まずは見た時の感想を中心に、ざーっと順番に並べました。
なお以下の文章には、勘違いや誤解や思い違いや妄想が大量に含まれてます。
ちなみに原作未読、映画は二回見て、あとは2ちゃんねるの感想スレッドを中心に情報を集めてます。
とにかく空(というより雲)が綺麗。がちゃんこがちゃんこと歩く城の、動きや質感はまるっきり王蟲。
宮崎監督もしかして、ただひたすらこの城動かしたかっただけの理由で原作選んどらんか?
最初真っ白な画面から、徐々に霧が晴れて手前にあるものから順に見えていく過程で、背景(舞台)から城に、自然と焦点が移るようになってます。
その後は駅を画面中心とした町中の光景に移り、ソフィーの仕事部屋へとカメラが入っていくわけですが、ここでの色使いはかなり考えてあると感じました。典型的な宮崎ヒロインとは違った、ソフィーの奥手で消極的な性格がよく出てます。
売り物の帽子が机いっぱいに積んでいるんですが、その帽子は鮮やかなのに、それ以外は赤茶系のくすんだ色なんですよ。その落差が、まんまソフィーというキャラへの印象になってるんです。地味な部屋の真ん中で、地味な服着て地味なエプロンかけた三つ編み頭の地味な女の子が、地味な椅子に腰掛けて、黙々と帽子に飾りを縫い付けていく。その上後姿でかなり画面引いているんで、動きも少ないんですよ。徹底的に地味。帽子というワンポイントを入れることで、これは『地味』という演出なんだってことを見る側にも教えてくれてるって感じです。
格好良い。ひたすらハウルか格好良い。燃えでも萌えでもない、色気のある格好よさ。これに尽きます。当然ですね一目惚れするシーンなんだから。ここで一気にFallin' love。
逆に、ここでハウルのフェロモン(笑)を感知し損ねると、物語に乗るのは難しいわけですが。
翌日2chの感想スレ見に行って、『いつソフィーがハウルに惚れたかわからん』というレスを見た時、正直いってネタかと思いました。
二人組の兵隊にナンパされて困ってたところに乱入、それもいきなり背後から肩に腕回して、サワヤカな声で親密そうに話し掛けられて、っていう展開だけでかなりドッキドキですよ?
ソフィーがどういうタイプか、事前のシーンで(その後の妹との会話でも)しっかり描写されてましたしね。
そんで顔見たら美形、そのまま腕組んで歩く、挙句の果てに空飛んでエスコートなんぞされた日にゃ、後々宙を見つめて『とってもいい人だった……』とかなんとか、ため息つくしかないっしょ。
でも似たような書き込み結構あるってことは、本当にあそこで入り込めなかった人も、(男性中心で)それなりにいるんだよなー。
例の空中歩行はさすがに絶品。『宮崎駿、健在!』ってのをきっちり見せつけてくれました。
最初驚いて、お尻にくっつくくらい高い位置で折りたたまれたソフィーの膝が、あの浮遊感を出す上での、大きなポイントではないかと思われます。んで、ステップを踏むような足取り、軽快な移動速度、三拍子の音楽と、高揚感もすごくあるんですよね。
ここはもう、ダンスシーンといったほうが適切な気もする。手のつなぎ方なんか。
最大のキーパーソンがいよいよ御登場ですよまだーむ。衣装はシックでエレガント、若い男が大好きで首まわりの肉がたぷたぷの、厚化粧おばさま。荒地の魔女の迫力と、アクの強さは素晴らしいです。まさに年増のなかの年増。年増の体現者。ガッデスオブ年増。『安っぽいわ』と連発する口調なんか、たまりません。ここまで強烈に『女』を主張するキャラが、かつて宮崎アニメに存在しただろうか──って俺、そんな力説できるほど見てる訳じゃないですけど。
捨て台詞の『ハウルによろしく』がまた憎いっす。
呪いに気付いたソフィーのリアクションですが、演出がコミカルなんで素直に笑えました。この呪いは話の転換点ではなくスタート地点だから、雰囲気重くしても進行の邪魔になるだけなんでしょう。
家出するに当たって、きちんと台所からパンやチーズを持ち出す(シーンを省かずに入れる)所が、思い返してみるとなんとなく、宮崎監督らしいリアリズムです。ナウシカのチコの実に始まり、パズーの『魔法のカバン』、メイのお弁当と、食料の準備や入手経路に妙にこだわるのは……やはり太平洋戦争の経験者だからなんでしょうか。
その後徒歩やヒッチハイクで荒地に向かうのですが、具体的にどこを目指していたかはわかりませんでした。エキストラの会話からすると、末の妹(原作だと、ソフィーの下の妹は魔法使い見習らしいので)の元に向かったのかな?とも思いますが、あまり重要じゃないみたいですね。とりあえず、直接ハウルを探していたわけではなさそうです。
中盤までは何かにつけ『年寄りって(肉体的に)大変だわ〜』と言いつづけるソフィーですが、老人になってしまったこと自体については、ほとんど否定的な感情を見せないんですよね。
恋愛とか将来の夢とかいう、いかにも若者特有っぽい要素が煩わしく感じられるソフィーにとって、老人という身分はそれなりに居心地良かったんだな……というのは、他人の感想や解説を見てから気付いたことですが。
あ、町中でソフィーに手を貸そうとした街の青年はかなり好印象でした。本筋に全く関係ないけど。
結構お年寄りには優しい社会みたいですね。道行く人が老人に親切というのは、なんとなくヨーロッパらしい気もしてきました。
これも演出?
