山影冬彦の漱石異説な世界・資料篇
5、新刊情報
2006年1月刊行
夫婦で語る『こゝろ』の謎・漱石異説 | ||
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〔まえがき〕 (木村澄子) 第一章 漱石作品における『こゝろ』の位置 一、高校国語の教材としての『こゝろ』、『坊つちやん』と対比して 二、三角関係の一つの型としての『こゝろ』 第二章 『こゝろ』の入れ子構造−−−構成上の謎 一、『こゝろ』の図解 二、『こゝろ』の主題と入れ子構造 第三章 『こゝろ』の語りの特徴 一、『こゝろ』における語りの問題 二、「上」「中」の語り手としての青年の語りの特徴 三、「下」の語り手としての先生の語りの特徴 四、青年と先生の語りの響き合い 第四章 人物・事件整理簿 一、整理の必要性 二、事件整理簿 三、人物整理簿 第五章 「上 先生と私」を巡って 一、冒頭の意味するもの−−−理念小説としての『こゝろ』 二、「よそよそしい頭文字など」の問題 三、「頭文字」としてのKの意味 四、鎌倉海岸での出会い 五、雑司ヶ谷墓地での再会 六、警句が誘い水となり、過去へ、青年の肉薄 七、告白の約束、「適当の時機」が条件 八、「適当の時機」の二重性 九、先生夫妻と青年 十、最後の晩餐としての卒業祝い−−−妻の請託、先生から青年へ 第六章 「中 両親と私」を巡って 一、隠蔽か暴露か、鍵を握る「中」 二、帰郷中の青年の意識−−−心ここにあらず、先生の許にあり 三、「適当の時機」は「中」のなかで 四、青年にとっての「適当の時機」、復習と見当 五、就職周旋依頼状の意味 六、父危篤の詳報の意味 七、先生自殺の決断、遺書作成に到る経緯の整理 八、結末は尻切れトンボ 第七章 「下 先生と遺書」を巡って(1) 一、主題の響き−−−「私の心をあばく」 二、叔父の裏切り−−−先生、故郷を棄てる 三、居を移して猜疑の心、変ぜず 四、Kの登場、その原型は『文学論』にあり 五、先生とKの房州旅行 六、Kの告白・「魔物」の出現−−−先生が悪人になった瞬間 七、襖の効用 八、先生の逆襲と裏切り 第八章 「下 先生と遺書」を巡って(2) 一、先生の「悪人」度 二、心の二重底三重底、K抹殺願望の有無 三、Kの自殺理由 四、「明治の精神に殉死する」の真偽性 五、真相・先生の自殺理由 第九章 青年の故郷を訪ねて 参考資料 一、先生の自殺理由に関して−−−漱石『文学論』 二、『こゝろ』の主題に関して 1.「『こゝろ』広告文」(漱石) 2.「模倣と独立」(漱石) 3.「人生」(漱石) 4.「私の心をあばく」(エドガー・アラン・ポオ) 5.「革命性の先駆者」(埴谷雄高) 三、本書で参照した文献一覧 〔あとがき〕 (山影冬彦) |
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「まえがき」より (木村澄子) 私は数年前からNHKラジオ高校講座現代文の講師を務めている。講師三人で担当するその教材に、夏目漱石の『こゝろ』があった。何度も授業でとりあげてきたことを考えて、ぜひ分担したいと思った。 |
「あとがき」より (山影冬彦) 『漱石異説『こゝろ』反証』(武蔵野書房)を一九九五年に出版した。私の本にしては珍しく、出版後二、三年で品切れとなった。内容は、『こゝろ』についての新しい解釈の試みで、「明治の精神」への「殉死」という先生の自殺理由は贋物だとする自信作だったから、出来れば再版をとも思っていたが、ある点で躊躇があった。躊躇したのは、『漱石異説『こゝろ』反証』が、新しい読み方の論証に重きをおいたため、著者自身からみてもくどくて難解と思われる個所があるからだった。再版するなら、元のままではなくて、難解を平易に改めたかった。