日本とイギリスとの歴史的な出会いは、1600年ウイリアム・アダムズがオランダ船リーフデ号に乗って日本に漂着したときからはじまりました。
(実際は、イギリスは東アジアにおけるオランダと主導権争いに敗れ撤退を余儀なくされ、日本とイギリスとの再開は、開国を待つことになります。)
以来400年が経過し、東と西の同じような小さな島国が、それぞれの歴史を経て共に高度資本主義体制を実現しながら、対称的な文化、社会関係を維持しています。(注1)
一方は、個人主義が、他方は和を重んじる集団主義が中心となっています。
イギリスの場合は、個人主義を基調としながらも秩序のゆきとどいた国を実現しています(夏目漱石「私の個人主義」)。オランダの場合は、自由放任的な個人主義ですが、人種的偏見がない、環境保護や対外援助に熱心など小さな倫理感よりも大きな倫理感を優先する気風があるといわれています。
他方、日本は、集団的エネルギーを結集する単一性は優れていますが、個人の自由、異質性、多様性がなかなか生かされません。
この文化の対比について、富永健一氏は、キリスト教を個人主義文化と儒教を集団主義文化として次のように説明しています。
「キリスト教においては、絶対者である神に対して、人間は各自個別的に対応する。
これに対して儒教は、人間関係の倫理が中心におかれ、集団生活をスムースに営むことが目的とされる。
この儒教が日本のような後進型の国家資本主義の展開に有利に作用した点は、
1.教育を重視すること、
2.政府主導型の経済発展を可能にしたこと、
3.個人の利害よりも集団としての企業や国家などの発展を優先すること、
4.権利・義務より義理・人情を重要視するなどである。」
日本は、明治の開国以来、近代化を、常にイギリスの、その経済力だけでなく、議会政治や社会を模範としてきましたが、精神面においては、「儒教」倫理あるいは、儒教、神道、仏教が混合融合した「日本の宗教」(R.N.ベラ−)というべきものに支えられてきたと言えそうです。(注2)
この「日本の宗教」は、日本の資本主義化の精神的支柱として促進作用を果たしてきましたが、同時に「天皇」あるいは「国体」という「非宗教的宗教」を国家秩序の機軸に定める土壌となり、天皇制ファシズムをも招来してしまいました。
戦後、全体主義は崩壊し、平和と民主主義のもとで個人主義倫理を建前としつつも、企業を「イエ」とする集団主義的な関係や「世間」を意識した世俗倫理の基本枠を存続させ、年功序列や終身雇用による生活保障をすることで、恭順的な集団的エネルギ−を引き出して、経済、社会を発展させることに成功してきたといわれています。
井上忠司氏は、 日本人の「世間体」について、「他者に見られない”自由”」から「関係の意味」を見失うことよりも、「他者に見られる不自由」を甘受しながら「生きた関係」を獲得してゆく積極面を再評価しています。
浜口恵俊氏「日本らしさの再発見」でも、西洋のかたくなな「個人主義」に対して、東洋における、他者との間柄を自己の手段と考えない「間人主義」の連帯的自律性に日本人の今後の精神基盤の可能性を見ています。
近代化を産業化と捉えた場合、後進型の日本においては国家主導の集団主義は不可避であったし、また、戦後の大衆社会、管理社会においても、大衆の画一化、受動化、孤立化が顕著になるにつれて、関係を優先する集団主義が、企業社会の展開に有効に作用してきたことは確かである。
このことから、日本においては、かたくなな「個人主義」ではなく、あくまでも「関係」をベースとした「連帯的自律性」に軸足をおいて、近代化を位置付けなおそうとする試みがあるが、現実は集団主義の価値観が根強くあり、状況対応型の「間人主義」で「開かれた関係」や「人格的自由」の砦をどこまで築けるかは、かなり難しい課題である。