今回の助演男優賞、案山子のカブ君登場。マルクルも可愛いですけど、俺はこっち。この人について語っていたらキリがないのであとにしますが、ソフィーがカブを引っこ抜いてから一度別れるまでのやりとりは、ほのぼのとうきうきが混ざった、いかにも童話らしいシーンでした。ソフィーばあさんとカブの珍道中、ってだけでなんかシリーズ作れそうです。
それだけにこの場面、もっとたくさん描いて欲しかったんですが……あっさりしてるほうが逆にいいのかな。カブが邪険にされてる、ってところでいい味出してますし。しかし『小さい頃からカブは嫌いだったのよ』ってソフィー、それが理由かっ!(笑)
原作の設定に基づいて解釈すると、カブがぴょいぴょい自由に動けるのは、実はここでソフィーに話し掛けられて以降なんだそうで。原作だとソフィーには隠れた魔法の才能があって(そういや妹も魔女見習い)、無生物に生命を与えることが出来るんだとか。
しかし映画ではその点は曖昧にされていて、魔力があるともないとも、はっきりしないんですねこれが。その気になってみれば魔力を匂わすシーンはあちこちにあって、原作未読だけどなんとなく気付いた、っていう発言もちらほら見かけるんですが、俺は例によってな〜んも気付きませんでした。
逆に、,映画のソフィーは魔力を持ってないと解釈するべきだ、という意見も当然あります。それでも別に話は成り立つし。
で、なんだかんだで城がやってくる訳ですが、今回は寄り気味の絵が多く、更に迫力が増してます。
一度すれ違ってから入口に飛び移るまでの流れは、今回やけに少ない気がするアクションシーン。
結構長めだったかな? 時間としてはそうでもないけど、単なるかけっこで済むところを、色々と緩急つけてました。
ただしソフィーがやたら元気な所にちょっと違和感。俊敏すぎないか?そりゃモタモタされても困るけど。
それにしてもカブ、よりにもよって自分から、ふたりを引き合わせてしまってたのか……ナイス自爆! 男前だ!(笑)
カブが城を引っ張ってこれた理由については、『カルシファーが呪いをかけられたカブに興味を持った』という解釈の他、『たまたま通りがかった』という説もあるらしいです。
……俺、なんも考えてなかったよ。単純に『あ〜すごいの連れてきちゃったのね』とか思ってた。
ただ、まったくの御都合主義というのでもないようです。荒地の魔女がハウルへのメッセージをソフィーに運ばせていたことが後で判明するわけですが、そこから考えていくと、ソフィーがいずれ城にたどり着くことは、呪いをかけられた時点では既に決定していたわけですね。具体的にどういう内容かっていうのは説明がないですが、ここで城が出てくる必然性は、ちゃんと作中でも存在しているらしい、……と。
ぶじ城に潜入し、カブが一時退場、そして映画化によりタイトルから追い出された『火の悪魔』ことカルシファー登場。通常時のカルシファーは、スライムと並んで出てきても全く違和感がない可愛いデザインです。とてもじゃないが悪魔にゃ見えん(笑)。ここでカルシファーが、ハウルから彼を開放する代わりに呪いを解く約束をしたことで、いよいよソフィーが城に居座る展開につながるわけですね。しかしこの取引、ラストになるとだいぶ観客から忘れられてるな〜。
ここでカルシファーが速攻で呪いを見破っている点が、ハウルもすぐにソフィーの姿が変えられていることにすぐ気付いたんだよ、っていうことの前触りになってたわけですが……初回の時はここ、完全には理解できませんでした。あとでハウル→カブで呪いの指摘がされているシーンと合わせて、ハウルがソフィーの呪いを見破ってることは一応気付いたんですが、その伏線がどこで活かされてるか、さっぱり分かったなかったんですね。
