感を増幅さ
せる事柄です。

 これもまた漱石が『文学論』で力説していることですが、滑稽味を身上とする
道化趣味は道徳的価値判断を除去する作用があります。落語には罵詈雑言や
差別発言が数多くでてきますが、問題発言だと言って目くじらを立てる人はいな
いというわけです。坊つちやんの「多田の満仲の後裔だ」独白も落語を聞くよう
な気持で読めばよいということでしょう。事実、この独白はとんだ落とし話でもあ
るわけです。

 以上、「多田の満仲の後裔だ」という独白個所に限定して、多田の満仲=只
の饅頭という洒落をそこに対置してみることで、坊つちやんの差別発言を自然
にひっくり返してしまうカラクリ仕掛けをみてきました。この第一の仕掛けだけ
でも、坊つちやんの差別発言をひっくり返すには十分強力だったと思われます
が、仕掛けはさらに第二、第三と続くのです。

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カラクリ・その2  百姓も元は清和の流れなり

 坊つちやんの差別発言を自然にひっくり返してしまう仕掛けの第二は、「多田の
満仲の後裔だ」個所を除いた「是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で」「こ
んな土百姓とは生れからして違うんだ」という発言に関わっています。この部分
の発言に対しては、川柳風のナゾナゾとしての「百姓も元は清和の流れなり」を
対置してみると、効果てきめんです。このナゾナゾの理屈では「清和源氏」=「土
百姓」となるので、「是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で」「こんな土百姓
とは生れからして違うんだ」という坊つちやんの言い分は、根底からくつがえって
しまいます。

 この「百姓も元は清和の流れなり」というナゾナゾの答えは、旗本戯作者柳亭
種彦作『偐紫田舎源氏』です。『偐紫田舎源氏』は、紫式部『源氏物語』のパロデ
ィで、19世紀中葉の江戸末期に一大ベストセラーとなったものです。当時は、
「源氏」といえば、原典の紫式部『源氏物語』ではなく、『偐紫田舎源氏』の方を
指したほどで、この作品は、歌舞伎芝居への脚色上演を媒介にして、風俗衣装・
諸道具・食物などの分野に源氏模様・源氏絵・源氏名の流行を呼び起こしまし
た。その流行がついにナゾナゾにまで及んで「百姓も元は清和の流れなり」が作
られたと考えられます。「田舎」を「百姓」に、「源氏」を「清和」にそれぞれ置き換
えれば、『偐紫田舎源氏』から「百姓も元は清和の流れなり」は簡単に作成でき
ます。このナゾナゾは種類としては「考えもの」(「判じもの」とも)に分類されます。
『偐紫田舎源氏』の爆発的流行とともに、幕府権威の揺らぐ幕末騒乱の世にむ
かえられたと思われます。

 『偐紫田舎源氏』の作者柳亭種彦にも注目すべきです。彼は単なる戯作者で
はなく、れっきとした旗本の殿様でした。「百姓も元は清和の流れなり」は、旗本
の殿様が作った『偐紫田舎源氏』から作られました。この事実を下敷きにして柳
亭種彦のパロディ精神を受け継ぎながら、幕末生まれの漱石によって作成され
たのが、坊つちやんの「是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で」「こんな土
百姓とは生れからして違うんだ」という発言だったと思われます。

 このように坊つちやんの「是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で」「こん
な土百姓とは生れからして違うんだ」という発言は、流行作家兼旗本の柳亭種
彦の代表作『偐紫田舎源氏』の存在や、それに由来する「百姓も元は清和の流
れなり」というナゾナゾの流布という事実と関連づければ、簡単にくつがえされ
てしまうたちのものだったのです。漱石のカラクリ仕掛けは周到で巧妙だったと
いうべきです。

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カラクリ・その3  猫があきれた清和源氏

 坊つちやんの差別発言を自然にひっくり返してしまう仕掛けの第三は、坊つちや
ん発言の中にある「清和源氏」に関わっています。

 確かに「清和源氏」は日本の武家社会において最大勢力を誇る家系です。その
ために、何かと理屈をつけてはその血筋にあたるといった権威づけの主張が横
行することになりました。そうした系図偏重の、何でも「清和源氏」だと言ってあり
がたがる軽薄な風潮を揶揄した記述が、実は『坊つちやん』直前の他の漱石作
品の中に見受けられるのです。

 その作品とは、『坊つちやん』とならんで親しまれている『吾輩は猫である』です。
その記述は、『吾輩は猫である』「七」の猫による銭湯偵察場面にあります。そこ
では、近松門左衛門『国姓爺合戦』の主人公として知られる「和唐内」が「清和源
氏」だとする荒唐無稽な会話が猫によって報告されています。中国人を父にもつ
「和唐内」を「清和源氏」とする会話に猫があきれて憤慨するのも無理はありませ
ん。

 『吾輩は猫である』の「七」は、『坊つちやん』と同じく俳句雑誌「ホトトギス」に掲
載されました。掲載の時期は、『坊つちやん』よりは三カ月前にです。同じ作者が
同じ雑誌でわずか三カ月のずれで、同じ「清和源氏」を用いているのです。前の
場合が荒唐無稽な話とすれば、後の場合もまたそうに違いないと受け取るのが、
自然な読み方でしょう。作者漱石としては、その点を計算にいれていたはずです。

 こうした点に注目すれば、坊つちやんの「清和源氏」発言は、『吾輩は猫であ
る』の「七」の場面と同種の荒唐無稽なものとなり、くつがえってしまいます。


 以上、三点にわたり、坊つちやんの差別発言を自然にひっくり返してしまう作者
漱石のカラクリ仕掛けを見てきました。わずかな叙述の中に三重の仕掛けですか
ら、ずいぶん念の入ったことですが、発言が発言なだけに、それをくつがえす仕
掛けについては、平等感覚の強い作者漱石としては用意周到たらざるをえなか
ったのでしょう。

 三重の仕掛けをひとまとめにしていえば、坊つちやんの発言は、真に受けては
いけないということでしょう。ところが、『坊つちやん』について言及する人の大方
は、これらのカラクリに気づかずに、坊つやん発言を真に受けてしまっているよう
です。この読み落としは、漱石神社の神主と揶揄されることのある小宮豊隆がそ
の著『夏目漱石』(岩波文庫、上・中・下)の冒頭で先鞭をつけて以来、改められる
ことなく今日に到っています。岩波書店といえば、漱石のお蔭で日本を代表する
出版社に成長した感があります。その岩波書店あたりが、率先してこの点の是正
に取り組めば、事態は一気に改善するのでしょうが、どうも岩波書店の姿勢は慎
重でありすぎるように思われて、残念なことです。

 これにてサワリ・カラクリ口上を終わります。次は本論の本の紹介です。


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