『こゝろ』は高校国語の教材として依然として人気が高い。私の『こゝろ』論も、『こゝろ』に挑戦する高校生に読んでもらいたいという思いがあった。そのためにも、難解は改めねばならない。 加えて、『漱石異説『こゝろ』反証』には、漱石からの論証で、まったく見落としてしまった点があった。漱石の『文学論』には、「明治の精神」への「殉死」という先生の自殺理由をくつがえしてしまうような明言があった。これを不注意にも見落として、私は論を進めていたのだった。これを活用すれば、私の新しい読み方は、いっそう強固なものとなりうる。このように内容を補強する面においても、私は『漱石異説『こゝろ』反証』を改める必要を感じていた。 記述の面からも、内容の面からも、手直しが必要だとすれば、それは再版というよりは、増補改訂版ということになるだろう。そのような構想を抱いている時、妻が講師をしているNHK高校講座現代文で、『こゝろ』を担当することが決まった。そのテキスト原稿を作成するのに、妻は私の作品からいろいろ採り入れているようだった。その過程で、妻は私にしばしば質問することがあったが、単に疑念を呈するだけでなく、反論してきたりして、さまざまな形で議論が起こった。その議論が新鮮で面白かった。この議論を、『漱石異説『こゝろ』反証』の増補改訂版構想に活用することはできないだろうか。 この着想は、妻と私に共通するものだった。妻にしても、何かと制約の多いテキスト用原稿だけでは、『こゝろ』について言い足りないものを感じているようでもあった。そこで、検討を重ねた結果、『漱石異説『こゝろ』反証』の論旨を叩き台にして、夫婦で『こゝろ』を語り合う形で本を書いてみようということになった。本の題名も、『夫婦で語る『こゝろ』の謎』と改めることにした。 「『こゝろ』の謎」という論題については、すでに水川隆夫著『漱石「こゝろ」の謎』(彩流社)がある。厚かましくも、これから拝借した。漱石研究において水川隆夫さんからはさまざまな教示をいただいているが、今回もまたしかりであることをここにお断りしておく。ことに本書執筆中に、作品全般にわたる解説書として『夏目漱石「こゝろ」を読みなおす』が刊行されたことは、夫婦対談のこの企画に限りない励みとなった。 夫婦での対談を文章化する作業にとりかかる前には、すでに想い着いている論点を判りやすく整理できればいいくらいに、二人とも気楽に考えていた。ところが、いざ作業に着手してみると、予期に反して、着想済みのものでも再加工する必要が生じたり、全く新たな論点が幾つも浮上してきたりした。そのため、作業には思いの外、時間がかかった。 新たな論点の浮上は、予定外の時間を必要としただけではなかった。本書の性格をも変えた。妻との合意では高校生向きの『こゝろ』解説書にもなりうることを目標に掲げて、本書の執筆に着手した。その目標が大幅に狂った。やさしい解説書から新説の開陳場への変貌ぶりに、妻はほとんど匙を投げた様子だった。その責任は全て私にある。当初の目標とした高校生向き『こゝろ』解説書の作成は、別の機会に試みることにしたい。 このように当初の予定がだいぶ狂うことになったが、それでもどうにか一通りまとめ上げることができた。振り返ってみて、夫婦での文学談という企画も、新たな論点の浮上という一事をとってみても、まんざら棄てたものでないと認識を改めた。二人ともまだ元気なうちに、衰えつつある脳の活動に刺激を与える意味合いからも、このような企画を続行していきたいと思う。 本書の出版にあたっては、出版を快諾していただいた彩流社の方々にいろいろお世話になった。ことに茂山和也さんには、貴重な示唆をもって本書を形あるものにしていただいた。厚く御礼申し上げたい。 夫婦して『こゝろ』語るや老い仕度 二〇〇五年十二月 |