一夜明けてマルク登場。俺のツボは微妙に外してますが、確かに可愛い。あの変装は良かったな。みんな笑ってたし。ドアの魔法の見せ方や、好奇心むきだしでいろいろといじって遊ぶソフィーなんかも。
そして朝食の準備を始めた所で、いよいよハウルの再登場。
予想外の再会(見てるほうにはバレバレでも、町で会った魔法使いがハウルだということは、ソフィーは知らない)でびっくりしたソフィーが、このとき一瞬だけ恋する乙女モードになって『私のこと覚えてる?』という期待を見せたように思いました。……外見は思いっきり変えられている訳ですが。呪いがかかっていることはすぐハウルにわかったとして、元の姿までわかってたかどうかが謎。
老婆の姿であることは知ってたけど、ハウルビジョンでは最初から最後まで18歳に見てたんじゃ? と思うときもありますが。
原作だと、かなり早い段階でハウルはソフィーの呪いを解いてるそうです。ソフィー自身のコンプレックスと魔力のせいで、なかなか見た目は戻りませんが。
ところでこのときのハウル、相変わらず美形ではあるんですが、疲れているので姿勢からしてかなりよれよれです。そのくたびれ感が最高です。意識して作った、よそゆきの格好良さは初対面の時に印象付けてあるので、今度はちょっとガード緩めた、日常的な姿を見せる。
それで『ああ、この人普通にしてても素敵だ』となるわけですよ。いやほんと、料理しているハウルはマジ格好良いです。片手で手際よく卵を割ってく男、これがやけに色っぽい。
それにしても朝っぱらから一人につき卵2個っていうのはコレステロールが心配です。しかもひとりは高齢者。歯と同様、消化器や循環器系も若いままなのか? それとも高血圧も魔法でなんとかなるんですか。羨ましいぞ魔法使い。
シーンは前後しますが、『誰にでも出来ることじゃない』って台詞、ソフィーちょっと嬉しかっただろうなぁ。
このときのベーコンエッグは、ラピュタの卵のせ食パンを彷彿とさせましたね。実際みんなして『旨そう』と絶賛してました。劇場出たすぐの所で売ってたら、かなりの人がつい買ってしまうんじゃなかろうか。
つくづく食い物には(も?)こだわりますな、宮崎監督。
そして食事が始まるわけですが、きちんと『いただきます』の挨拶をしているのが上品ですね。キャラクターの印象を上手いこと伝えてます。このシーン見て、『ハウルって基本的に素直でいい奴なんだな』と思いましたもん俺。もちろん、
お茶を注いでるのがどう見ても日本の普通のお茶碗、っていう遊び心がおしゃれです。
共に食卓を囲む=家族関係が成立したことを観客に示した所で、魔女の手紙を見つけて緊張した雰囲気に。焦げ跡を消すハウルの、デモーニッシュな表情に、戦闘態勢のクシャナ殿下を思い出します。ハウルだけここで座を外し、城を100Kmほど移動させるんですが、これ要するに尻尾巻いて逃げてるだけじゃん、という真相を見事に隠蔽していました(笑)。二回目にみると『あ、居場所掴まれかけたんでびびって移動したな』って分かるんだけど。きちんと対応するでもなく、悠然と待ち構えるでもなく、ただ移動するだけだし。
魔女の詩(予言または呪術?)で言われている『星の子をとらえし者〜』はハウルを指しているわけですが(星の子=カルシファー。これはあとで解説見て知った)、っていうことは荒地の魔女はハウルとカルシファーの契約の内容を知ってるってことになるんだよな〜。
原作読んでる人によれば、星の子と契約して魔力を上げるっていうのは、他の魔法使いもやってることらしいし。
じゃあなんでソフィーの場合は『契約の内容を見破ること』が契約そのものを解除する条件になるんだろう?
