web版ロール・プレイング研究

第5回ロール・プレイング研修会記録(暫定的に公開します)

第2セッション

川幡:第1セッションで不登校の生徒とその先生ということで、3つプレイを展開して、いろいろのことがわかったのではないかと思います。最初のプレイで、我々がなにげなく親切だと思って、優しい理解をする先生という形で、関係の中に登場している、自分ではそういう役割を持っているつもりなんですけれど、相手の生徒から見ればそう言う風には見ることができない。自分が自分にこうではないかという自己像を持っていますけれど、その自己像というのは他者がそういうふうに理解してくれるものとは違っているのではないか、ということが分かったような気がします。

 それから、2回目に星野先生がやっていただいた、相手に危害を加えないような役割をするためにはどんな風にしたらいいのかな、その時に一つの方法として相手が触れてもらいたくない、隠しておきたいようなことに直接触れないことが必要である。そのときに星野さんはいろいろなものを、V6とか出しましたけれど、ごく他愛のないような話をしていると、それなりの関係というのは作れていくような気がする。ただその話に終始してしまいますと、どうも関係は深まっていかない。子どもは「自分のことを理解してくれた」というようには感じない。ではいったいどうしたらいいのかと言うことが、問題になってくるんじゃないかなと思います。

 そう言う意味でこれからまた展開をして、「どういう先生をやったらいいのか」ということをやってもいいかと思うのですが、今日は初心者の方も多いし、そこまで行って、万が一うまく行ってしまうと、「こうすればいいんだな」、と言って、その表面的なものだけを学んで帰って、かえって失敗すると言うことが起きるのでないかと思います。今日はわれわれ人間の見方というものを、相手をどういうふうに見るかということを、そして自分自身のことを、相手の行動を通して自分をどういうふうに見るかということ、例えば相手が電話を切るということなら、相手が自分を侵入者として見るとか、こわいから切ってしまうとか、加害者、侵入者、迫害者であるということを、電話を切られたということから、知ることができるのではないか。

 まあ、そういうことはあんまり知りたくはないかと思いますけれど、自分はやさしい先生、理解者であると思っている。それが分からない生徒は、それを理解する力がないんだと、こちらの感情というものを、まだ理解することができないんだ、だから誤解をし、ひねくれるんだと、相手の反応を、自分が傷つかないように認識しようとする。そういうことを日常生活からしていますけれども、この場ではそういう自分を防衛するような気持ちというものをちょっと( )に入れて、相手の行動を通して、いつでも自分の新しい自己像というものを、相手がそれを投げ返してくれているんだという形で見ると、そして投げかけられた自己像でもって、相手と係わっていくと、ひょっとすると関係が深まって行くかも知れない。あるいは相手が欲していると思われる役割をこちらが作ってあげると、関係が深まって行くかも知れない。

 さきほどの星野先生の例で言うと、そういうV6とかなんとかいう話をしている間に、私はミュージシャンになりたいんだとか、そういう夢を持っているかも知れない、そういう夢を先生と語り合えるような関係になっていく、そうすると夢が語り合えるわけですから、その子の夢の理解者になってくれるのではないか、そう言う先生ならもっと別の問題でも私は話を聞いてもらいたい、という気持ちになるかも知れない。そんな風にして役割を作っていくことができるのではないかと思います。

電話をかけて接触するという形にしますと、非常に斎藤先生難しかったのではないかと思いますが、これはまあ、ある意味で言いますと、最初に失敗してもらおうかと思ってやってもらったのですが、それをかなり上手にやっていただきましたので、ここでいろんなことを分析することができました。もう少し、初心者の方が多い場合には、役割関係というのを0から作り上げるようなものよりも、ある程度できている関係をやってみるほうがわかりやすい、やりやすいと思います。
 
今日は不登校といじめというテーマが出ていますが、ここで急に不登校からいじめに変わりますと、また何かよくわからないということになっても行けませんし、不登校といじめもまったく関係がないと言えませんし、ひょっとすると根は同じ所から出ていて、ある場合は不登校という症状になり、ある場合はいじめという症状になるのではないか、そんなことも考えられます。

今、場面を電話で話し合いをするという役割を作りましたけれど、今度は家庭の中で学校に行かない子どもとお母さんなりお父さんなり登場してもらって、そこでどんなことが起きているのか、そのときにお父さん、お母さんというのは子どもの行動を理解しようとしているのか、あるいは子どもの行動を変えさせようとしているのか、そう言う視点でドラマを見ていって見ようと思います。

できるだけたくさんの方にやっていただいて、どういう風になったときにどんなことが起きてくるか、今日はこうやれば、うまく行くとかではなくて、我々は日常生活でどんなことをやっているのか、そんなことをやっているときに子どもはどんなことを感じているのか、そう言うことが理解できれば、その後で自分の行動を変えることができるであろうと。相手がどんなことを感じているかわからないで、ああすればいいとか、いろんなHowto物のようなテクニックがありますけれども、そういうテクニックを使う前に、相手が何を感じているか、その感じていることに対して、我々はどのように対応すべきか。そんなことが出てくるのではないかと思いますので、まず最初にどんなことが起きているのか、それをやってみたいなと思います。

今度は場面を家庭の中で学校に行かない子、それから女性が多いですからお母さんという形でいくつかプレイをやってもらいたいと思います。休憩の時に話に出たのですけれど、40人以上も人がいますと何か発言がしたいと思っても、やっぱりやめておこうかなでもやってみたいなと思ったりしますよね。いかがですか。学校に行かない子いかがですか。

私、学校に行く子でしたから、学校に行かない子どもの気持ちは理解できないので、お母さんの方を。
じゃあ、理解できない子の方をやってみましょうか。理解できない方がいいですよね。では、この中からお母さんでもお父さんでもいいですからやってもらいたい方を選んでください。みなさん、指名されたいなと思っているんです。顔に出すとはしたないと思ってるんですよ。
それでは食事の時ちょっとお話ししていただいた大塚さんに。

じゃあ、学校に行かない娘さんとお母さんということにしましょう。娘さんどのくらい学校に行ってませんか。
では揺れ動いているあたりで一ヶ月くらい。
一ヶ月くらいの間、毎日行ってないですか。それとも登校を渋りだしているというか、2・3日行っては4・5日休むとか、あるいは全然行ってないとか。