魔法使いじゃないからか、ソフィーの隠された魔力をそういう形で引き出すようにカルシファーが呪術を使ったとか、あるいはソフィーが契約の瞬間に居合わせた人物だから、とか、色々と理由は考えられそうですが。
晴れて城の一員になったところで、平穏な日常の描写。あのすさまじかった魔境が、あっという間にぴかぴかに。すげえやソフィー。
暖炉の掃除中にカルシファーが消えかかってしまうんですが、それを危ない所で助けたハウルは『友人をあまりいじめないでくれないか』って言ってるんですよね。どうも本気で友達と思っているようです。カルシファーもカルシファーで、いろいろ愚痴はこぼすけど、ハウルに対して真剣な恨みつらみを抱いているようには見えません。
なんだあんたら仲良しじゃん。悪魔だの契約で縛られてるだの、こき使われてるだの言ってるけどさ。
それからおじいさん(違)は鳥に化けて戦場に、おばあさんは星の湖へ洗濯に。再登場したカブとマルクルの3人で、実に楽しそうでした。景色も綺麗で、見ていて気持ちがいいなあ。
一方で戦場から戻って来たハウルは以前にも増して疲労が溜まり、戦況もあまりよくない、と。暖炉の縁に足を乗っける演技が、いかにもだるそうで良し。変身が解ける途中の半端に鳥な姿は、人外ものフェチの血が騒ぎました。
その後の入浴〜髪染め失敗で一気にハウルのキャラが崩れてますけど、破綻したという印象ではないんだよね。それまで取り繕ってた表面がとれちゃって、文字通り”素”になってしまっただけで(笑)。
ねばねば男を無理矢理上に引っ張り上げてくシーン、タオルが落ちてたのは笑えたな〜。
たまたま異性の裸(またはそれに類するもの)を見てしまうイベントって、よく考えたら同居型ラブコメでは王道中の王道。
さすが大監督、お約束はきちんと押さえてます。原作からあるシーンらしいけど、他はいろいろ変えてる以上、忠実に再現するのも意図的な選択でしょう。それに、素っ裸とまでは言及されてない可能性もある(笑)
ただ、その露出が異性を意識させることに直接結びついてないので、既視感が薄いんでしょうね。
いや、ここでもし裸に反応してこれまで以上にハウルを意識するようになるソフィーなんて見せられても、激しく途方にくれますが。
その後ミルクを持っていく(当然ホット)あたりから、だんだんとハウルの気持ちが表に出るようになってきましたね。
っても初回で見たときは、単に母親的存在として甘えてるだけに見えちゃいました。全部見終わった後、引越ししたときの態度を基準に逆算すると、この辺りからかな……ということになったんですが。
ソフィーの呪いに気付いてたという前提で考えるなら、『美しくない』姿に変えられているにも関わらず、あれだけのパワーを彼女が発揮している事実に、何かしら感じるところがあったのかもしれません。
それにしても、ハウルの部屋の描き込み量は驚異的でしたね。見た瞬間、気が遠くなりました。
ここでの『本当は臆病なんだ、魔女が怖くてたまらないんだ』という告白、単にそれまでソフィーの知らなかった一面を見せているだけかと思っていたんですが……序盤でハウルが戦場に出ていた理由を考えるうち、むしろここは、ハウルにとってこそ重大な転機じゃないかという気がしてきました。
彼が『自分は臆病だ』という事実を受け入れたのは、もしかするとこの瞬間だったんじゃないか、髪を染めていたのと同じように、それまで僕は弱虫じゃない、魔女も戦争も怖くないと自分に言い聞かせていたんではなかろうか、と。
髪なら染め直せばいいだけなのに、あんなに派手に落ち込むってことは、自分の髪が本当は金色でないという事実から、ハウルは目をそらしてたわけです。闇の精霊召喚や緑色のドロドロも、『こんな自分なんか見たくない、消えてなくなっちゃえ』って自己否定の表れと見ることが出来ます。
となると、髪の色はハウルの自己イメージを象徴している訳で。
黒髪=怖がりの自分が暴かれてしまって、一度は拒否反応を起こしたけど、ソフィーが手を貸してくれたからどうにか立ち直れた、それで彼女はハウルにとって特別な存在になった。
そしてこの成長により、自分を騙す必要がなくなったから、後のシーンではずっと黒髪。
──そういう解釈もできる訳か。
あ、なんだかすごく納得行ったぞ。自分的に。
ヘタレ宣言後のハウル、開き直ってなんと、ソフィーを母親に仕立てます。んで、国王に会って招聘を断ってきてくれ、と。
それはさすがに調子に乗りすぎじゃないか? ソフィーの本当の年をとっくに知っているにしては、気遣いが皆無です。わざとしらんぷりしてるのか?
指輪渡して、こっそりついてくから大丈夫だと励まして、『さあ、行きたまえ!』と景気よく送り出す……のはいいけど、あのまともな服着てなさげな毛布姿でやられても。
……ギャグか? 笑いを取って、彼女の緊張をほぐそうという、ひとつの愛の形なのか?
ソフィーが『絶対うまく行かないって気がしてきた』のも頷けます(笑)。
ソフィーの反応、本当は『童話、昔話の法則』に基づいての発言だろうけど……毛布男ハウル、なんだかとっても変態さんに見えてしまいます。個人的に、アニメ十二国記での一章最終話の楽俊に匹敵する衝撃でした。
そもそも何であんな格好だったんだ? もしやお約束第二弾、ついうっかり全部洗濯しちゃって着るものがないというあの状況なのかっ!?
どうなんだ宮崎さんっ!?
王宮に向かう途中、一回『まさかね』と言われた飛行機が、その後も繰り返し上空を飛んでいる(音で分かる)のが、伏線だったことに二回目で気付きました。
でもって荒地の魔女か再登場。ここでのデカ顔は不意打ちでしたね。そのままあの、長い階段のシーンへなだれ込み。ヒンの挙動は、犬好きにはたまらんっす。可愛すぎる。
この『魔の階段』を登る間に、観客もソフィーもなんとなく、荒地の魔女が憎めなくなってしまうんだなぁ。ソフィーが魔女と一緒に行動する状況が、このシーンのおかげで不自然に見えなくなってる。全篇で最もコミカルなのは、その機能を強化するためってのは考えすぎかな?
そして同時に、王宮(=国家、権力者)がこの作品世界では民衆に対して不必要に冷淡であることを示してるんだよね。
後のサリマンとの対決で指摘した『ここは変』のうち、おかしな部屋にうんぬんは荒地の魔女だけに対してのものだから、偶然一緒になならなければソフィーには分からなかっただろうけど、この階段は常設だろうし、手を貸さないのもいつものことのように見えた。
ここでソフィーのサリマンに対する信頼の欠如が芽生えて、次の展開につながるのか…
すごく重要な布石だったんだ、実は。今更気付いたけどさ。
で、いよいよラスボス的役回りのサリマン先生。上品で落ち着いたいい人に見えます。その前に居たのが、汗だくで化粧崩れた荒地の魔女ですから余計に。
ところでここの温室、ラピュタの空中庭園そっくりです。見た人の9割は思い出したんじゃないでしょうか。
ここでサリマンから『ハウルは心をなくしている、このまま自分のためだけに魔法を使いつづければ、身も心も悪魔になってしまう』みたいなことを言われるんですが、あんだけ喜怒哀楽の落差が激しい、豊かな感情の移り変わりを見せられたあとで心がないとか言われてもまるで真実味がありません。
第一印象として、これは宮崎監督の『安易な若者批判に対する批判』じゃないかと俺は思いました。別に対象となるカテゴリは若者とは限りませんが、『最近の子供は情操が〜』とか『精神的に未熟〜』とかの、ありがちなあれです。『ゲーム脳』とかね。ただ単に自分が理解できなかったり、気に入らなかったりするだけのことなのに簡単に『精神的に問題がある』と決めつけるような手合い。
サリマンが『このまま好きなようにさせていたらハウルは駄目になる、自分の言う事を聞いて正しい道に戻れば助かる』みたいに言い出したんで、余計そういうイメージが固まりました。あ、『今この国は、いかがわしい魔女や魔法使いを野放しにしては置けない』って台詞も、そういう意味でかなりキてましたね。
時代背景やら現代社会の情勢、宮崎監督のプロフィールなんかを考えるなら、ファシズムの方を真っ先に思い起こすのが順当かもしれませんけど。
このときのサリマンの態度は、独善的の一言に尽きます。
実はこのとき、荒地の魔女の方が気になって、非常に重要なことを俺は見落としてました。そのこと自体は本筋には関係しないし、そもそも作中ではっきり示されていたわけでもない(一緒に初回見た、うちのおかんもスルーしとったし)ことなんですが……
感想スレでの解説や原作との比較を読んで得た情報、そこに加えてこのメタファーを視野に入れたとき、サリマンの人物像、ひいては映画全体のストーリーには別の見方があるんじゃないかという気がしてきて、それを確かめるために、二回目を見に行くことを決めました。
それについては、後でまとめてやります。
みんなそうだろうけど、言いたい放題のサリマンに、ソフィーが反論した時はものすごいカタルシスを感じました。この映画の中で『悪魔と契約したから心が無い』ってのは単なる言いがかりだと解釈してますので、余計すっきりしましたね〜。言いながらだんだんソフィーが若返って、完全に18歳の姿になったところで『私は彼を信じます!』の決定的発言。かっこいいよ! 気持ちいいよ! 最高だよ!
二回目に見た時の感触ですが、この言葉を(ソフィーのスカートの影に)隠れて聞いて、ハウルの心は完全に固まったものと思われます。
そして『お母様、彼に恋しているのね』とサリマン先生の鋭いツッコミ。ママはなんでもお見通し。
そもそも、弟子があっさり気付いたものが、師匠に通用する訳が無いんで……ハウルは一体どういうつもりだったのか、という疑問が浮かんでくるわけですが。
もしかすると、サリマンがここで出てくることは、彼の予想外だったのかもしれません。国王だけだまくらかして、さっさとトンズラ済むつもりだったとか?
『ソフィーがいると思うから行けたんだよ』って台詞、最初はサリマンとの対面を覚悟していなかったようにも聞こえますし。少なくとも、送り出した段階では、直に出てくる気ではなかったとみて間違いないでしょう。
そしていよいよ見せ場の魔法対決──でもないか。ハウルのほうの攻撃は、ソフィーが止めたから。とにかく幻想美に溢れた映像です。唯一残念なのは、予告やポスター等で散々使いまわされるにもかかわらず、ハウルの軍服姿が全く似合っていないことですが。まー、根本的に『軍服が似合ってはいけない』キャラなんだけどね、終盤の展開を考えると。
その後の空中追跡劇は、ジェットコースターのようなスリルとスピード感。しかしこの作品に出てくるメカで、腐海に適応してないのって、ここにしか出てこないかも(笑)。
しかしハウルってば余裕だ。いざとなったら自分で飛べるからか?
『ソフィーがいると思うから〜』なんて、きっちり口説き文句も混ぜてますしね。本心からの言葉でしょうけど、どういう効果があるかは、ちゃんとわかっているはずだ。恋愛経験皆無のお子様じゃないんだし。
実は自分の恋心に気付いたばかりで、ハイになっている可能性も考えられます。
上で推測したように、土壇場になってサリマンと会う覚悟が決まった=ソフィーのためなら勇気を出せることに気がついたのだとしたら、それが彼女への気持ちを自覚した瞬間ということになります。、
……まさかあんなストレートに『愛してるの』と言い切るとは思わんかった。それに究極生命体ハウルNaの顔も不気味。洞窟のような、遠近感の狂ったような部屋の描写で、現実じゃないのはなんとなく伝わりますが、それでもびっくりします。羽落ちてるしさ〜。
これ、ソフィーが寝ているところに、鳥ハウルが戻ってくるまでは多分現実の出来事だと思われます。
、そのまま夢の内容にシフトしてるから、見ているほうは騙されるんですね。
サリマンに脅されるは、途中でハウルを置いてくわといった不安要因がこの夢の原因でしょう。
しかし翌日でのご機嫌な様子から考えるに、現実のハウるん(痛)はわりと簡単に人型に戻って、ソフィーの寝顔見たあと、ニヤニヤしながら部屋に戻っていったと思われます。
翌日。ソフィーと観客の心配をよそに、朝っぱらからハイテンションなハウル君。おかげで直前のシーンが夢だとはっきりする訳ですが、それにしてもはしゃぎ過ぎ。
初見のときは、あんたいつのまにそこまで惚れたんじゃい! と面食らいました。2回目は、自分なりに流れを掴んでいたのでまあそれほど不自然には……んにゃ、やっぱり浮かれすぎ。
照準を完全に合わせて、力いっぱいかつナチュラルに、自分をアピールしてます。まさにラブラブ光線出力全開です。ばーちゃまはともかく、マルクルそっちのけで彼女とばかり話しているよ、この人。
なんせ、呼んでる声だけで舞い上がりきっているのが伝わりますからね。キムタク、GJ。
見てて恥ずかしくもありますが、ここまでストレートな愛情表現をさせられるって、なんかすごいなぁ…
サリマンとの会話で感激して、あそこまで心を開いたのに、一番盛り上がった所で逃げられたんじゃあ、そらムカッと来るよ。
魔法での引越しの過程は、わりと丁寧に描いていて、御伽噺の世界を見事に演出してます。『これから何が始まるんだろ?』という期待で、文字通り画面に吸い込まれます。そして、うねうねと室内の光景が変わっていく楽しさ。珍しく、カルシファーが悪魔らしい(虫歯菌ともいう)姿になってるのも自分的にポイント。地面にでっかく書いた魔法陣の線が、グラウンドでよく使う石灰のアレ(名前忘れた)で引かれてるのがなんとも(笑)。
花畑での会話、『この花も魔法で咲かせたの?』と訪ねるソフィーに『手伝っただけだよ』と返すのは、よくよく考えると重要かもしれない。
成長するには、結局の所本人がやるしかない。他人に出来るのは力を貸すことだけ、という、陳腐なお説教なのか、それとも、ささやかな助力でここまで美しい風景を作り出せる、と言いたいのか。
ある意味、一番エグいソフィ母のエピソードを経て、サリマンの手下+敵軍戦闘機のWピンチ〜な展開ですが、はっきりいってこのあたり、めちゃくちゃに状況がわかりづらいです。見ている側に対して不親切なのは否めませんね。どうも今回の宮崎監督は、観客とのそうした馴れ合いを拒否しているような気がします。整理すると、敵機が街に迫ってきている(鳥ハウルが頑張って撃墜して回る)一方で、町中を徘徊するサリマンの手下がハウル達の隠れ場所を探している(カルシファーの魔力で家ごと隠している、ただし爆弾が落ちてきたら無力)、ということらしいですが。
爆撃や空中戦は、短いですが色彩のコントラストが鮮烈で、美しくそして不吉です。
あ、念のためお断りしておきますが、上の方で『サリマンの言いがかりじゃ?』と述べていますが、それは原因がカルシファーだという点のみに関してです。戦場に身を置き続ける事で、ハウルの魔獣化は着実に進行しています。
そもそもハウル以外にも、怪物に変身して戦闘に加わり、あげく元に戻れなくなって『泣くことも忘れる』魔法使いたちは大勢いることが序盤で提示されています。
この『心を無くして人間に戻れなくなる』というのは、他人を殺傷することに慣れてしまい、感覚が麻痺することを指しているのではないか、とここでは解釈しています。
しかし、宮崎ヒロインともあろうものが、ここで大人しくただ守られている訳がないです。そんなことでは女が廃る!
ハウルが拘る『器』を崩壊させ、廃墟となった城にカルシファーを移して、強引に火を入れなおした城を使ってハウルのもとに駆けつける……のですが、ここの状況もまたわかりにくい。
魔法のドアを介して町から城に移動してるんですが、見ていてなにがなんだか判りませんでした。
この辺はもう、『ああ、なんだかわかんないけどピンチなのか』『ああ、とにかくハウルんとこに行きたいわけか』ぐらいの、超適当な気分で見てました俺。
この映画、なにからなにまで状況を把握している必要はないと思います。細かいことは、後でいくらでも調べられますし。
燃料投下で張り切るカルシファー、そして外装をべきべきと振り落としながら立ち上がる城(のタラコ唇)は、見応え充分。まずはそっちに注目すべし。
このときのソフィーの心理、特に男性には、かなりわかりにくいものだったようです。まあ、せっかく覚悟を決めたのに、まっこうから否定されて楽しいはずないわな。
でも、現実って〜のは無情なもんで。格好よく背中を見せても、守られる側にしてみれば、気休めになればいいほうです。危険が目の前に迫ってることが、その守りたい相手の目にもはっきり判るようになるまで、放置していたわけですから。土壇場になるまで手出しせずにいたくせに、いきなり状況をひっくり返すのって、かなり無理がありますよね?
まして『あなたの為なんだから仕方ない』とか、勝手に言われてもねぇ。相手の了承を得られなければ、単なる責任転換ですし。
このシーン先立って、例の『君だ』の決め台詞が聞けるわけで、実際このときのハウルの表情は、穏かながら決意を秘めた、誠実なものでしたが……
まさしく『気持ちだけありがたく受け取っておく』ってやつだったわけですね。
今でも少女のトキメキを心に秘めたおばあちゃんのおかげで、状況は更に困惑する訳ですが。ここのばーちゃんは実にいい味です。人によっては、単なる色ボケに見えるかもしれませんが。完璧に追い込まれたところで、再び愛の奇跡〜なのかどうか、隠されていた過去の秘密がここで明らかになるわけですが……
やっぱりわかりにくいよ!
ここでソフィーが、ハウルとカルシファーの契約の現場を目撃→ふたりの契約を破棄するための条件が整った、ということは難なく理解できますが、具体的な契約の内容は、原作読んだ人の解説見るまで、さっぱりわかりませんでした。
……原作未読でも、ちゃんと大方の事情を察していた方もいらっしゃるようなので、全くの意味不明というわけではないのですが。
それはそれとして、やっぱり画面が綺麗です。
今回、特に後半はあまりにも、描写の仕方が不親切です。
いいかどうかは別にして、もはや観客と馴れ合う気はないようですね、監督。そういう姿勢は好きですが。
ちなみに個人的に、あれはソフィーが本当に過去に行ったのではない気がします。
心を失いつつあったハウルが、契約当時のことを思い出している──夢で見ているような状態のところに、ソフィーが干渉したのでは? と推測しています。
だから指輪が崩れた後、ドアがあった所じゃ無くて、ソフィーが本来目指していた(そして以前から黒い扉が通じていたと思われる)戦場のハウルのところに着いた訳です。
完全に無表情となったハウルは結構ショックでした。ソフィーの言葉はちゃくと聞き分けていることで、安心したような、更に痛々しさが増すような。
ここでソフィーを連れて舞い上がる姿は、子王蟲を群れに返すために浮き上がる、ペジテの飛行ポッドと構図的に似てる気がします。
それはそうと、このハウルの羽毛は、なんだかやけにふさふさです。そそります。トトロのおなかと同じくらい、ばふっと抱きついたら気持ちよさそうでした。
人間の頭がくっついてるのが、この場合むしろ邪魔です。俺だったら、あのまま完全に鳥になるのを待ったかも知れません。
幸い、ソフィーはマトモな趣向の持ち主でしたが。
んでめでたく合流ですが、二回目に見た時、カブのアップになぜか、金色の野に降り立つナウシカを思い出しました。構図、似てたかな? あの腕にキツネリスがちょこんっと座ってる図とか、かなりイケるはず。
床板だけになった城がユーモラス。
おばあちゃんから心臓を受け渡される時の会話は、涙腺を直撃されました。
スペクタクルではありませんが、この映画の真のクライマックスは、このふたりのやりとりです。これはもう、断言します。
そして最後のハプニング。マジシャンが手品の種を隠すように、唐突な展開に面食らっているうちに、物語はフィナーレに突入です。
ここでの話の飛躍っぷりが、ものすごい勢いで批判の的になってますが……俺は結構好きだなあ。
ダラダラさせず、去り際は鮮やかに。最後はわけのわかんないうちに、気がつくとすっかり平凡な日常に戻っている、って展開は、イリュージョンの締めくくりとしては、上質の部類だと思うんですけど。
逆に醒めちゃったひとは、不運でしたねぇ。
小道具の性質上、気にする人がいるのは仕方ないんですが、それにしてもサリマンの最後の台詞の意味を、誤解してる人が多すぎる気がします。
あれは(カブのおかげでやりやすくなったし)停戦に向けて準備を始めましょうってだけで、あの一言で何もかも好転したわけじゃない。
ただサリマンが、本腰を入れて解決する姿勢を見せた、そこに物語の中での展望と、宮崎監督の現実世界に向けた願いを、ここは見出すべきじゃないかなぁ。
『そう簡単に戦争なんか終わらない、現実はもっと複雑だ』とか言ってみたって、武力でその問題を解決したり単純化したりは出来ないことを、そろそろ認めてもいいでしょう?
問題の先送りにしかならないし、その『送る』先があるかどうか、それすら危うくなっている──というのは個人的な感覚でしかありませんが。
この台詞、いい加減逃げるのを止めて、正攻法で取り組む覚悟を持ってくれ、って言われてるような気がしました。
そしてそれは、漫画版『風の谷のナウシカ』で、ナウシカが下した決断から、俺が受け取ったものと同じなんです。
おっとと、ふと気がつくとこんな量。さっさと次に行きますね。